死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

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四章

43 歌う悪魔

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 目を閉じれば、瞼の裏に浮かぶのは悪魔ディシフェルに体を乗っ取られてからの惨劇の日々。
 先代国王崩御の後、セルジュ殿下はオーベルティエ公爵家の後ろ盾を得て王位についた。僕は――僕の体を乗っ取ったディシフェルは、セルジュ陛下を洗脳し、腹心として宮廷の中枢に喰い込んだ。ディシフェルの傀儡と化したセルジュ陛下は次々に他国を侵略し、フロレンツの故郷も滅ぼした。
 やがてセルジュ陛下は悪魔信仰を行っていたと反対派閥から糾弾され失脚、処刑される。それもすべてディシフェルの計略の内だった。
 トリスタンは最後までセルジュ陛下を信じていた。そして、僕のことをも信じてしまっていた。ディシフェルに体を乗っ取られる前の僕のことを。光の加護を授かった弟を大切に養育し、セルジュ殿下と共に平民議会を立ち上げるべく尽力していた僕は、トリスタンの目には善なるものとして映っていたのだろう。最後まで――セルジュ陛下が王宮前の広場で斬首刑に処されるまで、僕のことを信じていた。
 ――どのような理由があったとしても罪は罪だが、聞かずに殺してしまえば後悔が残る。
 トリスタンがシグファリスに語っていた言葉を思い出す。これ以上誰にも傷ついてほしくはないし、後悔してほしくない。トリスタンにとっても、できうる限り禍根を残さない方法で死ねたらいいのだが、もはや僕には死に方を選ぶことはできない。

 長い回想から浮上するようにまぶたを押し上げると、眩しいほどの月明かりが寝室を照らしていた。隣の応接室にシグファリスの気配はない。月の角度からするともう深夜だと思うが、夜明けはまだ遠い。シグファリスはトリスタンとフロレンツを伴って出て行ったきりだ。
 あれから「話し合い」は決着したのだろうか。また怪我を増やしてマリーを悲しませることにならなければ良いが。そう考えながら寝台の上をごろごろと転がる。別にこのままでも構わないが、シーツで簀巻きにされた状態のまま大人しくしているのも不自然だろう。
「ん……うっ!」
 寝台の端と端を何往復かしている間にシーツは外れたが、はずみで寝台の上から転げ落ちて背中を打ってしまった。同時に、僕の口元を戒めていた枷が耳障りな音を立てて床に落ちた。僕を拘束した時にシグファリスも慌てていたから、留金が緩んでいたのだと思う。
 両手足の拘束具は外されたままだ。そして今まで着ていた囚人服はシグファリスと揉み合った際に引き裂かれ、もはや服として機能していなかった。
 ボロ切れを摘み上げながら思案する。貴族として暮らしていた間、着替は全て使用人の手で行われていた。裸を晒すこと自体には抵抗がないが、無駄に裸でうろつき回るのは落ち着かない。
 とりあえず着替えでも探そうか。そう思いはしたが、僕はシーツを手繰り寄せて体に巻いたまま、その場を動けなかった。床から天井付近までの高さがある大窓に頬を寄せる。鎖に繋がれていた時は外を覗くことはできなかったが、窓に近づくと、中庭を挟んだ向こう側に、崩れかけた玉座の間の外壁が見えた。
「もうすぐ魔界召喚陣の解除が終わると言っていたな……」
 数日後か、それとも明日か。
 今更命が惜しいとは思わない。だが、僕が処刑される時に懺悔の時間は与えられないだろう。懺悔などする資格もない。
 それでも、今なら。思いがけず自由に手足も口も動かせる今なら。
 僕は跪いて両手を組み、冴えざえと夜空に浮かぶ月を見上げて、目を閉じた。
 小さな声で、弔いのための聖歌を口にする。
 命を失った者が無事に光の御許へ還れるように、残された人々が少しでも安らげるようにと、葬儀の際に歌われる聖歌。
 途切れ途切れに口ずさみながら、シグファリスのことを想う。
 この世界に生まれてきたからには、全ての悲しみからシグファリスを守ってあげたかった。
 もう一度やり直したい。いや、違う。僕などこの世界に生まれてこなければよかったのだ。
 やはり僕には懺悔する資格などないな。思い浮かぶのは神への恨み言ばかりだ。
 自嘲しながら目を開ける。窓に映るのは醜い僕の姿。そして――こちらを見ているシグファリスの姿だった。
 声も出せずに振り返る。シグファリスは寝室の扉に手をかけたまま、呆然とした様子で僕を見ていた。やがて薄く開いていた口元を引き結び、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
 いつの間に戻って来ていたのだろう。まったく気配に気づけなかった。小声で歌っていたが、まさか聞こえてしまっただろうか。虜囚の分際で歌うなんて、酷く詰られるに違いない。また尻を叩かれるかもしれない。
 僕はシーツを体に引き寄せながらよたよたと立ち上がって後退り、身構える。シグファリスが伸ばした手は、ただ空を切って落ちた。
 シグファリスが囁く。
「――後悔しているか」
 掠れた声。月明かりに光る金色の瞳に力がない。
「俺が知っているアリスティド兄様は、気高くて、賢くて、強かった。王太子にも信頼されていた。悪魔の力に頼る必要なんかなかったはずだ。なのに、こんなことになって……後悔してるんじゃねえのか」
 真剣で、切実な眼差し。その瞳に憎悪の影はない。懺悔を促す司祭のようにさえ見えた。
 もし、後悔していると言ったなら、どうなるのだろう。
 シグファリスを手ひどく傷つけ、多くの人の命を奪い、世界を滅亡の淵にまで追い込んで。悔やんでも悔やみきれない。全部僕が悪い。
 本当のことを全て打ち明けて、懺悔して、許して欲しいと縋ったなら。シグファリスは、どうするのだろう。
「そう、だな……後悔している」
 僕はふっと息を吐いて、シグファリスに微笑んで見せた。
「父を殺したことも、貴様の母を殺したことも、後悔している。あんなにあっさりと殺さずに、もっと苦しめてやればよかった。あの聖女のように、時間をかけていたぶってやりたかった。――ふふ、あれは傑作だったなあ。赤子のように泣き喚く貴様を見下すのは愉快だった。それだけでも悪魔になってよかったと思うよ」
 聖女エステルの話を持ち出した瞬間、シグファリスの瞳に殺気が漲った。殴られるかもしれない。でも僕はシグファリスを馬鹿にするように目を細めて、ニヤニヤと嘲笑うのをやめない。
 先に視線を逸らせたのはシグファリスの方だった。僕から手を離して、来た時と同じように音を立てずに寝室から出ていく。その背中を見送ってから、僕はその場にへたり込んだ。
「くそ……僕は、本当に……愚かだな……」
 歌なんか歌って。
 懺悔など不要。慈悲をかける必要などない。そう思わせられるほどの非道な態度を貫けなかった。
 シグファリスを惑わせてしまった。今でこそ荒んでしまったが、元は優しい少年だ。両親を殺され、恋人を殺され、幾度となく絶望の淵に叩き落とされても、僕が改心する可能性を探っている。
 僕は悪役として死ななければならない。 
 ディシフェルの支配から抜け出すことができた時には、僕のせいではない、悪魔に操られていたせいだと申ひらくつもりでいた。今だって死にたいわけじゃない。でも、もしシグファリスが僕に慈悲をかけたりしたら、他の仲間たちが黙ってはいないだろう。それぞれが魔王アリスティドに深い憎悪を抱いている。彼らが僕の言い分に耳を傾けるはずがない。間違いなく仲間たちとの分断を招いてしまう。
 貴族勢力も未だ健在で、隙あらば用済みになった勇者を蹴落としたいと考えている。もし彼らに僕が生存していることを知られたら、魔王側に寝返ったとしてシグファリスが討たれる、という事態になりかねない。
 もはやシグファリスにしてやれることは、魔王として死ぬことだけ。

 魔界召喚陣が解除されたのは、それから数日後のことだった。
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