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65話
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光……光……。
ただ一面に、銀色に輝いて光を撒く海の波頭。
眼下には陽光を強く照り返す、まるで光の絨毯のような海原が視界の端から端まで、見える限り埋めている。
底が虚空であったときに比べると、この世界の有り様はっきりと目に映る。
丸い地平線。
丸い盆のように足の下に広がっている水の原。
海。
「この世界は球体だ、と言われています、李玲峰。
丸い球の上に、九つの浮遊大陸、それに大小限りない島々。それが、この世界です」
幼い頃に教えられた言葉がよみがえる。
物静かな面差しを持つ黒髪の青年の口元から語られた言葉。
なるほど。
世界は球体であるのだろう。
九つの浮遊大陸と二つの定着した大地、全てが一つの世界にあるのが、よくわかる。
海、という水の面によって全てが結びつけられたことで。
禹州真賀、阿琉御羅、宇卦覇、優羅絽陀、根経琉華、那波、宇摩琉場、常羅、そして、藍絽野眞。
そして、今も定着した大地を持つ大陸は二つのみ。
一つは、死した不毛の大地を持つ 根威座、そしてこの世界に海洋が現れたときに大量の水が溶けて消えたために、すっかり小さな大陸となってしまった凍土の地。
氷の大陸。
世界は変容した。
かつては、風の上に、虚空の中に、浮かぶ大陸があった。
この球体の世界に、水は無かった。
ただ、風のみがあり、虚空に大陸が漂っていた。
九つの浮遊大陸が。
今も、大陸は漂っている。
九つの浮遊大陸は。
が、今は虚空に漂っているのではない。
この大いなる水。
青い海の上を漂っている。
海原の上に、風が渡っている。
風は、海の上の強く弱く、様々に吹き渡る。
雲の浮かぶ空、青い大地、そこは、今までこの世界を占めていた様相と同じだ。
風が、頬をよぎる。
(ナリェ。那理恵渡玲 )
海原の上を飛行する巨鳥 鵜吏竜紗 の背の上で、炎の色の髪を持つ 藍絽野眞 の王子。
炎の御子 であり、三剣の英雄である 李玲峰 は、黒い双眸を細めて虚空を見上げ、彼の養い親でもある、神聖島の不思議な守り手である青年を胸の内に思い浮かべた。
神聖島 宇無土 。
精霊たちの恵みを受けた、美しい島。
もしかしたら、今も、あの島は虚空にあるのだろうか……あの島だけは?
わからない。
でも、そんな気がした。
「王子」
李玲峰 に付き従ってきた 鵜吏竜紗 に乗った鳥騎士たち。
その編隊の中から一気に前へ出てきた鳥騎士は、まだ少年である指揮官の王子を守って従ってきた他の 藍絽野眞 の近衛騎士たちとは違い、那波 の紋章をその甲冑に帯びている。
「もうすぐ、根威座 の大陸の端が見えてきます。ですが、もうこの辺りまで来ると 根威座 軍の守備隊と接触する怖れもあります。どうか警戒を」
「わかっている。陀伊褞 」
李玲峰 は答えた。
きゅっ、と少年の意志の強さを現す口元が引き締められる。
「すまない。またしても危険な道行きを頼んでしまって。
でも、おれは見たいんだ、根威座 を。一目でいい。この海原の中で 根威座 が、あの、定着した大地を持つ唯一つの大陸がどんな風に見えるのか。
どうしても」
鵜吏竜紗 の上で 陀伊褞 はうなずく。
もと浮遊大陸 那波 の王家に仕えていた者で、一時期はこの 藍絽野眞 に忠誠を誓い、藍絽野眞 軍の麾下にあった騎士の 陀伊褞 。
端正で誇り高い性質の風貌を持つこの若い騎士は 根威座 に囚われていたことがある。
根威座 の魔都 婁久世之亜 の市民で猫とのキメラで獣相を持つ女性 阿留摩 の恋人でもあった彼は、その頃の体験から大陸 根威座 のこの辺りの事情をよく知悉している。
それで、李玲峰 が魔都 婁久世之亜 へと潜入したときには、同行を志願してくれた。
今回も、李玲峰 の粘り強い要請を受けてようやく 阿留摩 とともに 藍絽野眞 を訪れてくれていた彼は、その滞在中に、たまたま 李玲峰 たちが 根威座 へと偵察に行くのを聞き付け、道案内を再び買って出てくれた。
李玲峰 が手を上げると、背後に付き従っている鳥騎士たちは警戒態勢に入り、いつ、視界に敵を見付けてもすぐに対応できる体制を整えた。
まもなく、隊は白い霧状の雲の中に突入した。
「はぐれるな! 声を掛け合え!」
背後に従う隊の騎士たちに向かって、騎士長がそう叫んでいるのが聞こえた。
根威座。
死した大地の大陸。
根威座。
そこにある人の古の過ちの遺物である邪悪な都市に、今も大地の精霊の恵みを受けた少年は囚われている。
(於呂禹)
李玲峰 は心の中に、友人であるその少年の名を思い浮かべた。
大地色の金の髪、優しい大地色の瞳。
精霊の島 宇無土 でともに育った、幼馴染みの親友。
於呂禹 。
宝剣の、大地の御子 。
霧が晴れ、その下に黒っぽいものが見えてきた。
李玲峰 は、はっとした。
「み、見えるぞっ!」
風に混じって、後ろの方から騎士長が上げる野太い声の叫びが聞こえた。
鵜吏竜紗 の背で、李玲峰 はその風景に息を飲んだ。
絶壁が、銀色の海面から突き出ている。
黒い垂直の壁だ。
まるで海を、水を阻むかのような。
黒い絶壁が海に向かって続いている。
大陸 根威座 。
その不毛の地は、その絶壁の岸の上に乗っている。
豊かな水がこの球形の世界を満たしたというのに、この 根威座 の地は変わらない。
まるで、その水の恵みを拒むかのようだ。
呪われた大陸。
根威座 。
(この 根威座 を攻め落とすには、どうしたらいいんだろう?)
ぎりっ、と 李玲峰 は唇を噛み締めた。
根威座 の呪われた都市 婁久世之亜 には 永久の獄炎 がある。
永久の獄炎 とは、遥か時の彼方の昔、まだ人の手に無制限に精霊たちの力がゆだねられていた頃に人が閉じ込めた炎のエネルギーで、亜苦施渡瑠 はその炎から無限の力を引き出している。
帝王 亜苦施渡瑠 の支配下でただれた退廃と享楽の日々を貪っている魔都 婁久世之亜 。
悪徳の限りに染まっているあの都市を、彼は必ず滅ぼす、と誓った。
腐りきった、過去の亡霊の都市を。
だが、どうすればいい?
(おれたちのもとには、水と炎の宝剣 がある。精霊の御子 である、おれと 麗羅符露 が炎と水の精霊王たちからそれぞれにゆだねられた力がある。
でも、それを、どう使えば良い?)
そして、危険は今、李玲峰 の故国に迫っている。
大陸 藍絽野眞 に。
世界を満たしているものが大気から水に変わっても、人が生きる九つの浮遊大陸は、相変わらず根無し草のように世界の表面を、海面に、人に浮いて漂っている。
ただ一面に、銀色に輝いて光を撒く海の波頭。
眼下には陽光を強く照り返す、まるで光の絨毯のような海原が視界の端から端まで、見える限り埋めている。
底が虚空であったときに比べると、この世界の有り様はっきりと目に映る。
丸い地平線。
丸い盆のように足の下に広がっている水の原。
海。
「この世界は球体だ、と言われています、李玲峰。
丸い球の上に、九つの浮遊大陸、それに大小限りない島々。それが、この世界です」
幼い頃に教えられた言葉がよみがえる。
物静かな面差しを持つ黒髪の青年の口元から語られた言葉。
なるほど。
世界は球体であるのだろう。
九つの浮遊大陸と二つの定着した大地、全てが一つの世界にあるのが、よくわかる。
海、という水の面によって全てが結びつけられたことで。
禹州真賀、阿琉御羅、宇卦覇、優羅絽陀、根経琉華、那波、宇摩琉場、常羅、そして、藍絽野眞。
そして、今も定着した大地を持つ大陸は二つのみ。
一つは、死した不毛の大地を持つ 根威座、そしてこの世界に海洋が現れたときに大量の水が溶けて消えたために、すっかり小さな大陸となってしまった凍土の地。
氷の大陸。
世界は変容した。
かつては、風の上に、虚空の中に、浮かぶ大陸があった。
この球体の世界に、水は無かった。
ただ、風のみがあり、虚空に大陸が漂っていた。
九つの浮遊大陸が。
今も、大陸は漂っている。
九つの浮遊大陸は。
が、今は虚空に漂っているのではない。
この大いなる水。
青い海の上を漂っている。
海原の上に、風が渡っている。
風は、海の上の強く弱く、様々に吹き渡る。
雲の浮かぶ空、青い大地、そこは、今までこの世界を占めていた様相と同じだ。
風が、頬をよぎる。
(ナリェ。那理恵渡玲 )
海原の上を飛行する巨鳥 鵜吏竜紗 の背の上で、炎の色の髪を持つ 藍絽野眞 の王子。
炎の御子 であり、三剣の英雄である 李玲峰 は、黒い双眸を細めて虚空を見上げ、彼の養い親でもある、神聖島の不思議な守り手である青年を胸の内に思い浮かべた。
神聖島 宇無土 。
精霊たちの恵みを受けた、美しい島。
もしかしたら、今も、あの島は虚空にあるのだろうか……あの島だけは?
わからない。
でも、そんな気がした。
「王子」
李玲峰 に付き従ってきた 鵜吏竜紗 に乗った鳥騎士たち。
その編隊の中から一気に前へ出てきた鳥騎士は、まだ少年である指揮官の王子を守って従ってきた他の 藍絽野眞 の近衛騎士たちとは違い、那波 の紋章をその甲冑に帯びている。
「もうすぐ、根威座 の大陸の端が見えてきます。ですが、もうこの辺りまで来ると 根威座 軍の守備隊と接触する怖れもあります。どうか警戒を」
「わかっている。陀伊褞 」
李玲峰 は答えた。
きゅっ、と少年の意志の強さを現す口元が引き締められる。
「すまない。またしても危険な道行きを頼んでしまって。
でも、おれは見たいんだ、根威座 を。一目でいい。この海原の中で 根威座 が、あの、定着した大地を持つ唯一つの大陸がどんな風に見えるのか。
どうしても」
鵜吏竜紗 の上で 陀伊褞 はうなずく。
もと浮遊大陸 那波 の王家に仕えていた者で、一時期はこの 藍絽野眞 に忠誠を誓い、藍絽野眞 軍の麾下にあった騎士の 陀伊褞 。
端正で誇り高い性質の風貌を持つこの若い騎士は 根威座 に囚われていたことがある。
根威座 の魔都 婁久世之亜 の市民で猫とのキメラで獣相を持つ女性 阿留摩 の恋人でもあった彼は、その頃の体験から大陸 根威座 のこの辺りの事情をよく知悉している。
それで、李玲峰 が魔都 婁久世之亜 へと潜入したときには、同行を志願してくれた。
今回も、李玲峰 の粘り強い要請を受けてようやく 阿留摩 とともに 藍絽野眞 を訪れてくれていた彼は、その滞在中に、たまたま 李玲峰 たちが 根威座 へと偵察に行くのを聞き付け、道案内を再び買って出てくれた。
李玲峰 が手を上げると、背後に付き従っている鳥騎士たちは警戒態勢に入り、いつ、視界に敵を見付けてもすぐに対応できる体制を整えた。
まもなく、隊は白い霧状の雲の中に突入した。
「はぐれるな! 声を掛け合え!」
背後に従う隊の騎士たちに向かって、騎士長がそう叫んでいるのが聞こえた。
根威座。
死した大地の大陸。
根威座。
そこにある人の古の過ちの遺物である邪悪な都市に、今も大地の精霊の恵みを受けた少年は囚われている。
(於呂禹)
李玲峰 は心の中に、友人であるその少年の名を思い浮かべた。
大地色の金の髪、優しい大地色の瞳。
精霊の島 宇無土 でともに育った、幼馴染みの親友。
於呂禹 。
宝剣の、大地の御子 。
霧が晴れ、その下に黒っぽいものが見えてきた。
李玲峰 は、はっとした。
「み、見えるぞっ!」
風に混じって、後ろの方から騎士長が上げる野太い声の叫びが聞こえた。
鵜吏竜紗 の背で、李玲峰 はその風景に息を飲んだ。
絶壁が、銀色の海面から突き出ている。
黒い垂直の壁だ。
まるで海を、水を阻むかのような。
黒い絶壁が海に向かって続いている。
大陸 根威座 。
その不毛の地は、その絶壁の岸の上に乗っている。
豊かな水がこの球形の世界を満たしたというのに、この 根威座 の地は変わらない。
まるで、その水の恵みを拒むかのようだ。
呪われた大陸。
根威座 。
(この 根威座 を攻め落とすには、どうしたらいいんだろう?)
ぎりっ、と 李玲峰 は唇を噛み締めた。
根威座 の呪われた都市 婁久世之亜 には 永久の獄炎 がある。
永久の獄炎 とは、遥か時の彼方の昔、まだ人の手に無制限に精霊たちの力がゆだねられていた頃に人が閉じ込めた炎のエネルギーで、亜苦施渡瑠 はその炎から無限の力を引き出している。
帝王 亜苦施渡瑠 の支配下でただれた退廃と享楽の日々を貪っている魔都 婁久世之亜 。
悪徳の限りに染まっているあの都市を、彼は必ず滅ぼす、と誓った。
腐りきった、過去の亡霊の都市を。
だが、どうすればいい?
(おれたちのもとには、水と炎の宝剣 がある。精霊の御子 である、おれと 麗羅符露 が炎と水の精霊王たちからそれぞれにゆだねられた力がある。
でも、それを、どう使えば良い?)
そして、危険は今、李玲峰 の故国に迫っている。
大陸 藍絽野眞 に。
世界を満たしているものが大気から水に変わっても、人が生きる九つの浮遊大陸は、相変わらず根無し草のように世界の表面を、海面に、人に浮いて漂っている。
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