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「ユンファス、今いいですか」
ドアにかかっている、謎の文字が書き連ねられたネームプレートを何とか読み解いて、私はユンファスの部屋の扉をノックした。両手に料理の乗った盆を抱えているので、かなりノックも大変である。
「あぁ、ちょっと待ってねー……」
ほどなくして扉があけられると、ひょこりとユンファスが顔を覗かせた。ふわふわとした金の髪が揺れる。開いた扉からは、ほんのりと花の香りが零れてきているように感じられた。ユンファスは私を認めると、そのまま部屋から出てきて扉を閉める。そしてにこりと私に笑いかけた。
「ごめんねー、姫。手間かけちゃってさ。ほんと、情けないよねぇ」
と、飄々とした様子で彼が肩をすくめる。
「いいえ、構いませんが……体調は大丈夫なんですか」
「うん、心配しなくていいよ。姫は優しいね。大丈夫だいじょーぶ」
ぽんぽん、と、頭を軽くなでられる。しかし言葉とは裏腹にユンファスの顔色はまだいいとは言えず、元気とは程遠そうだった。
「ユンファス、狩りの際に無理でもしたんですか。酷い顔色です」
踏み込まない方がいいとはわかっているものの、つい訊ねてしまう。それくらい、彼には元気がなかった。
聞いてしまった、と思う私に、しかしユンファスは困ったように眉尻を下げる。
「いやー、そんな記憶はないんだけどねぇ」
「……じゃあ、病気……とか、そんなことはないですか。風邪?」
「……。姫」
ユンファスはほんの少し、寂しそうに笑った。なぜかわからないけれど、それは寂しげなのに、どうしようもなく安堵した表情に見えた。
「君は本当に知らないんだねぇ」
「え?」
「ううん、何でもないよ。さ、料理をもらってもいいかな?」
と彼が手をこちらへ向けてくる。
私はその手に料理の盆を載せた。
「食欲はありますか? 消化の良いものの方がいいなら、作り直しましょうか」
「あはは、ありがとう。食欲はあるよ。心配しないで。食べ終えたら後でお皿持って行くねー。頂きます」
彼はそう笑いかけると、片手に盆を載せて自室の扉を開け、そのまま引っ込んでしまった。
「……大丈夫かな……」
この家の住人は体が弱いのだろうか。
以前、確かノアフェスが「リリツァスが倒れた」などと言っていたような気がする。
妖精は人間に比べたら体が弱いのかもしれない。
「……ルーヴァスかカーチェスなら、教えてくれるかな……?」
私はそんなことを考えながら、二階からの階段を下りていった。
未だに水に指を浸していたノアフェスにもうやめていい旨を伝えると、ノアフェスは無言でうなずき、さらっと朝食のつまみ食いをしてリビングへと去って行った。今から食べるんだからつまみ食いしないでいただきたい、まったく。まぁつまみ食いされた辺りをノアフェスに渡すから別にいいけど。
私がそんなことをつらつらと考えながら朝食を運ぶ用意をしていた時、ふっと影が差し掛かった。
「手伝おうか?」
軽やかに響いたのは、聞き覚えのある声。カーチェスである。
振り向けば、やはり少しばかり髪の湿っているカーチェスが、ぞんざいに白い髪を一括りにしたままこちらを見ている。彼に関していうならばハーフアップに見慣れているのでなかなか新鮮な姿だ。いつも髪を結わえているリボンは、濡れるのを避けるためか腰に巻き付けた紐に掛けられている。
「あ、カーチェス。お風呂あがったんですね」
「うん。さっぱりしたよ。君のおかげだね、ありがとう、姫」
にこ、と微笑む彼を見ると、こちらもいい気分になる。沸かしておいてよかった。今度から仕事帰りの日は風呂を沸かしておこう。
「それで、手伝っても大丈夫かな?」
「あ、わざわざいいですよ。私が持って行きます」
「俺の手が空いてるんだから、俺が手伝えば早く終わるよ。ね、手伝わせてくれないかな」
カーチェスは柔らかく微笑み、首を傾げる。何ていい人なのか。
「では、お願いしてしまっても……?」
「うん、大丈夫。さぁ、貸して」
差し出されたカーチェスの手に皿を載せると、彼はそれを受け取って颯爽と立ち去って行く。うん、照れなければ本当にイケメンなんですけどね。まぁ照れているのは照れているのでなかなか可愛いからいいか。本人に言ったら「男なんだけどな……」と眉尻を下げられそうだけれど。
「さてと、残りを運びますか……」
私がそう呟いて料理を運ぼうとしたとき。
「ルーヴァス!?」
「おい、どうした!!」
リビングから悲鳴のような声が聞こえて、私は思わずカトラリーを取り落した――
――同時刻。
「はーぁい、今帰ったわ!」
聞き慣れた無駄にテンションの高い声に、男はうんざりとため息をついた。
「永遠に帰ってこなくても一向にかまわなかったぜ、こちとらはよ」
「まったく照れ屋さんねぇ、あんたは。あたしがいない間、何か面白いことはなかったわけ? こっちは結構楽しんだわよ~。おかげで予定より遅れちゃったわ」
「……面白いこと、ね」
男が煙管に火をつけると、もう一人の方はにやにやと笑みを浮かべる。派手な装いをしたその人物は、中世的な顔立ちから性別を見分けるのが難しいように思われたが、その身にまとったドレスと唇を艶やかに彩る真紅の口紅は、その人物が女性であることをうかがわせた。すらりとした体躯、流れるような赤い髪、大きな緑の双眸、透き通るような肌――そのどれもが現実離れしたように美しく、艶めかしい。その美しさと、何より尖った耳はその人物が人間ではないことを如実に語っている。
「その様子だと何かあったわね? やっだもう、もったいぶらないの!」
「うっせ、黙れこの野郎」
「やだわ、可憐な乙女に対してその態度。信じられない! まぁいいわ、あたしは寛大だもの、許してあ・げ・る」
ぱちん、とウィンクをよこされ、男の方は悪寒に震えた。大変気色悪い。彼としては生理的に無理だった。
とはいえ実はこれが彼の腐れ縁である――長年ともに歩んできたものだが、未だに何がどうしてこうなったのかわからない。とかくこいつは気持ち悪い。この一言に尽きる。
彼がそんなことを考えているとはつゆほども知らぬその人物は――いやむしろ知ってはいるがいつものことなので特に気にかけてもいないのかもしれない――楽しそうに男の肩にしなだれかかった。深い赤色の髪が男の尖った耳に垂れる。それを男は大変不愉快そうに払いのけたが、赤い髪の人物は全くもって気にした様子もなく問いかけた。
「で、何があったのよ」
「シルヴィスが来た」
男の簡潔な答えに、
「あらやだヴィスちゃんが来たの! もう、ちゃんと前持って言っておいてくれればあたしだって出迎えたのにぃ」
とシルヴィスと親密な様子をうかがわせたその人物は、唇を尖らせて不満をあらわにした。
「てめぇの不気味な顔なんざお断りだとよ」
「あたしが美人だからって照れてわかりやすい嘘言わないの、もう。あたしはそれが照れ隠しだってわかってるからいいけど、そうじゃない子は傷ついちゃうわよ。結婚できないわよあんた」
「知るか」
男が腐れ縁から極力視線を外しながら吐き捨てると、「それで?」と問いを投げかけられる。
「ヴィスちゃんは、なんて? あたしに会いたいって言ってたのかしら?」
「んなわけあるか。……あいつが」
男は少し目を細めた。いつも顰め面のその顔が、さらに機嫌悪そうに歪む。
「人間を、連れてた」
「……あら」
「……それもさらにわけが悪いことに、どうも“女王陛下”だそうだ」
「あらあらあら……」
赤髪の人物は、にぃっと唇の両端を吊り上げて怪しげな色を含んだ笑みを浮かべた。
「なんだか楽しそうなことをしているじゃない。会ってみたかったわ?」
「しかしどうもきなくせぇんだな、こいつが……記憶喪失だとぬかしやがった」
「女王が?」
「あぁ。しかもシルヴィスの様子からするとあながち嘘でもないかもしれねぇ……だが、仮にそうだとして、だ。『鴉』はどうしてる? 記憶喪失になったにしても、鴉がその辺に女王を転がしておくとは考えにくい」
男の問いに、赤髪の人物は笑みを深める。
「それが、消息が知れないのよねぇ」
「あぁ?」
「鴉。あたしも面白そうだと思って調べてみたわ。以前から鴉は調べてみているのだけれど――でもそもそも、一切の詳細が浮かんでこないのよ。……おそらく、帝国そのものが丁寧に施してあげたんじゃないかしら」
「クロで決定か」
「恐らくね。でも残念だわ。会えば気配でわかるかもしれないのに、本当に慎重……その姿すら見せないのだもの」
その場に沈黙が満ちる。
『鴉』の消息が知れないとなると、少々まずい。
何故ならあれこそがおそらく、女王の最有力の手駒だからだ。その実態すら掴ませないその私兵こそが。何人いるのか、どのように編成されたのかすらわからないその私兵こそが、あの無力な少女の、絶対的兵力。……恐らく普通の人間が百人、千人かかったところで女王には指一本触れさせないであろう、最強の兵力。
それが今現在どのように動いているのか、わからないとなると、女王を彼ら七人に抱え込ませたままで問題ないのかがつかめない。
あの七人が無力かと言われれば、絶対にそんなことはない。むしろ、その七人の頭になるあの妖精がいれば、ほとんどのものは片づけられるだろう。少々面倒な“制約”が邪魔をするだろうが、ねじ伏せることそのものは造作もないはず。
が。
「鴉がクロなら、どうなるかわからん。どうしたもんかね……」
男はがしがしと頭を掻く。すると赤髪の人物は男に再び問いかけた。
「ヴィスちゃんは、その子のことを、なんて?」
「煮え切らねぇ返事だったな。ただ、あのお方のご意向だそうだ」
「あらぁ……。あのひとがそんな向こう見ずなことをするとは思えないのだけれど?」
「命令だっていうんだから仕方ねぇだろ。……しかしあんなものを抱え込んで何の得になるのかね」
男がうなると、赤髪の人物はすっくと立ちあがった。
「もう一度、調べに遊んでくるわ」
「は? 今からかよ」
「あら何、あたしがいないと寂しいわけ? やだ、可愛いところあるじゃない!」
「死ね」
「はいはい照れないで可愛いんだからぁ。あたしはあんたに特に興味ないけど」
「興味あるようなら張っ倒して店から締め出してる」
「やだ熱烈な愛の告白ね! まぁいいわ、今からまた鴉を調べに行ってみる。あれだけ強大な兵力だもの、絶対に何かつかめると思うのよね」
「好きにしろ」
男が短くそういうと、赤髪の人物は懐から小さな紙の束を差し出した。男がそれを受け取ると、赤髪の人物は再びぱちんとウィンクをする。
「……」
男が半眼になったところで、赤髪の人物は洒落た黒の帽子を被って玄関のドアを開く。
「じゃ、行ってくるわ」
「……」
男は何も言わないかに思われたが、やがて、
「……気を付けろ」
「言われなくても」
赤髪の人物は笑みを浮かべると、闇に溶けるようにして去って行った。
「……適当に遊んでこい、」
サファニア。
その名は誰に届くこともなく、静かに空気に解けていった。
ドアにかかっている、謎の文字が書き連ねられたネームプレートを何とか読み解いて、私はユンファスの部屋の扉をノックした。両手に料理の乗った盆を抱えているので、かなりノックも大変である。
「あぁ、ちょっと待ってねー……」
ほどなくして扉があけられると、ひょこりとユンファスが顔を覗かせた。ふわふわとした金の髪が揺れる。開いた扉からは、ほんのりと花の香りが零れてきているように感じられた。ユンファスは私を認めると、そのまま部屋から出てきて扉を閉める。そしてにこりと私に笑いかけた。
「ごめんねー、姫。手間かけちゃってさ。ほんと、情けないよねぇ」
と、飄々とした様子で彼が肩をすくめる。
「いいえ、構いませんが……体調は大丈夫なんですか」
「うん、心配しなくていいよ。姫は優しいね。大丈夫だいじょーぶ」
ぽんぽん、と、頭を軽くなでられる。しかし言葉とは裏腹にユンファスの顔色はまだいいとは言えず、元気とは程遠そうだった。
「ユンファス、狩りの際に無理でもしたんですか。酷い顔色です」
踏み込まない方がいいとはわかっているものの、つい訊ねてしまう。それくらい、彼には元気がなかった。
聞いてしまった、と思う私に、しかしユンファスは困ったように眉尻を下げる。
「いやー、そんな記憶はないんだけどねぇ」
「……じゃあ、病気……とか、そんなことはないですか。風邪?」
「……。姫」
ユンファスはほんの少し、寂しそうに笑った。なぜかわからないけれど、それは寂しげなのに、どうしようもなく安堵した表情に見えた。
「君は本当に知らないんだねぇ」
「え?」
「ううん、何でもないよ。さ、料理をもらってもいいかな?」
と彼が手をこちらへ向けてくる。
私はその手に料理の盆を載せた。
「食欲はありますか? 消化の良いものの方がいいなら、作り直しましょうか」
「あはは、ありがとう。食欲はあるよ。心配しないで。食べ終えたら後でお皿持って行くねー。頂きます」
彼はそう笑いかけると、片手に盆を載せて自室の扉を開け、そのまま引っ込んでしまった。
「……大丈夫かな……」
この家の住人は体が弱いのだろうか。
以前、確かノアフェスが「リリツァスが倒れた」などと言っていたような気がする。
妖精は人間に比べたら体が弱いのかもしれない。
「……ルーヴァスかカーチェスなら、教えてくれるかな……?」
私はそんなことを考えながら、二階からの階段を下りていった。
未だに水に指を浸していたノアフェスにもうやめていい旨を伝えると、ノアフェスは無言でうなずき、さらっと朝食のつまみ食いをしてリビングへと去って行った。今から食べるんだからつまみ食いしないでいただきたい、まったく。まぁつまみ食いされた辺りをノアフェスに渡すから別にいいけど。
私がそんなことをつらつらと考えながら朝食を運ぶ用意をしていた時、ふっと影が差し掛かった。
「手伝おうか?」
軽やかに響いたのは、聞き覚えのある声。カーチェスである。
振り向けば、やはり少しばかり髪の湿っているカーチェスが、ぞんざいに白い髪を一括りにしたままこちらを見ている。彼に関していうならばハーフアップに見慣れているのでなかなか新鮮な姿だ。いつも髪を結わえているリボンは、濡れるのを避けるためか腰に巻き付けた紐に掛けられている。
「あ、カーチェス。お風呂あがったんですね」
「うん。さっぱりしたよ。君のおかげだね、ありがとう、姫」
にこ、と微笑む彼を見ると、こちらもいい気分になる。沸かしておいてよかった。今度から仕事帰りの日は風呂を沸かしておこう。
「それで、手伝っても大丈夫かな?」
「あ、わざわざいいですよ。私が持って行きます」
「俺の手が空いてるんだから、俺が手伝えば早く終わるよ。ね、手伝わせてくれないかな」
カーチェスは柔らかく微笑み、首を傾げる。何ていい人なのか。
「では、お願いしてしまっても……?」
「うん、大丈夫。さぁ、貸して」
差し出されたカーチェスの手に皿を載せると、彼はそれを受け取って颯爽と立ち去って行く。うん、照れなければ本当にイケメンなんですけどね。まぁ照れているのは照れているのでなかなか可愛いからいいか。本人に言ったら「男なんだけどな……」と眉尻を下げられそうだけれど。
「さてと、残りを運びますか……」
私がそう呟いて料理を運ぼうとしたとき。
「ルーヴァス!?」
「おい、どうした!!」
リビングから悲鳴のような声が聞こえて、私は思わずカトラリーを取り落した――
――同時刻。
「はーぁい、今帰ったわ!」
聞き慣れた無駄にテンションの高い声に、男はうんざりとため息をついた。
「永遠に帰ってこなくても一向にかまわなかったぜ、こちとらはよ」
「まったく照れ屋さんねぇ、あんたは。あたしがいない間、何か面白いことはなかったわけ? こっちは結構楽しんだわよ~。おかげで予定より遅れちゃったわ」
「……面白いこと、ね」
男が煙管に火をつけると、もう一人の方はにやにやと笑みを浮かべる。派手な装いをしたその人物は、中世的な顔立ちから性別を見分けるのが難しいように思われたが、その身にまとったドレスと唇を艶やかに彩る真紅の口紅は、その人物が女性であることをうかがわせた。すらりとした体躯、流れるような赤い髪、大きな緑の双眸、透き通るような肌――そのどれもが現実離れしたように美しく、艶めかしい。その美しさと、何より尖った耳はその人物が人間ではないことを如実に語っている。
「その様子だと何かあったわね? やっだもう、もったいぶらないの!」
「うっせ、黙れこの野郎」
「やだわ、可憐な乙女に対してその態度。信じられない! まぁいいわ、あたしは寛大だもの、許してあ・げ・る」
ぱちん、とウィンクをよこされ、男の方は悪寒に震えた。大変気色悪い。彼としては生理的に無理だった。
とはいえ実はこれが彼の腐れ縁である――長年ともに歩んできたものだが、未だに何がどうしてこうなったのかわからない。とかくこいつは気持ち悪い。この一言に尽きる。
彼がそんなことを考えているとはつゆほども知らぬその人物は――いやむしろ知ってはいるがいつものことなので特に気にかけてもいないのかもしれない――楽しそうに男の肩にしなだれかかった。深い赤色の髪が男の尖った耳に垂れる。それを男は大変不愉快そうに払いのけたが、赤い髪の人物は全くもって気にした様子もなく問いかけた。
「で、何があったのよ」
「シルヴィスが来た」
男の簡潔な答えに、
「あらやだヴィスちゃんが来たの! もう、ちゃんと前持って言っておいてくれればあたしだって出迎えたのにぃ」
とシルヴィスと親密な様子をうかがわせたその人物は、唇を尖らせて不満をあらわにした。
「てめぇの不気味な顔なんざお断りだとよ」
「あたしが美人だからって照れてわかりやすい嘘言わないの、もう。あたしはそれが照れ隠しだってわかってるからいいけど、そうじゃない子は傷ついちゃうわよ。結婚できないわよあんた」
「知るか」
男が腐れ縁から極力視線を外しながら吐き捨てると、「それで?」と問いを投げかけられる。
「ヴィスちゃんは、なんて? あたしに会いたいって言ってたのかしら?」
「んなわけあるか。……あいつが」
男は少し目を細めた。いつも顰め面のその顔が、さらに機嫌悪そうに歪む。
「人間を、連れてた」
「……あら」
「……それもさらにわけが悪いことに、どうも“女王陛下”だそうだ」
「あらあらあら……」
赤髪の人物は、にぃっと唇の両端を吊り上げて怪しげな色を含んだ笑みを浮かべた。
「なんだか楽しそうなことをしているじゃない。会ってみたかったわ?」
「しかしどうもきなくせぇんだな、こいつが……記憶喪失だとぬかしやがった」
「女王が?」
「あぁ。しかもシルヴィスの様子からするとあながち嘘でもないかもしれねぇ……だが、仮にそうだとして、だ。『鴉』はどうしてる? 記憶喪失になったにしても、鴉がその辺に女王を転がしておくとは考えにくい」
男の問いに、赤髪の人物は笑みを深める。
「それが、消息が知れないのよねぇ」
「あぁ?」
「鴉。あたしも面白そうだと思って調べてみたわ。以前から鴉は調べてみているのだけれど――でもそもそも、一切の詳細が浮かんでこないのよ。……おそらく、帝国そのものが丁寧に施してあげたんじゃないかしら」
「クロで決定か」
「恐らくね。でも残念だわ。会えば気配でわかるかもしれないのに、本当に慎重……その姿すら見せないのだもの」
その場に沈黙が満ちる。
『鴉』の消息が知れないとなると、少々まずい。
何故ならあれこそがおそらく、女王の最有力の手駒だからだ。その実態すら掴ませないその私兵こそが。何人いるのか、どのように編成されたのかすらわからないその私兵こそが、あの無力な少女の、絶対的兵力。……恐らく普通の人間が百人、千人かかったところで女王には指一本触れさせないであろう、最強の兵力。
それが今現在どのように動いているのか、わからないとなると、女王を彼ら七人に抱え込ませたままで問題ないのかがつかめない。
あの七人が無力かと言われれば、絶対にそんなことはない。むしろ、その七人の頭になるあの妖精がいれば、ほとんどのものは片づけられるだろう。少々面倒な“制約”が邪魔をするだろうが、ねじ伏せることそのものは造作もないはず。
が。
「鴉がクロなら、どうなるかわからん。どうしたもんかね……」
男はがしがしと頭を掻く。すると赤髪の人物は男に再び問いかけた。
「ヴィスちゃんは、その子のことを、なんて?」
「煮え切らねぇ返事だったな。ただ、あのお方のご意向だそうだ」
「あらぁ……。あのひとがそんな向こう見ずなことをするとは思えないのだけれど?」
「命令だっていうんだから仕方ねぇだろ。……しかしあんなものを抱え込んで何の得になるのかね」
男がうなると、赤髪の人物はすっくと立ちあがった。
「もう一度、調べに遊んでくるわ」
「は? 今からかよ」
「あら何、あたしがいないと寂しいわけ? やだ、可愛いところあるじゃない!」
「死ね」
「はいはい照れないで可愛いんだからぁ。あたしはあんたに特に興味ないけど」
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「やだ熱烈な愛の告白ね! まぁいいわ、今からまた鴉を調べに行ってみる。あれだけ強大な兵力だもの、絶対に何かつかめると思うのよね」
「好きにしろ」
男が短くそういうと、赤髪の人物は懐から小さな紙の束を差し出した。男がそれを受け取ると、赤髪の人物は再びぱちんとウィンクをする。
「……」
男が半眼になったところで、赤髪の人物は洒落た黒の帽子を被って玄関のドアを開く。
「じゃ、行ってくるわ」
「……」
男は何も言わないかに思われたが、やがて、
「……気を付けろ」
「言われなくても」
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