精霊の御子

神泉朱之介

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42話

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 李玲峰イレイネ は割り切れない気持ちを抱きつつ、窓の外を眺めていた。
 魔都 婁久世之亜ルクセノア 。
 その中にいるとは信じられないような、快適な小部屋の中に彼はいた。
 阿留摩アルマ の部屋だ。
 浮遊大陸にも、ガラスを扱う技術はある。
 しかし、こんなふうに固く、人が全体重をかけてもビクともしないガラスを造る技術は無かったし、また、こんなふうに一点の曇りもなく透明なガラスを造る技術もなかった。
 李玲峰イレイネ は、壁一面が全部そうした透明なガラスで出来ているところにたって、そこから外を見ていた。
 目が眩みそうな眺めだ。
 遙か足下から頭上までが吹き抜けになっている空間がある。
 広いその空間を、黄金の美しいパイプの手摺りがついた橋のような通路が縦横に、複雑に交差しあって渡してある。
 その通路はその上に立つ人々を、歩かなくても自動的に前へ前へと進めていく。
 その通路の架け橋は、空中で途切れ、また空中から続いていたりして、どこへ繋がっているのかがよくわからない。
 なんだか、迷路のようだ。
 視線の届く限りの下方には、なにやら、暗い空間がある。
 時折、そこには通路を首輪を嵌められ、鎖で数珠繋ぎになって笞のような物で追い立てられて歩いていく奴隷たちの姿が見える。
 ほんの時折。
 最初に見えた時には目を疑ったし、すぐに見えなくなったので気のせいだろうか、と思った。
 蜃気楼のように、刹那、見えては消える。
 まるで、何かの見せしめであるかのように。
 一方、上の方は、というと、そこは、光に満ちている。
 ぷかぷかと様々な美しい色をした風船玉のような球が幾つも空間に浮かんで、ゆったりと移動していく。
 時折、先刻、城壁の外で見た人狩りをしていた戦士たち、あの銀の巨鳥に乗った者たちが上空を横切ることもあった。
 邪悪な都市、魔都 婁久世之亜ルクセノア 。
 目の前の空中回廊を進んでいく者には、また、獣相を持つ者も多い。
 むしろ、まともな人の姿を持つ者が少なく感じるほどだ。
亜苦施渡瑠アクセドル さまは、人間の顔は見飽きてしまったんだって言うよ」
 阿留摩アルマ は笑って、そう説明した。
「最近、特にひどいね。この 婁久世之亜ルクセノア に住む者を片端から改造する気かネ。あたいが改造された頃はここまでひどくなかったもんだけどね」
 人を改造し、動物たちの体と合成する、キメラの技術。
 この 根威座ネイザ の魔都では、そうした技術がまた、貴族たちの延命のためにも使われているという。
 体が老化すると、若く美しい奴隷の体を買ってきて、そこに脳だけを移植するのだという。
 あるいは、クローンの技術。
 金のある貴族は、必ず自分の体のストックを持っているという。
 李玲峰イレイネ は、自分の手首に嵌められた黄金の輪を見下ろした。
 なんだかそれを嵌められていることに屈辱を感じる気持ちもある。
 我慢しなければならないのだろうが。
 それは、この都市においては奴隷、という身分だという印だ。
 つまり、彼がここにいられるのはあの 阿留摩アルマ の使用人、奴隷、という身分だからなのだ。
 が、それでも、ここまで何事もなく潜入出来たのは 阿留摩アルマ のおかげだ。
 そして、この城壁の外で殺戮されていた、キメラの技術で羽をつけられていた哀れな人々。
「しょうがないじゃないか。ここじゃ、人の命の価値が低いのさ」
 阿留摩アルマ はこともなげにそう言った。
 放逐されし民は、この城壁から外へ出される時にああした体に改造されるのだという。
 彼らはいわば罪人だが、この都市においては犯罪の定義はきわめて難しいという。
 人を殺すことなど、勿論、罪ではない。
 罪になることもあるが、もっとも軽い罪だ。
 この都市における犯罪とは、根威座ネイザ の貴族階級にいる市民の機嫌を損ずること。
 それだけだという。
 なんという社会だろう!
「そんなことでイジイジしてんじゃ、ここじゃやってけないよ、王子さま!
 ここにゃ働き手ってぇのがあまり必要じゃないのさ。なんせ、魔皇帝 亜苦施渡瑠アクセドル さまの 永久の獄炎 がすべてを賄ってくれるからね。
 最下層では、永久の獄炎 の燃え滓に関わる仕事で多少の働き手としての奴隷もいるらしいけど、本当に必要なのはそれくらいだ。
 だから、奴らが欲しいのは玩具だ。
 奴隷だよ。
 それが耐えられねぇっていうんなら、尻尾を巻いて帰ったらどうだい? 並の場所じゃねえことは承知で来たんだろう?」
 阿留摩アルマ はそう言って笑ったが、李玲峰イレイネ は、とても笑う気にはなれなかった。
「まだ若い、少女がいた」
「そりゃ、いるだろうね。そういうのを狩るのが、根威座ネイザ の騎士どもの嗜好だ」
「救ってやれなかった」
「それがどうしたって? 救ってやって、どうするっていうんんだい? 大体、一人くらい救えたからって何になるっているんだよ、王子さま? 生っちょろいこというんじゃないよっ!
 あんたも、仮にも人を率いる立場にいる人なんだろ? だったら、わかるはずだ!
 一人くらい救ったからってどうなる?
 ここでやられていることが、それで変わると思うのかい? 変わりゃしないよ!
 そんなことより、あんたが出来ることを考えな! ま、どうしようと勝手だけどね。あたいは 陀伊褞ダイオン に泣きつかれたから、仕方なくあんたを助けてるだけで。だけど、そうゆう甘ちゃんなことをぐずぐず言ってるんなら、つきあうのはお断りだね。こっちの身が危うくなる」
「でも、あなただって 陀伊褞ダイオン を救ったはずだ」
 阿留摩アルマ の猫の顔がニッと笑った。
「あれは全然違うよ。あいつがあたい好みのイイ男だったからサ。
 一目惚れって奴だ。
 ホントに好みだったのさ。
 ふうん、そうか。その狩られちまった女の子ってぇのは、あんたの好みだったのかい?」
 李玲峰イレイネ がたじろぐと、阿留摩アルマ はけたたましい笑い声を上げた。
 やがて 阿留摩アルマ は暗く思いに沈む 李玲峰イレイネ に、処置無し、という顔で肩をすくめて、机の上に山盛りになっている林檎に手を出して、それを囓りつつ、部屋から出ていってしまった。
 落ち着いて考えると、李玲峰イレイネ は 阿留摩アルマ の言うことも、もっともだ、と思う。
 ここにいる彼は、あの少女になにかしてやれる立場ではないのだ。
 李玲峰イレイネ は、部屋の中へと視線を転じて、その林檎の山をぼんやりとみつめた。
 最初に見た時から、李玲峰イレイネ はその林檎の山になんだか奇異な印象を持っていた。
 しばらくみつめているうちに、ようやくそれが何故か、がわかった。
 つやつやとした艶のあるおいしそうな林檎なのだが、どれもまったく同じ大きさ、まったく同じ形をしているのだ。
 まるで、一つの鋳型から造り出した物のように。
 部屋の扉がすうっ、とひとりでに開いて、陀伊褞ダイオン が入ってきた。
 扉は、人がその前に立つと魔法のように開き、出ていくとまた魔法のように締まる。
 陀伊褞ダイオン は、問うように 李玲峰イレイネ の方を見た。
 李玲峰イレイネ は目を伏せた。
 陀伊褞ダイオン は 李玲峰イレイネ の隣に並んで立った。
阿留摩アルマ があなたに失礼なことを? 王子」
「いや。失礼っていうわけじゃないけれど……」
 陀伊褞ダイオン はきわめて礼儀正しい、忠節な騎士だ。
 口数は少ないが、だが為すべき時には決してためらうことのない、勇猛果敢たる戦士でもある。
 何度もともに出陣し、その戦い振りを見ているし、信頼のおける固い男だということもわかっている。
 だからこそ、阿留摩アルマ とともにいる彼には違和感があった。
 そんな少年の心中を察するように、陀伊褞ダイオン は視線を窓の外へとずらした。
 そして、下の方を、じっと見下ろす。
 戦士の横顔に、何かを思い出すような、微かに苦しげな表情が映った。
「王子。わたしはかつてこの都市で囚われていました。わたしは、地獄をかいくぐってきた男です」
 陀伊褞ダイオン は静かな口調で話した。
「いや、それは過去ではありません、王子。
 今も地獄は続いています、この魔都で。王子もご覧になった通り。
 この地獄は永劫の過去から続いています。そしてあの魔皇帝の 永久の獄炎 が燃える限り、これからも未来永劫、続くのでしょう。
 わたしはかつてこの都市の最下層にいて、奴隷として繋がれていました。
 わたしは 那波ナバ の臣下であり、那波ナバ が 亜苦施渡瑠アクセドル の魔の手に屈した時、わたしも捕らえられ、この 婁久世之亜ルクセノア に送られました。
 死のう、と思いました。
 それほど、屈辱的な日々でした。
 でも、狂っていく者たちも多かった中で、わたしは死ぬことも狂うことも出来ませんでした。わたしは生きて、そして、呪っていました。
 根威座ネイザ を。根威座ネイザ の魔皇帝を。
 そして、この魔都を!
 その時、阿留摩アルマ がわたしに手を差しのべてくれました。
 助けてやろうか、と」
 陀伊褞ダイオン は、言葉を切った。
 その時の気持ちを思い出すように。
 眉を微かにしかめて。
 李玲峰イレイネ は息をつめて次の言葉を待った。
 やがて、陀伊褞ダイオン は言葉を継いだ。
「その場に、同じ境遇の者たちが多くいました。わたしとともに 那波ナバ から連れてこられた戦友たち。苦楽をともにして、励ましあってきた者たち。
 ですが、わたしは 阿留摩アルマ の申し出を受けました。
 生きたかったのです。わたしは若く、死ぬには早すぎました。だから、死にたくなかった。そしてわたしは仲間たちをあの地獄に残して、一人で脱出しました。阿留摩アルマ がわたしを買いとってくれたので。
 それで、わたしは自由になれたのです。
 わたし、一人が。
 あの時の仲間たちは、戦友たちは、今もこの都市の最下層で苦しんでいることでしょう。生きているかもしれない。死んでいるかもしれない。狂ってしまっているかもしれません。確かめることは出来ませんが。
 今、なお。この地下に」
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