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「あれ……ルーヴァスは」
翌朝。私は、無事に怪我もなく帰還した妖精たちを見て、しかし首を傾げた。
「ルーヴァスは……お散歩中? っていう感じ?」
「散歩」
「たまにルーヴァスは散歩してるからさ、気にしないであげて~?」
ユンファス自身もたまにふらりと散歩するとか言っていたし、この家の住人は散歩好きなのだろうか。
何にせよユンファスの答えに、「はあ」と頷くと、カーチェスが「お風呂を沸かそう」と口にした。
「あ、風呂はもう沸かしてあります」
「え?」
「狩りから帰ってきたら、お風呂入りたいだろうなって思って。汗もかくだろうし……とりあえず皆さん、武器とか服とか片付けたら、お風呂に入られてはどうですか」
「気が利く」
ノアフェスはそういうと、私の頭をわしゃわしゃと撫で繰り回した。……凄まじく髪が乱れた気がするけど気にしない。
とりあえず、六人は風呂に入ることにしたようで、私はそのまま朝食の準備に取り掛かった。
「姫」
「うわっ」
朝食の仕上げに差し掛かったところで、ノアフェスが声をかけてきた。
黒い髪はしっとりと湿気を含んでいて、どうやら風呂をあがったらしいことがうかがえる。いつも緩めに布で括っている黒髪は解かれ、何だか新鮮な雰囲気だ。金の簪は挿しているように見えないから、恐らく袖にでも入れているのではないだろうか。
とりあえず彼の突然の登場に驚いて思わず取り落しかけたコショウらしきものの瓶を何とかキャッチすると、ノアフェスはぱちぱちと目を瞬かせたのちに、ぴんと人差し指を立てた。
「邪魔をしに来た」
なぜ。
というかどうしてこのひと、気配が感じられなかったんだ……わざわざ気配を殺して近づいたのだろうか? だとしたらかなりの悪趣味だ。
「味見は任された」
「いや任せていませんけど。何しに来たんですか」
「邪魔をしに来た」
「何故だ」
「暇だ」
「知りませんが」
私が淡々と返すとノアフェスは、ぷーっと頬を膨らませる。
「冷たいぞ」
「いやいや」
「もっと反応がないとダメだ」
「私は一体何を求められているのか」
仕方なく出来上がった料理――トーストらしき何かだが名前が全く分からない――を小さく切ると、フォークで刺してノアフェスの口に突っこんだ。
多分これで黙るだろう。
と、思ったのだが。
ノアフェスはトーストもどきを突っ込まれると目を見開き、わたわたとし始め、
「あふいほ」
「食べ終わってから喋りましょう」
「みふ。みふをふれ」
あ、もしかしてこれ熱かったパターンか。
私が水を汲んだコップを渡すと、ノアフェスはすごい勢いで手に取って飲み干した。
すみません。
「死ぬかと思ったぞ」
「すみません。でも私を邪魔するとこうなります」
「解せぬ」
「解してください。はい、これ運んでもらえますか」
ついでとばかりに皿の運搬を頼むと、ノアフェスは何とも言えない複雑な顔をした。
「手伝いか」
「ここに来て騒いだんですから少しくらい手伝ってください。はい」
空の皿数枚を彼の両手に乗せると、ノアフェスはしばらく皿を見ていたが、諦めたようにリビングへと運び始めた。
協力してくれるらしい。
私も残りの皿を運び出し、リビングのテーブルへと並べていく。この皿は一人二枚ずつで十分だろう。
「というか、もうお風呂入ったんですね」
「うむ、一番最初に入ったぞ。一番風呂だ」
こだわるところだろうか、それは。
なんだかやけに嬉しげなノアフェスを見て不思議な気分になる。まぁ確かに、誰も入っていない風呂はきれいだし、気持ちがいいかもしれないけれども……
というか一番風呂ってそういえば、
「早死にするんじゃなかったっけ?」
「なんだと!?」
ノアフェスが驚いた様子で皿をテーブルに叩き付けた。
「ちょっと! お皿が割れちゃうので丁寧に置いてください!」
「あ、あぁ、いや、すまん。いやしかし一番風呂で早死にとはどういう原理だ。何かの迷信か」
「いえ、知りませんけど……そういう話を聞いたことがあった気がするというそれだけのことで」
まぁ一番風呂で早死にする理由が思いつかないし、ただの迷信かもしれない。
「俺はこの家の中で風呂に入ることだけが楽しみだというのに……」
唖然、という表情のノアフェス。そんなに風呂が重要なのか。
「まぁただの迷信かもしれませんし、そこまで気にする必要もないんじゃないでしょうか」
「そ、そうか。そうだな」
ノアフェスは自身を納得させるように何度か頷くと、台所へ戻る。
とそこで、私は一枚皿が足りないことに気づいた。それに、調味料もいくつか足りないと思う。コショウっぽい粉、もう少し瓶に詰めたほうがいいのではないだろうか。
「あ、ごめんなさいノアフェス。今のお皿と同じ大きさのお皿一枚と、調味料の……名前何だっけ。あの粉っぽい奴、持ってきてもらえませんか?」
「昆布か?」
「違いますよ!!」
トーストに昆布かけてたまるか! それは一体どんな料理なんだ!!
「あぁもういいです、調味料は私がやるので、お皿を一枚お願いします」
「了解したぞ」
私が台所に戻ると、ノアフェスはちょうどお皿を一枚持って台所を出るところだった。
「奥の席にお願いします」
「わかった」
と、彼が頷いた時、かしゃん、と音がして皿が落ちて割れた。
「えっ」
「……」
ノアフェスは数秒固まっていたが、やがて私の方を振り返ると、悪びれもせずに言い放った。
「すまん、落とした」
「ええええええ」
皿一枚なんですけど! 落とすほど大変なものじゃないと思うんですが!?
何だ、これはドジ体質だとでもいうことですか? 無表情だけどドジっ子だよ萌えるでしょとかそういう乙女ゲーム特有のよくわからない設定か。心底いらないのですが?
というかこんなことが前にもあったような気が。
しかしそうなっているものはそれで仕方ない。彼にケチをつけても、彼からすれば理不尽以外の何物でもないはずなのだ。とりあえず私が「掃除をします……」と言うと、
「いや、俺が落としたから俺が片付けておく。すまん」
と彼はやはり無表情で謝る。
……いやいやこれドジっ子でも萌えないでしょう。ドジやらかしても無表情でしれっとしてるんですけど。誰ですかこの設定考えたの。どう考えてもキャストミスだよ。どうせドジにするなら冷静でも表情の出るルーヴァス辺りの方が良かったのでは。
「っていうかノアフェス掃除できるんですか」
「? 俺とてやればできる」
「本当ですか」
どうにも信用ならない。そもそもこの家は私が来るまで誰も掃除した痕跡がなかったのだ。
と疑惑たっぷりに確認すると、彼はやはり何でもないように「うむ」と首肯を返す。
半信半疑ながらも状況が状況なので、料理を続行すべく私がその場を任せたところ……
「ノアフェス」
「うむ」
「私はあなたに何を任せたんですっけ」
「片づけだな」
「要するに掃除ですね」
「うむ。その通りだな」
「掃除って簡単に説明すると何ですかね」
「綺麗にすることだな」
つまりあれだ。
この場が綺麗になっている予定だよね。
前以上にとは言わないからとりあえず皿の破片とかなんとかそのあたりは一通り片付いているはずですよね。
「だったらなんで辺りが血塗れなんですかね!!」
私がそう叫ぶと、ノアフェスは「うむ、何でだろうな?」と首を傾げる。
可愛く首傾げても意味ないですからね? その血まみれの指先見たらいくらバカの私でも誰が出血してるのかくらいわかりますからね?
簡単に言えば皿の破片で指を切りまくったんですよね!
「無理なら無理と最初に言ってくださいよ! もしくは手伝うように言ってくださいよ!」
「だがあれだ、ここが血だらけでも特に誰も困らな」
「美観的な問題と衛生的な問題と気分的な問題ですよ困りまくりでしょうが! 少なくともあなた方が困らずとも私は盛大に困る! 普通に考えてくださいよ、台所の前が血塗れって何事ですか! あああもう私が掃除しますから、ノアフェスは朝食食べててください! 疲れているのならそのまま寝てください!!」
「そういうわけにもいかん。俺がやったんだ」
「だからなんですかさらに血塗れにしようと? 私の仕事をさらに増やす気ですか?」
「うーむ困ったな」
「困っているのは私ですよ! まぁ人には向き不向きがありますから、掃除ができないことについてどうこう言う気はもはやとうに消え失せましたけど、せめて自分の指で大惨事を繰り広げる前に対策くらいとっていただけますかね!」
「すまん」
「わかればいいです」
若干というか結構イライラしながら私は水に濡らした雑巾をその場に叩き付けた。そしてノアフェスを台所まで連れていき、冷水に手を突っ込ませる。
「血をある程度洗ったら、適当な布で強く巻いて、止血しておいてください。そのあたりについては戦闘に慣れているノアフェスの方が詳しいと思いますけど、くれぐれも汚い布で覆わないようにしてください」
「心得た」
ノアフェスが神妙そうにうなずくと冷水に指を浸したまま沈黙する。まぁ大人しければそれでいい。
私は雑巾で血塗れの床を拭うべく先ほどの場所へと戻ろうとし、ところがそこで、
――がしゃん!
「!?」
またノアフェスが何か割ったのかと後ろを振り返るも、彼は律儀に冷水に指を突っ込んだまま動いた様子はない。そして何かが割れた様子もない。
私は台所を出て、そこで眼を見開いたまま固まっているユンファスに遭遇した。
そしてその足元には、恐らく花瓶だったのだろうと思われるガラスの破片と色とりどりの花の数本、それから盛大にぶちまけられた水が床を汚しており、って。
「更に仕事が!!」
「え……あ、ごめん、姫」
ユンファスは我に返ったように目を瞬かせると謝罪をして、しかし何故かその場から少しだけ後退った。
「……ユンファス?」
「なに?」
「どうしたんですか」
いまさらながらに気づく。なんだかユンファスの顔色が悪い。
花瓶に挿した花をここに持ってきていたのだから、多分リビングかどこかに飾ろうとしたのだろう。そんなことを考えていた時から体調が悪かったとは思いにくいから、突然体調がおかしくなったのではないだろうか。
「顔色が悪いです。風邪でも……?」
「いや……その。ほら、お腹がすいちゃってさー?」
ユンファスはいつものように飄々と笑って見せたが、やはり少し顔色が悪い。それによく見れば先ほどまで花瓶を持っていたであろう右手は、何かを訴えるように震えていて、それを左手が手首からぎゅっと握りこむようにして押さえつけている。
もしかして、狩りの途中で怪我でもしているのだろうか。それが痛み始めた……とか、そういうことなのでは?
「ユンファス、もしかして怪我をしてます?」
私がそう問うと、ユンファスは「え?」と目を見開き、しかし微笑むと緩くかぶりを振った。
「いや、違うよー。大丈夫……気にしないで? 案外僕も疲れてるのかもねぇ。ご飯食べたらひと眠りするよ」
「……」
私はそれに、やんわりとした拒絶の色を感じ取った。
そういえば、前にユンファスが血まみれで帰ってきたことがあった。あの時、私が心配して駆け寄ろうとしたら、それを冷たい目で拒まれたのではなかったか。
今の彼がそれと同じ状況に見えるかと言われたら、かなり態度が柔らかいぶん、違うようにも見える。しかし、拒絶されているというのに、不用意に踏み込んで何かしら警戒されるのは得策とはいいがたいのではないだろうか。
私は心配ではあったものの、深く追求しないことに決めた。
「すぐにご飯を用意しますね」
「あ……うん、お願いしてもいいかなー? それでさ、わがまま言って悪いんだけど、上で食べてもいい?」
上というのは多分、自室のことを言っているのだろう。食べたら早く寝てしまいたいのかもしれない。まぁ疲れているのだろうから無理もない。
「構いませんよ。それなら、すぐに作って上まで持って行きます」
「え……いや、それはさすがに申し訳ないよ。僕がわがまま言ってるんだしさ」
「大丈夫ですよ。出来上がるまでにはもう少し時間がかかると思いますから、少しでも横になっていてください。後で持って行って、声を掛けます」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかなぁ……ならせめて、掃除を手伝うよ。僕が花瓶割っちゃったんだし」
と、ユンファスが提案してくれるが、脳裏に浮かんだのは「何でだろうな?」と血だらけの指をしたまま首を傾げるノアフェス。
うん、とてもじゃないが任せたくはない。
「大丈夫ですよ。ノアフェスみたいになっても困りますし」
「ノアフェス……? もしかしてその血、ノアフェスの?」
「あ、そうです」
「あーあー、不器用はこれだからねぇ……」
と、茶化すも、やはり元気はない。私はユンファスに上で寝ているよう勧めて、軽い掃除を済ませて食事を作り、彼の元まで運んで行くことにした。
「……」
冷水に指を付けたまま、ノアフェスが自分の指をぼんやりと見ている。
色白の細い指は、とうに血が止まっているように思われたが、当人は特にそれを気にした風もなく冷水に指を浸している。
「……いっそ、」
誰に言うでもなく、やはりぼんやりと彼が零す。
「笛など吹けんほうが良かったのか」
しかしそれにこたえるものはなく。
彼は窓の外に視線を投げ、朝の光に眩しげに目を細めたのだった。
翌朝。私は、無事に怪我もなく帰還した妖精たちを見て、しかし首を傾げた。
「ルーヴァスは……お散歩中? っていう感じ?」
「散歩」
「たまにルーヴァスは散歩してるからさ、気にしないであげて~?」
ユンファス自身もたまにふらりと散歩するとか言っていたし、この家の住人は散歩好きなのだろうか。
何にせよユンファスの答えに、「はあ」と頷くと、カーチェスが「お風呂を沸かそう」と口にした。
「あ、風呂はもう沸かしてあります」
「え?」
「狩りから帰ってきたら、お風呂入りたいだろうなって思って。汗もかくだろうし……とりあえず皆さん、武器とか服とか片付けたら、お風呂に入られてはどうですか」
「気が利く」
ノアフェスはそういうと、私の頭をわしゃわしゃと撫で繰り回した。……凄まじく髪が乱れた気がするけど気にしない。
とりあえず、六人は風呂に入ることにしたようで、私はそのまま朝食の準備に取り掛かった。
「姫」
「うわっ」
朝食の仕上げに差し掛かったところで、ノアフェスが声をかけてきた。
黒い髪はしっとりと湿気を含んでいて、どうやら風呂をあがったらしいことがうかがえる。いつも緩めに布で括っている黒髪は解かれ、何だか新鮮な雰囲気だ。金の簪は挿しているように見えないから、恐らく袖にでも入れているのではないだろうか。
とりあえず彼の突然の登場に驚いて思わず取り落しかけたコショウらしきものの瓶を何とかキャッチすると、ノアフェスはぱちぱちと目を瞬かせたのちに、ぴんと人差し指を立てた。
「邪魔をしに来た」
なぜ。
というかどうしてこのひと、気配が感じられなかったんだ……わざわざ気配を殺して近づいたのだろうか? だとしたらかなりの悪趣味だ。
「味見は任された」
「いや任せていませんけど。何しに来たんですか」
「邪魔をしに来た」
「何故だ」
「暇だ」
「知りませんが」
私が淡々と返すとノアフェスは、ぷーっと頬を膨らませる。
「冷たいぞ」
「いやいや」
「もっと反応がないとダメだ」
「私は一体何を求められているのか」
仕方なく出来上がった料理――トーストらしき何かだが名前が全く分からない――を小さく切ると、フォークで刺してノアフェスの口に突っこんだ。
多分これで黙るだろう。
と、思ったのだが。
ノアフェスはトーストもどきを突っ込まれると目を見開き、わたわたとし始め、
「あふいほ」
「食べ終わってから喋りましょう」
「みふ。みふをふれ」
あ、もしかしてこれ熱かったパターンか。
私が水を汲んだコップを渡すと、ノアフェスはすごい勢いで手に取って飲み干した。
すみません。
「死ぬかと思ったぞ」
「すみません。でも私を邪魔するとこうなります」
「解せぬ」
「解してください。はい、これ運んでもらえますか」
ついでとばかりに皿の運搬を頼むと、ノアフェスは何とも言えない複雑な顔をした。
「手伝いか」
「ここに来て騒いだんですから少しくらい手伝ってください。はい」
空の皿数枚を彼の両手に乗せると、ノアフェスはしばらく皿を見ていたが、諦めたようにリビングへと運び始めた。
協力してくれるらしい。
私も残りの皿を運び出し、リビングのテーブルへと並べていく。この皿は一人二枚ずつで十分だろう。
「というか、もうお風呂入ったんですね」
「うむ、一番最初に入ったぞ。一番風呂だ」
こだわるところだろうか、それは。
なんだかやけに嬉しげなノアフェスを見て不思議な気分になる。まぁ確かに、誰も入っていない風呂はきれいだし、気持ちがいいかもしれないけれども……
というか一番風呂ってそういえば、
「早死にするんじゃなかったっけ?」
「なんだと!?」
ノアフェスが驚いた様子で皿をテーブルに叩き付けた。
「ちょっと! お皿が割れちゃうので丁寧に置いてください!」
「あ、あぁ、いや、すまん。いやしかし一番風呂で早死にとはどういう原理だ。何かの迷信か」
「いえ、知りませんけど……そういう話を聞いたことがあった気がするというそれだけのことで」
まぁ一番風呂で早死にする理由が思いつかないし、ただの迷信かもしれない。
「俺はこの家の中で風呂に入ることだけが楽しみだというのに……」
唖然、という表情のノアフェス。そんなに風呂が重要なのか。
「まぁただの迷信かもしれませんし、そこまで気にする必要もないんじゃないでしょうか」
「そ、そうか。そうだな」
ノアフェスは自身を納得させるように何度か頷くと、台所へ戻る。
とそこで、私は一枚皿が足りないことに気づいた。それに、調味料もいくつか足りないと思う。コショウっぽい粉、もう少し瓶に詰めたほうがいいのではないだろうか。
「あ、ごめんなさいノアフェス。今のお皿と同じ大きさのお皿一枚と、調味料の……名前何だっけ。あの粉っぽい奴、持ってきてもらえませんか?」
「昆布か?」
「違いますよ!!」
トーストに昆布かけてたまるか! それは一体どんな料理なんだ!!
「あぁもういいです、調味料は私がやるので、お皿を一枚お願いします」
「了解したぞ」
私が台所に戻ると、ノアフェスはちょうどお皿を一枚持って台所を出るところだった。
「奥の席にお願いします」
「わかった」
と、彼が頷いた時、かしゃん、と音がして皿が落ちて割れた。
「えっ」
「……」
ノアフェスは数秒固まっていたが、やがて私の方を振り返ると、悪びれもせずに言い放った。
「すまん、落とした」
「ええええええ」
皿一枚なんですけど! 落とすほど大変なものじゃないと思うんですが!?
何だ、これはドジ体質だとでもいうことですか? 無表情だけどドジっ子だよ萌えるでしょとかそういう乙女ゲーム特有のよくわからない設定か。心底いらないのですが?
というかこんなことが前にもあったような気が。
しかしそうなっているものはそれで仕方ない。彼にケチをつけても、彼からすれば理不尽以外の何物でもないはずなのだ。とりあえず私が「掃除をします……」と言うと、
「いや、俺が落としたから俺が片付けておく。すまん」
と彼はやはり無表情で謝る。
……いやいやこれドジっ子でも萌えないでしょう。ドジやらかしても無表情でしれっとしてるんですけど。誰ですかこの設定考えたの。どう考えてもキャストミスだよ。どうせドジにするなら冷静でも表情の出るルーヴァス辺りの方が良かったのでは。
「っていうかノアフェス掃除できるんですか」
「? 俺とてやればできる」
「本当ですか」
どうにも信用ならない。そもそもこの家は私が来るまで誰も掃除した痕跡がなかったのだ。
と疑惑たっぷりに確認すると、彼はやはり何でもないように「うむ」と首肯を返す。
半信半疑ながらも状況が状況なので、料理を続行すべく私がその場を任せたところ……
「ノアフェス」
「うむ」
「私はあなたに何を任せたんですっけ」
「片づけだな」
「要するに掃除ですね」
「うむ。その通りだな」
「掃除って簡単に説明すると何ですかね」
「綺麗にすることだな」
つまりあれだ。
この場が綺麗になっている予定だよね。
前以上にとは言わないからとりあえず皿の破片とかなんとかそのあたりは一通り片付いているはずですよね。
「だったらなんで辺りが血塗れなんですかね!!」
私がそう叫ぶと、ノアフェスは「うむ、何でだろうな?」と首を傾げる。
可愛く首傾げても意味ないですからね? その血まみれの指先見たらいくらバカの私でも誰が出血してるのかくらいわかりますからね?
簡単に言えば皿の破片で指を切りまくったんですよね!
「無理なら無理と最初に言ってくださいよ! もしくは手伝うように言ってくださいよ!」
「だがあれだ、ここが血だらけでも特に誰も困らな」
「美観的な問題と衛生的な問題と気分的な問題ですよ困りまくりでしょうが! 少なくともあなた方が困らずとも私は盛大に困る! 普通に考えてくださいよ、台所の前が血塗れって何事ですか! あああもう私が掃除しますから、ノアフェスは朝食食べててください! 疲れているのならそのまま寝てください!!」
「そういうわけにもいかん。俺がやったんだ」
「だからなんですかさらに血塗れにしようと? 私の仕事をさらに増やす気ですか?」
「うーむ困ったな」
「困っているのは私ですよ! まぁ人には向き不向きがありますから、掃除ができないことについてどうこう言う気はもはやとうに消え失せましたけど、せめて自分の指で大惨事を繰り広げる前に対策くらいとっていただけますかね!」
「すまん」
「わかればいいです」
若干というか結構イライラしながら私は水に濡らした雑巾をその場に叩き付けた。そしてノアフェスを台所まで連れていき、冷水に手を突っ込ませる。
「血をある程度洗ったら、適当な布で強く巻いて、止血しておいてください。そのあたりについては戦闘に慣れているノアフェスの方が詳しいと思いますけど、くれぐれも汚い布で覆わないようにしてください」
「心得た」
ノアフェスが神妙そうにうなずくと冷水に指を浸したまま沈黙する。まぁ大人しければそれでいい。
私は雑巾で血塗れの床を拭うべく先ほどの場所へと戻ろうとし、ところがそこで、
――がしゃん!
「!?」
またノアフェスが何か割ったのかと後ろを振り返るも、彼は律儀に冷水に指を突っ込んだまま動いた様子はない。そして何かが割れた様子もない。
私は台所を出て、そこで眼を見開いたまま固まっているユンファスに遭遇した。
そしてその足元には、恐らく花瓶だったのだろうと思われるガラスの破片と色とりどりの花の数本、それから盛大にぶちまけられた水が床を汚しており、って。
「更に仕事が!!」
「え……あ、ごめん、姫」
ユンファスは我に返ったように目を瞬かせると謝罪をして、しかし何故かその場から少しだけ後退った。
「……ユンファス?」
「なに?」
「どうしたんですか」
いまさらながらに気づく。なんだかユンファスの顔色が悪い。
花瓶に挿した花をここに持ってきていたのだから、多分リビングかどこかに飾ろうとしたのだろう。そんなことを考えていた時から体調が悪かったとは思いにくいから、突然体調がおかしくなったのではないだろうか。
「顔色が悪いです。風邪でも……?」
「いや……その。ほら、お腹がすいちゃってさー?」
ユンファスはいつものように飄々と笑って見せたが、やはり少し顔色が悪い。それによく見れば先ほどまで花瓶を持っていたであろう右手は、何かを訴えるように震えていて、それを左手が手首からぎゅっと握りこむようにして押さえつけている。
もしかして、狩りの途中で怪我でもしているのだろうか。それが痛み始めた……とか、そういうことなのでは?
「ユンファス、もしかして怪我をしてます?」
私がそう問うと、ユンファスは「え?」と目を見開き、しかし微笑むと緩くかぶりを振った。
「いや、違うよー。大丈夫……気にしないで? 案外僕も疲れてるのかもねぇ。ご飯食べたらひと眠りするよ」
「……」
私はそれに、やんわりとした拒絶の色を感じ取った。
そういえば、前にユンファスが血まみれで帰ってきたことがあった。あの時、私が心配して駆け寄ろうとしたら、それを冷たい目で拒まれたのではなかったか。
今の彼がそれと同じ状況に見えるかと言われたら、かなり態度が柔らかいぶん、違うようにも見える。しかし、拒絶されているというのに、不用意に踏み込んで何かしら警戒されるのは得策とはいいがたいのではないだろうか。
私は心配ではあったものの、深く追求しないことに決めた。
「すぐにご飯を用意しますね」
「あ……うん、お願いしてもいいかなー? それでさ、わがまま言って悪いんだけど、上で食べてもいい?」
上というのは多分、自室のことを言っているのだろう。食べたら早く寝てしまいたいのかもしれない。まぁ疲れているのだろうから無理もない。
「構いませんよ。それなら、すぐに作って上まで持って行きます」
「え……いや、それはさすがに申し訳ないよ。僕がわがまま言ってるんだしさ」
「大丈夫ですよ。出来上がるまでにはもう少し時間がかかると思いますから、少しでも横になっていてください。後で持って行って、声を掛けます」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかなぁ……ならせめて、掃除を手伝うよ。僕が花瓶割っちゃったんだし」
と、ユンファスが提案してくれるが、脳裏に浮かんだのは「何でだろうな?」と血だらけの指をしたまま首を傾げるノアフェス。
うん、とてもじゃないが任せたくはない。
「大丈夫ですよ。ノアフェスみたいになっても困りますし」
「ノアフェス……? もしかしてその血、ノアフェスの?」
「あ、そうです」
「あーあー、不器用はこれだからねぇ……」
と、茶化すも、やはり元気はない。私はユンファスに上で寝ているよう勧めて、軽い掃除を済ませて食事を作り、彼の元まで運んで行くことにした。
「……」
冷水に指を付けたまま、ノアフェスが自分の指をぼんやりと見ている。
色白の細い指は、とうに血が止まっているように思われたが、当人は特にそれを気にした風もなく冷水に指を浸している。
「……いっそ、」
誰に言うでもなく、やはりぼんやりと彼が零す。
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彼は窓の外に視線を投げ、朝の光に眩しげに目を細めたのだった。
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イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)
便葉
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