白雪姫の継母に転生しました。

天音 神珀

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「――っ……つ、また派手に投げてくれたものですね……。……? 何を呆けているんです」

 ようやくシルヴィスは目覚めると、彼は私を認め――目を細める。

「……何かあったんですか?」
「あっいえ! 別に、何も」

 私が慌てて作り笑いを浮かべて手を振ると、彼は私をじっと見た後、ふいと目をそらした。そうですか、と呟き、台所を見やって顔をしかめる。

「下手の横好きとはまさにこのことですね……。流石に止められなかったのでしょう?」

 恐らくエルシャスのことを言っているのだろう。

「あ、はい。止められない、というかその、何か一緒にいられる雰囲気じゃなかったので……」
「料理となると他に構いませんからね、彼は。まぁこの件については仕方ありません。ところで、皆はどうしています」
「あ、皆さん作業に行かれました。リリツァスは洗濯ですけど」
「そうですか……」

 外を見やるように扉に視線を投げるシルヴィス。

 彼の袖口に擦れたような跡を見つけ、私は思わず

「……あの、大丈夫ですか」

 と訊ねていた。

 それに彼は私を振り返ると、ふっと静かに笑って、俯く。

「心配など無用です。……どうせ目的さえ果たせば枯れる身だ」

 最後の方はとても小さく呟かれた。恐らく独り言だろう。

 彼はやがて、無意識なのかゆっくりと自らの首の辺りに触れた。ちょうど刺青があったところである。今はちょうど髪と襟に隠され、全く見えはしない。

「……はぁ、仕方ありませんね。わたくしも手伝いに行きますか……」

 彼はそう言うと立ち上がり、外へと出ていった。

「……刺青……」
『お嬢様、どうかなさいましたか?』

 小さく潜められた声がポケットから聞こえてきた。それに私は、

「あの刺青、見たことがある気がするの……」

 私の言葉に、リオリムは不思議そうに訊ねてきた。

『刺青、ですか?』

 あぁそうか。ポケットの中に鏡を入れているから、彼には見えていなかったのかもしれない。

「ごめんね。見間違いかも……なんでもない」

 いくら不可抗力で見てしまったとはいえ、もしかしたら彼自身は隠しているものなのかもしれないのに、おいそれと言いふらすような真似はできない。そう考えて私はリオリムにも黙っておくことにした。

 リオリムは私の態度に不審なものを感じ取っているだろう。しかし再び問うようなことはしなかった。

 ……あれは本当に、一体何の印なのだろうか。

 見覚えはある。確かにある。けれど、どこで見たのか、まったくわからない。

『……お嬢様?』

 黙り込んだ私に、リオリムが声をかける。

「何でもないよ。……さてっ、私も死にたくないから逃げよっと」

 そういうと、私はそそくさと外へ出たのだった。




『お嬢様、僭越ながら、そろそろ』
「いや、絶対帰れる。たぶん帰れると思う。だからあともう少し自力で頑張らせて」
『……はい』

 やや困惑顔でリオリムがうなずいた。

 私はそのままあたりを見回す。

 現在の状況。

 おそらく、迷子、というやつだ。

「完璧に私、こっちから来たはず。さっき、この木を見た気がするし」

 そもそもなぜ迷子になったのかというと、まぁ呆れた話なのだけれど。

 干していた洗濯物を地面に落としてしまい、シーツの一枚が土で汚れてしまったのだ。

 リリツァスは聖術でシーツの汚れを消す、といったのだが、私は、私が汚したのだから私が洗うと言い張った。

 そして、シーツを半ばひったくるようにして川で洗った。

 シーツを洗い終わり、ほっとしたとき、たぶん気が緩んだのだろう、シーツから手を放してしまった。

 するとシーツは川を流れていき……それを追いかけているうちに。

 迷ったと。

 無事シーツは捕まえたのだけれど、自分の居場所がどこだかわからないのでは話にならない。

 最初は、リオリムを頼ろうと思った。

 だが、もし万一リオリムを家においてきて迷うようなことがあったら、私は帰れなくなる。

 そう考えると、自力で家を見つけられるようになったおいたほうがいいと思えた。

 それに、今は完璧に無謀、という状況でもないのだ。

 何故かといえば、川があるからである。

 そこらじゅうに生えている木とは違い、川は見たところこの周辺にはこの川一本だけのようだ。十分、目印になる。

 だから川沿いに進んではいるのだが。

「んん……無謀かなぁ」
『ですからお嬢様、私が案内させていただくと』
「待って、もうちょっと」
『ですが……』

 と、リオリムが何か言いかけた時。

「!」

 後ろから、がさっ、と草をかき分けるような音がした。

 思わず背後を振り返ると、見たことのない一人の青年がいる。

 金の髪に、蒼の双眸。全身を覆うような長い外套に身を包んでいるその青年は、私を認め、瞠目した。

「どうして、あなたが、ここに」
「え? えと……失礼ですけど、どちら様ですか?」

 訊ねてから、後悔する。この様子だと彼は私のことを知っているようだ。なのに、「どちら様ですか?」では、私は知らないと主張しているも同然だ。知り合いだったなら不審がられるに決まっている。

 しかし、まずったと慌てる私に対する青年の態度は、予想外にも落ち着いたものだった。

 彼は苦々しい表情を浮かべ、ため息をつく。

「……あなたは、俺を知らないのか」

 それもそうか、と落胆したように言う青年に、まずます私は困惑する。

 一体これは誰なのか。

「ええと、失礼ですけど、どちら様?」

 再度訪ねてみると、彼は胸に手を当て礼をした。優雅な仕草だ。

「無礼をお許しください、リネッカ国の女王殿下。俺はしがない旅人ですよ」
「あ……あぁ、私が女王だから知ってるのか」

 妖精たちも私の顔を見ただけで女王だと判断したし、どうも私の顔は相当有名なようだ。正直複雑な気分だが、どうしようもないことなので不満は胸の内にしまっておいた。

「……ふぅん、そう判断するのか」

 青年は礼から直ると、面白そうに私を見た。

「俺の名前は、クランツ」
「はあ」

 私が適当な相槌を打つと、青年――クランツは眉をひそめた。

「聞き覚えは?」
「ありませんけど」

 と即答してから、後悔する。もしかしたらこの世界の有名な人なのかもしれない。

 と、後悔に後悔を重ねている私を見て、クランツは笑った。

「ま、別に聞き覚えがなくても……というか忘れられても自然なのか。こんな身分じゃあね」

 と、彼は自嘲するように笑ってから、私に訊ねてきた。

「女王様がこんなところで何してるんです?」
「あ、砕けた口調でいいですよ」
「そう? じゃあ遠慮なくお互い普通に話すとしようか。それで? 何してるの? 見たところ供もいないみたいだけど」
「あー……」

 供を雇えるお金はないから一人で娘から逃げてきました、と、言ってよいものだろうか、これは。

 というかそもそも、女王が城から逃げ出す行為自体、あまり褒められたものではない気がする。

「ええと、お散歩中」

 絶対ありえない答えだが、とりあえずそう答えてみた。

 すると、クランツは先ほどよりさらに面白そうに微笑む。

「ふうん? お散歩中ね。女王様が。迷いの森の中を、一人で?」
「あぁ、まぁ、なんというか、そんな感じ」

 どんな感じなのだ、と自分で突っ込みそうになったが、そんな私に、クランツは目を細めた。

「ふうん。変わった人だね、あなたは」
「……」

 これは貶されているのかな!!

 とは言え、彼が言った通り不自然極まりない状況ではあるので、反論もできなかった。

「あなた、見たところ人間でしょ? あなたこそどうして迷いの森の中にいるの?」

 リオリムの話を思い出す。確か迷いの森は妖精は許容しているけれど、人間は拒む。だから、人間は迷うのではなかったか。

 そしてそのために、この森に人はほとんど踏み込まないとも言っていた。

 ならば彼は何故この森にわざわざ踏み込んだのだろうか?

「落し物を、したんだよ。この先に」
「おとしもの?」
「そう。だけど見つかったから、これから帰るところ」

 にっこりと笑って、彼はそういった。

「あなたは? いつ帰るのかな」
「えっと……まぁ、そのうちに」
「供をつけないで歩いているなら、早く帰ったほうがいいんじゃないかい?」

 どうでもいいからさっさと消えてくれないだろうか……

「あぁ……まぁ、そうかも」

 おざなりな返事を返すと、

「送っていこうか?」
「あ、大丈夫。もうしばらく散歩をしてたいから」
「そう? まぁ、君なら大丈夫かな。じゃあ俺はもう行くよ。あなたはよくここに散歩に来るのかい?」
「えーと、あ、うん」
「それなら」

 青年は妖艶に微笑んで、

「またきっと会うだろう、女王。その時を、楽しみにしているよ」

 そういって、迷うことなくずんずんと森の中へと踏み入って去ってしまった。

 ……正直、面倒事はご免なのでもうお目にかかりたくない。

 そもそも彼はいったい何だったのだろう。やけに自分を知らないか確認してきていた。

「有名な人なのかな?」
『そうかもしれませんが……、それよりお嬢様。そろそろ、その……お帰りになられたほうが良いのではないでしょうか?』

 リオリムが困惑したように言う。

 それに私は空を仰いだ。もう結構日が傾いていた。森の中は木に光を遮られ、だんだんと薄暗くなってきていた。

 もうそろそろエルシャスも暴走……もとい、料理と思われる行為を終えている頃だろう。さすがにもう帰らなければ、夕食が作れないかもしれない。

「……はぁ。それもそうか。ていうか、なんかさっきの男で無駄に疲れたし。ごめんリオリム、案内、お願いしてもいい?」
『かしこまりました』

 そうして私は結局、リオリムに案内されながら帰路についた。

 夕食はどんなものを作ることになるんだろ、なんて呑気なことを考えながら。

 だからきっと、忘れていた。

 何故彼が、迷いの森の中を、平気で歩いていたのか、なんて――
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