白雪姫の継母に転生しました。

天音 神珀

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「つかれた……ごはん……」
「まだ食事の支度はできてないんじゃないかな? 何せ、朝から作業をしてたわけだし」
「……」

 カーチェスがそう言うと、エルシャスは心なしかしょんぼりと肩を落とし、ぬいぐるみをぎゅっと抱き締めた。

 私たちは今さっきようやく作業を終えて――というか、一段落つけたところだった。日もやや傾いているので、時刻は昼の一時といった所だろう。

 朝食抜きで働いていたものだから、全員空腹だった。

「っていうか今日の食事当番誰ー?」
「今日は……あぁ、今日は「勝負」の日だな」

 勝負の……なんですか?

 と、問おうとしたところで。

 思い切り、エルシャスの目が輝いた。

「料理……がんばる!」

 その、言葉に。

「…………」

 全員の顔が引き攣った。

 どうしたのだろう?

「……冗談ではありません。わたくしはまだ死にたくありませんよ」

 やや上ずった声で、シルヴィスがそう言った。

 は? 死にたくないって一体……

「僕もねー……ちょっと何と言うか、死ななくても……うん、死ぬね」

 ユンファスも若干上ずった声で形だけの笑顔を浮かべつつそう言う。

「まぁ……その。エルシャス。あなたが無理をして作る必要はない」

 ルーヴァスは表情は変わっていないけど……やや目が泳いでいる気がする。

「あの……皆さん、どうかなさったんですか?」

 不審に思って私がそう声を掛けると、全員が私に目を向けてくる。

 何とかしろ、と言わんばかりの目で。

「ぼく……作る。がんばる。見てて」
「いやエルシャスひくちっほんとに休んでていいんへぴしょいっんじゃないかなってへっぴ俺は思うはくしゅん! よ」

 くしゃみのし過ぎで何を言っているのかはわからなかったが、どうもエルシャスに料理を作らせたくないということは雰囲気で判った。

「話が……見えないんですけど……」

 と私が呟くと、シルヴィスが私を指した。

 はい?

「貴女は料理ができるんでしょう。今日の昼食は貴女が作っては如何です」
「いや待て、姫に一方的に押し付けるわけには」
「ぼく作る、がんばる」
「……姫、頼む」

 ルーヴァスさんさっきと言っていることが違いますが!

「料理は……いいんですけど……状況が見えないと言うか……」
「状況を説明している暇がどこにあるというんですか。いいから早く台所に行ってください!」

 シルヴィスの叱責に、私は首を傾げつつ台所へと向かった。




「……意味がわからない……」

 台所についた途端、私がげんなりとそう呟くと、ポケットの中から『お嬢様』と小さな声が聞こえた。

 鏡を取り出してみれば、困惑したような表情のリオリムが鏡の中に浮かび上がる。

「どうしたの?」
『お嬢様、この世界の料材など、ご存知ないのでは? 料理は難しくありませんか』
「あ、昨日は気力で頑張ったけど」
『あぁ……お力添えできず、申し訳御座いませんでした……』

 リオリムが頭を下げる。彼自身は全くもって悪くない筈だが。

「頭を上げて上げて! リオリムのせいじゃないよ。私が勝手に料理しただけだし」
『いえ。そのせいでお嬢様が不愉快な思いをしたならば反省せずにはいられません……。どうぞ今日は、何なりと私にお申し付け下さい。直接作って差し上げることはできませんが……レシピなら判ります』
「え、そうなの?」
『はい』

 リオリムは頷くと、台所の中をぐるっと見渡した。素早く何かを確認すると、目を細め、何ごとか思案する。それから微笑み、

『どうも見た限りでは、私の知っている材料も多くあるようです。それを使えば、料理も難なくできるかと』
「じゃあお願い! レシピを教えて」
『では僭越ながら――まずは手前にある赤い実を切ってください。あぁ、どうもまな板は右側の壁に立て掛けてあるようですね。包丁は――そこの金具に掛かっています』

 リオリムの手早い指示に、私はやや感嘆しつつ従っていく。

 見も知らぬ筈の台所で、よくここまで早々と指示ができるものだ。

「ん? なんかこのまな板変に新しいな」
『そうですね……傷が気になって買い換えたばかりなのかもしれません。――あぁ、お嬢様、それはヘタをとってから輪切りに』
「輪切り? こう?」
『そうです。あとは……、!』

 リオリムは何かを言いかけ、しかし突然黙った。

「なに? 何か……」

 と私が問おうとしたところで。

 どっかんばったん、と凄まじい音がリビングの方から上がり、思わず「え?」と私が顔を上げた途端、

「……ひめ?」

 と、台所の扉からエルシャスが顔を覗かせた。

「えっ、エルシャス!? どうしてここに」

 残りの六人で彼を止めてくれていると思っていたのだが違ったのだろうか?

「お料理、頑張る。姫の手伝い、する」

 何故かやる気満々彼に、「あ、手伝いは鏡の中にいるからリビングに戻っててくれないかな」なんて言える訳もない。どう料理を進めろというのだ。

 こっそりとポケットに鏡を仕舞いつつ、

「ええと、エルシャス? 疲れてるでしょ? 手伝いなんてしなくても良いよ?」
「だいじょうぶ。やらせて。がんばる」

 むしろ迷惑である。

 彼がいてはリオリムにレシピを聞くわけにもいかない。レシピが判らなければ、私は何も作ることが出来ない。これでは再びシルヴィスに嫌な顔をされるのは決定だ。そんなのはごめんである。

「エルシャス、ええと……」
「ひめは……僕、じゃま?」


 ……。ここで「うん」とか言ったらもう好感度が急激に落ちて私死亡なんだろうな。

 何ていえばいいの……

「邪魔とかじゃなくて、その……手伝ってくれて、いいの? 大丈夫?」
「料理、好き。だから、手伝いたい」
「……あぁ、うん」

 そうなんだ。へぇ……

 ……すごく、困ったなぁ……

「エルシャス、じゃあその、えっと、とりあえずその赤い実、輪切りに……って」

 指示を下してから少し場を離れてリオリムにレシピを一通り聞いておこうという私の計画は崩れ去った。

 彼が指示とは全く関係ないことをし始めたから。

「ちょ、エルシャ」
「丸焼きにすると、美味しい」

 彼が取り出したのは、後ろの棚にあった……なんかよく判らないけど、芋っぽい何かである。それを暖炉に突っ込んで……ってうぉおい!!

「え、エルシャス? 焼くなら串か何かに刺して焼かないと、取り出せな」
「次、これ」

 話を聞いていない。というか、エルシャスの目つきが違う。いや、確かに眠そうなんだけど。眠そうなんだけど! 目の色が違うというかなんというか。
 もしかして暖炉にそのまま物を放り込むのってこの世界では当たり前なのかな?

 いや、だったらどうやってアレを取り出すというのか……

「これを塗って、丸焼き」

 また何かよく判らない肉のような物を放り込んだ!! いいのかそれで!!

「……っていうかなんか焦げ臭……」
「次。これは……」

 エルシャスはようやく私の指示を思い出しのか、赤い実を手に取った。そしてまな板の上にそれを乗せ、包丁を取り出す。

「これは、切る」

 あぁ、まともだ。良かっ……

「……。……!?」

 バカン!!という凄まじい音と共に起こった目の前の状況に、私は口元を引きつらせた。

 え、まな板の上で切ってたよね? まな板の上であの赤い実を切ってたんだよね?


 まな板が粉々になって吹っ飛んで包丁が赤い実どころか机にまでめり込んでるんだけどこれ大丈夫なのかしら!!

 流石に腰が抜けて座り込んだ私に気付かないのか、エルシャスは机を傷だらけにして赤い実を切り終え、そのままそれらをフライパンに入れる。

 いやいやいや何で机をあんなにして平気なの!!

 え、どうしよう。私もう料理をするとかそういう状況にないんだけど。

 むしろ家が壊れないかどうかに気を遣うべきのような気がしてきた。

 でもこの子、私一人じゃどう考えても抑えられる感じがしないし……

「じょ、助力を請おう……」

 私は料理を諦め、何とか立ち上がるとリビングの方に向かった。




「……え、……え? …………え!?」

 リビングについた私の第一声は、それだった。

 というかなんと言えばいいのか、これは。

 一言で言い表すとするなら、ええと。

 ……死屍しし累々るいるい?

「っつー……あ、お姫様~……?」

 唖然としている私に一番に気付いたのは、ユンファスだった。

「えと、あの、これ、どうなってるの? な、何でみんな死んでるの?」
「あ、大丈夫。気絶してるだけ……いっつー……。エルシャスって力強いの、時々忘れるからな……」

 といいつつ、周りを見回す。ルーヴァス、ノアフェス、シルヴィス、リリツァス、カーチェスは見事に全員床に倒れ伏していた。

 どうも彼の言い方からするとエルシャスがこれをやらかしたらしい……

 見たところ、全員投げ飛ばされたか何かされたようだ。

「あ、姫、もしかして今、エルシャスが台所占領中?」
「え? うん」
「あぁー……世界の終わりだー」

 ユンファスは大いに顔を引き攣らせながら、「ははっ」と渇いた笑い声を上げた。

「あの、台所……」
「うん何も言わないで姫。もう台所は諦めてる」

 どういうことだろうか……

「エルシャスは、料理が……えーと、好きなんですね」
「あぁ、うん……好き、なんだけどね。……好きこそ物の上手なれって言葉もあるのに、何でなのかなぁ」

 ユンファスは脱力したように肩を落とし、額に手を当てて上を仰ぐ。

 どうもエルシャスは、相当……料理が下手なようだ。

「っつ……見事に肘を擦ったな……。? あぁ、貴方か」

 気だるげに起き上がったのはルーヴァスだ。
 端正な顔に、床で擦ったのかやや汚れがついている。綺麗に結わえ上げられていた銀髪も解け掛かっているし、よほどの惨状だった事は容易に伺えた。

「だ、大丈夫ですか?」
「あぁ、たいした事はない。それより……彼は、今、台所にいるのか」
「あ、はい……」
「…………。覚悟せねばな」

 諦めたように、ルーヴァスは眼を伏せた。そして大きなため息を一つ吐くと、解けかかっている髪を結わえ直し始める。

「あの、エルシャスってそんなに料理下手なんですか」
「あぁ……下手というかなんというか」
「下手だよ~」

 はっきりと口にはせず言い淀んでいたルーヴァスを遮り、ユンファスがバッサリと斬り捨てた。

「だけど本人は自覚ないみたい~。そもそも自分の料理食べたことないはずだし、あの子」
「え」

 どういうことですか……

「エルシャスは……料理は好きだが、別段食事に興味があるわけではないのだ。美味かどうかはあまり気にしていないようだしな……」

 疲れたようにルーヴァスがそう言う。

 っていうかそれ最悪のパターンじゃないですか!!

「料理をした後は皆に振る舞い、疲れてそのまま寝る。故に彼自身は自分の料理は食べたことがないはずだ」
「何ですかそれ……下手ならそれ自覚しないと、上達しないのに……」
「わざわざ食べさせるのも気が引けるような代物作ってくれるしねぇ。仕方ないから彼が寝た後作り直すんだよー」
「……酷い目に遭った」

 のそ、とノアフェスが起き上がった。

 乱れた襟巻きを整えなおし、瞬きをする。

「死屍累々だな」
「そのようだ。……だが、いずれ起きるだろうから問題はないだろう」

 いやいやその基準おかしいよ!

「食事は抜きだな……もう一仕事、してくるべきか」
「簡単なものなら、わたしが作ろう。エルシャスは恐らく寝るだろうから、その後にでも」
「ルーヴァス作るなら安心だけど、一仕事した後だともう夕食ぐらいじゃない? お姫様、ダメ?」

 ユンファスがそう訊ねてくるので、私は「一人で作るなら、大丈夫かと」と答えた。

 リオリムにレシピを聞きたいからそういったのだが、妖精たちはエルシャスに邪魔をして欲しくないからだと勘違いしてくれたようだった。よかった、不自然じゃなくて。

「ひと段落してエルシャスが寝落ちしたら、エルシャスは起こさないで部屋に寝かせとくから、君は適当に何か作って。じゃ、お腹空いてるけど仕事再開~」
「そ、そういえばこの三人は起こさなくていいんですか?」
「そのうち起きるんじゃないか。放っておいて大丈夫だ」
「まぁ、今起こそうとしても起きないだろうしな……姫は、念のため三人を見ていてくれないか。打ち所が悪ければ少々まずいからな。恐らくそんなことはないと思うが、一応だ」

 ルーヴァスがそう言ったので私が頷くと、彼らは外へと出ていった。

 本当にアバウトな人たち……じゃなかった、妖精たちだな。

「……にしても、見ていて、って言われてもなぁ……」

 シルヴィス、リリツァス、カーチェスを見回して、私は溜め息をつく。

 全員、床に倒れ伏したままピクリともしない。もしかして本当に死んでいるんじゃないだろうか……と、一番近くにいたシルヴィスの隣に跪ひざまずき、彼の顔を覗き込む。

 こうして改めて見てみると、本当に綺麗な顔立ちをしている。カーチェスも、リリツァスも。端正で、美人と言っても差し支えなさそうだ。妖精だからだろうか。

「……うぅ」

 うめきつつ起き上がったのはリリツァスだった。ふるふると周りを一通り見まわした後、私を認めると、にぱっと笑う。

「酷い惨状だね! へちっ」

 その表情で言うことではない。

 そもそもこの惨状――家具だのなんだのが粉々になっていたりする――を掃除するのは誰なのだ。どう考えても私しかいない。あれだけ昨日掃除をしたというのに冗談ではない。とはいえ私が今ここで怒ったところで、家が綺麗になるわけもない。

 と、そこまでぐるぐる考えた所で私は思考を放り出した。今そんなことを考えていても仕方ない。

「大丈夫?」
「うん、問題ない。ひくち。あ、ルーヴァスたちどこ行った? 作業にまた戻った?」
「あぁ、えっと、はい」
「俺何すればいいのかなー。へちっ、あ、姫、暇つぶしに鬼ごっこでもする?」

 何故ここで鬼ごっこが出てくるのか。

「私は、ここで二人を見ています。リリツァスは、できれば台所」
「ごめんそれは俺が死ぬから勘弁して」

 リリツァスはそう言うと、

「俺、洗濯物の乾き具合を見てくるよ。は……はっくしゅん! 姫は二人を見てて!」

 と叫ぶなり走って出ていってしまった。

 ……それほどまでに台所に立ち入りたくないのだろうか。

 凄まじい音をあげ続けている台所を見やり、私は眉をひそめた。

 恐らくまな板が新しかったのは……彼が原因で間違いない。

「いくらなんでも……ありえない……」

 そう言った時、カーチェスがふと目を開いた。

「――姫?」

 起き上がり、辺りを見回す。

「あぁ……せっかく君が掃除してくれたのに、また汚してしまったね」
「あ、大丈夫です。これを片付けるくらいなら、そんなに負担じゃないですから」
「でも、申し訳ないな……」
「大丈夫ですよ、ほんとに」

 私が笑いかけると、彼は少し眼をそらして口元を隠した。やや頬が朱に染まっているのは――気のせいではないのだろう。本当に女性に慣れていないようだ。

「ええと、みんながどこにいるかわかるかな?」
「あ、作業に戻ってるみたいです」
「そっか。じゃあ俺もそっちに行くよ。掃除をするようなら、呼んでね。できる範囲で手伝うから」

 そう言うと、彼も出て行ってしまった。

 と、そこまで考えて、はたと気付く。

 あと気付いていないのは、件くだんのあのお方――シルヴィス一人である。彼が目覚めれば私と彼は二人きり。彼が嫌味を言おうと何しようと、フォローしてくれる人はいない。

 最悪のパターンだ。

 何とか少しでも嫌味を回避するために掃除でもしようかと腰を浮かせた、その時である。

「……ろして」

 シルヴィスが何ごとか呟いた。気が付いたのかと彼を見やれば、彼は瞳を閉じたままだった。気絶したままでいるのだろう。

 うわごとだろうか?

 顔を覗き込むと、彼が顔を横に向け、眉をひそめた。だがやはり起きている様子はない。夢にうなされているようだ。

 その時、ぱさっと首筋にかかっていた彼の髪の一房が床に落ちた。白い首筋が、露わになる。それを認め、私は目を疑った。

 襟に隠されて、しっかりとは見えない。が、

「刺青……?」

 彼の白い首筋に、痛々しいほど真っ赤な刺青があるのが見てとれた。

 さほど大きい物ではない。ハートマークに槍が二本、クロスするように突き刺さったような紋様。どこかで見たような気もするが、よく覚えていない。

 そうして私が彼の首筋に見入っていると、彼が再び何ごとか呟く。

 思わず耳を彼の唇に近づけた。

 そうして聞き取れたのは、物騒な一言だった。



「……殺して、下さい」



 知らず私は顔を強張らせ――彼から身を引いていた。
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