精霊の御子

神泉朱之介

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66話

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 今度の変容は、李玲峰イレイネ の故国 藍絽野眞アイロノマ に限っていえば、かえってマイナスに働いた。
 予想していた時期より早く、藍絽野眞アイロノマ は 根威座ネイザ へと近づきつつあった。
 根威座ネイザ からの攻撃は、おそらく 藍絽野眞アイロノマ へと向かうだろう。
 藍絽野眞アイロノマ 防衛のために、九大陸のうち、まだ無事である大陸からは、ぞくぞくと支援の軍が集結しつつある。
 藍絽野眞アイロノマ への援軍の集結は、常に無く、円滑に行われていた。
 それは、その軍を統率するのが 炎の宝剣 を見出した剣の英雄たる 精霊の御子、李玲峰イレイネ だからだ。
 さらにそれは 李玲峰イレイネ が 麗羅符露レイラフロ を救い出し、水の宝剣 まで見出したことに対する、九大陸の人々の期待の現れでもある。
 宝剣 のうち、二つまでが見出された。
 それも、同じ時に。
 これまでには無かったことだ。
 だが、それでもまだ世界は完全ではない。
 麗羅符露レイラフロ と 李玲峰イレイネ の二人に 水の宝剣 を渡してくれたときに、水の精霊王 は言った。
「この変容のために世界がどういうふうになるのか、それはわたし知らぬ。
 良き方向へ行くか、悪しき方向へ向くのか、それもそなたらが決めることだ。
 世界に水は満ちたが、大地は定着してはおらぬ。相変わらず大陸は浮き島だ。大気にではなく、水に浮くようになっただけで。もし大陸を、大地を定着させたいなら、そなたらは 大地の宝剣 を得ねばならぬ。その時、世界は全き姿を取り戻すわけだ」
 三剣の最後の剣、大地の宝剣 を見出すためには、於呂禹オロウ が、大地の御子 がいなければならない。
 だが、その 於呂禹オロウ は 根威座ネイザ の魔皇帝 亜苦施渡瑠アクセドル の深い魔の呪縛に囚われたまま、九大陸連合の敵として 根威座ネイザ 軍の先鋒に絶つ魔将軍と化してしまっている。
於呂禹オロウ!)
 於呂禹オロウ のことを考えると、李玲峰イレイネ は心に鋭い痛みを感じる。
 彼の胸板に、自らの手で剣を突き立てた瞬間のことを思い出して。
 一度は、於呂禹オロウ を殺そうとしたのだ。
 炎の御子 の彼が、同じ 精霊の御子 である彼を。
 心臓を一突きにしようとした!
 が、突き立てた剣からは、まるでそこが空洞であるかのように何の手応えも無く、於呂禹オロウ は死ななかった。
 逆に彼を殺そうと首を絞めにかかってきた。
 それでも、李玲峰イレイネ が最初に 於呂禹オロウ に向かって殺意を抱いたことに変わりはない。
 殺そうとしたのだ。
 あの、於呂禹オロウ を。
 優しかった、幼馴染みの少年を、この手で。
 二度とごめんだ、と思う。
 だが、戦いになれば、また。
 いや、今度こそ、於呂禹オロウ とは対決しなければならないだろう。
「王子」
 陀伊褞ダイオン が警戒の叫びを上げた。
 李玲峰イレイネ の声に応じて眼下にある大陸 根威座ネイザ あの海岸線から目を上げ、そして 陀伊褞ダイオン が示す方角の空に、幾つもの巨鳥兵 鵜吏竜紗ウリリューサ らしき汚点をみつけた。
 根威座ネイザ の巨鳥兵か!?
 李玲峰イレイネ は剣を抜刀すると、その手を整然とした動きで付き従う配下の巨鳥兵たちに振り上げた!


「くっ、くっ、くっ……」
 黄金のテーブルを前にして、炎のような赤い髪をした美しい青年は、堪えられないというようにくすくすと声を上げて笑った。
 テーブルの上には、映像が写っている。
 彼と同じ、赤い髪をした少年の姿が。
 鵜吏竜紗ウリリューサ に乗って飛行中なので、その短い赤い髪が背後になびいている。
 炎の王子。
 李玲峰イレイネ の姿だ。
 彼の眼下にある大陸 根威座ネイザ も見える。
 少年の視線がその大陸の深奥部にまで届けば、今、それをテーブルの上に見ている魅惑的だが酷薄さも感じさせる美貌を持つ不気味な青年、彼、根威座ネイザ の魔皇帝 亜苦施渡瑠アクセドル が住まう魔都 婁久世之亜ルクセノア の姿が現れるはずだ。
「おや、つまらない」
 剣を振り上げた少年が、付き従った巨鳥兵 鵜吏竜紗ウリリューサ たちに整然たる撤退を命じているのを見て取って、魔皇帝はつぶやいた。
「せっかくお出迎えの兵を向けて差し上げたというのに。
 まぁ、良かろう。どうせお迎えするにしても、まだ、こちらの準備が整わぬ。
 せっかくお迎えするなら、じっくりと吟味した舞台で、今度こそとっくりと歓待して差し上げねばな。那理恵渡玲ナリエドレ の最愛の子、宝剣 の炎の王子、か」
 魔皇帝は、にやり、と笑った。
 黄金の椅子にゆったりとした姿勢で座る 根威座ネイザ の支配者、魔皇帝の周囲には、幾人ものきれいな容姿の少年少女たちが取り巻き、その身支度を整えている。
 赤い髪を梳き、手の指先の爪を磨いてきれいにマニキュアを施し、足の爪先を暖める。
 甲斐甲斐しく動き回る彼らの動きを、亜苦施渡瑠アクセドル はまったく無視している。
 彼らは生ける道具であって、人格はない、とでもいうように。
 魔皇帝の背後には、小姓のように、ひとりの黄金の髪の少年がたたずんでいる。
 金の甲冑を着た少年。
 面差しは優しげだが、表情は虚ろで、まるで人形のようだ。
於呂禹オロウ
 魔皇帝は呼んだ。
 金の髪の少年は魔皇帝の背後で、恭しく腰を折る。
「これへ」
 差し招くと、金の髪の少年は魔皇帝の前に回り、その前に片ひざを突いてひざまずいた。
 亜苦施渡瑠アクセドル は楽しげに微笑み、黄金色のマニキュアが済んだしなやかな指先をひざまずいた少年の方に伸ばす。
「顔を、上げよ」
 おとしがいに手を当て、そう命じると、少年は伏せた顔を上げた。
 虚ろな眼差し、が。
 その時、無風だった部屋の空気が、微かに風に動いた。
 亜苦施渡瑠アクセドル の眉が動いた。
 面白い、というように。
 黄金の甲冑を着る、虚ろな眼差しの黄金の髪の少年。
 その少年の姿と二重写しに、亜苦施渡瑠アクセドル の目には、そっくり同じ姿の少年の幽体が見える。
 それは、黄金の甲冑を纏う少年にまといついている。
 そっくり同じ金の髪、金の瞳。
 だが二重写しのその透けた幽体の少年の方が、やや、幼い面影を宿している。
 幽体の少年は、哀しげに、ただ、魔皇帝の操り人形となった肉体の周囲に漂っている。
「風か……」
 亜苦施渡瑠アクセドル は、部屋の中をよぎる風を感じて、満足げにくつくつと笑った。
 そこは魔皇帝 亜苦施渡瑠アクセドル の炎の結界が張られた黄金の宮殿の中。
 本来なら、風は一筋たりとも通らない。
 亜苦施渡瑠アクセドル は、虚ろな眼差しで真っ直ぐにこちらを見上げている少年の顔を見やる。
 二重写しで、金色の瞳の少年の幽体が哀しげな、しかし断固とした強い眼差しを投げてくる。
「ふふ、於呂禹オロウ、大地の御子、か。悔しいか? 体に戻りたいか?
 だが、無駄だ。そなたはわたしに支配されたこの体をどうすることも出来ない。
 この体に、そなたの心臓が戻らぬ限り。その心臓は、ほら」
 亜苦施渡瑠アクセドル は少年のおとしがいに手を当てたまま、視線を次の間の部屋へと向けた。
 その視線の先には、透明な柱があり、その柱の中で、動いたままの心臓が、今も炎に灼かれている。
 己の肉体と二重写しになった金の髪、金の瞳の少年は、無念げな表情を一瞬、その顔に映した。
 少年の幽体はゆらりと陽炎のように揺れ、風と共に姿を消した。
 亜苦施渡瑠アクセドル は、操り人形の少年の肉体に添えた手を離し、その微かな風を触れようと指を差し上げた。
 だが、あえかな気配を残し、風は消えた。
 亜苦施渡瑠アクセドル は、笑ったまま、首を傾げた。
 邪悪な、残忍さを孕んだ表情が、口元を歪める。
 魔皇帝は椅子を座り直し、目を瞑って呟いた。
「見ているか、那理恵渡玲ナリエドレ? つれない、精霊の主よ」
 答えは、無い。
 部屋の空気は動かず、風ももはやそこには無かった。
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