死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

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三章

19 薔薇園2

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「まったく、無知とは罪だな。誰か手当てをしてやりなさい」
 僕の言葉に、シグファリスの一番近くに控えていた警備の者がシグファリスに手拭いを渡す。シグファリスが持っていた薔薇は庭師が受け取った。
 無惨に折り取られた花からは既に白銀の輝きが消えつつある。株に目をやれば大輪の花がまだいくつも残っているが、それもすぐに輝きを失い、枯れるだろう。
 シグファリスの手当てを終えた者たちが、再び跪いて頭を下げる。この場にいる誰もが僕の言葉を待っていた。
 前世の記憶を思い出す前の僕であれば、関係者全員に厳罰を下していただろう。頭に血が昇っていた時は迷いなく全員処刑しようとしていたし、シグファリスやエリアーヌにまで危害を加えようとしていた。小説に登場する悪役のアリスティドとまったく同じように。
 今の僕は、違う。決してそんな愚行には走らない。
 改めて温室の警備担当者や庭師たちを眺める。
 母上が亡くなってから数ヶ月。その間、彼らはオルテンシアを守ってくれていた。僕が「命に替えてもオルテンシアを守れ」と厳命していたからだ。だから命令を遂行できなかった今、彼らは僕に死ねと命じられたら迷いなく死ぬだろう。前世の感覚を思い出した今では信じ難いことだけれど、この世界ではそれが当たり前。公爵家に忠誠を誓うというのはそういうことだ。
 僕は静かに口を開いた。
「母上の名を冠したこの薔薇は、まさしくオーベルティエの至宝。母上亡き後、これほどまでに長く維持できていたのは、お前たちが日々力を尽くし、並々ならぬ努力を重ねて守ってきたからに他ならない」
 半ば自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。オルテンシアは遅かれ早かれ枯れる運命だった。それがシグファリスの手で、ほんの少し早まっただけ。
「お前たちの努力に免じて温情をくれてやる。今日この温室の警備にあたっていた者たちは三ヶ月間、責任者は半年間の減俸。その上で警備体制の見直しを徹底するように。――これまでよくオルテンシアを守ってくれた」
 死した母上を恋しく思う気持ちは変わらない。愛してくれなくても、愛していた。でも執着はしていない。大切なのは、今を生きている者たち。いかに公爵家に力があろうとも、彼らの忠誠無くして咲き誇ることはできないのだから。
「もったいないお言葉です……!」
 警備の責任者が額を地面に擦り付けるようにして礼を述べた。すすり泣きを漏らしている者さえいた。厳罰を与えず、それどころかこれまでの功績を讃えたことに感動しているらしい。そういえば今まで僕が家臣を褒めたことなんて一度もなかったな。それどころか無茶な命令ばかりして、機嫌次第で八つ当たりしまくっていた。思い返すと恥ずかしい。まだ八歳だから仕方ない部分もあるけれど、今後は当主としてふさわしい振る舞いを心がけなければ。
 とりあえずこの場はこれで収まった。立ち去ろうとした僕を引き止めたのは、シグファリスの声だった。
「あの、あ、アリスティドおにいさま」
 ――アリスティドお兄様。なかなかいい響きじゃないか。
 微笑ましさにふにゃりと崩れそうになった表情を引き締めて、こほんと咳払いする。今の僕の立場ではシグファリスを弟と認めることはできない。
「僕のことは小公爵様と呼べ」
「は、はい、小公爵様。悪いのは、おれだから、おれも罰を受けます。えっと、おやつ、いりません。あと、めしも、もうおかわりしません。あと、あとは、ええと……」
 シグファリスは必死の様子で僕に訴えかけた。言っていることは稚拙だが、表情は真剣そのもの。大人の真似をしてちょこんと膝をついて。きらきらとした金色の目で僕を見上げて。五歳の子供なりに自分の差し出せる精一杯のものを並べ立てている。
 ――ちょっと待ってほしい。シグファリスの幼少期がこんなにも可愛らしかったなんて『緋閃のグランシャリオ』には書いてなかったのだが? それは勿論アリスティドに虐待されていたからだろうが、つまり僕がシグファリスを虐めなければ今後もシグファリスの可愛い姿を見られる機会があるということか? この可愛い少年が立派な勇者になるまでの過程を間近で見られると? なんだそれは、シグファリスの兄という立場は素晴らし過ぎないか?
「閣下、いかがなさいましたでしょうか」
「……いや」
 押し黙ったままの僕に侍従がお伺いを立てる。この僕がシグファリスの可愛さに圧倒されているなどと家臣に知られるわけにはいかない。にやけそうになる表情を隠すため、いかにもシグファリスの言動に呆れた風を装って手で顔を覆った。体面を保つために「母上の形見を害した罪をその程度のもので贖えるはずないだろう」と冷たく言い放ってやろうかと思ったが、今口を開いたら本音の方が飛び出てしまいそうなのでやめておく。
 僕はシグファリスから目を逸らし、傍に控える侍従に語りかけた。
「子供がしでかした不始末は親の責任だと思わないか?」
「おっしゃる通りでございます」
 侍従は僕の発言に深く同意した。

 その後。僕は父を本邸に呼び出して、親の監督不行届ということで父の小遣いを減らした。エリアーヌとシグファリスはあくまで客人という待遇で公爵家に置いているのだから、責任を取るべきは父なのだ。普段は僕に敵対している父も、この時ばかりは顔を青ざめさせて謝罪し、僕の決定に大人しく従った。
 この一件を丸く収めることに成功したことで、僕は過信を抱いた。小説と似たような展開になったとしても、僕さえしっかりしていれば未来を変えられるのだと。
 ――この時の僕は小説の筋書きにばかり注目しすぎていた。
 この一件は、今考えると叔父の仕込みだったのだろう。叔父が自分の息のかかった者を使い、シグファリスが温室に入り込むよう仕組んだ。光の加護を持つシグファリスと僕を敵対させるために。この時から、もしかしたらもっと早く、悪魔は水面下で跳梁していた。
 今頃わかっても、何もかもが手遅れだった。
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