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19話
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大陸 根威座。
その魔都、婁久世之亜
茫漠たる枯れ果てた大地の臍とも言うべき中央にそそり立つその都は、あたかも干涸らびた大地の力をすべて吸い取って咲く花のようだった。
艶やかにして華麗なる、美しい都。
だが、その美しさには毒がある。
魔都は夜になれば光輝くイルミネーションに包まれ、決して眠らない。
高層の建築物が重なって建てられているが、その下層部に住まうのはこの世界でも最下層の民、あるいは浮遊大陸から運ばれてきた不幸な奴隷たちである。
しかし、荷役に使われる奴隷たちの不幸が、根威座 の宮殿に送られる見目の良い使役用の奴隷たちの不幸と、どちらがマシであるか、というのには難しい判断が必要だ。
うまく 根威座 の貴族や騎士たちに取り入ることが出来れば、生き残るチャンスはある。
しかし、根威座 に生きる民の多くはそうした奴隷たちに憐みよりは残酷な娯楽を求めるので、大概の奴隷たちを見舞うのは、荷役の奴隷たちよりは辛く、苦しい死である。
もっとも、死への道程が短い分、やはり彼らの方が恵まれているのかもしれないが。
その日も、絢爛たる光に包まれた 根威座 の宮殿に隣接するスタジアムにおいて。
根威座 の帝王、魔皇帝と呼ばれる 亜苦施渡瑠 を楽しませるためのちょっとした娯楽が行われていた。
観客たちはすでに熱狂の坩堝にあった。
「ふふふ……」
輝くような赤い髪の美貌の魔皇帝は、貴賓席のさらに上部に据えられた、彼だけが座ることが出来る黒曜石で作られた玉座に自堕落な姿勢で座っていた。
その口元を、血のような笑みが飾っている。
「いかがかな、この趣向は? 王子殿下」
魔皇帝の玉座の傍らに席を連ねて座らされている青年がいる。
生真面目な性質をその容貌に映した、気品のある青年だ。
彼は魔皇帝の語りかけにことさらに無表情を装い、目の前の光景から目を逸らさず、言葉少なに答えた。
「さすがに 亜苦施渡瑠 様の為されること。素晴らしく思います」
「そう、思うか?」
魔皇帝は意地悪く問い返す。
スタジアムの舞台では、二手に分かれた男たちがさきほどから死闘を繰り広げている。
片やは浮遊大陸 那波 から連れてこられた奴隷の戦士たち。
もう片やは浮遊大陸 宇摩琉場 から連れてこられた敗残の俘虜兵たちである。
男たちの背後には、それぞれに若い女性が柱に縛りつけられている。
その女たちの首を取ることが、このゲームの勝敗を決するルールである。
那波 側に縛られているのは、那波 から貢ぎ物として送られた美しい歌姫。
彼女はその自尊心の高い性格で、魔皇帝の機嫌を損ねたのである。
宇摩琉場 側に縛りつけられているのは、 宇摩琉場 の王女である。
スタジアムの観客たちは戦いに興奮し、その歓声が空すら揺るがしているようである。
「そうだろうな。死にもの狂いで戦えば、どちらか一方の姫は助かることになる。これほど慈悲深いことはなかろう。我ながら、そう思う。
民たちも喜んでいることだしな」
魔皇帝は退屈そうにつぶやく。
その傍らで、青年……人質として連れてこられた 那波 の第一王子は、生きるために見世物として戦わされる浮遊大陸の不幸な同胞たちを硬直した顔でじっと見ている。
彼の膝の上には、奇妙なものが置かれている。
それは、少年の生首だ。
だが、ただの生首ではない。
青年と似た面差しをしたその少年の首は、青年の膝の上で表情をゆがめ、泣きそうな顔をしている。
その瞳が時折、まばたきする。
その首は、首だけで生きているのだ。
それは、兄とともに連れてこられた 那波 の第二王子の首である。
逃げられないように、と弟をそんな姿にされてから、兄の王子は 亜苦施渡瑠 魔皇帝へ一切反抗じみた態度を取ることをやめていた。
そして、そんな 那波 の二王子は、このところ 亜苦施渡瑠 の大のお気に入りだった。
「楽しみたまえ。最後まで見届けよ。
結果は、そなたから教えてもらうことにしよう」
亜苦施渡瑠 はそう言い残すと黒曜石の玉座から銀のマントをひるがえして立ち上がり、浮遊大陸の王家の跡継ぎである青年の肩の上に軽く手を添え、その場を去っていった。
亜苦施渡瑠 魔皇帝が住まう 根威座 の宮殿は、黄金色に輝く金属で造られていた。
その金属は怪しく虹色の狂気じみた色彩を宿していて、混沌とした移ろう模様をいつも描いていた。
しかもその表面は鏡のように物や人を映し、その映像はすべて魔皇帝のもとに送られている、という。
この宮殿内のことで、魔皇帝の視界に写らぬものは何ひとつ無い、というわけである。
宮殿は天井がどこも見通すことが出来ないほど高く、そびえ立つ複雑怪奇な色彩に彩られた壁の威圧感に、入る者たちはまず圧倒される。
それでいて、その宮殿は何層もの重層構造になっているのだから、それを建てた建築技術の高度さには想像を絶するものがある。
亜苦施渡瑠 は宮殿の私室に戻ると、黄金の金属で出来たテーブルの前に立った。
魔皇帝の手がテーブルに触れると、テーブルの上が一瞬曇り、それからそこに映像が現れる。
緑に包まれた城。
藍絽野眞 の王宮である。
画面はその内部へと潜り込んでいき、やがて大勢の群臣たちが集う王家の間の情景を捕らえる。
王の前には、赤い髪の少年がいる。
李玲峰 である。
「ふん、生き長らえたか。
那理恵渡玲 め、よくやりおる。無駄だというのにな」
魔皇帝はひとりごちた。
亜苦施渡瑠 が座ろうとすると、その下で空気が陽炎のように揺らぎ、黄金の椅子が空中から現れる。
金髪の少年が背後の空間から現れ、歩み寄った。
少年はその手に黄金の杯と壺を置いた盆を捧げ持っている。
魔皇帝は黄金の椅子の上で足を組むと盆からその杯を取り、注がれていた美酒を口元に傾けた。
藍絽野眞 の王宮での、炎の王子とその父王との様子をみつめながら、魔皇帝はしばらく思案していた。
それから首を傾げ、またひとりごちた。
「これも、また一興。
しかし、手は早くに打っておいた方が良いかな。
どう思う、そなたは?」
最後の言葉は、背後に控えていた金髪の少年への言葉である。
しかし、まるで魂を抜かれたかのように人形めいた虚ろな表情をした金髪の少年は、何も応じない。
亜苦施渡瑠 はくすくす笑った。
「答えられぬか。
だが、この赤毛の小僧が生きていて、そなたは嬉しいであろう。のう?
とくと見ておくが良い。許す」
魔皇帝は、少年をテーブルの縁へと引き寄せた。
少年は操り人形のように、誘われるままにテーブルの縁に寄っていき、持っていた盆を置くとそこに映る 李玲峰 と 那理恵渡玲 の顔を覗く。
それでも、端正な少年の顔には、感情らしきものはひとつとして現れない。
「では、阿琉御羅 からの使者の相手でもするか」
亜苦施渡瑠 は杯を飲み干すと、テーブルの上の映像を消し、パンッ、と両手を打ち鳴らした。
それに応じて部屋の壁にあった色彩の一つが揺れ、淡く光が放つと、そこから銀色の 根威座 の軍装をまとった兵士に付き添われて、薄汚い旅姿の男たちの一団が現れた。
一団の指導者格らしき初老の男以外は、皆、一様におどおどした顔をしている。
それに、初老の男もまた、おどおどしていないまでも、どこか後ろめたさを隠したような、卑屈な顔をしていた。
案内されてきた、というよりは、連行されてきた、といった風情である。
金髪の少年を背後に従わせ、ゆったりとくつろいだ姿勢で座ったまま彼らを迎えた 根威座 の魔皇帝の前で、男たちは床の上に膝を折った。
「顔を上げても良い」
亜苦施渡瑠 は、悠然と命じた。
その言葉に答えて、一団の指導者である初老の男は、顔を上げた。
「わたしが 根威座 の帝王、亜苦施渡瑠 だ。
浮遊大陸の 阿琉御羅 よりまいったそうだな。
このわたしに何の用だ? 申してみよ」
美しい青年は、嘲るように笑って、男に尋ねた。
その魔都、婁久世之亜
茫漠たる枯れ果てた大地の臍とも言うべき中央にそそり立つその都は、あたかも干涸らびた大地の力をすべて吸い取って咲く花のようだった。
艶やかにして華麗なる、美しい都。
だが、その美しさには毒がある。
魔都は夜になれば光輝くイルミネーションに包まれ、決して眠らない。
高層の建築物が重なって建てられているが、その下層部に住まうのはこの世界でも最下層の民、あるいは浮遊大陸から運ばれてきた不幸な奴隷たちである。
しかし、荷役に使われる奴隷たちの不幸が、根威座 の宮殿に送られる見目の良い使役用の奴隷たちの不幸と、どちらがマシであるか、というのには難しい判断が必要だ。
うまく 根威座 の貴族や騎士たちに取り入ることが出来れば、生き残るチャンスはある。
しかし、根威座 に生きる民の多くはそうした奴隷たちに憐みよりは残酷な娯楽を求めるので、大概の奴隷たちを見舞うのは、荷役の奴隷たちよりは辛く、苦しい死である。
もっとも、死への道程が短い分、やはり彼らの方が恵まれているのかもしれないが。
その日も、絢爛たる光に包まれた 根威座 の宮殿に隣接するスタジアムにおいて。
根威座 の帝王、魔皇帝と呼ばれる 亜苦施渡瑠 を楽しませるためのちょっとした娯楽が行われていた。
観客たちはすでに熱狂の坩堝にあった。
「ふふふ……」
輝くような赤い髪の美貌の魔皇帝は、貴賓席のさらに上部に据えられた、彼だけが座ることが出来る黒曜石で作られた玉座に自堕落な姿勢で座っていた。
その口元を、血のような笑みが飾っている。
「いかがかな、この趣向は? 王子殿下」
魔皇帝の玉座の傍らに席を連ねて座らされている青年がいる。
生真面目な性質をその容貌に映した、気品のある青年だ。
彼は魔皇帝の語りかけにことさらに無表情を装い、目の前の光景から目を逸らさず、言葉少なに答えた。
「さすがに 亜苦施渡瑠 様の為されること。素晴らしく思います」
「そう、思うか?」
魔皇帝は意地悪く問い返す。
スタジアムの舞台では、二手に分かれた男たちがさきほどから死闘を繰り広げている。
片やは浮遊大陸 那波 から連れてこられた奴隷の戦士たち。
もう片やは浮遊大陸 宇摩琉場 から連れてこられた敗残の俘虜兵たちである。
男たちの背後には、それぞれに若い女性が柱に縛りつけられている。
その女たちの首を取ることが、このゲームの勝敗を決するルールである。
那波 側に縛られているのは、那波 から貢ぎ物として送られた美しい歌姫。
彼女はその自尊心の高い性格で、魔皇帝の機嫌を損ねたのである。
宇摩琉場 側に縛りつけられているのは、 宇摩琉場 の王女である。
スタジアムの観客たちは戦いに興奮し、その歓声が空すら揺るがしているようである。
「そうだろうな。死にもの狂いで戦えば、どちらか一方の姫は助かることになる。これほど慈悲深いことはなかろう。我ながら、そう思う。
民たちも喜んでいることだしな」
魔皇帝は退屈そうにつぶやく。
その傍らで、青年……人質として連れてこられた 那波 の第一王子は、生きるために見世物として戦わされる浮遊大陸の不幸な同胞たちを硬直した顔でじっと見ている。
彼の膝の上には、奇妙なものが置かれている。
それは、少年の生首だ。
だが、ただの生首ではない。
青年と似た面差しをしたその少年の首は、青年の膝の上で表情をゆがめ、泣きそうな顔をしている。
その瞳が時折、まばたきする。
その首は、首だけで生きているのだ。
それは、兄とともに連れてこられた 那波 の第二王子の首である。
逃げられないように、と弟をそんな姿にされてから、兄の王子は 亜苦施渡瑠 魔皇帝へ一切反抗じみた態度を取ることをやめていた。
そして、そんな 那波 の二王子は、このところ 亜苦施渡瑠 の大のお気に入りだった。
「楽しみたまえ。最後まで見届けよ。
結果は、そなたから教えてもらうことにしよう」
亜苦施渡瑠 はそう言い残すと黒曜石の玉座から銀のマントをひるがえして立ち上がり、浮遊大陸の王家の跡継ぎである青年の肩の上に軽く手を添え、その場を去っていった。
亜苦施渡瑠 魔皇帝が住まう 根威座 の宮殿は、黄金色に輝く金属で造られていた。
その金属は怪しく虹色の狂気じみた色彩を宿していて、混沌とした移ろう模様をいつも描いていた。
しかもその表面は鏡のように物や人を映し、その映像はすべて魔皇帝のもとに送られている、という。
この宮殿内のことで、魔皇帝の視界に写らぬものは何ひとつ無い、というわけである。
宮殿は天井がどこも見通すことが出来ないほど高く、そびえ立つ複雑怪奇な色彩に彩られた壁の威圧感に、入る者たちはまず圧倒される。
それでいて、その宮殿は何層もの重層構造になっているのだから、それを建てた建築技術の高度さには想像を絶するものがある。
亜苦施渡瑠 は宮殿の私室に戻ると、黄金の金属で出来たテーブルの前に立った。
魔皇帝の手がテーブルに触れると、テーブルの上が一瞬曇り、それからそこに映像が現れる。
緑に包まれた城。
藍絽野眞 の王宮である。
画面はその内部へと潜り込んでいき、やがて大勢の群臣たちが集う王家の間の情景を捕らえる。
王の前には、赤い髪の少年がいる。
李玲峰 である。
「ふん、生き長らえたか。
那理恵渡玲 め、よくやりおる。無駄だというのにな」
魔皇帝はひとりごちた。
亜苦施渡瑠 が座ろうとすると、その下で空気が陽炎のように揺らぎ、黄金の椅子が空中から現れる。
金髪の少年が背後の空間から現れ、歩み寄った。
少年はその手に黄金の杯と壺を置いた盆を捧げ持っている。
魔皇帝は黄金の椅子の上で足を組むと盆からその杯を取り、注がれていた美酒を口元に傾けた。
藍絽野眞 の王宮での、炎の王子とその父王との様子をみつめながら、魔皇帝はしばらく思案していた。
それから首を傾げ、またひとりごちた。
「これも、また一興。
しかし、手は早くに打っておいた方が良いかな。
どう思う、そなたは?」
最後の言葉は、背後に控えていた金髪の少年への言葉である。
しかし、まるで魂を抜かれたかのように人形めいた虚ろな表情をした金髪の少年は、何も応じない。
亜苦施渡瑠 はくすくす笑った。
「答えられぬか。
だが、この赤毛の小僧が生きていて、そなたは嬉しいであろう。のう?
とくと見ておくが良い。許す」
魔皇帝は、少年をテーブルの縁へと引き寄せた。
少年は操り人形のように、誘われるままにテーブルの縁に寄っていき、持っていた盆を置くとそこに映る 李玲峰 と 那理恵渡玲 の顔を覗く。
それでも、端正な少年の顔には、感情らしきものはひとつとして現れない。
「では、阿琉御羅 からの使者の相手でもするか」
亜苦施渡瑠 は杯を飲み干すと、テーブルの上の映像を消し、パンッ、と両手を打ち鳴らした。
それに応じて部屋の壁にあった色彩の一つが揺れ、淡く光が放つと、そこから銀色の 根威座 の軍装をまとった兵士に付き添われて、薄汚い旅姿の男たちの一団が現れた。
一団の指導者格らしき初老の男以外は、皆、一様におどおどした顔をしている。
それに、初老の男もまた、おどおどしていないまでも、どこか後ろめたさを隠したような、卑屈な顔をしていた。
案内されてきた、というよりは、連行されてきた、といった風情である。
金髪の少年を背後に従わせ、ゆったりとくつろいだ姿勢で座ったまま彼らを迎えた 根威座 の魔皇帝の前で、男たちは床の上に膝を折った。
「顔を上げても良い」
亜苦施渡瑠 は、悠然と命じた。
その言葉に答えて、一団の指導者である初老の男は、顔を上げた。
「わたしが 根威座 の帝王、亜苦施渡瑠 だ。
浮遊大陸の 阿琉御羅 よりまいったそうだな。
このわたしに何の用だ? 申してみよ」
美しい青年は、嘲るように笑って、男に尋ねた。
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