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三章
20 しもべ召喚
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陽が登ってまた沈む。暗闇が薄闇になり、薄闇が暗闇になる。ただその繰り返し。
地下牢に閉じ込められていること自体はそれほど辛くはない。悪魔と化した今の僕にとって、陽光は遮断されている方がいいし、怨念に満ちた牢獄の空気は心地よく感じられる。代謝していないから汗や垢で体が汚れて不潔になることもない。石床は硬いが、体自体が頑丈になっているので寝そべっていても苦痛ではない。快適ではないにせよ、それほど悪くない環境といえた。
ただ時間を持て余してしまう。シグファリスから十分に血を与えられているおかげで、魔素不足を補うための眠りも必要ない。することもなく、ただ寝そべったまま、過去の出来事を考えるともなくつらつらと思い起こしては後悔に苛まれる。
「あの時……気がついていれば……」
悪魔の蠢動を察知できていれば、こんなことにはならなかったのに。後悔しても意味はないし、呟いたところで応える者はいない。
ため息をついて、爪の先で石床をかりかりとひっかく。先の尖った、黒く禍々しい爪。シグファリスを傷つけてしまわないように短く切ってしまいたいけれど刃物がない。というか生半な刃物では切断できないだろう。悪魔の爪は鋼さえ容易に断つ。せめて先端を丸くできたらよかったのに、体感で小一時間ほど続けたら床の方が削れてしまった。
爪を削るのを諦めて寝返りを打つと、首輪につながった鎖がじゃらじゃらと音を立てた。
最後にシグファリスが牢獄を訪れてから二度陽が登っている。当分は来ないだろうと思いながらも、気配がしないかと耳をそばだてる。牢獄内にいる小さな魔物たちがカサカサと蠢いているだけで、鉄扉の向こう側は静まり返っている。空気が動く気配もない。悪魔の五感は人間よりも優れているが、それ以上何かを察知することはできなかった。
鞭打たれて喜ぶような趣味はないけれど、早くシグファリスが来てくれたらいいと思う。こんな風に無聊をかこつことすら僕には贅沢だ。少しでもシグファリスの気が晴れるのなら、どれほど痛めつけられてもかまわない。――そんな考えも、罪悪感を和らげるための自己満足に過ぎないのかもしれないけれど。
一番いいのは、一刻も早く魔界召喚の魔法陣を解除して、シグファリスが僕を殺しても問題ないようにすること。
「解除の方法を教えてやれたらいいけど……魔王からの助言なんて、聞いてもらえるわけないよな……」
僕が下手に口出しすれば、罠だと疑われて余計に解除が遅れてしまう。余計なことをせず、僕はただ待っていればいい。シグファリスの側には頼れる仲間たちがいる。彼らがいれば魔術式の解析も容易いだろう。
「……うん?」
再びごろりと寝返りを打つと、小さな魔物たちが心なしか僕の方に接近していることに気がついた。
「なんだ貴様ら。おやつがわりに喰われたいのか?」
ひと睨みするとパッと離れていく。でも目を離すと、またじりじり近づいてくる。「だるまさんが転んだ」みたいだ。
なんとなく媚びるような気配を感じるが、またしても僕が弱ったら喰おうとてぐすね引いているのだろうか。油断ならない小物たちめ。今は元気だから返り討ちにしてくれる。というか元気なうちに仕留めておいた方がいいだろうか。魔素不足で動けなくなった時にかじられたら嫌だし。
しかし殺すにしても、今は魔封じの首輪を嵌められているので手段は徒手に限られる。爪で突いたら体液とかが付着しそうだ。素足で踏み潰すのも抵抗がある。
「う~ん……どうしたものか……」
考えあぐねて小物たちを眺めているうちに、ふと彼らが何に注目しているのか察しがついた。
僕が爪で擦った床が、バターナイフで撫でたように浅く抉れている。爪ではなく床の方が削れて砂粒になっているが、そこにほんの少しの魔素が――粉状になった僕の爪がわずかに砂に紛れている。見た目はほとんど変化がないが、僕の爪も多少は削れていたらしい。彼らの目的はこれだ。
弱体化しているとはいえ、今の僕は魔王と呼ばれるほどの力を持った悪魔だ。角や爪などには高濃度の魔素が蓄えられている。ほんのわずかな爪の粉でさえ彼らにとってはご馳走だろう。
「ふん、なるほどな。僕がシグファリスにいたぶられている時には死んだふりをしているくせに、調子のいいやつらだ」
たとえ僕を庇うためにシグファリスの前に出たとしても、踏み潰されて一瞬で殺されてしまうのだから仕方ないけれど。
――アア、マオウサマ。
――ご慈悲を。
――どうか。
必死に懇願する小物たちから焦りが感じられる。時間が経てば爪にこもっていた魔素も失せて、体液と同じように霧状になって消えてしまう。まあ別にこんな微量でよければあげてもいいけど、と考えて思いとどまる。
これは使えるかもしれない。
僕は自分の左手を目の前にかざした。小指の爪をがちりと噛んで、ぐっと力を込めてみる。痛みと共に、みしみしと爪が剥がれそうになる感触がする。僕は覚悟を決めて、一息に爪を剥いだ。
「~ッ! ゔうぅ……」
爪が剥がれた場所から、ぶしゅりと黒い体液が溢れる。痛い。でも角を折られた時やナイフを刺された時に比べたら全然大したことはない。
剥がしたての爪を小物たちの前に掲げて見せると、彼らは一斉にざわめき始めた。
「忠実なしもべになる、と僕に誓いを立てる者にはこの爪をやってもいい」
僕がそう告げると、それぞれが「我こそは」とアピールを始めた。必死にもなるはずだ。大量の魔素を得るほど魔物は強くなる。僕の爪ひとつあれば上位種族への進化だって可能だ。たとえばゴブリンならより大きなホブゴブリンに。ホブゴブリンからオーガに。最弱の雑魚から強者へと一気に駆け上がれる。
彼らのうちのどの個体でもいい。強くなれば知能も上がり、僕との会話も可能になる。そうすれば周辺を偵察させて詳細に報告させられる。状況を把握できれば、僕がシグファリスにしてやれることが何か見つかるかも知れない。
しばらくわあわあと騒いでいた小物たちだったが、一斉に静まり返る。僕も何かを感じて周辺の様子を伺う。淀んだ空気が粘度を帯びたように感じられる。うなじがチリチリする。
何かが来る――。強大な魔力を感じると同時に、僕の影がぶわりと影が立ち上がった。
現れたのは、悪魔ディシフェルのしもべであるドラゴンだった。
地下牢に閉じ込められていること自体はそれほど辛くはない。悪魔と化した今の僕にとって、陽光は遮断されている方がいいし、怨念に満ちた牢獄の空気は心地よく感じられる。代謝していないから汗や垢で体が汚れて不潔になることもない。石床は硬いが、体自体が頑丈になっているので寝そべっていても苦痛ではない。快適ではないにせよ、それほど悪くない環境といえた。
ただ時間を持て余してしまう。シグファリスから十分に血を与えられているおかげで、魔素不足を補うための眠りも必要ない。することもなく、ただ寝そべったまま、過去の出来事を考えるともなくつらつらと思い起こしては後悔に苛まれる。
「あの時……気がついていれば……」
悪魔の蠢動を察知できていれば、こんなことにはならなかったのに。後悔しても意味はないし、呟いたところで応える者はいない。
ため息をついて、爪の先で石床をかりかりとひっかく。先の尖った、黒く禍々しい爪。シグファリスを傷つけてしまわないように短く切ってしまいたいけれど刃物がない。というか生半な刃物では切断できないだろう。悪魔の爪は鋼さえ容易に断つ。せめて先端を丸くできたらよかったのに、体感で小一時間ほど続けたら床の方が削れてしまった。
爪を削るのを諦めて寝返りを打つと、首輪につながった鎖がじゃらじゃらと音を立てた。
最後にシグファリスが牢獄を訪れてから二度陽が登っている。当分は来ないだろうと思いながらも、気配がしないかと耳をそばだてる。牢獄内にいる小さな魔物たちがカサカサと蠢いているだけで、鉄扉の向こう側は静まり返っている。空気が動く気配もない。悪魔の五感は人間よりも優れているが、それ以上何かを察知することはできなかった。
鞭打たれて喜ぶような趣味はないけれど、早くシグファリスが来てくれたらいいと思う。こんな風に無聊をかこつことすら僕には贅沢だ。少しでもシグファリスの気が晴れるのなら、どれほど痛めつけられてもかまわない。――そんな考えも、罪悪感を和らげるための自己満足に過ぎないのかもしれないけれど。
一番いいのは、一刻も早く魔界召喚の魔法陣を解除して、シグファリスが僕を殺しても問題ないようにすること。
「解除の方法を教えてやれたらいいけど……魔王からの助言なんて、聞いてもらえるわけないよな……」
僕が下手に口出しすれば、罠だと疑われて余計に解除が遅れてしまう。余計なことをせず、僕はただ待っていればいい。シグファリスの側には頼れる仲間たちがいる。彼らがいれば魔術式の解析も容易いだろう。
「……うん?」
再びごろりと寝返りを打つと、小さな魔物たちが心なしか僕の方に接近していることに気がついた。
「なんだ貴様ら。おやつがわりに喰われたいのか?」
ひと睨みするとパッと離れていく。でも目を離すと、またじりじり近づいてくる。「だるまさんが転んだ」みたいだ。
なんとなく媚びるような気配を感じるが、またしても僕が弱ったら喰おうとてぐすね引いているのだろうか。油断ならない小物たちめ。今は元気だから返り討ちにしてくれる。というか元気なうちに仕留めておいた方がいいだろうか。魔素不足で動けなくなった時にかじられたら嫌だし。
しかし殺すにしても、今は魔封じの首輪を嵌められているので手段は徒手に限られる。爪で突いたら体液とかが付着しそうだ。素足で踏み潰すのも抵抗がある。
「う~ん……どうしたものか……」
考えあぐねて小物たちを眺めているうちに、ふと彼らが何に注目しているのか察しがついた。
僕が爪で擦った床が、バターナイフで撫でたように浅く抉れている。爪ではなく床の方が削れて砂粒になっているが、そこにほんの少しの魔素が――粉状になった僕の爪がわずかに砂に紛れている。見た目はほとんど変化がないが、僕の爪も多少は削れていたらしい。彼らの目的はこれだ。
弱体化しているとはいえ、今の僕は魔王と呼ばれるほどの力を持った悪魔だ。角や爪などには高濃度の魔素が蓄えられている。ほんのわずかな爪の粉でさえ彼らにとってはご馳走だろう。
「ふん、なるほどな。僕がシグファリスにいたぶられている時には死んだふりをしているくせに、調子のいいやつらだ」
たとえ僕を庇うためにシグファリスの前に出たとしても、踏み潰されて一瞬で殺されてしまうのだから仕方ないけれど。
――アア、マオウサマ。
――ご慈悲を。
――どうか。
必死に懇願する小物たちから焦りが感じられる。時間が経てば爪にこもっていた魔素も失せて、体液と同じように霧状になって消えてしまう。まあ別にこんな微量でよければあげてもいいけど、と考えて思いとどまる。
これは使えるかもしれない。
僕は自分の左手を目の前にかざした。小指の爪をがちりと噛んで、ぐっと力を込めてみる。痛みと共に、みしみしと爪が剥がれそうになる感触がする。僕は覚悟を決めて、一息に爪を剥いだ。
「~ッ! ゔうぅ……」
爪が剥がれた場所から、ぶしゅりと黒い体液が溢れる。痛い。でも角を折られた時やナイフを刺された時に比べたら全然大したことはない。
剥がしたての爪を小物たちの前に掲げて見せると、彼らは一斉にざわめき始めた。
「忠実なしもべになる、と僕に誓いを立てる者にはこの爪をやってもいい」
僕がそう告げると、それぞれが「我こそは」とアピールを始めた。必死にもなるはずだ。大量の魔素を得るほど魔物は強くなる。僕の爪ひとつあれば上位種族への進化だって可能だ。たとえばゴブリンならより大きなホブゴブリンに。ホブゴブリンからオーガに。最弱の雑魚から強者へと一気に駆け上がれる。
彼らのうちのどの個体でもいい。強くなれば知能も上がり、僕との会話も可能になる。そうすれば周辺を偵察させて詳細に報告させられる。状況を把握できれば、僕がシグファリスにしてやれることが何か見つかるかも知れない。
しばらくわあわあと騒いでいた小物たちだったが、一斉に静まり返る。僕も何かを感じて周辺の様子を伺う。淀んだ空気が粘度を帯びたように感じられる。うなじがチリチリする。
何かが来る――。強大な魔力を感じると同時に、僕の影がぶわりと影が立ち上がった。
現れたのは、悪魔ディシフェルのしもべであるドラゴンだった。
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