精霊の御子

神泉朱之介

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36話

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李玲峰イレイネ! そなた、己の今の立場をわかっておるのか!」
 出立の前、父王 競絽帆セロホ 三世は、そう言って彼を責めた。
 しかし、考えた末、彼にはこういった結論しか下せなかった。
 幸いにも、戦いは小康状態に入っていた。
 それは何と言っても、九大陸連合を裏切った浮遊大陸 阿琉御羅アルオラ が、今や 根威座ネイザ の格好の標的になっていたせいなのだが。
 禹州真賀ウスマガ 防衛の共同作戦を取っていた九大陸連合軍の味方の戦列に向けて、突如、攻撃を仕掛けてきた 阿琉御羅アルオラ
 魔皇帝の、そうすれば 阿琉御羅アルオラ は攻撃しないという約定を信じた王は、今、その愚かさの報いを手酷く受けている。
 魔皇帝は、当然そんな約束は守らなかったのだ。
 そして、今となって、浮遊大陸の連合軍の中に 阿琉御羅アルオラ を助けようとする者はいなかった。
 どの浮遊大陸も自領を守るのにすら汲々としていて、連合軍の足並みはこのところとみに乱れがちになっている。
 そんな折りも折りだ。
 穏健な人柄を持つ人物として知られる、藍絽野眞アイロノマ の 競絽帆セロホ 王すら、阿琉御羅アルオラ の救援は今は言いだせなかった。
 聖なる浮き島、精霊たちの楽園、宇無土ウムド 。
 人にとってその島へと辿りつくことは難しく、もし、その島がその者を拒むならば、その位置を知ることすらなかなか難しい、と言われている場所である。
 しかし、李玲峰イレイネ を乗せた飛行船は無事にその島へ辿りつくことが出来た。
 懐かしい島だ。
 なにしろ、李玲峰イレイネ は十五の歳まで、この島以外の世界を一切見ることなく、ここで育ったのだから。
 でも、李玲峰イレイネ にとっては哀しい記憶の場所でもある。
 麗羅符露レイラフロ と 於呂禹オロウ 。
 二人を失った場所でもあるから。
 帆を張った飛行船が静かに草の波の中へと着地し、島へと降りると、李玲峰イレイネ はすぐさま彼が育てられた、古い僧院の跡へとおもむいた。


「ナリェ!」
 李玲峰イレイネ は呼んだ。
 答えは、無い。
 根威座ネイザ 軍の攻撃を受けて無惨な瓦礫の山と化している、古い石造りの僧院。
 那理恵渡玲ナリエドレ にこの島へと連れてこられた幼い 李玲峰イレイネ は、この僧院を家として育った。
 途中からこの島へと連れてこられた 於呂禹オロウ も、李玲峰イレイネ は、残ったこの僧院の地下室を住処とし、那理恵渡玲ナリエドレ と暮らしたものだ。
 だが、今は、そこには人の住む気配がまるで無い。
 廃墟だった。
「ナリェ。那理恵渡玲ナリエドレ !」
 李玲峰イレイネ は、もう一度呼んだ。
 どこへ行ってしまったのだろう、あの、優しい庇護者は?
 物静かな笑みを浮かべた、神聖島の聖なる若者。
 精霊とともに生きる、あの黒髪の青年は?
「おれだよ、那理恵渡玲ナリエドレ。答えて! お願い!
 このままではどうすればいいのか、わかんないんだよ! おれ、於呂禹オロウ を殺したくないんだ。
 本当に 於呂禹オロウ がおれを殺したいって思っているならともかく、於呂禹オロウ がそんなことをするなんて、どうしてもおれには信じられないんだ。
 ナリェ。那理恵渡玲《ナリエドレ》、教えて!
 おれは、どうすればいい!?」
 血を吐くように、 李玲峰イレイネ は叫んだ。
 彼を育んだ大地を巡る優しい風がその声を乗せて、草の上を走っていった。
 今も、聖なる島の恵まれた大地は、彼を暖かく迎える。
 花々の芳しい香りと森から送られてくる爽やかな木の香り、草の波と穏やかな静けさ。
「ナリェ!」
 幼馴染みとの、優しい記憶。
 失われた日々。
 目を瞑れば、いつだって思い出すことが出来る。
 濡れた髪に花を飾る 麗羅符露レイラフロ の、ちょっとスネたような口のきき方。
 於呂禹オロウ の、暖かい笑み。
 三人の心は繋がれていて、離れていても互いの気持ちを推し量ることが出来たし、言葉をかわすことすら出来た。
李玲峰イレイネ
 その時、李玲峰イレイネ の心に、懐かしい声が届いた。
「ナリェ?」
 そっと、李玲峰イレイネ は問い返した。
 確かに、聞こえた。
 那理恵渡玲ナリエドレ の声だ。
 赤い髪の王子は、彼の姿を捜した。
 すると、僧院から少し離れた野の中に、黒い長い髪を靡かせた背の高い青年の、透き通った姿が見えた。
李玲峰イレイネ
 また、声が聞こえて、人影は手招きし、揺れるように姿を消した。
 李玲峰イレイネ は駆け出す。
 幼かった日のように。
 よく、そうして 那理恵渡玲ナリエドレ に呼ばれた。
「ナリェ!」
 李玲峰イレイネ が迷うと、少し先に黒髪の青年の幻は現れ、彼を導く。
 やがて、どこへ呼んでいるのかはわかってきた。
(鍾乳洞だ!)
 氷室となっている、地下水脈の通った鍾乳洞。
 冷たい水の中でしか生きられない体に生まれついた 水の御子 の 麗羅符露レイラフロ が住み処ととしていた、あの洞窟の奥に違いない。
(……ナリェ?)
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