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1.gift
16.apple
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「え、これ?」
『いえ、その隣の――』
翌日。
私は早々に起きて、妖精たちが誰も起きていないことを確認するとすぐさま厨房に入って食事を作り始めた。
というのは勿論、リオリムにレシピを聞いているところを妖精たちに気づかれてはならないからである。
とはいえ、これからずっとこのまま、というわけにもいかないだろう。何かレシピを記録できるようなものでもないだろうか。紙とペンさえあれば十分なのだが。
「あと、何が必要?」
『そうですね――あぁ、そちらの瓶。油なのですが、それをフライパンに。それから先ほどのものを焼きましょう。ひっくり返して焦げ目が少し出来ていたら完成です』
「わかった」
私は鏡をポケットにしまい、指示通りに焼き始めた。
「……いい香り」
得体の知れない材料だけで作っているのに、なかなか美味しそうに出来上がるのは結構不思議な感覚である。
「そだ、さっきのソースを皿に……」
「……随分と早いのだな」
戸口から突然声をかけられ、私は思わず飛び上がってソースをこぼしそうになった。
「す、すまない。驚かせるつもりはなかったのだが」
「あ、だ、大丈夫です」
戸口から顔をのぞかせていたのはルーヴァスだった。寝起きなのか、さらさらの銀の髪には少しだけ寝癖がついている。凛々しい容姿には結構不釣り合いな姿ではあった。
「今日は、わたしが当番の日だったのだが……すまないな」
「当番?」
「聞いていないか? この家では毎日当番の人間がその日の食事を作ることになっているのだ」
「えっ、し、知らないです」
と、咄嗟に答えたものの、確かにそんなことをシルヴィスに言われた記憶がある。ここに来た当日だ。
「つ、作っちゃまずかったですか?」
「いや、そんなことはないが。わざわざ早起きして作ったのだろう? ならばあなたに申し訳ないことをしたと、そう思ってな」
ルーヴァスはそう言いながら手首に結んだリボンを解き、銀の髪を手早く結い上げ、手桶に貯められた水で手を洗った。
「何か手伝えることはないか? せめて手伝いくらいはさせて欲しいのだが」
「いえ、そんな。もうほぼ完成みたいなものですし」
「そうか。それはすまないことをした。次のあなたの当番の日は、わたしが朝食を作ろう」
ルーヴァスはそう言うと、台所を見回して瞬きをした。
「どうかしましたか?」
「いや……あなたが来てから、本当にこの家は綺麗になったなと、そう思ってな」
「あぁ、なんというか……迷惑だったでしょうか」
「迷惑などではない。だが、あなたには負担ばかりをかけてしまっている。それが申し訳ない」
「そんな。大して何もできないのに、ここにおいてもらっているんです。これくらいさせてください」
笑いかけると、ルーヴァスはやや困惑したように目を伏せてから、再び私に向き直って口元にうっすらと微笑を刻んだ。
「あなたは、変わった人だな」
変人と言っているのかなこれは。
ぴく、と引き攣りかけたこめかみと格闘していると、彼は窓から外を見つめて、
「……本当に、不思議な人だ」
そう言って目を細める。
それがどこか寂しそうに見えたので、私は何も言えなくなった。
――そういえば。
今までこの家にいて、彼ら妖精とは割と話してきたと思うけれど。
七人の中でも特に、ルーヴァスはいまいちどういう人なのか掴めていないままだ。
六人の誰かが失言すれば諌め、私の滞在を許可し、昨夜の騒ぎから私を助け。
けれど、それだけ。
彼から私に対して必要以上に話しかけられた記憶はないし、どこか一歩引いた印象しかない。
六人の皆が私に対して遠くない、という意味ではない。ルーヴァスが特に、私に対して距離を置いているだけだ。
「……」
この人は、どういうつもりで、私をここに留めたのだろうか。
ふと思い出す。
――別にいいでしょう? 何故こんな女をわざわざ我々が助けてやらねばならないんです? 面倒なだけだ
――あなたの気持ちはわかるつもりだ。だが彼女自身に罪は無いだろう
――貴方は「似たもの同士」だからそう言うんでしょう? わたくしはどんな立場であれ彼らは全部憎いんですよ
私がここへ来たばかりの頃の、シルヴィスとルーヴァスの会話。
「似たもの同士」とは一体?
私が彼の横顔を見つめたまま考え込んでいると、ふと彼が振り返った。
「……どうした? 私の顔になにか付いているか?」
「え? あ、別にそういうわけじゃ」
両手を振って否定を示すと、「そうか」と彼は頷きかけ――やがて私の手元を見て顔をしかめた。
「……ところで、若干焦げ臭いが、それは大丈夫なのだろうか?」
「え? あっ!!」
すっかり忘れていた。フライパンの中で何やら不穏な匂いを漂わせた黒い物体が、プスプスと妙な音を立てて煙を上げている。
「ど、どうしようっ」
アタフタとしていると、「失礼」とルーヴァスがフライパンを私の手からとった。そして火を消すと、中の物体を包丁で表面だけ切っていく。焦げ付いた部分だけを器用に落とし、
「……あぁ、まだ浅かったか。姫、一応無事だ」
そう言って彼は焦げた部分をフライパンの中から取り出して、無事だった部分を再び焼き始めた。
「少し、これでは焦げた匂いが気になるかもしれないな……姫」
「はいっ」
突然呼びかけられたことに反応し、声が裏返る。それにルーヴァスは驚いたように数度瞬きをしたが、ふと微笑んで、
「そのソースを使ってもいいだろうか」
「こ、これですか?」
「あぁ。それをもうこの段階で絡めてしまおうと思う。そうすれば少しは焦げた匂いも誤魔化せるだろう」
よくわからないまま私がソースの入った皿を彼に渡すと、彼は「ありがとう」と言ってそれを受け取り、フライパンの中に垂らしていった。
そうして彼がひっくり返したりなんなりしているうちに、とても香ばしい香りが立ち始め――私は思わず「すごい」とつぶやいていた。
何せ、さっきまであんなに危なげな匂いを漂わせていたのだ。今だって台所自体には割とその焦げた匂いが残っている。けれどフライパンからはもうそんな気配は微塵も感じられず。
「ルーヴァス、料理が得意なんですか?」
「得意、というほどではない。だが、昔から自炊をしていたから、少しばかり心得があるというだけだ」
ルーヴァスは答えながら、調味料らしきものをとって少しだけふりかけ、フライパンを大きく動かして、中の料理をひっくり返した。
確かに、この家に住む七人全員が仕事をしているのだから、七人の中で料理をしていかなければならないだろう。当番で回しているとも言っていたし、料理は常日頃のもので慣れているのかもしれない。
だが、失敗仕掛けの料理をさらりと活かしてしまえるのはなかなかできないことではないだろうか。昔から、と言っていたが、相当慣れているのかもしれない。
「凄いですね」
「そうか?」
「はい。だって、私はもうこの料理、諦めかけてたのに」
私がそう言うと、ルーヴァスはフライパンの中のそれの焼き加減に気を配りつつ、
「幼い頃から料理をしているせいだろうな」
「幼い頃から? 凄いですね。私なんか、結構長い間お母さ……使用人に頼りきりだったのに」
危ない危ない。つい「お母さん」とか口走るところだった。一国の主の娘がどうして母親に料理を作らせているのだ。不自然にも程がある。
慌てる私に気づいているのかいないのか、ルーヴァスは淡々と言葉を返してきた。
「あなたの身の上ならば、それが当たり前だろう。あなたと私では生まれた環境も地位も全く異なる」
「それは、そうかもしれないですけど。……あ、そういえば。遅れてすみません。昨日は危ないところ、有難うございました」
私が頭を下げると、ルーヴァスは料理を皿によそいながら「いや」と言う。
「あなたが礼を言うことではない。気にしないでくれ」
「でも、ルーヴァスが来てくれていなければ、私は死んでいたところでした。何てお礼を言ったらいいかわかりません」
「本当に気にしないでくれ。あのことをきちんとあなたに伝えていなかった我々にこそ非がある。恐ろしい思いをさせたな。すまない」
「ど、どうしてルーヴァスが謝るんですか」
「……あなたも薄々気づいているかもしれないが。ここにいる者はあなたのことを快く思ってはいない」
告げられた言葉に、私はがつんと頭を殴られたような衝撃を覚えた。
「……誤解しないでくれ。あなたが何かをしたわけではない。どのみち我々とあなたでは相容れぬのだ。……あなたも、早々にここを去ったほうがいい」
「……どうして、ですか」
「それが世の習いだろう。あなたを責めるわけではないが、あなたと我々にはどうしても埋めきれぬ溝がある。わかるだろう」
わからない、と、正直には言えない雰囲気だった。恐らくこれは、この世界の住人なら当然の如く知っていることなのだろう。
私と彼らが相容れない、というのがどういう意味なのかはわからない。だがやはり、ここで私が引くわけにもいかないのだ。引く、ということはこの家を出るということであり、そうすれば、彼らとの関係は絶たれる。
それはつまり、彼らに殺されるのをぼうっと待っているということだ。
「……それに、わたし個人の理由もある。あなたはここにいれば、いずれ恐らく、危険な目に遭う。今回のように我々が助けに入れるとも限らない」
「どういうことですか?」
「すまない。これは軽々しく他言できるようなことでもないのだ。故にあなたに伝えることはできない。だが、わかってくれ。あなたはここにいればその身を危険にさらすことになる。どんなにあなたが気をつけていても、恐らく、必ず。だから、あなたはここにいない方がいい」
迷惑だから去れ、と言っているわけではないようだった。彼はただ純粋に、私の身を案じてそう言ってくれている。
だが、引けない。
「あなたが他に行くあてを知らないというのなら、わたしがどこか探そう。そこで――」
「ごめんなさい、だめなんです」
私が俯いてそう言うと、彼は私を見て訝しげに眉を潜めた。
「だめ、とは?」
しばし思い悩む。ここでなくてはならない理由について、何て誤魔化せばいいだろう。
そこでとあることを思い出す。
ここが、どこであるか、ということを。
「街でも、他国でも。他の何処でもだめなんです。どんなに遠いところでも、目につく限りはダメなんです」
「どういう意味だろうか?」
「ここは迷いの森なんでしょう? ここなら、追っ手も簡単には来られない」
「それはそうだが――」
「ここに来た日に言った通り、私は殺されそうになっているんです。娘に。娘は、何が何でも私を殺そうとしている。だから、普通の人間が住めるような場所では、必ず殺しに来るはずです」
不思議なのは、未だ白雪姫が私を追って来ないこと。いや、そもそも彼女は一体、いつこの家に来るのだろう。本来なら彼女は、迷いの森とは言え簡単に通ることが出来るのではなかっただろうか。
何にせよ、彼女がまだここに来ないことは私にとって幸いであると言える。私にはここにいるという選択肢以外残されていないようだから。
「……何故あなたの娘はあなたをそこまで殺したがる? 見たところ、あなたは普通の人間のようだが」
「ええと」
普通の人間、とは一体どういう意味なのか図りかねるが、真実を話すわけにもいかないので、あの日と同じことを繰り返した。
「嫌いなんだと思います。私のことが」
「それだけであなたを――国の柱である女王を殺す理由にはなりにくいのではないか? 今やあの国の柱はあなただけなのだろう。……あなたは、数年前に……その、夫である国王を亡くしているのだろう?」
やや言いにくそうにルーヴァスがそう言う。夫を亡くしているはずの私を気遣ってくれているのだろう。だけど大丈夫です、私はそのおじさんのことをこれっぽっちも知りませんから。というかロリコンのおっさんとか正直知りたくもないです。
「でも、私を殺すことができたら、あの子が国の柱になれるわけですし」
「そんな短慮なことをするものだろうか?」
そんな短慮なことをしちゃう子なんですよ。困ったね! はーぁ。
「わかりません。でも、何にせよあの子は私を殺したがっている。だから、私は逃げてきたんです。ここに」
「……あなたは何故この迷いの森に逃げてきたのだ? 普通の人間なら近寄らないはずだ」
「普通の人間が近寄らないだろうから、逃げてきたんです。ここに」
嘘八百を並べ立てつつ、ルーヴァスを見上げると、彼は思案顔になった。
「……難しいものだな」
そう小さく呟くと、ルーヴァスは皿に料理をよそい終えてフライパンを流しに置いて水に浸けた。それから私を振り返るとすまなそうな顔をして、料理をよそった皿を指し、
「……リビングに運ぶのを手伝ってもらってもいいだろうか?」
「あ、はい!」
「朝食に皆さん呼ばなくて大丈夫なんですか?」
「そのうち起きてくるだろう。差し迫った用事でもなければ、わざわざ起こすことはない」
温かい食事なのにもったいない、と思って口をへの字に曲げていると、「先ほどの話だが」とルーヴァスが声をかけてきた。
「一応、状況は理解できた。……ここにいることは、あなたにとっても心地が良くないだろうと思うが……それでもいいというのなら、いるといい」
「大丈夫ですか? といっても私はここにいる以外選択肢がないんですけれども……皆さんには迷惑しか、掛けていない気がするんですが」
私がそう言うと、ルーヴァスは微笑んだ。
「あなたには必要なのだろう? この場所が。ならば、いるといい。必要がなくなったならわたしが行くあてを探そう。ここは、そうして集ったものたちのいる場所だ」
「そうして、集った……?」
私が首をかしげると、彼は頷く。
「あなたには、ここの七人はどう見える?」
どう見える、と、言われても。
「ええと、……な、仲のいい……兄弟、ですか?」
「なるほど。わからなくもないが、ここにいるものは皆、血の繋がりを持たない」
血の繋がりを持たない、ということは全員赤の他人ということか。
確かにみんな髪の色も目の色も違うが……それではここに住んでいる意味がよくわからなかった。
「それじゃあ仕事仲間……とか」
「我々が今の仕事を始めたのはここに住み始めてからだな。……ここに住んでいたのは、元々わたしとカーチェスの二人だけだった」
「えっ、どういうことですか?」
「つまり、徐々に彼らがここへ集まってきたということだ。……行き場を失って」
ルーヴァスは紅茶に視線を落とし、低くそう呟いた。
「行き場を失った?」
「ここにいるものたちは、自分の居場所を失い、彷徨っていたものばかりだ。そうして彷徨しているところを、我々が拾った、というべきだな」
「……ルーヴァスも、そうなんですか?」
私が問うと、彼はふっと私を見つめた。
「――そう、とは?」
「行き場をなくしたから、ここに住んでいたんですか?」
私の問いに、ルーヴァスは再び視線を落として、それからどこか自嘲気味に笑った。
「そうだな。だがわたしはまだ、恵まれている方なのだろう。故にこのように居を構え、生きていた。しかし彼らはそうではない」
「居を構え、って……」
森の中にぽつんと建っているこの家。
恵まれている、というのなら、何故こんな辺鄙な場所に家を建てたのだろう。
「……ルーヴァスは、」
どうして、森ここに住んでいるんですか、と聞こうとしたところで。
「おはよぉ……ふぁあひくちっ」
情けない声とともに、リリツァスが二階から降りてきた。そして食卓の上に並ぶ料理を見て、目を輝かせる。
「わぁ、美味しそうな朝ごはん……! へっくち、ルーヴァス、早朝からお疲れ~」
「姫が作ったそうだ。彼女に感謝するといい」
ルーヴァスの言葉に、リリツァスは瞬きし、私を認めて――にぱっと笑った。
「姫、有難う!!」
「え、あぁいえ、ど、どういたしまして?」
あまりに嬉しそうに言うものだから、つい狼狽えてしまう。「お口に合うかどうかわからないけど」と付け足そうとしたその時には、リリツァスはもう席について「いただきます!!」と手を合わせていた。
「もぐ、もぐ、む、ふむ、あむあむ」
「リリツァス、落ち着いて食べないか。料理は逃げない」
「れもろあふぇすがたべひゃうはもひれないひ」
「食べるか喋るかどちらにしてくれ。何を言っているのかさっぱりわからない」
呆れ顔のルーヴァスに、リリツァスは「ほめんれ」とよくわからない言葉を投げかけた後、食事に集中し始めたのだった。
――その後結局、ルーヴァスに先ほどの質問をする雰囲気ではなくなってしまい、私は完全に聞きそびれてしまったのだった。
『いえ、その隣の――』
翌日。
私は早々に起きて、妖精たちが誰も起きていないことを確認するとすぐさま厨房に入って食事を作り始めた。
というのは勿論、リオリムにレシピを聞いているところを妖精たちに気づかれてはならないからである。
とはいえ、これからずっとこのまま、というわけにもいかないだろう。何かレシピを記録できるようなものでもないだろうか。紙とペンさえあれば十分なのだが。
「あと、何が必要?」
『そうですね――あぁ、そちらの瓶。油なのですが、それをフライパンに。それから先ほどのものを焼きましょう。ひっくり返して焦げ目が少し出来ていたら完成です』
「わかった」
私は鏡をポケットにしまい、指示通りに焼き始めた。
「……いい香り」
得体の知れない材料だけで作っているのに、なかなか美味しそうに出来上がるのは結構不思議な感覚である。
「そだ、さっきのソースを皿に……」
「……随分と早いのだな」
戸口から突然声をかけられ、私は思わず飛び上がってソースをこぼしそうになった。
「す、すまない。驚かせるつもりはなかったのだが」
「あ、だ、大丈夫です」
戸口から顔をのぞかせていたのはルーヴァスだった。寝起きなのか、さらさらの銀の髪には少しだけ寝癖がついている。凛々しい容姿には結構不釣り合いな姿ではあった。
「今日は、わたしが当番の日だったのだが……すまないな」
「当番?」
「聞いていないか? この家では毎日当番の人間がその日の食事を作ることになっているのだ」
「えっ、し、知らないです」
と、咄嗟に答えたものの、確かにそんなことをシルヴィスに言われた記憶がある。ここに来た当日だ。
「つ、作っちゃまずかったですか?」
「いや、そんなことはないが。わざわざ早起きして作ったのだろう? ならばあなたに申し訳ないことをしたと、そう思ってな」
ルーヴァスはそう言いながら手首に結んだリボンを解き、銀の髪を手早く結い上げ、手桶に貯められた水で手を洗った。
「何か手伝えることはないか? せめて手伝いくらいはさせて欲しいのだが」
「いえ、そんな。もうほぼ完成みたいなものですし」
「そうか。それはすまないことをした。次のあなたの当番の日は、わたしが朝食を作ろう」
ルーヴァスはそう言うと、台所を見回して瞬きをした。
「どうかしましたか?」
「いや……あなたが来てから、本当にこの家は綺麗になったなと、そう思ってな」
「あぁ、なんというか……迷惑だったでしょうか」
「迷惑などではない。だが、あなたには負担ばかりをかけてしまっている。それが申し訳ない」
「そんな。大して何もできないのに、ここにおいてもらっているんです。これくらいさせてください」
笑いかけると、ルーヴァスはやや困惑したように目を伏せてから、再び私に向き直って口元にうっすらと微笑を刻んだ。
「あなたは、変わった人だな」
変人と言っているのかなこれは。
ぴく、と引き攣りかけたこめかみと格闘していると、彼は窓から外を見つめて、
「……本当に、不思議な人だ」
そう言って目を細める。
それがどこか寂しそうに見えたので、私は何も言えなくなった。
――そういえば。
今までこの家にいて、彼ら妖精とは割と話してきたと思うけれど。
七人の中でも特に、ルーヴァスはいまいちどういう人なのか掴めていないままだ。
六人の誰かが失言すれば諌め、私の滞在を許可し、昨夜の騒ぎから私を助け。
けれど、それだけ。
彼から私に対して必要以上に話しかけられた記憶はないし、どこか一歩引いた印象しかない。
六人の皆が私に対して遠くない、という意味ではない。ルーヴァスが特に、私に対して距離を置いているだけだ。
「……」
この人は、どういうつもりで、私をここに留めたのだろうか。
ふと思い出す。
――別にいいでしょう? 何故こんな女をわざわざ我々が助けてやらねばならないんです? 面倒なだけだ
――あなたの気持ちはわかるつもりだ。だが彼女自身に罪は無いだろう
――貴方は「似たもの同士」だからそう言うんでしょう? わたくしはどんな立場であれ彼らは全部憎いんですよ
私がここへ来たばかりの頃の、シルヴィスとルーヴァスの会話。
「似たもの同士」とは一体?
私が彼の横顔を見つめたまま考え込んでいると、ふと彼が振り返った。
「……どうした? 私の顔になにか付いているか?」
「え? あ、別にそういうわけじゃ」
両手を振って否定を示すと、「そうか」と彼は頷きかけ――やがて私の手元を見て顔をしかめた。
「……ところで、若干焦げ臭いが、それは大丈夫なのだろうか?」
「え? あっ!!」
すっかり忘れていた。フライパンの中で何やら不穏な匂いを漂わせた黒い物体が、プスプスと妙な音を立てて煙を上げている。
「ど、どうしようっ」
アタフタとしていると、「失礼」とルーヴァスがフライパンを私の手からとった。そして火を消すと、中の物体を包丁で表面だけ切っていく。焦げ付いた部分だけを器用に落とし、
「……あぁ、まだ浅かったか。姫、一応無事だ」
そう言って彼は焦げた部分をフライパンの中から取り出して、無事だった部分を再び焼き始めた。
「少し、これでは焦げた匂いが気になるかもしれないな……姫」
「はいっ」
突然呼びかけられたことに反応し、声が裏返る。それにルーヴァスは驚いたように数度瞬きをしたが、ふと微笑んで、
「そのソースを使ってもいいだろうか」
「こ、これですか?」
「あぁ。それをもうこの段階で絡めてしまおうと思う。そうすれば少しは焦げた匂いも誤魔化せるだろう」
よくわからないまま私がソースの入った皿を彼に渡すと、彼は「ありがとう」と言ってそれを受け取り、フライパンの中に垂らしていった。
そうして彼がひっくり返したりなんなりしているうちに、とても香ばしい香りが立ち始め――私は思わず「すごい」とつぶやいていた。
何せ、さっきまであんなに危なげな匂いを漂わせていたのだ。今だって台所自体には割とその焦げた匂いが残っている。けれどフライパンからはもうそんな気配は微塵も感じられず。
「ルーヴァス、料理が得意なんですか?」
「得意、というほどではない。だが、昔から自炊をしていたから、少しばかり心得があるというだけだ」
ルーヴァスは答えながら、調味料らしきものをとって少しだけふりかけ、フライパンを大きく動かして、中の料理をひっくり返した。
確かに、この家に住む七人全員が仕事をしているのだから、七人の中で料理をしていかなければならないだろう。当番で回しているとも言っていたし、料理は常日頃のもので慣れているのかもしれない。
だが、失敗仕掛けの料理をさらりと活かしてしまえるのはなかなかできないことではないだろうか。昔から、と言っていたが、相当慣れているのかもしれない。
「凄いですね」
「そうか?」
「はい。だって、私はもうこの料理、諦めかけてたのに」
私がそう言うと、ルーヴァスはフライパンの中のそれの焼き加減に気を配りつつ、
「幼い頃から料理をしているせいだろうな」
「幼い頃から? 凄いですね。私なんか、結構長い間お母さ……使用人に頼りきりだったのに」
危ない危ない。つい「お母さん」とか口走るところだった。一国の主の娘がどうして母親に料理を作らせているのだ。不自然にも程がある。
慌てる私に気づいているのかいないのか、ルーヴァスは淡々と言葉を返してきた。
「あなたの身の上ならば、それが当たり前だろう。あなたと私では生まれた環境も地位も全く異なる」
「それは、そうかもしれないですけど。……あ、そういえば。遅れてすみません。昨日は危ないところ、有難うございました」
私が頭を下げると、ルーヴァスは料理を皿によそいながら「いや」と言う。
「あなたが礼を言うことではない。気にしないでくれ」
「でも、ルーヴァスが来てくれていなければ、私は死んでいたところでした。何てお礼を言ったらいいかわかりません」
「本当に気にしないでくれ。あのことをきちんとあなたに伝えていなかった我々にこそ非がある。恐ろしい思いをさせたな。すまない」
「ど、どうしてルーヴァスが謝るんですか」
「……あなたも薄々気づいているかもしれないが。ここにいる者はあなたのことを快く思ってはいない」
告げられた言葉に、私はがつんと頭を殴られたような衝撃を覚えた。
「……誤解しないでくれ。あなたが何かをしたわけではない。どのみち我々とあなたでは相容れぬのだ。……あなたも、早々にここを去ったほうがいい」
「……どうして、ですか」
「それが世の習いだろう。あなたを責めるわけではないが、あなたと我々にはどうしても埋めきれぬ溝がある。わかるだろう」
わからない、と、正直には言えない雰囲気だった。恐らくこれは、この世界の住人なら当然の如く知っていることなのだろう。
私と彼らが相容れない、というのがどういう意味なのかはわからない。だがやはり、ここで私が引くわけにもいかないのだ。引く、ということはこの家を出るということであり、そうすれば、彼らとの関係は絶たれる。
それはつまり、彼らに殺されるのをぼうっと待っているということだ。
「……それに、わたし個人の理由もある。あなたはここにいれば、いずれ恐らく、危険な目に遭う。今回のように我々が助けに入れるとも限らない」
「どういうことですか?」
「すまない。これは軽々しく他言できるようなことでもないのだ。故にあなたに伝えることはできない。だが、わかってくれ。あなたはここにいればその身を危険にさらすことになる。どんなにあなたが気をつけていても、恐らく、必ず。だから、あなたはここにいない方がいい」
迷惑だから去れ、と言っているわけではないようだった。彼はただ純粋に、私の身を案じてそう言ってくれている。
だが、引けない。
「あなたが他に行くあてを知らないというのなら、わたしがどこか探そう。そこで――」
「ごめんなさい、だめなんです」
私が俯いてそう言うと、彼は私を見て訝しげに眉を潜めた。
「だめ、とは?」
しばし思い悩む。ここでなくてはならない理由について、何て誤魔化せばいいだろう。
そこでとあることを思い出す。
ここが、どこであるか、ということを。
「街でも、他国でも。他の何処でもだめなんです。どんなに遠いところでも、目につく限りはダメなんです」
「どういう意味だろうか?」
「ここは迷いの森なんでしょう? ここなら、追っ手も簡単には来られない」
「それはそうだが――」
「ここに来た日に言った通り、私は殺されそうになっているんです。娘に。娘は、何が何でも私を殺そうとしている。だから、普通の人間が住めるような場所では、必ず殺しに来るはずです」
不思議なのは、未だ白雪姫が私を追って来ないこと。いや、そもそも彼女は一体、いつこの家に来るのだろう。本来なら彼女は、迷いの森とは言え簡単に通ることが出来るのではなかっただろうか。
何にせよ、彼女がまだここに来ないことは私にとって幸いであると言える。私にはここにいるという選択肢以外残されていないようだから。
「……何故あなたの娘はあなたをそこまで殺したがる? 見たところ、あなたは普通の人間のようだが」
「ええと」
普通の人間、とは一体どういう意味なのか図りかねるが、真実を話すわけにもいかないので、あの日と同じことを繰り返した。
「嫌いなんだと思います。私のことが」
「それだけであなたを――国の柱である女王を殺す理由にはなりにくいのではないか? 今やあの国の柱はあなただけなのだろう。……あなたは、数年前に……その、夫である国王を亡くしているのだろう?」
やや言いにくそうにルーヴァスがそう言う。夫を亡くしているはずの私を気遣ってくれているのだろう。だけど大丈夫です、私はそのおじさんのことをこれっぽっちも知りませんから。というかロリコンのおっさんとか正直知りたくもないです。
「でも、私を殺すことができたら、あの子が国の柱になれるわけですし」
「そんな短慮なことをするものだろうか?」
そんな短慮なことをしちゃう子なんですよ。困ったね! はーぁ。
「わかりません。でも、何にせよあの子は私を殺したがっている。だから、私は逃げてきたんです。ここに」
「……あなたは何故この迷いの森に逃げてきたのだ? 普通の人間なら近寄らないはずだ」
「普通の人間が近寄らないだろうから、逃げてきたんです。ここに」
嘘八百を並べ立てつつ、ルーヴァスを見上げると、彼は思案顔になった。
「……難しいものだな」
そう小さく呟くと、ルーヴァスは皿に料理をよそい終えてフライパンを流しに置いて水に浸けた。それから私を振り返るとすまなそうな顔をして、料理をよそった皿を指し、
「……リビングに運ぶのを手伝ってもらってもいいだろうか?」
「あ、はい!」
「朝食に皆さん呼ばなくて大丈夫なんですか?」
「そのうち起きてくるだろう。差し迫った用事でもなければ、わざわざ起こすことはない」
温かい食事なのにもったいない、と思って口をへの字に曲げていると、「先ほどの話だが」とルーヴァスが声をかけてきた。
「一応、状況は理解できた。……ここにいることは、あなたにとっても心地が良くないだろうと思うが……それでもいいというのなら、いるといい」
「大丈夫ですか? といっても私はここにいる以外選択肢がないんですけれども……皆さんには迷惑しか、掛けていない気がするんですが」
私がそう言うと、ルーヴァスは微笑んだ。
「あなたには必要なのだろう? この場所が。ならば、いるといい。必要がなくなったならわたしが行くあてを探そう。ここは、そうして集ったものたちのいる場所だ」
「そうして、集った……?」
私が首をかしげると、彼は頷く。
「あなたには、ここの七人はどう見える?」
どう見える、と、言われても。
「ええと、……な、仲のいい……兄弟、ですか?」
「なるほど。わからなくもないが、ここにいるものは皆、血の繋がりを持たない」
血の繋がりを持たない、ということは全員赤の他人ということか。
確かにみんな髪の色も目の色も違うが……それではここに住んでいる意味がよくわからなかった。
「それじゃあ仕事仲間……とか」
「我々が今の仕事を始めたのはここに住み始めてからだな。……ここに住んでいたのは、元々わたしとカーチェスの二人だけだった」
「えっ、どういうことですか?」
「つまり、徐々に彼らがここへ集まってきたということだ。……行き場を失って」
ルーヴァスは紅茶に視線を落とし、低くそう呟いた。
「行き場を失った?」
「ここにいるものたちは、自分の居場所を失い、彷徨っていたものばかりだ。そうして彷徨しているところを、我々が拾った、というべきだな」
「……ルーヴァスも、そうなんですか?」
私が問うと、彼はふっと私を見つめた。
「――そう、とは?」
「行き場をなくしたから、ここに住んでいたんですか?」
私の問いに、ルーヴァスは再び視線を落として、それからどこか自嘲気味に笑った。
「そうだな。だがわたしはまだ、恵まれている方なのだろう。故にこのように居を構え、生きていた。しかし彼らはそうではない」
「居を構え、って……」
森の中にぽつんと建っているこの家。
恵まれている、というのなら、何故こんな辺鄙な場所に家を建てたのだろう。
「……ルーヴァスは、」
どうして、森ここに住んでいるんですか、と聞こうとしたところで。
「おはよぉ……ふぁあひくちっ」
情けない声とともに、リリツァスが二階から降りてきた。そして食卓の上に並ぶ料理を見て、目を輝かせる。
「わぁ、美味しそうな朝ごはん……! へっくち、ルーヴァス、早朝からお疲れ~」
「姫が作ったそうだ。彼女に感謝するといい」
ルーヴァスの言葉に、リリツァスは瞬きし、私を認めて――にぱっと笑った。
「姫、有難う!!」
「え、あぁいえ、ど、どういたしまして?」
あまりに嬉しそうに言うものだから、つい狼狽えてしまう。「お口に合うかどうかわからないけど」と付け足そうとしたその時には、リリツァスはもう席について「いただきます!!」と手を合わせていた。
「もぐ、もぐ、む、ふむ、あむあむ」
「リリツァス、落ち着いて食べないか。料理は逃げない」
「れもろあふぇすがたべひゃうはもひれないひ」
「食べるか喋るかどちらにしてくれ。何を言っているのかさっぱりわからない」
呆れ顔のルーヴァスに、リリツァスは「ほめんれ」とよくわからない言葉を投げかけた後、食事に集中し始めたのだった。
――その後結局、ルーヴァスに先ほどの質問をする雰囲気ではなくなってしまい、私は完全に聞きそびれてしまったのだった。
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