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「もうちょっと左向いて、へちっ、そう、そのまま」
朝食をとった私はリリツァスに頼まれるまま外に出て、何故か木を見上げさせられている。
対するリリツァスと言えばキャンバス片手に喜々として私を見ながら絵筆で空をなぞっている。イメージをつけているのだろうか? 絵を描かない私はよくわからない。
「うん、絶対いいと思う! へちゅっ。よーし、頑張るぞ!」
相変わらずくしゃみをしながらリリツァスは筆を走らせはじめ――
「ってちょっと待ってください」
「ん? へちっ。あ、こっち見たらだめだよ!」
「いやあの、何で筆を?」
「もちろん、姫を描くんだよ? はちゅっ」
「いやいやいや。手伝うとは言いましたけど、どう考えても私なんかを描いても絵に悪影響しか与えないですよ。っていうかリリツァス絵を描かれるんですね」
「ん? そうだよ! 言ってなかったっけ。ひちちっ、俺、絵を描くのが好きなんだ! だから姫を描きたいなって思ったの! はっくしょん!」
うぅ、喉痛めた、とリリツァスが喉を抑えて顔を歪めた。相当痛そうだ。
「私より多分ルーヴァスとか……とりあえず妖精の皆さんの方が断然綺麗だと思うんですけど! 私平々凡々の人間ですよ?」
「そんなことないよ! はちっ、はちじっ、姫はすごく可愛いし。それに、この家、女の子いないでしょ? まぁ当たり前と言ったら当たり前だけど」
だから迷惑かもしれないけど協力してよ、と言われてしまえば、立場上、断ることもできなかった。
仕方なくリリツァスの指定する通りのポーズをとってみる。
そんな私を認めると、リリツァスは大変うれしそうな顔をしてキャンバスに筆を走らせるのを再開した。
「皆さん結婚されないんですか? ってこれセクハラか。すいません」
「せくはら? えっとね、へちっ。俺たち七人が結婚するのは、多分、ないんじゃないかなぁ。ルーヴァスはわかんないけど……へちゅっ」
「そうなんですか? まぁ皆さんみたいに綺麗な人だと、女性の方が見劣りしてしまいそうですしね」
苦笑をこぼすと、リリツァスは目を瞬かせて筆を止める。そしてぽつんと呟いた。
「……姫ってやっぱり、変わってるよね」
リリツァスの言葉の意味を図りかねて、私は首を傾げる。
私の発言におかしなところはなかったと思うのだが、何か妙だっただろうか。
「あっ、悪い意味で言ったんじゃないよ! 俺は姫のそういうところが凄く好きなんだ。へちっ」
「そういうところってどういうところですか?」
「えっ? えっとね、俺たちに、分け隔てなく、当たり前に接してくれたりとか……あと優しいところとか! ひくちっ」
「優しいかどうかはともかく……普通じゃないですか? 分け隔てなくっていうのは……」
と、そこまで言ってからふと思い出す。
私は女王だった。
つまり、そういう身分の高い人が平民に対して普通に接しているのが珍しい……という意味だろうか。
「それに姫、街でも評判いいじゃん! へちゅっ。姫は他の国から来て大変だっただろうに、ちゃんとこの国にもなじんでるし、すごいなって思う」
確かに、それはそうだ。
私自身がその時体験したことではないので何とも言えないが、他国からくるということは大きく環境が変わることであるのは間違いないはずだ。
しかし前にもユンファスから街で評判はいいと言われた気がするし、それが本当なら、よほどいい女王だったのだろう。
……そんな人に転生するとか、重荷過ぎて物凄く不安極まりないのだけれども。
「あれ、二人で何をしてるの? リリツァスは絵を描いてるっぽいけど……」
足音と共に、カーチェスが近づいてきた。
カーチェス自身は何故か、すさまじく大きな鎌らしきものを持っている。
「あ、俺は姫の絵を描いてるんだ! へちっ」
「姫の絵を? それは素敵だね。完成したら俺も見てみたいな」
「うん、いいよ!」
「えっ?」
「ありがとう」
カーチェスはにこやかにリリツァスに礼を言うが、私はまったくもってよろしくない。何で私の絵を――それもおそらくすさまじく補正されているであろう私の絵を――いろんな人が見るということになるんだ。嫌ですよそんなの。
しかし当人の気持ちは置き去りにその話題はそのまま終わり、
「っていうかカーチェスはどこに行くつもりなの? 鎌を持って。もしかして、彼のところ?」
「あぁ、うん。そのつもりなんだ。この前ので欠けてしまったところがあるから。それに、管理を怠ってなまくらになってはいけないからね」
カーチェスはそういうと大鎌の刃をゆっくりとなぞった。
大鎌は陽の光を帯びてきらりと美しく光る。物騒な獲物だというのに、中性的なカーチェスが握っていると天使か何かの錫杖のようにでも見えてしまうのだから恐ろしい。
「彼って、誰ですか?」
何気なく訊ねてみれば、「あぁ、」とカーチェスが微笑んだ。
「研ぎ師というか……いや、武器屋、というべきかな。いつも俺たちがお世話になってるひとだよ」
「武器屋……」
「シルヴィスの友人らしくてね。そのよしみで俺たちにも良くしてくれるんだ」
「そうそう! いいひとだよ。煙管はつらいけど。へちゅっ」
「ふふ、リリツァスは特にそうだよね。彼、ヘビースモーカーだからな……体、壊さないといいんだけど」
困ったようにカーチェスはリリツァスに笑いかける。
「……シルヴィスって友人いるんですか……」
結構失礼なことをぽつんと零すと、「貴女、本当に失礼な女ですね」と憎々しげな声がカーチェスの後ろから聞こえてきて、声の主が姿を現した。
「あ、シルヴィス」
「あれ、シルヴィスも行くの?」
「悪いですか。銃弾が少し足りなくなってきたんですよ」
「俺は別に悪いとは言ってないよ? 特に彼は君の友人だし、君がいたほうが話も通しやすい」
カーチェスの言葉に、つん、とシルヴィスはそっぽを向いた。
「あれは友人というより腐れ縁です。しょうもない男ですから」
「ってことはやっぱりシルヴィス友達いな」
「貴女、それは頭の風通しを良くしてほしいという言外のご要望ですか? 快くお引き受けいたしますが?」
「違います違いますホントすいませんその性格で友達たくさんとかちょっとにわかには信じられな」
「ぶん殴りますよ」
「ゴメンナサイ」
片言の棒読みで謝罪を返すと、彼はため息をついて紺の髪を掻き上げた。
「そんなに気になるなら君も彼に会ってみればいいんじゃないかな?」
カーチェスの提案に、シルヴィスが瞠目する。
「何ですって?」
「だから、姫も彼に会ってみればいいんじゃないかなって」
カーチェスは何気なく言うが、シルヴィスは「冗談ではありません!」と叫ぶ。
「馬鹿を言わないでください、いくら下町でも街ですよ。彼女を連れていくということがどういうことか、」
「だけど、俺たちも行くでしょう? 一緒にいればいいんじゃないかな?」
その切り返しに、シルヴィスが目つきを鋭くして彼を睨み付けた。
「貴方、ずいぶんと姫を町に連れていくことに対して寛大ですね。不安はないんですか? 逃げるかもしれませんよ」
「君たちはそれを不安がるけど――それは、無理じゃないかな。俺の鎌はともかく、君の銃なら姫が逃げ出しても容易く捕縛できるでしょ。姫だって、本当ならこんな場所にずっといるのはつらいと思うよ。俺たちは彼女に楽しいことを何一つ提供してあげられてないんだから」
「自業自得です。我々の領域に踏み込んだ彼女が悪い」
「ねぇシルヴィス、そんなに目の敵にするほど? 姫は“違う”かもしれない」
「どうして貴方はそうたやすく信じられるんです!!」
シルヴィスの大声が森に響き渡った。
しん、と静まり返った場を、気まずい雰囲気が支配した。
「シルヴィス、カーチェス、あの……私は別に、街に行かなくても、大丈夫です」
かろうじて私がそう言うと、リリツァスが私を見た。
「――でも姫、いいの? ひちっ……本来、君がここにいるのって、あんまりよくないことじゃない?」
「そりゃあ女王ですけど……私死にたくないですし。街に行って娘に見つかって殺されるよりは……この森にいる方が、よっぽど、私としても良い、と、言いますか」
「死にたくないって言いますけど、」
シルヴィスが、ぎり、と私をにらみ上げた。
「貴女、何歳まで生きたいんです」
「はい?」
どうして今そういう話になる。
そういえばこの質問、以前にノアフェスにもされなかっただろうか。
「いえ、別に……何歳、とかはないですけど。とりあえず普通に生きられればそれで……」
「普通? へぇ、王族の普通は庶民には理解できないものなのでしょうね。東洋では水銀を呑む愚か者もいると聞きましたし、貴女たちもさぞ高尚な目的を果たそうとしておいでなのでしょうね」
「シルヴィス、姫はそんなことを言ってないよ」
シルヴィスの刺々しい返しに困惑せざるを得ない。
今、私はおかしな答えをしただろうか? とてもそうは思えないのだけれど。
大体水銀ってなんだ。
勘違いでなければ水銀ってあの、銀色の丸い……液体なのか金属なのかよくわからない変わった物質だと思うんだけど。
それを飲む? え? 水銀って毒だって話を聞いたことがありますけど?
「あのさ、シルヴィス。へちゅっ」
シルヴィスの放った理解不能な言葉に私が悶々としていると、リリツァスが、ぴんと人差し指を立ててこんなことを言い出した。
「姫のこと、クファルスとサファニアに見てもらうのは?」
「はぁ?」
目を剥くシルヴィスに、リリツァスは慌てたように手を振った。
「別に姫を街に出してあげたいって思ったんじゃないよ! ひちっそうできるならしてあげたいけど、立場が立場だから難しい……そうじゃなくて! クファルスもサファニアも、カーチェスよりも年長だし……贔屓目とかもないじゃん。姫のこと、一番きちんと客観的に見れると思って。それにサファニアはそういう情報、かなり持ってると思うし」
「それで、見極めさせてどうすると? そこでクロだとわかったらどうすれば? この人が逃げ出したら始末するしかありませんよね? ですが我々が勝手に始末すれば、それこそ全面戦争になる。我々だけの問題ではなくなりますよ。下手に連れ出すより、ここにおいておけばクロとわかっても始末せずに済む」
「それはそうだけど、いつまでもこんな話を爆弾みたいに抱えておくわけにはいかないじゃん。クファルスもサファニアもこのこと知らないし、一回二人に相談するのも悪くないと思うんだ……ひくちっ」
リリツァスの主張に、シルヴィスが険しい顔で黙り込む。
しばらくの間、誰も言葉を発することはなかった。やがてふわり、と春らしいあたたかな風が吹き抜けた時、
「……仕方ない。そうだというのなら、わたくしが彼女を連れていきます。あの二人にこんなバカげた話をするなど、わたくし以外にできませんから」
ため息をこぼしたシルヴィスがそう言った。
「あの、私は別に森にいるならいるで一向にかまわないんですけど……」
状況が呑み込めず、とりあえずと言った体で恐る恐るそう告げると、カーチェスは首を振る。
「君は一度、確かめられた方がいいよ。その方がお互いのためになる」
「お互いのため……? だって街に出るのはよくないって」
「そうだよ。だから君には申し訳ないけど、今回も自由なことはさせてあげられない。いい?」
「はぁ……構いませんが」
私がそう返事を返すと、シルヴィスは冷ややかな双眸で私を見た。
「夕方、街へ出ます。余計なものは一切持たないように。私は一度ルーヴァスにこのことを話してきます」
シルヴィスはそう残すと、家へと戻っていく。
そして私はルーヴァスの承認をもらい、シルヴィス、カーチェスと共に武器屋へと向かうことになる。
シルヴィスは不機嫌ながら、どこか浮かない表情で。
カーチェスは複雑な、そしてどこか悲しそうな表情で。
当の私は、不安を胸に抱えながら、ポケットの中の鏡を握りしめながら。
それは私がこの世界の規律を知る、ほんの少し前の出来事である。
朝食をとった私はリリツァスに頼まれるまま外に出て、何故か木を見上げさせられている。
対するリリツァスと言えばキャンバス片手に喜々として私を見ながら絵筆で空をなぞっている。イメージをつけているのだろうか? 絵を描かない私はよくわからない。
「うん、絶対いいと思う! へちゅっ。よーし、頑張るぞ!」
相変わらずくしゃみをしながらリリツァスは筆を走らせはじめ――
「ってちょっと待ってください」
「ん? へちっ。あ、こっち見たらだめだよ!」
「いやあの、何で筆を?」
「もちろん、姫を描くんだよ? はちゅっ」
「いやいやいや。手伝うとは言いましたけど、どう考えても私なんかを描いても絵に悪影響しか与えないですよ。っていうかリリツァス絵を描かれるんですね」
「ん? そうだよ! 言ってなかったっけ。ひちちっ、俺、絵を描くのが好きなんだ! だから姫を描きたいなって思ったの! はっくしょん!」
うぅ、喉痛めた、とリリツァスが喉を抑えて顔を歪めた。相当痛そうだ。
「私より多分ルーヴァスとか……とりあえず妖精の皆さんの方が断然綺麗だと思うんですけど! 私平々凡々の人間ですよ?」
「そんなことないよ! はちっ、はちじっ、姫はすごく可愛いし。それに、この家、女の子いないでしょ? まぁ当たり前と言ったら当たり前だけど」
だから迷惑かもしれないけど協力してよ、と言われてしまえば、立場上、断ることもできなかった。
仕方なくリリツァスの指定する通りのポーズをとってみる。
そんな私を認めると、リリツァスは大変うれしそうな顔をしてキャンバスに筆を走らせるのを再開した。
「皆さん結婚されないんですか? ってこれセクハラか。すいません」
「せくはら? えっとね、へちっ。俺たち七人が結婚するのは、多分、ないんじゃないかなぁ。ルーヴァスはわかんないけど……へちゅっ」
「そうなんですか? まぁ皆さんみたいに綺麗な人だと、女性の方が見劣りしてしまいそうですしね」
苦笑をこぼすと、リリツァスは目を瞬かせて筆を止める。そしてぽつんと呟いた。
「……姫ってやっぱり、変わってるよね」
リリツァスの言葉の意味を図りかねて、私は首を傾げる。
私の発言におかしなところはなかったと思うのだが、何か妙だっただろうか。
「あっ、悪い意味で言ったんじゃないよ! 俺は姫のそういうところが凄く好きなんだ。へちっ」
「そういうところってどういうところですか?」
「えっ? えっとね、俺たちに、分け隔てなく、当たり前に接してくれたりとか……あと優しいところとか! ひくちっ」
「優しいかどうかはともかく……普通じゃないですか? 分け隔てなくっていうのは……」
と、そこまで言ってからふと思い出す。
私は女王だった。
つまり、そういう身分の高い人が平民に対して普通に接しているのが珍しい……という意味だろうか。
「それに姫、街でも評判いいじゃん! へちゅっ。姫は他の国から来て大変だっただろうに、ちゃんとこの国にもなじんでるし、すごいなって思う」
確かに、それはそうだ。
私自身がその時体験したことではないので何とも言えないが、他国からくるということは大きく環境が変わることであるのは間違いないはずだ。
しかし前にもユンファスから街で評判はいいと言われた気がするし、それが本当なら、よほどいい女王だったのだろう。
……そんな人に転生するとか、重荷過ぎて物凄く不安極まりないのだけれども。
「あれ、二人で何をしてるの? リリツァスは絵を描いてるっぽいけど……」
足音と共に、カーチェスが近づいてきた。
カーチェス自身は何故か、すさまじく大きな鎌らしきものを持っている。
「あ、俺は姫の絵を描いてるんだ! へちっ」
「姫の絵を? それは素敵だね。完成したら俺も見てみたいな」
「うん、いいよ!」
「えっ?」
「ありがとう」
カーチェスはにこやかにリリツァスに礼を言うが、私はまったくもってよろしくない。何で私の絵を――それもおそらくすさまじく補正されているであろう私の絵を――いろんな人が見るということになるんだ。嫌ですよそんなの。
しかし当人の気持ちは置き去りにその話題はそのまま終わり、
「っていうかカーチェスはどこに行くつもりなの? 鎌を持って。もしかして、彼のところ?」
「あぁ、うん。そのつもりなんだ。この前ので欠けてしまったところがあるから。それに、管理を怠ってなまくらになってはいけないからね」
カーチェスはそういうと大鎌の刃をゆっくりとなぞった。
大鎌は陽の光を帯びてきらりと美しく光る。物騒な獲物だというのに、中性的なカーチェスが握っていると天使か何かの錫杖のようにでも見えてしまうのだから恐ろしい。
「彼って、誰ですか?」
何気なく訊ねてみれば、「あぁ、」とカーチェスが微笑んだ。
「研ぎ師というか……いや、武器屋、というべきかな。いつも俺たちがお世話になってるひとだよ」
「武器屋……」
「シルヴィスの友人らしくてね。そのよしみで俺たちにも良くしてくれるんだ」
「そうそう! いいひとだよ。煙管はつらいけど。へちゅっ」
「ふふ、リリツァスは特にそうだよね。彼、ヘビースモーカーだからな……体、壊さないといいんだけど」
困ったようにカーチェスはリリツァスに笑いかける。
「……シルヴィスって友人いるんですか……」
結構失礼なことをぽつんと零すと、「貴女、本当に失礼な女ですね」と憎々しげな声がカーチェスの後ろから聞こえてきて、声の主が姿を現した。
「あ、シルヴィス」
「あれ、シルヴィスも行くの?」
「悪いですか。銃弾が少し足りなくなってきたんですよ」
「俺は別に悪いとは言ってないよ? 特に彼は君の友人だし、君がいたほうが話も通しやすい」
カーチェスの言葉に、つん、とシルヴィスはそっぽを向いた。
「あれは友人というより腐れ縁です。しょうもない男ですから」
「ってことはやっぱりシルヴィス友達いな」
「貴女、それは頭の風通しを良くしてほしいという言外のご要望ですか? 快くお引き受けいたしますが?」
「違います違いますホントすいませんその性格で友達たくさんとかちょっとにわかには信じられな」
「ぶん殴りますよ」
「ゴメンナサイ」
片言の棒読みで謝罪を返すと、彼はため息をついて紺の髪を掻き上げた。
「そんなに気になるなら君も彼に会ってみればいいんじゃないかな?」
カーチェスの提案に、シルヴィスが瞠目する。
「何ですって?」
「だから、姫も彼に会ってみればいいんじゃないかなって」
カーチェスは何気なく言うが、シルヴィスは「冗談ではありません!」と叫ぶ。
「馬鹿を言わないでください、いくら下町でも街ですよ。彼女を連れていくということがどういうことか、」
「だけど、俺たちも行くでしょう? 一緒にいればいいんじゃないかな?」
その切り返しに、シルヴィスが目つきを鋭くして彼を睨み付けた。
「貴方、ずいぶんと姫を町に連れていくことに対して寛大ですね。不安はないんですか? 逃げるかもしれませんよ」
「君たちはそれを不安がるけど――それは、無理じゃないかな。俺の鎌はともかく、君の銃なら姫が逃げ出しても容易く捕縛できるでしょ。姫だって、本当ならこんな場所にずっといるのはつらいと思うよ。俺たちは彼女に楽しいことを何一つ提供してあげられてないんだから」
「自業自得です。我々の領域に踏み込んだ彼女が悪い」
「ねぇシルヴィス、そんなに目の敵にするほど? 姫は“違う”かもしれない」
「どうして貴方はそうたやすく信じられるんです!!」
シルヴィスの大声が森に響き渡った。
しん、と静まり返った場を、気まずい雰囲気が支配した。
「シルヴィス、カーチェス、あの……私は別に、街に行かなくても、大丈夫です」
かろうじて私がそう言うと、リリツァスが私を見た。
「――でも姫、いいの? ひちっ……本来、君がここにいるのって、あんまりよくないことじゃない?」
「そりゃあ女王ですけど……私死にたくないですし。街に行って娘に見つかって殺されるよりは……この森にいる方が、よっぽど、私としても良い、と、言いますか」
「死にたくないって言いますけど、」
シルヴィスが、ぎり、と私をにらみ上げた。
「貴女、何歳まで生きたいんです」
「はい?」
どうして今そういう話になる。
そういえばこの質問、以前にノアフェスにもされなかっただろうか。
「いえ、別に……何歳、とかはないですけど。とりあえず普通に生きられればそれで……」
「普通? へぇ、王族の普通は庶民には理解できないものなのでしょうね。東洋では水銀を呑む愚か者もいると聞きましたし、貴女たちもさぞ高尚な目的を果たそうとしておいでなのでしょうね」
「シルヴィス、姫はそんなことを言ってないよ」
シルヴィスの刺々しい返しに困惑せざるを得ない。
今、私はおかしな答えをしただろうか? とてもそうは思えないのだけれど。
大体水銀ってなんだ。
勘違いでなければ水銀ってあの、銀色の丸い……液体なのか金属なのかよくわからない変わった物質だと思うんだけど。
それを飲む? え? 水銀って毒だって話を聞いたことがありますけど?
「あのさ、シルヴィス。へちゅっ」
シルヴィスの放った理解不能な言葉に私が悶々としていると、リリツァスが、ぴんと人差し指を立ててこんなことを言い出した。
「姫のこと、クファルスとサファニアに見てもらうのは?」
「はぁ?」
目を剥くシルヴィスに、リリツァスは慌てたように手を振った。
「別に姫を街に出してあげたいって思ったんじゃないよ! ひちっそうできるならしてあげたいけど、立場が立場だから難しい……そうじゃなくて! クファルスもサファニアも、カーチェスよりも年長だし……贔屓目とかもないじゃん。姫のこと、一番きちんと客観的に見れると思って。それにサファニアはそういう情報、かなり持ってると思うし」
「それで、見極めさせてどうすると? そこでクロだとわかったらどうすれば? この人が逃げ出したら始末するしかありませんよね? ですが我々が勝手に始末すれば、それこそ全面戦争になる。我々だけの問題ではなくなりますよ。下手に連れ出すより、ここにおいておけばクロとわかっても始末せずに済む」
「それはそうだけど、いつまでもこんな話を爆弾みたいに抱えておくわけにはいかないじゃん。クファルスもサファニアもこのこと知らないし、一回二人に相談するのも悪くないと思うんだ……ひくちっ」
リリツァスの主張に、シルヴィスが険しい顔で黙り込む。
しばらくの間、誰も言葉を発することはなかった。やがてふわり、と春らしいあたたかな風が吹き抜けた時、
「……仕方ない。そうだというのなら、わたくしが彼女を連れていきます。あの二人にこんなバカげた話をするなど、わたくし以外にできませんから」
ため息をこぼしたシルヴィスがそう言った。
「あの、私は別に森にいるならいるで一向にかまわないんですけど……」
状況が呑み込めず、とりあえずと言った体で恐る恐るそう告げると、カーチェスは首を振る。
「君は一度、確かめられた方がいいよ。その方がお互いのためになる」
「お互いのため……? だって街に出るのはよくないって」
「そうだよ。だから君には申し訳ないけど、今回も自由なことはさせてあげられない。いい?」
「はぁ……構いませんが」
私がそう返事を返すと、シルヴィスは冷ややかな双眸で私を見た。
「夕方、街へ出ます。余計なものは一切持たないように。私は一度ルーヴァスにこのことを話してきます」
シルヴィスはそう残すと、家へと戻っていく。
そして私はルーヴァスの承認をもらい、シルヴィス、カーチェスと共に武器屋へと向かうことになる。
シルヴィスは不機嫌ながら、どこか浮かない表情で。
カーチェスは複雑な、そしてどこか悲しそうな表情で。
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