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48話
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「そう、あれが 亜苦施渡瑠 魔皇帝がいるところさ」
阿留摩 がその 李玲峰 の視線に答えた。
「手前にあるのが、闘技場のスタジアムさ。あそこで、根威座 の貴族どもは奴隷を互いに命がけで戦わせて、それを観戦して娯しむんだよ。今夜もやってるみたいだね。
この 婁久世之亜 の城下にも滅多に現れない 亜苦施渡瑠 魔皇帝も、奴隷同士を戦わせる闘技は大好きで、とくスタジアムの方にはお出ましになるというよ。
亜苦施渡瑠 魔皇帝はそれよりもっと、浮遊大陸との戦争の方がお好きとも聞くがね」
そう、楽しんでいる。
亜苦施渡瑠 は、戦いを、残酷なことを娯しんでいるのだ。
それは、李玲峰 にもわかる。
阿留摩 は 李玲峰 をうながした。
「じゃ、行こうぜ、王子さま。時間は浪費できないだろう?」
敏捷な身のこなしで尻尾をぴんと立てて彼女が目の前をよぎっていった瞬間、なんだか、そんな尻尾を前にも見たことがあるな、と思い、やがてそれが何だったか、李玲峰 は思い出した。
苦笑が口元に浮かんだ。
(愛理洲 の、虎の子の尻尾だ)
言うのはさすがに悪いな、と思って、さし控えた。
阿留摩 は黄金宮殿への道筋と退路の位置関係を早口で説明してくれた。
「黄金宮殿は、見ればわかるだろう。あの闘技場を道導にすればいいよ。けど、スタジアムは迂回してった方がいい。屋上沿いに伝っていくのが一番だ。こっちから行くのが最上の策だ。
あと、ほら、あの妙な形をした高い塔。あれを目印にして、黄金宮殿を背にして真っ直ぐに逃げれば、その先にあたいたちが待機している飛行港がある。
あの形をしっかり覚えておおき。忘れるんじゃないよ!」
夜空に吼えるような、不気味な黒い翼をつけた魔物のような生き物の彫像がその先端についている。
ひときわに高い塔だ。
李玲峰 はうなずいた。
屋根の上を走っていると、時折、下の通路に歩いている衛兵の姿が見える。
阿留摩 はそうした奴らにせせら笑うような皮肉な笑みを向け、李玲峰 にささやきかけた。
「ざまぁないね。王子さま、わかるかい? ここにある 根威座 の力、技術 って奴は、ほぼ完璧なのさ。すごい力さ。きっと何だって出来るだろう。
それなのに、それにもかかわらず、こんなふうに警備態勢はずさんで穴だらけだし、この都市は何もかも完璧じゃないんだ。
それが何故だか、わかるかい、王子さま?
誰も、完璧に造ろうとしないからさ。
ここは人間が造った都市だ。
そして、人間ってのは、悪いことを考えるもんだ。
悪い奴ほど抜け道を作ろうとする。何をするにしても、どんなシステムにも、ね。
人が造る限り、すべてのものは完璧じゃないんだ。どうしてかって? そりゃ何かがあった時の保身のためだったり、もっと積極的にいろんな余録が欲しいためだったり、動機はいろいろさ。でも、こんな腐れた連中が住んでる、腐れた都市だからね。穴だらけさ。抜け穴、裏道、落とし穴だらけだよ。
だから、あたいたちみたいなちっぽけな小悪人も生きていけるんだけどね。大きな悪人が造った抜け穴をまた利用して、そのお零れに与る。地道に儲ける余地もあるってわけだ。覚えておおき、王子さま」
どこか自嘲的な響きもある口調。
阿留摩 の猫の目はじっと見下ろす。
足の下に広がる目を欺くような美しさを誇る、魔都 婁久世之亜 を。
「じゃあね。健闘を祈りよ。しっかりやんな!」
李玲峰 に一通りの指示を終えると、阿留摩 はそう、彼に別れを告げた。
「阿留摩!」
身を翻そうとした 阿留摩 を、李玲峰 は思わず、呼び止めた。
阿留摩 は何だい、といった訝しげな顔で振り返った。
李玲峰 はためらい、それから、つぶやくように言った。
「その、もしかしたらもう会えないかもしれないから。いや、もちろん、そんなつもりは無いけれど。
謝りたいと思って」
「謝る? 何をだい?」
「その、実は……
おれ、あなたが来てくれる直前まで、あなたのことを疑っていたんだ、阿留摩。
来てくれないんじゃないかって」
「そりゃ、当然だろーね」
阿留摩 はあっさりと応じた。
「あたいだって、自分のこと、気が知れねぇと思ってるもん。こんな馬鹿なことに手を貸してさ。一文の得にもなんねぇや」
「いや、でも。つまり、おれはあなたにこれだけ恩を受けたのに、それなのに、あなたのことを疑ったんだ」
「そんなの、言わなきゃバレないさ。変な子だね」
「すまない。その、許して欲しくて。
それと、ありがとう。力を貸してくれて」
阿留摩 の猫の顔は、薄闇の中でひょいと首を傾げた。
半身が猫である女性は身軽く戻ってきて、李玲峰 に顔を寄せるなり、ぺろり、と頬を舌で舐めた。
(わっ!)
その舌の、なんともいえない感触に、李玲峰 はびっくりして身を縮めた。
阿留摩 は、けらけらと笑った。
「ふふん?
王子さま、あたいは、ごめんなさいをちゃんと言える子は好きさ。とくにこの都市にゃ、そんなやつはごく少ないしね。
頑張んなよ、炎の御子。その 宝剣 を持ってるあんたはけっこー、イカしてるよ」
闇の中で、猫のような体が再び身を翻した。
見る間に彼女の姿は闇にまぎれ、見えなくなった。
(阿留摩……)
一度はあんなふうに疑いもしたが、李玲峰 は 阿留摩 に好意と親近感を感じ始めている自分をみつけていた。
もちろん、恩人だ。
好意を持って当たり前かもしれないけれど、それ以上に……
李玲峰 は魔都に君臨する黄金宮殿の方へと向き直った。
ここからは一人。
目的地は、もう目前だ。
カチン、と、透明な盤の上で、赤い宝石ルビーと、琥珀色の輝きを持つトパーズとがぶつかり、光の波動を発した。
「くっくっくっ」
低い声で、魔皇帝 亜苦施渡瑠 は楽しくて堪えられない、というような笑い声を漏らした。
亜苦施渡瑠 の背後には、黄金の甲冑を身につけた金髪の少年が控えている。
「於呂禹、お出迎えの準備は出来ているか?」
魔皇帝が問うと、金髪の少年は無言で腰をかがめた。
宝石の玉がてんでに散らばっている黄金のテーブル。
その上には、魔都 婁久世之亜 の夜景を背に立つ、炎の宝剣 を構えた赤い髪の少年の姿が写っている。
少年は来ようとしている。
彼のもとへ。
彼の、黄金宮殿へ、と。
亜苦施渡瑠 は、手にした杯をテーブルに向かって差し上げた。
「可愛い坊や」
まるで恋人に語りかけるような口調で、彼は甘く、炎の少年へささやきかけた。
「待っているよ。早く来るが良い。
疾く、来よ。
そう。そなたのその首を、この我が手に捧げるために
阿留摩 がその 李玲峰 の視線に答えた。
「手前にあるのが、闘技場のスタジアムさ。あそこで、根威座 の貴族どもは奴隷を互いに命がけで戦わせて、それを観戦して娯しむんだよ。今夜もやってるみたいだね。
この 婁久世之亜 の城下にも滅多に現れない 亜苦施渡瑠 魔皇帝も、奴隷同士を戦わせる闘技は大好きで、とくスタジアムの方にはお出ましになるというよ。
亜苦施渡瑠 魔皇帝はそれよりもっと、浮遊大陸との戦争の方がお好きとも聞くがね」
そう、楽しんでいる。
亜苦施渡瑠 は、戦いを、残酷なことを娯しんでいるのだ。
それは、李玲峰 にもわかる。
阿留摩 は 李玲峰 をうながした。
「じゃ、行こうぜ、王子さま。時間は浪費できないだろう?」
敏捷な身のこなしで尻尾をぴんと立てて彼女が目の前をよぎっていった瞬間、なんだか、そんな尻尾を前にも見たことがあるな、と思い、やがてそれが何だったか、李玲峰 は思い出した。
苦笑が口元に浮かんだ。
(愛理洲 の、虎の子の尻尾だ)
言うのはさすがに悪いな、と思って、さし控えた。
阿留摩 は黄金宮殿への道筋と退路の位置関係を早口で説明してくれた。
「黄金宮殿は、見ればわかるだろう。あの闘技場を道導にすればいいよ。けど、スタジアムは迂回してった方がいい。屋上沿いに伝っていくのが一番だ。こっちから行くのが最上の策だ。
あと、ほら、あの妙な形をした高い塔。あれを目印にして、黄金宮殿を背にして真っ直ぐに逃げれば、その先にあたいたちが待機している飛行港がある。
あの形をしっかり覚えておおき。忘れるんじゃないよ!」
夜空に吼えるような、不気味な黒い翼をつけた魔物のような生き物の彫像がその先端についている。
ひときわに高い塔だ。
李玲峰 はうなずいた。
屋根の上を走っていると、時折、下の通路に歩いている衛兵の姿が見える。
阿留摩 はそうした奴らにせせら笑うような皮肉な笑みを向け、李玲峰 にささやきかけた。
「ざまぁないね。王子さま、わかるかい? ここにある 根威座 の力、技術 って奴は、ほぼ完璧なのさ。すごい力さ。きっと何だって出来るだろう。
それなのに、それにもかかわらず、こんなふうに警備態勢はずさんで穴だらけだし、この都市は何もかも完璧じゃないんだ。
それが何故だか、わかるかい、王子さま?
誰も、完璧に造ろうとしないからさ。
ここは人間が造った都市だ。
そして、人間ってのは、悪いことを考えるもんだ。
悪い奴ほど抜け道を作ろうとする。何をするにしても、どんなシステムにも、ね。
人が造る限り、すべてのものは完璧じゃないんだ。どうしてかって? そりゃ何かがあった時の保身のためだったり、もっと積極的にいろんな余録が欲しいためだったり、動機はいろいろさ。でも、こんな腐れた連中が住んでる、腐れた都市だからね。穴だらけさ。抜け穴、裏道、落とし穴だらけだよ。
だから、あたいたちみたいなちっぽけな小悪人も生きていけるんだけどね。大きな悪人が造った抜け穴をまた利用して、そのお零れに与る。地道に儲ける余地もあるってわけだ。覚えておおき、王子さま」
どこか自嘲的な響きもある口調。
阿留摩 の猫の目はじっと見下ろす。
足の下に広がる目を欺くような美しさを誇る、魔都 婁久世之亜 を。
「じゃあね。健闘を祈りよ。しっかりやんな!」
李玲峰 に一通りの指示を終えると、阿留摩 はそう、彼に別れを告げた。
「阿留摩!」
身を翻そうとした 阿留摩 を、李玲峰 は思わず、呼び止めた。
阿留摩 は何だい、といった訝しげな顔で振り返った。
李玲峰 はためらい、それから、つぶやくように言った。
「その、もしかしたらもう会えないかもしれないから。いや、もちろん、そんなつもりは無いけれど。
謝りたいと思って」
「謝る? 何をだい?」
「その、実は……
おれ、あなたが来てくれる直前まで、あなたのことを疑っていたんだ、阿留摩。
来てくれないんじゃないかって」
「そりゃ、当然だろーね」
阿留摩 はあっさりと応じた。
「あたいだって、自分のこと、気が知れねぇと思ってるもん。こんな馬鹿なことに手を貸してさ。一文の得にもなんねぇや」
「いや、でも。つまり、おれはあなたにこれだけ恩を受けたのに、それなのに、あなたのことを疑ったんだ」
「そんなの、言わなきゃバレないさ。変な子だね」
「すまない。その、許して欲しくて。
それと、ありがとう。力を貸してくれて」
阿留摩 の猫の顔は、薄闇の中でひょいと首を傾げた。
半身が猫である女性は身軽く戻ってきて、李玲峰 に顔を寄せるなり、ぺろり、と頬を舌で舐めた。
(わっ!)
その舌の、なんともいえない感触に、李玲峰 はびっくりして身を縮めた。
阿留摩 は、けらけらと笑った。
「ふふん?
王子さま、あたいは、ごめんなさいをちゃんと言える子は好きさ。とくにこの都市にゃ、そんなやつはごく少ないしね。
頑張んなよ、炎の御子。その 宝剣 を持ってるあんたはけっこー、イカしてるよ」
闇の中で、猫のような体が再び身を翻した。
見る間に彼女の姿は闇にまぎれ、見えなくなった。
(阿留摩……)
一度はあんなふうに疑いもしたが、李玲峰 は 阿留摩 に好意と親近感を感じ始めている自分をみつけていた。
もちろん、恩人だ。
好意を持って当たり前かもしれないけれど、それ以上に……
李玲峰 は魔都に君臨する黄金宮殿の方へと向き直った。
ここからは一人。
目的地は、もう目前だ。
カチン、と、透明な盤の上で、赤い宝石ルビーと、琥珀色の輝きを持つトパーズとがぶつかり、光の波動を発した。
「くっくっくっ」
低い声で、魔皇帝 亜苦施渡瑠 は楽しくて堪えられない、というような笑い声を漏らした。
亜苦施渡瑠 の背後には、黄金の甲冑を身につけた金髪の少年が控えている。
「於呂禹、お出迎えの準備は出来ているか?」
魔皇帝が問うと、金髪の少年は無言で腰をかがめた。
宝石の玉がてんでに散らばっている黄金のテーブル。
その上には、魔都 婁久世之亜 の夜景を背に立つ、炎の宝剣 を構えた赤い髪の少年の姿が写っている。
少年は来ようとしている。
彼のもとへ。
彼の、黄金宮殿へ、と。
亜苦施渡瑠 は、手にした杯をテーブルに向かって差し上げた。
「可愛い坊や」
まるで恋人に語りかけるような口調で、彼は甘く、炎の少年へささやきかけた。
「待っているよ。早く来るが良い。
疾く、来よ。
そう。そなたのその首を、この我が手に捧げるために
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