死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

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五章

46 遺跡

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 二人旅はそれから更に十日ほど続いた。
 もはや人の領域ではない。動植物や魔物たちだけが生息している辺鄙な土地。さえずる鳥も野辺に咲く花も、初めて見る種ばかりだ。おそらく国境を越えたのではないだろうか。
 緑深く、馬を疾走させられる道もない。生い茂る藪の中、シグファリスは馬を並足で進ませ、やがて湖のほとりで足を止めた。
 馬上から岩場に下ろされて、周囲の様子を伺う。
 静かだった。岩山がそびえ、透き通る湖面には晴れ渡った空が映り込み、時折風が吹いて細波を立てる。人であればさぞ気持ちの良い場所なのだろうが、悪魔の僕には不快だった。
 日差しから逃げるようにうつむくと、足元の岩場が人工物であることに気がつく。朽ちてしまってわかりにくいが、明らかに柱として加工された痕跡が残っていた。
 湖のほとりにそびえているのは岩山ではない。遺跡だ。
「ここは……」
 ここは一体どこなのだ。そう問おうとして顔を上げると、遠ざかっていくシグファリスの背中が見えた。
「お、おい。どこへ行く」
 首輪から繋がった長い鎖は、今は解かれている。無警戒に僕を置いて遺跡の方に進んでいくシグファリスの後を追う。蔓性の植物で影になっていた亀裂に体を滑り込ませるシグファリスに倣って、僕も遺跡の中へと足を踏み入れた。
 風化していた外とは違い、中は過去の痕跡をとどめていた。様式からして、おそらくは千年以上昔の遺跡だろう。床は平らに削られた石が敷き詰められ、円柱が並んでいた。
 天井はかなり昔に崩落していて、陽の光が差し込んでいる。半ば植物に侵食され、日陰は苔むしている。それでもなお、美しい場所だった。神聖な気配に満ち溢れ、まるでシグファリスが寝室に張った結界の中にいるような居心地の悪さを感じる。
 当然ながら初めて訪れた場所なのに、なぜか見覚えがあるような気がする。周囲の様子を伺う僕とは真逆に、シグファリスは迷いなく遺跡の奥へ奥へと進んでいく。
「いい加減にしろ! ここはどこだ! 何のつもりで僕をここまで連れてきた! 目的は何だ!」
 押し黙ったままのシグファリスに痺れを切らして、大きな背中に向かって喚く。僕の金切り声が遺跡にこだまする。足を止めたシグファリスは、反響音が止んでからゆっくりと僕を振り返った。
「……ここは、かつて神が降臨し、人との間に子を成したという伝説が残る古代の遺跡、らしい。ガキの頃の俺は、ここで修行していた」
 あ、と声を出しそうになる。遺跡に何となく既視感があったのは、『緋閃のグランシャリオ』の挿絵で見たからだ。
 犯罪者の汚名を着せられてお尋ね者になったシグファリスは、追手の目をかいくぐり、泥水を啜りながら辺境へと逃げ延びる。ようやく見つけた、人目のない落ち着けられる場所が、偶然にも光の加護に縁の深いこの遺跡だった。
「ここは不思議と俺の力が強くなる。魔物も入り込んでこない」
 だからこそ幼いシグファリスは生き延びることができたのだ。ディシフェルもしばらくはシグファリスの足取りを掴めずにいたほどだ。
「それがどうした。ここで僕を殺すつもりか?」
 シグファリスがゆっくりと歩み寄る。光の刺す場所から、僕が佇んでいる日陰へ。手を伸ばせば届く距離まで接近して、僕の顔をまじまじと眺めてから、シグファリスは口を開いた。
「お前を人間に戻す」
「――――は?」
 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
 僕を、人間に戻す、なんて。なんの冗談だ。だがシグファリスはいたって真面目な顔をしていた。
「貴様は馬鹿か? そんなことできるはずないだろうが」
「人間を悪魔にできるんだから、悪魔を人間にする方法があってもおかしくない」
「不可能だ、根本的に違う。僕の人間としての肉体はとうに滅びている。たとえ奇跡が起ころうが、僕が人間に戻ることはない」
「奇跡に頼ろうなんて思ってねえよ」
 シグファリスが両腕で僕の肩を掴む。シグファリスの顔が間近に迫る。
「光の加護が奇跡を起こすわけじゃない。大切なのは、力を使う者の意志だと――俺にそう教えたのは、お前だろ」
 そう語るシグファリスの眼差しがあまりにも真摯で。僕は抵抗も忘れて、シグファリスの金色の瞳にただ見入ってしまった。
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