精霊の御子

神泉朱之介

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63話

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「う……ん」
 李玲峰イレイネ は呻き声を上げた。
 水の音がした。
 ちゃぷちゃぷと、水が何かに打ち寄せて、小さな音を立てている。
「王子! お気がつかれましたか!」
 野太い声が耳元でした。
 騎士長の声だ。
 頭を振って、李玲峰イレイネ は半身を起こした。
 頭が痛い。
 それに、なんだか体が濡れていて、気持ち悪い。
 服が体に張り付いているようだ。
 いきなり、意識がはっきりした。
「レイラ!」
 叫んで、がばっ、と起き上がった。
「うわ!」
 途端に、がんっ、と頭が痛んだ。
「大丈夫ですか、王子? 首が、手の痕が痣になっています。一体、どうなされたのです!?」
於呂禹オロウ が……」
 そう、於呂禹オロウ の心臓に剣を突き立てて、そして……
 前髪からしたたってくる滴を払おうとして手を上げ、そしてその時初めて前を見た。
 そして、彼は唖然とした。
 目の前を染める、青い水の色彩に。
 見渡す限りの……水!
「何だ、これは!」
 思わず口走る。
 波打つ水が視界を染めている。
 深い、青い色彩。
 空の青さとは、また違う青。
 穏やかに波打つその青い水の上を、金色の光が散っている。
 ふと、李玲峰イレイネ の心の中に、記憶がよみがえった。
 炎の精霊王 が見せてくれた光景。
 かつて、この世界にあったという、あの、海、というもの。
(海!)
 精霊が見捨てる前の世界にあったという、大いなる水の恵み!
(だって、それじゃあ?)
 いかにも、それは、海、だった。


 李玲峰イレイネ がいるところは浮き島らしき地面の上で、島は水の波に乗って漂っている。
 李玲峰イレイネ と騎士長の他、藍絽野眞アイロノマ の鳥兵、五、六騎が 鵜吏竜紗ウリリューサ とともにその島の上で休んでいる。
「一体……何があったんだ?」
 李玲峰イレイネ は尋ねた。
「それが、その、わしにもよくわからんのです」
 騎士長は弁明するように言った。
「目撃したことを報告いたしますと、その、王子が 亜苦施渡瑠アクセドル どもと一騎打ちをしている間に、ご命令通り、我らは退避に徹しました。
 いきなり氷の大陸の、亀裂から水が吹き出したのは間もなくのことです。あれよあれよという間に、氷の大陸そのものに異変が起こりました。
 氷の大地が隆起し、割れ、そして沈み始めました。
 氷が、溶け始めたのです。
 いや、凄い眺めでした。あんな光景は二度と拝めませんな!
 それからは何が何やら。
 こちらも必死でしたから。水は空中に吹き出し、水の奔流や波に呑まれ、多くの者たちが異変に巻き込まれて行方知れずになりました」
根威座ネイザ 軍、亜苦施渡瑠アクセドル たちは?」
「引き上げたようですな。奴らにしろ、氷の異変から逃れるのに必死で、我らに構うどころではありませんでしたからな。
 異変は一晩中続き、我らは闇の中をやむなく飛び回りました。
 そして、朝になると……世界はこうなっていたのです。
 我らは浮き島を見付け、ようやく 鵜吏竜紗ウリリューサ を休ませました。
 しばらくして、あなたが打ち寄せられてきました、この島に」
「この島に?」
「ええ。波間に漂って。
 それで、我々はあなたを引き上げたのです」
 李玲峰イレイネ は目をしばたたかせた。
 なんと考えるべきなのだ?
 李玲峰イレイネ は立ち上がった。
 水平線にあてどなく視線を彷徨わせる。
 どこを見ても波頭を金色に染めた青い海原ばかり。
 しかし、その眺めはなんと心を和ませるのだろう。
 寄せては返し、波はそのたびに音を立てる。
 その音を聞いていると心が穏やかになり、落ち着いてくる。
 人はかつて、こんな恵みを手にしていたのだ。
「宝剣 は?」
 不意に、李玲峰イレイネ は気がついた。
 手元に、炎の宝剣 が無い。
「王子がここへ打ち寄せられたときには、お持ちではありませんでした」
 騎士長は答えた。
「レイラ」
 李玲峰イレイネ は呟いた。
 レイラはどこにいるのだろう、彼の愛する 水の御子、白銀の髪の 麗羅符露レイラフロ は。
 その時、それに答えるように、海が揺れた。
 ごぼごぼと海が泡立ち、今まで穏やかであった海面に見る間に白い波が水平線まで真っ直ぐに線を引いた。
「何事だ!」
 藍絽野眞アイロノマ の鳥兵たちは、皆、気色ばんだ。
 中には腰の剣を抜く者もいた。
 が、それがもし敵だったとしても、そんな剣一本ごときではどうにもならなかっただろう。
 まるで生き物のように二つに割れた海を前に、狼狽した何人かが叫び声を上げた。
 海の水が盛り上がり、二本の道のように人の背をゆうに超える高さまで隆起する。
 水は逆巻、その底の方からさらに波が押し上がってきた。
 ざんっ、という音と共に、波はその上に美し少女を立たせて、李玲峰イレイネ たちの前にせり上がってきた。
 美しい、裸身の少女を乗せて。
 白銀の髪が少女の裸身を覆い、髪は波打ってその足下にも絡み付いていた。
 少女は、大降りの剣を抱えている。
 その脇に、水の王冠を戴いた巨大な頭が浮かび上がってきた。
「水の精霊王」
 李玲峰イレイネ は呼び掛けた。
 あの氷の大陸の地下深くで見た姿とはずいぶん違い、その顔は老いた男性の顔に見えたが、李玲峰イレイネ にはすぐにそれがあの 水の精霊王 であることがわかった。
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