死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

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四章

31 鍛治師カグヤ

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 魔界召喚陣の構成をすべて解析するならば十年以上かかるが、解除するだけなら数ヶ月で可能である――その事実がようやく共有されたというのに、シグファリスに変わった様子は見られなかった。
 僕が詰ろうが喚こうが一切会話しようとはせず、ずかずかと牢獄に入り込んで僕の顔面を引っ掴む。そして血を与えられて意識が朦朧としている間にシグファリスはいなくなっている。
 顔も見たくないからこのような形になったのだろうか。憎い仇のため、自らの体を傷つけて血を与えるという行為自体にもうんざりしているだろうし。拷問されたり解剖されたりするのは魔界召喚陣が完全に解除された後だろう。
 楽に死ねるとは思っていない。何をされても最後まで魔王らしく振る舞おうと気合を入れ直していたら、闇の気配が濃くなった。粘り気を帯びた影が小さな竜の形になっていく。
〈いいこで、かしこい、我が来たぞ〉
 牢獄に現れたヴリュソールは、当たり前のように僕の手のひらに乗って撫でられるのを待っていた。望み通り頭と喉の辺りを指先ですりすりしてやると、うっとりと目を細めた。一通り撫でられてからはそわそわと僕の足先を見ている。魔界召喚陣の解除が進んでいるかどうか、あの後も何度か様子を見てもらっていたので、両手の爪は既に使い切っていた。
 ジュリアンは首に包帯を巻いてはいたものの、特に不自由することなく解除に向けて作業を進めていた。ヴリュソールが記したヒントを見て「僕、こんな構成図書いた覚えないんだけどな? いや書いたっけ? こんなん書けるの僕ぐらいしかいないしな……」とつぶやいていたのを聞いた時はひやりとしたが、特に僕の関与を疑われることはなかった。
 後は魔界召喚陣の解除を待つばかり。だからヴリュソールに偵察を頼む必要はもうないし、他にやって欲しいこともないのだが。
〈我、すごい。お前の役に立つ〉
 つぶらな赤い瞳が期待で輝いている。こんな目で見つめられると「もう用はない」とは言いづらい。それに散々おだてていいように使っておいて、用済みになったらお払い箱というのも酷い話だ。
「……外が気になる。城の様子を一通り偵察してきてもらえるか?」
〈かわいくて、たのもしい、我にまかせろ〉
 えへんと胸を張るヴリュソールに左足の小指の爪を与える。両手の爪がないせいで力が入らず、手では剥がせなかったので、やむなく足を手で掴んで口元に持っていき、歯を使って剥がした。とんだ醜態だが見ているのは魔物だけ。体が柔らかくてよかった。
 足の爪だろうが構わないのか、ヴリュソールはゆっくりと味わって邪悪に微笑み、いつも通り窃視魔法を展開してから牢獄を飛び立っていった。

 いつもの習慣で、最初に玉座の間に向かう。以前とは違い、ジュリアンの監視役として魔術博士たちが数人滞在していた。ジュリアンは彼らを特に気にする様子もなく魔界召喚陣の解除に取り組んでいるようだった。この調子なら問題ないだろう。
「全体の被害状況を確認したい。上空を旋回してくれ」
〈りょうかい〉
 僕の命を受けたヴリュソールは玉座の間から這い出て、青空に飛び込んでいく。高い位置から見下ろすと、最初に見た時よりも復旧作業がかなり進んでいるのがよくわかった。瓦礫は城外に運び出され、礼拝堂のあった場所は更地になっていた。今は崩れかけた尖塔の周囲に足場が組まれ、解体作業が進められている。
 観察しているうちに、城内にいるのは揃いの装備に身を包んだ元王国兵ばかりであることに気づいた。貴族らしき身なりの男が、兵たちにあれこれ指図している。一方で、外郭や城外で作業しているのは平民からなる義勇軍と思わしき者たち。よくない傾向だった。
〈――いいにおい〉
 僕が思案している間に、上空を巡っていたヴリュソールが不意に高度を落とした。僕の命令を待たずに自分の意思で行動するのは珍しいと思いながらも静観する。
 ヴリュソールは王城の北端にある建物を目指しているようだった。確かあそこは鍛治工房だったはず。余程興味を惹かれるものがあるのか、ふわふわとした浮ついた飛び方で窓に近づいていく。
 外から覗いた限りでは特に損壊は見当たらない。炉に火が入っているらしく、空気が熱気で揺らいでいる。火耐性があるヴリュソールは恐れることなく鍛治工房に入り込んだ。
 工房の中央に、一人の女性が佇んでいた。長い黒髪を高い位置で後ろにくくり、どことなく着物に似た上着をはだけた女丈夫。
 彼女はシグファリスの仲間のうちの一人。鍛治師のカグヤだ。
 他国との交わりを断絶した東の小国から出奔してきたカグヤは、刀を扱う剣士でもある。自身に相応しい最上級の武器を探し求めているうちに、自分で作った方が早いと思い至って鍛治師になった。小説では姉御肌のかっこいいキャラとして描かれていた。
 そんな彼女よりも、ヴリュソールが視界の中心に据えているのは、台に乗せられた二振りの剣。鍛え上げられたばかりの赤い刀身から溢れ出る禍々しい気配は、僕の――魔王アリスティドのものだ。
「……! あれが、なぜ……!」
 小説にも登場した、呪いの双剣。
 魔王アリスティドを殺害した後、体は灰になって消えたが、角だけは残った。魔素が蓄積された悪魔の角は魔術具や武器などの素材として使える。魔界召喚が成されたために出現した悪魔たちに対抗する手段として、カグヤは魔王アリスティドの角を素材とした二振りの剣を命懸けで鍛えた。
 悪魔を容易く切り伏せる禁忌の魔剣。この魔剣のせいでシグファリスは孤立を深めることになる。
 小説のカグヤは、世界が滅亡の危機に瀕したからこそ命をかけて呪いの双剣を鍛えたはずだ。現状、魔界召喚陣という脅威は存在するが、そこまで切羽詰まっているとは思えないのだが。
「お待たせしました、麗しきレディ。ご機嫌はいかがですか?」
 驚きのあまり立ちすくんでいた僕を正気に戻したのは、鍛治工房の重々しい熱気をものともしない爽やかな声だった。 
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