死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

文字の大きさ
42 / 62
四章

42 魔術と瘴気

しおりを挟む
 教会での視察を終えたセルジュ殿下から、宮殿へ帰る馬車に同乗するよう下命をいただいた。「一人で馬車に乗るのも退屈だし」とのことだったが、内密の話があるに違いない。おそらくはシグファリスの処遇について。
 これまでも、光の加護を持つシグファリスを王家で預かりたいという打診はそれとなくされていた。光の加護を持つシグファリスの存在は王家の権威付になる。オーベルティエ公爵家に庶子として認めさせて貴族籍を与え、しかるのちに王家の子女と婚姻関係を結ばせて王家に取り込みたいと考えているはずだ。
 シグファリスが望むのであればそれでもいいが、今はまだ僕の立場も盤石ではない。もしシグファリスに危害を与えようとする輩が現れたとしても、手元に置いておかねば守ることができない。僕は警戒心を忍ばせてセルジュ殿下の馬車に乗り込んだ。
「それにしても盛況だったな。貧しい者への支援は必要だけれど、あの生命力は分けて欲しいぐらいだ」
「平民たちのしぶとさについてはおっしゃる通りかと存じますが、支援については同意しかねます。愚かな者たちを無計画に支援するからあのように無軌道に人口が増えて、結果的に困窮するのです」
「これは手厳しい」
 忖度なしで答えても、セルジュ殿下は気分を害した様子もなく微笑んでいた。
 貴族婦人の自己満足に過ぎない中途半端な支援では貧困そのものを解決することはできない。国家としての介入が必要不可欠だ。オーベルティエ公爵としての立場があるのでその辺りの献策はできないが。
 ただ、僕は平民の貧困よりも、彼らの活発さに目を見張った。
 近年、貴族の出生数は減少傾向にある。血統を維持するために一族内での婚姻を繰り返しているせいで虚弱な者が多い。そのためセルジュ殿下も華奢で線が細く、十五歳の成人を迎えても平民の子供たちに紛れてしまえるほどだ。それに比べて平民たちの健康的なこと。シグファリスも例外なく健やかに育っている。
 シグファリスと直接対面するのは久しぶりのことだったが、そろそろ僕の身長を超えそうで驚いた。兄としては悔しい反面、成長が喜ばしくもある。
 何かと煩わされたお忍びの視察だったが、僕としても思いがけず良い経験になったし、何よりシグファリスの話をたくさん聞けた。セルジュ殿下に感謝しなくてはな、と思いながら顔を上げると、セルジュ殿下はシグファリスからせしめた焼き菓子の包みを開けていた。おもむろに口にしようとするのを慌てて止める。
「殿下が召し上がるようなものではありません」
「そう? でも君の弟が作ったんだし、変なものは入っていないだろう?」
「それはそうですが、尊い御身に素人の作った菓子など――」
 やけに優しげに微笑むセルジュ殿下の表情を見て、僕は自分の失敗に気づいた。
「……弟ではありません、あれはただの平民です」
 まずそちらを否定するべきだったのに、シグファリスの可愛いさを浴びすぎたせいで気が緩んでいた。シグファリスはもちろん悪くない。油断した僕の失態だ。
「でもあの子、アリスティドお兄様って言ってたね」
 そう。咄嗟に「小公爵様」ではなく「アリスティドお兄様」という言葉が出るということは、普段から僕のことを兄だと思ってくれてるのかな――でもなく。馬車に乗り込む前に着替えを済ませたので、顔を覆い隠していたヴェールも脱いでしまっている。僕の鉄壁の表情筋よ、仕事の時間だ。
「ほんの少し話しただけだけれど、あの子が可愛がられて育っていることがよくわかったよ」
「まさか。厄介な平民です。今は仕方なく養育しておりますがそのうち放り出してやります」
「ふふ、そうか。その日が本当に来るとしたら僕が引き取らせてもらおう」
 セルジュ殿下が投げかけてくるからかいの言葉を仏頂面で受け流す。しばらく楽しげにくすくすと笑っていたセルジュ殿下だったが、不意に真顔になって僕に向き直った。
「――暗雲に光が差し、新たな風が吹いている。その風が、停滞を吹き払う嵐になるのではないかと私は期待している」
 王侯貴族特有の婉曲な言い回し。この「光」と「風」が何を現しているかによって受け答えも変わる。「光」はシグファリスのことを指していると思って間違いない。だが、暗にシグファリスの身柄をよこせと言っているにしては「停滞」という言葉に引っ掛かりを覚える。
「いや、ここには君と私の二人だけだ。迂遠な話し方はよそう」
 腹を割って話そうとするセルジュ殿下に、「何を言われようがシグファリスは渡さないぞ」と身構える。しかし僕は思い違いをしていた。
「本当は、瘴気がどこから湧いているのか、君も気がついているだろう?」
 ――瘴気。セルジュ殿下の口から発せられた言葉が信じられなくて、僕は思わず目を見開いた。
「それを、なぜ、私に問うのですか」
 無礼だとわかっていながらも、僕は質問を質問で返した。
 悪魔や魔物が放つ穢れである瘴気。瘴気は魔界から漏れ出しており、抵抗力を持たない平民を守るために貴族が浄化している――それがこの国の常識であり、この世界の共通認識でもある。
 確かに魔界から漏れ出ている瘴気も存在するが、量としては微々たるもので、わざわざ浄化しなくとも自然に消える。では平民たちを脅かす瘴気はどこから湧いているのか。
『緋閃のグランシャリオ』を読んだ僕は知っている。そして、上位貴族であれば、誰もが口にせずとも肌で感じている。
 ――魔素を魔力によって操作し、魔術として発動させる際に出る排出物。それが瘴気の正体なのだと。
 貴族社会において、魔術は日常的に使われる。生活に必要な補助魔術は排出される瘴気も微弱だが、それらが積もり積もれば平民に害が及ぶほどの量になる。
 簡単な魔術であれば排出される瘴気も少ないので、下位貴族の中で気づいている者はごく一部だろう。だが大量に魔素を消費する強大な魔術を行使できる上位貴族であれば話は別だ。強大な魔術を行使した跡には必ず大量の瘴気が発生するのだから。
 瘴気を祓い、平民を守っているからこそ、魔術師たちは貴族として君臨している。しかしその瘴気が魔術によって発生していると平民たちが知ったなら――おそらく暴動などでは済まないだろう。数で勝る平民たちが一斉に蜂起すれば鎮圧も容易ではない。他国を巻き込む形で戦争に発展し、現体制は崩壊してしまう。
 故に、魔術師たちはこの事実から目を逸らした。公然の秘密。普通の貴族であれば口にするだけで危険思想の持ち主として投獄される。王族であっても処罰は免れない。廃嫡されてもおかしくないというのに、それを対立派閥に属す僕に言うなんて。いくら非公式な場だからといって、あまりにも油断が過ぎる。自殺行為だ。
 唖然とする僕とは対照的に、セルジュ殿下は穏やかな口調で話を続けた。
「君がオーベルティエ公爵になってから、公爵領の瘴気が極端に減った。これは君が新たに生み出した戦術で魔物の討伐を行なった成果だと私は見ている」
 そう。僕は魔術を行使する際に消費する魔素量を抑える研究をしていた。もちろん保有魔素量が少ない自分のため。そしてそれをオーベルティエの魔術騎士団に習得させて戦術に組み込んだのは、瘴気の発生を抑えるためだ。
「単に魔素の節約です。魔物を効率よく討伐できれば余力を他へ回せる。それ以上の他意はありません」
「魔術偏重主義であった君の母上の方針とは乖離しているのだな」
「――前公爵と僕は、違いますので」
 母上の話を出されて一瞬言い淀む。
 派手に魔術を使って魔物を討伐することで力を誇示し、平民の崇敬を集める。母上はそのために必要以上に強大な魔術を惜しげもなく行使していた。そして残されるのは大量の瘴気。その瘴気に苦しみ喘ぐのは平民たち。瘴気を払うことで貴族はさらに尊ばれ――つまりはマッチポンプだ。
 僕とセルジュ殿下の間に沈黙が降りる。聞こえてくるのは馬の蹄の音と車輪が軋む音だけ。
 セルジュ殿下は眩しそうに窓の外を眺めながら口を開いた。
「光の加護は尊重するが、私は奇跡にしがみつくつもりはないよ。いつかは光の加護に頼らねばならぬほどの困難に直面する日が来るのかもしれないが、まずは王族として出来ることをしなければね」
 それほどシグファリスに固執しているわけではない。そう示しながらも、セルジュ殿下は強い意志を秘めた眼差しを僕に向けた。
「私は、この国を変えたい。貴族の出生数は年々減っていき、優れた魔術師ほど体が弱く、病で死に至る。魔術にばかり頼っていてはこの国は先細る一方だ。今までのように平民を蔑み、搾取していてはいけない。支配ではなく、手を取り合うこと。貴族と平民の垣根なく、優秀な者を登用していくこと。それがこれからの未来には必ず必要になってくる」
 僕はようやく気づいた。シグファリスとの顔合わせは口実に過ぎない。セルジュ殿下は、僕と話をするためにこの場を設けさせたのだ。
 想定外の出来事に衝撃を受けながらも、僕はあくまでそっけなく視線を逸らせた。
「王族が家臣に腹を晒すなど、感心できませんね。オーベルティエ公爵家の当主たる僕が平民に肩入れするはずがないでしょう」
「ふふ。でも僕は君たち兄弟が気に入ったよ」
 セルジュ殿下は何もかも見透かすような青い瞳に穏やかな光を湛え、今度は僕が止める間もなく焼き菓子を口にした。咀嚼しながら僕にも焼き菓子を差し出す。
 一目で素人が作ったとわかる不格好な代物だった。シグファリスが手伝ったという、平民のエリアーヌが作った焼き菓子。僕は逡巡したあげく、セルジュ殿下の手から焼き菓子を受け取って一息に口にした。
 ざくざくとした力強い食感の、栄養摂取を第一とした小麦粉と砂糖とバターの塊。上位貴族たる僕の口に合うはずもないが――陽だまりを食べたなら、きっとこんな味がするに違いない。
「案外美味しいものだね。歯が折れそうだけど」
「野蛮な平民にはこれがちょうどいいのでは?」
 なんだかんだ言いながら二人して焼き菓子の包みを空にして、微笑み合う。
 この日、鉄壁であるはずの僕の表情筋はまったく仕事をしなかった。

 セルジュ殿下が国王に即位すれば、身分差別は緩やかになっていくだろう。貴族による圧政が終わる。その先には身分制度の撤廃すらあるかもしれない。
 だが、それは夢だ。でもその夢の中でなら、僕は堂々とシグファリスの兄として振る舞える。
 ――結局は夢物語で終わってしまったのだけれど。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】弟を幸せにする唯一のルートを探すため、兄は何度も『やり直す』

バナナ男さん
BL
優秀な騎士の家系である伯爵家の【クレパス家】に生まれた<グレイ>は、容姿、実力、共に恵まれず、常に平均以上が取れない事から両親に冷たく扱われて育った。  そんなある日、父が気まぐれに手を出した娼婦が生んだ子供、腹違いの弟<ルーカス>が家にやってくる。 その生まれから弟は自分以上に両親にも使用人達にも冷たく扱われ、グレイは初めて『褒められる』という行為を知る。 それに恐怖を感じつつ、グレイはルーカスに接触を試みるも「金に困った事がないお坊ちゃんが!」と手酷く拒絶されてしまい……。   最初ツンツン、のちヤンデレ執着に変化する美形の弟✕平凡な兄です。兄弟、ヤンデレなので、地雷の方はご注意下さいm(__)m

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…

月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた… 転生したと気づいてそう思った。 今世は周りの人も優しく友達もできた。 それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。 前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。 前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。 しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。 俺はこの幸せをなくならせたくない。 そう思っていた…

悪役令息に転生したので、死亡フラグから逃れます!

伊月乃鏡
BL
超覇権BLゲームに転生したのは──ゲーム本編のシナリオライター!? その場のテンションで酷い死に方をさせていた悪役令息に転生したので、かつての自分を恨みつつ死亡フラグをへし折ることにした主人公。 創造者知識を総動員してどうにか人生を乗り切っていくが、なんだかこれ、ゲーム本編とはズレていってる……? ヤンデレ攻略対象に成長する弟(兄のことがとても嫌い)を健全に、大切に育てることを目下の目標にして見るも、あれ? 様子がおかしいような……? 女好きの第二王子まで構ってくるようになって、どうしろっていうんだよただの悪役に! ──とにかく、死亡フラグを回避して脱・公爵求む追放! 家から出て自由に旅するんだ! ※ 一日三話更新を目指して頑張ります 忙しい時は一話更新になります。ご容赦を……

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?

詩河とんぼ
BL
 前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

処理中です...