死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

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三章

21 殃禍竜ヴリュソール

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 殃禍竜ヴリュソール。
 硬い鱗に覆われた漆黒の巨体で魔王アリスティドを守り、地獄の火焔を吐き散らす邪悪なドラゴン。その炎で負った火傷は治癒魔法で回復させることができない。魔王アリスティドの強力な遠距離攻撃魔法をかいくぐっても、接近すればヴリュソールの炎で焼かれ、有毒の棘に覆われた長い尾で打ち据えられる。
 ヴリュソールはこの世界においてもディシフェルに召喚され、シグファリスの前に立ち塞がった。最終決戦の際も大いにシグファリスを苦しめた。
 そのヴリュソールが、今は僕のてのひらにちょこんとおさまっていた。
「か、かわいい……!」
 いや、かわいいなどと言ってはいけない。ディシフェルに仕え、大勢の人々を苦しめた邪悪なドラゴンだ。でもこの手のひらサイズの愛らしさはなんとも言えない。ぽってりしたお腹に短いしっぽ。赤いつぶらな瞳で僕を見つめ、小さな羽をぱたぱたさせている。
 ディシフェルは召喚魔法を使って魔界からヴリュソールを呼び出していた。もちろんこんなミニサイズではなく本来の巨体でだ。自然界に存在する動植物が瘴気を浴びて魔物化したものたちとは違い、ヴリュソールは魔界に棲む真性の魔物である。こちらから呼ばない限り魔界からは出られない、はずなのだけれど。
「貴様を呼んだ覚えはない。というか、どうやって出てきた?」
 つい緩んでしまった頬を引き締め、こほんと咳払いをしてから尋ねる。今の僕には召喚魔法を使うことはできないし、使おうともしていない。
 僕の質問に、ヴリュソールは心なしか胸を張って答えた。
〈気合いで〉
「き、気合いでなんとかなるものなのか……」
 小物たちとは違い、知能の高いヴリュソールとは対話が可能だ。けど気合いって。
 よくよく観察すれば、今のヴリュソールからは大した魔力を感じない。時折輪郭がぼやけ、今にも消えてしまいそうだ。魔界にいる本体にも相当の負荷がかかっていることが伺える。
 まあ、理屈としてはあり得なくもない。この世界にも、悪魔の囁き――魔が差すという意味の慣用句が存在する。ほとんどが例え話として使われるが、悪魔が実在するこの世界においては本当に悪魔が囁いている場合もある。
 心が弱った者の耳元に、声だけを届けて猜疑心を植え付ける。そうして悪魔を崇拝するように誘導する。叔父もおそらくはディシフェルの囁きのせいで悪魔崇拝にのめり込んだのだと思われる。そう考えるとヴリュソールが自らの力で人間界に分身を送ることも不可能ではないのだろう。
 それはともかく。
「貴様の本来の主人はディシフェルだろう? もう僕はディシフェルに操られていないし、貴様を使役できるほどの魔素もない。無理をしてまで僕のもとへ来る理由はないはずだが」
〈ディシフェル、関係ない。体、目当て〉
 ――体目当て。嫌な言い方だが納得してしまった。
 魔物は自分の利益にならないことはしない。忠誠心などというものは持ち合わせておらず、力でねじ伏せて言うことをきかせるか、力に見合った褒美を与えることで使役する。ディシフェルはヴリュソールを使役する代償に魔素を与えていた。
「僕の……この悪魔の肉体に宿っている魔素が欲しいというわけか……」
 悪魔や魔物は独占欲が強い。僕が小物たちに爪を与えようとしているのを察して、奪われてなるものかと奮起して無理やり人間界に来た、ということなのだろうか。だとしたら相当食い意地が張っている。
〈爪。くれ。我、カスどもより役にたつ〉
 ヴリュソールは部屋の隅に顔を向けた。そこでは小物たちが仰向けにひっくり返って死んだふりをしていた。魔王のしもべと雑魚魔物では勝負にならないのだから仕方ない、賢明な判断といえる。
 さてどうしたものか。小物たちに力を与えて周辺の様子を探らせたいと思いつきはしたが、所詮は低級の魔物。爪を与えたからといって必ずしも僕の期待に応える働きができるとも限らない。しかしヴリュソールならばなんの心配もない。
「僕の代わりに外に出て、城内の様子を探ることは可能か?」
〈爪くれたら、できる〉
 ヴリュソールは後ろ足で立ち、両手を合わせて「ちょうだい」のポーズをした。くっ。かわいい。
 ヴリュソールが乗っているのとは反対の手で持っていた爪を差し出すと、ひっくり返っていた小物たちから悲嘆の鳴き声が上がる。「俺たちがもらうはずだったのに」という恨みがましい思念が伝わってくる。ヴリュソールは恭しく僕から爪を受け取り、小物たちの方を向いて、見せつけながらゆっくりと爪を丸呑みした。性格悪いな。
〈美味〉
 ヴリュソールは恍惚として体を震わせ、にたりと笑った。ドラゴンも笑うんだな。禍々しい笑い方だ。僕もシグファリスから血をもらった時はこんな顔をしているのだろうか……。
 しばらくぷるぷると悶えるような動きをしていたヴリュソールは、「クゥ」とひと鳴きしてから僕の顔の高さまで飛び上がった。先ほどまでぼやけていた輪郭がはっきりとしている。この世界で活動できるだけの魔素を蓄えられたのだろう。
 くるりと円を描くように飛ぶ。すると空間がそこだけ歪んだ。僕の顔が映るけれど、鏡が出現したわけではない。僕が両腕で円を描いたぐらいの大きさがあるそれは、ヴリュソールが見たものを映すモニターのようなものだった。
「――これはすごい」
 窃視魔法。ディシフェルも配下の魔物にこの魔法を使わせ、シグファリスの動向を監視していた。
 ヴリュソールは攻撃に特化した能力しか持たないと思っていたが、補助的な魔術も行使できたとは。ヴリュソールに目をやれば「このぐらい当然」と言わんばかりの澄まし顔をしていた。
「よし。天窓から出られるか?」
 僕の命令に従ってヴリュソールが動けば、モニターに映る景色も上昇していく。明かりとりの窓には格子がつけられていたが、小さなヴリュソールは隙間から難なく這い出た。
 窓から出てすぐ目の前は開けた空間になっていて、瓦礫が山と積まれていた。一度地面に降り立ったヴリュソールが再び空に浮かび、上昇するに従って王城の全景があらわになった。
 かつてはこの国の防衛を担っていた国防の要。ディシフェルが魔王として覚醒してからはその支配下にあった。シグファリスとの激しい戦闘の痕跡が至る所に見られる。尖塔が折れ、礼拝堂は完全に破壊されていた。
 太陽の位置からして時刻は昼近く。軽装備に身を包んだ者たちが瓦礫を運ぶなどして復旧作業に勤しんでいる。彼らは勇者シグファリスと共に魔物たちと戦った義勇軍の面々だろう。
 期待以上の成果に感嘆のため息をつく。最初に小物たちに爪を与えようとしていた時は、周囲の状況がなんとなく分かればいいなという程度だったが、まさかここまで仔細に外の様子を見られるなんて。
 ディシフェルに体を乗っ取られて以来、凄惨な光景ばかり目にしてきた。解放されてからはずっと牢獄の闇の中。陽の下で健全に生活を営む人々を見たいという欲求に駆られるが、ヴリュソールに与えた魔素がどれほど保つかわからない。まずは魔界召喚の術式がどうなっているか確認するべきだ。
「ヴリュソール、玉座の間へ――勇者シグファリスと最後に戦った広間へ向かってくれ」
〈了解〉
 モニターに向かって話しかけるとヴリュソールにもきちんと伝わったようで、ヴリュソールはくるくると王城の上空を旋回してから王城の南側へと向かった。
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