7 / 37
6話「宿で食事をした後、魔法の練習をするみたい」
しおりを挟む買い物を済ませた姫は、その足で当初の目的だった【白い歯車亭】へとやって来た。広場から反対側の通りへと歩を進め、しばらく歩いていると特徴的な白の歯車が描かれた看板が目に飛び込んでくる。
中に入ると、すぐに受付カウンターがあり、そこには若い女性が受付をやっていた。受付のすぐ隣にはL字に上っていく階段があり、どうやら二階が泊まる部屋となっているようだ。
一方受付の左側には酒場と食堂を兼ねた食事処があって、宿泊客や街の人が食事を楽しんでいるようだ。
「いらっしゃいませ、白い歯車亭にようこそ。お食事ですか? それとも宿泊でしょうか?」
「泊まりたいんですけど、一人部屋の空きはありますか?」
「はい、問題ありません。料金は素泊まりなら一泊50ゼノ、食事付きなら80ゼノとなっておりますが、どうしますか?」
そう女性に告げられて、姫はしばらく考える。現状この世界の情報を得られていない中、何の宛てもなく動くのは得策ではない。しばらくこの街を拠点に情報を収集していくのが、現在姫ができる最善である。
であるからして、現在いるこのアラリスの街を拠点に、この世界のことを調べながら生活の基盤を構築していくのが、無難であると姫は結論付ける。
「とりあえず、食事付きで三日分お願いします」
「わかりました。それではこちらにお名前の記入をお願いします。……はい、これで大丈夫です。では、先払いで240ゼノをお願いします」
宿の帳簿に名前を書き、三日分の代金を支払った。そして、部屋の鍵を受け取る。
「部屋は二階の一番奥になります。それと、もうすぐ昼になりますが昼食を食べますか?」
「お願いします」
それからそのまま食堂に行き、昼食を食べることにした。どうやらこの世界にやって来たのは早朝だったらしく、今は太陽が天辺にまで登りきっている。
食堂の空いている席に座った直後、外から鐘の音が響き渡った。何かの警報かと思ったが、姫以外の人間が慌てた様子がないことから、定期的に鳴らされているものだということが見て取れる。
この世界の時間に関しては、一日は二十四時間で決まった時間に時刻を告げる鐘が鳴るようになっており、それぞれ六時、九時、正午、十五時、十八時の計五回で、三時間毎にそれぞれ五回ずつ鐘が鳴らされるという話を、ウエイトレスの少女に聞いた。
先ほど鳴った鐘は、どうやら正午を告げる鐘だったようで、姫が席に着いてしばらくすると空いていた席が埋まり、瞬く間に満席となった。
さらに少女の話によると、現在時刻を知るための時計と似た機能を持った魔法の道具も存在しているようだが、そういったものは高価で商人や貴族だけが所持している贅沢品とのことだった。
昼食は異世界でよくある質のあまり良くない麦から作った黒パンと、あまり味のしない具なしのスープに、塩のみで味付けされた何かの肉を焼いたものだった。
宿の食事から推測するに、この世界の食文化はあまり発展しておらず、味は二の次でとにかく食べられればそれでいいという考え方が一般的のようだ。それでも、貴族などの上流階級となれば地球の一般家庭より少し劣るくらいの食事はしているだろうと、姫は予想を立てていた。
「食生活については、生活基盤が安定するまでは我慢するしかないか……食べられるだけありがたいことだろうしね」
食にうるさい日本人としては、あまり妥協したくないところではあったが、今はそのような我が儘を言っている場合ではないことも理解しているため、妥協せざるを得なかった。
美味しいとは程遠い昼食を済ませ、部屋に向かった。階段を上り、上った先の廊下を歩いていると、とある部屋から男女の声が聞こえてくる。
どうやら昼間から営んでいるようで、荒い息遣いと女性の嬌声が耳に入ってくる。
「けっ、こんな真昼間っからよろしくしやがって、爆発しろリア充め!」
今の自分の状況とドアの向こうのカップルを比べ、そのあまりの格差に恥も外聞もなく悪態をつく姫。その理不尽さに、思わずカップルがいる部屋のドアを蹴り、ささやかな八つ当たりを行うも、行為に夢中で二人がそれに気付くことはなかった。
真昼間から生々しい行為をまざまざと見せつけられ、悲しいやらやるせないやらといった様々な感情が入り乱れながらも、自分の部屋にとぼとぼとした足取りで歩いていく。
部屋の鍵を鍵穴に差し込んで開錠しドアを開けると、姫はそのままベッドにばさりと倒れ込んだ。部屋の内装は、ベッド・タンス・テーブルと椅子の最低限の家具しか置かれていない。
しばらくうつ伏せになった状態で、ベッドに体を預ける。日頃の仕事による疲れと、こちらの世界に来てから体験したことによる心労により、気が付くとそのまま意識を手放していた。
「姫さーん、夕食の準備ができたので、下りてきてくださーい」
「う、うーん……知らない天じょ――やっぱ、やめとこ。あのまま寝てしまったのか」
数時間後、ドアがノックされる音で意識が覚醒する。どうやら宿の従業員が夕食ができたことを告げに来たらしい。
いつの間にか、気付かないうちにかなりの疲れが溜まっていたことを自覚した姫だったが、眠りに就いたことで疲れを取ることができたとポジティブに考え、夕食を食べるために一階の食堂に向かう。
食堂は昼と同じく多くの人で賑わっており、姫が席に着いてすぐに満席となった。門の兵士が言っていた通り、どうやらこの宿の食事は他の宿と比べてもマシな部類に入っているのだろうと、食堂の込み具合からなんとなく理解できた。
といっても、姫にとってはあまり満足できる食事ではなかったようで、口の中に無理矢理ねじ込むように手早く夕食を済ませ、すぐに食堂を後にした。
夕方になると、武装した冒険者風の人たちや土で汚れた職人や労働者なども客として訪れるため、昼よりも厄介事に巻き込まれやすくなっているということも、姫が早々に食事を済ませた理由だったりする。
部屋に戻ろうとしたその時、姫を担当した人とは別の従業員が声を掛けてきた。
「あの、湯桶はどうしましょうか?」
「湯桶?」
「体を拭くために使う、お湯が入った桶のことですよ。体を拭く布と合わせて、3ゼノになりますがどうしますか?」
「お願いします」
思えば、この世界にやってきてから丸一日、一度も体を洗っていないことに姫は気付く。姫はオタク特有の自分が興味のあること以外はまったくといっていいほどルーズな性格をしている。好きな漫画やアニメなどを読んでいる時や、ラノベや乙ゲーを楽しんでいる時などは、お風呂はおろか自分の食事にすら無頓着になることもしばしばある。
だが、姫とて花も恥じらう乙女であることに変わりはなく、常に体を清潔にしておきたいという思いは持っている。だた、自分の好きなことをやっている時は、それに気付かないというだけなのである。
店員に湯桶を頼み、代金を支払う。湯桶は、店員が部屋まで持ってきてくれるとのことだったので、そのまま部屋へと戻った。
部屋に戻ると、今度はちゃんとドアに鍵を掛け、ベッドに腰掛ける。時刻は十八時の鐘が鳴ってから五十分ほど経過しているため、外は既に暗闇に包まれている。
「さて、湯桶が来るまで魔法の練習をしておこうかな」
姫はそう呟くと、体に意識を集中させ体内の魔力を操作し始めた。丹田にある魔力を上下左右に動かし、魔力をスムーズに操れるよう練習する。それを十五分ほどやったところで、ドアがノックされ湯桶が到着する。
湯桶を受け取り、再び鍵を掛け服を脱いで体を拭いていく。一日とはいえ、体はそれなりに汚れが付着していたようで、少しお湯が濁っていた。
さっぱりしたところで、改めて魔法の練習を再開する。今度は体内の魔力を体全体に薄い膜状に覆い、まるで鎧を纏っている状態になるよう操作する。
「この状態で、このテーブルを持ち上げるとどうなるかやってみよう」
姫は体に魔力を纏わせた状態で、右手の親指と人差し指を使ってテーブルの縁を摘まみ、そのままゆっくりと慎重に持ち上げた。
本来なら、女性である姫の筋力ではテーブルはビクともしないだろうが、体に纏った魔力によって肉体が強化されており、テーブルはいとも簡単に持ち上がる。
「おお、案外簡単にいけたな。これが、身体強化魔法ってやつですな」
やはり異世界にある魔法といえば、火や水といった自然現象系の魔法が一番に頭に浮かぶだろう。だが、それと同じくらいに有名な魔法といえば、自身の肉体を強化する身体強化魔法だろう。
何が起こるか分からない異世界では、ありとあらゆる不測の事態に備えておかなければならない。そのため、自分自身を強化する魔法の習得は、真っ先に覚えておかなければならないとても重要なものである。
それから、姫は様々な魔法の習得に挑戦し、空が白み始める時間までひたすら魔法の練習を続けるのであった。
12
あなたにおすすめの小説
猫好きのぼっちおじさん、招かれた異世界で気ままに【亜空間倉庫】で移動販売を始める
遥風 かずら
ファンタジー
【HOTランキング1位作品(9月2週目)】
猫好きを公言する独身おじさん麦山湯治(49)は商売で使っているキッチンカーを車検に出し、常連カードの更新も兼ねていつもの猫カフェに来ていた。猫カフェの一番人気かつ美人トラ猫のコムギに特に好かれており、湯治が声をかけなくても、自発的に膝に乗ってきては抱っこを要求されるほどの猫好き上級者でもあった。
そんないつものもふもふタイム中、スタッフに信頼されている湯治は他の客がいないこともあって、数分ほど猫たちの見守りを頼まれる。二つ返事で猫たちに温かい眼差しを向ける湯治。そんな時、コムギに手招きをされた湯治は細長い廊下をついて歩く。おかしいと感じながら延々と続く長い廊下を進んだ湯治だったが、コムギが突然湯治の顔をめがけて引き返してくる。怒ることのない湯治がコムギを顔から離して目を開けると、そこは猫カフェではなくのどかな厩舎の中。
まるで招かれるように異世界に降り立った湯治は、好きな猫と一緒に生きることを目指して外に向かうのだった。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
若返ったオバさんは異世界でもうどん職人になりました
mabu
ファンタジー
聖女召喚に巻き込まれた普通のオバさんが無能なスキルと判断され追放されるが国から貰ったお金と隠されたスキルでお店を開き気ままにのんびりお気楽生活をしていくお話。
なるべく1日1話進めていたのですが仕事で不規則な時間になったり投稿も不規則になり週1や月1になるかもしれません。
不定期投稿になりますが宜しくお願いします🙇
感想、ご指摘もありがとうございます。
なるべく修正など対応していきたいと思っていますが皆様の広い心でスルーして頂きたくお願い致します。
読み進めて不快になる場合は履歴削除をして頂けると有り難いです。
お返事は何方様に対しても控えさせて頂きますのでご了承下さいます様、お願い致します。
勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!
よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活
空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。
最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。
――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に……
どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。
顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。
魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。
こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す――
※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。
異世界に落ちたら若返りました。
アマネ
ファンタジー
榊原 チヨ、87歳。
夫との2人暮らし。
何の変化もないけど、ゆっくりとした心安らぐ時間。
そんな普通の幸せが側にあるような生活を送ってきたのにーーー
気がついたら知らない場所!?
しかもなんかやたらと若返ってない!?
なんで!?
そんなおばあちゃんのお話です。
更新は出来れば毎日したいのですが、物語の時間は割とゆっくり進むかもしれません。
オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~
鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。
そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。
そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。
「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」
オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く!
ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。
いざ……はじまり、はじまり……。
※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。
死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について
えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。
しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。
その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。
死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。
戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる