死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

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五章

52 黒幕

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「――っ!」
 シグファリスが僕を抱いたまま飛び退る。僕たちがいた場所に漆黒の矢が降り注ぎ、湖面を裂いて飛沫をあげる。僕はシグファリスに庇われたまま、月明かりに光る飛沫越しに、魔術が放たれた軌跡をトレースする。術者の位置は森の奥。やがて樹木の影から、ゆらりと人影が現れた。
「あれ、は……!」
 距離があっても、その面立ちははっきりと分かった。かつての僕と同じ銀髪が風に揺れる。
 見たものが信じられない。そんなはずはない。
 叔父は、ベルトランは死んだはずだ。
 悪魔信仰に傾倒し、僕をディシフェルの器として差し出したベルトラン。魔王としての力を取り戻したディシフェルに用済みとばかりに殺された。そのベルトランが、よろよろと近づいてくる。
「お、おお……あり、す、……アリ、スティド……ぉおお……」
 ずるずると体を引きずりながら。苦悶に表情を歪めて。
「ごぶっ……」
 下手な操り人形のように時折体を痙攣させ、血を吐き、僕を見ている。
「ベルトラン……いや……違う、貴様は」
 この醜悪な気配は。僕を支配していた悪魔。
「ディシフェル……!」
 僕が叫ぶと、苦悶に歪んだ表情のまま、ディシフェルは高笑いした。大きく開いた口からはごぽりと血が溢れる。
「あ゛はっ、ははははっ、どうも、いかんな。不完全な体では」
 ベルトランの体は、崩れかけては魔術で再生される。苦痛を伴うのか、表情が歪む。だが、僕に語りかけるディシフェルの声は歌うようになめらかだ。
「力を持たぬ、美しいだけの人形よ。せめて私の器として役立てばいいものを……おかげで、こんな不完全な体で、顕現せねばならなくなったではないか。この私が、世界を統べる王に゛――っ!」
 僕を片手に抱きしめたまま、シグファリスが放った魔術がディシフェルの右腕に命中する。右腕を跳ね飛ばされたディシフェルは、それよりも長長舌を邪魔されたことに不快に思ったようだった。ベルトランの瞳がぐるりと周り、シグファリスを睨め付ける。
「――相も変わらず、忌々しい小僧だな」
「突然湧いて出てきてうるせえな。アリスティド兄様を口説いてんのに邪魔すんな殺す」
「ああ、美しき私の器よ。悪魔の姿に変じても小僧を誘惑するとは、売女としての才能だけはあったということか」
「はあ? アリスティド兄様を愚弄してんじゃねえよ死にぞこないが」
 僕よりも先にシグファリスが激昂する。放たれた光の矢によってベルトランの体があっさりと崩れるが、すぐに再生する。間髪入れずに放たれたディシフェルの魔術を、シグファリスが放った魔術で相殺していく。
 激しい応酬が始まる。そのさなか、僕はただシグファリスに守られるだけで、身動きできなかった。
 ベルトランの胸元に昏く輝いているのは、ディシフェルの力を封じた宝玉。ベルトランが自分の体をスペアとして用意していたことは、僕も知らなかった。
 僕の体を操っていたディシフェルは、力の一部を封じた宝玉を媒体として魔界から顕現していた。その宝玉が砕かれたことで僕を器にすることができなくなり、魔界に再び封じられたのだと思っていた。
 だが、ディシフェルは僕の体を失った後、ベルトランの死体の中に潜んでいた。僕とシグファリスを監視しながら力を取り戻す機会を伺い、そしてシグファリスが僕に魔素を分け与え、力の大半を消費した今、姿を現した。
 ――僕の失態だ。ディシフェルの力を侮り、奴の気配が身近にあったことにすら気づけなかった。
「おらっ! 死ね!」
 シグファリスが魔術を放つ。光の加護は魔法陣も詠唱もいらない無類の力。激しい閃光に打たれたベルトランの肉体が崩れ落ち、すぐさま再生する。その間、絶え間なく絶叫が――ベルトランの声が聞こえてくる。
「ごぎゃっ、がふっ、あがあっ……! あり、す……! おぁあ……あり、スティド……助けッ! ぎゃああっ!」
 苦悶に喘ぎながら僕に助けを請う声に、耳を塞ぎたくなる。
 あれはベルトランではない。魂はとっくに喰われている。ただの抜け殻だ。悪魔にとって人間など玩具に等しい。殺されて屍になってもなお弄ばれる。ディシフェルは、僕に身内の凄惨な姿を見せつけて嘲笑っているだけだ。そうわかっていても、僕はベルトランの体が崩れていく様から目が離せなかった。
 だが、シグファリスは違った。背後に迫った気配に気づき、僕を抱えたまま湖面を蹴った。
「――ッ!」
 すぐそばに魔物が迫っていた。シグファリスは腰に佩ていた双剣の片割れを抜刀し、そのままの勢いで魔物を切り裂いた。
 狼に似た姿をした、ディシフェルの配下の魔物たちが、既に湖を取り囲んでいる。ディシフェルがあえて苦しむような声をあげていたのは僕の注意を逸らすためだったのだろう。
 シグファリスは光の矢を放って魔狼を蹴散らし、放射を掻い潜ってきたものを容赦なく切り裂いた。
 シグファリスが魔物たちの相手をしている隙に、ディシフェルは魔法陣の構築を開始する。
「忌まわしい羽虫よ。哀れな人形よ。貴様らに死という慈悲を与えてやろう。この世界の王として君臨する私の踏み台になれることを感謝しながら死ぬがいい」
 ディシフェルが両手を広げる。湖面が細波を立てる。神聖な大気が押しやられ、闇の気配が膨れ上がる。夜は魔物の領域だ。光の加護があっても劣勢を強いられる。
 ――シグファリスだけでも逃さなければ。
 シグファリスが防戦一方で攻勢に転じられないのは、明らかに僕を庇っているせいだった。シグファリス一人なら逃げられるのに、僕が足手纏いになっている。
 シグファリスの仲間も僕たちを追跡してきているはずだ。ディシフェルがこれだけの数の魔物を召喚したのだ。異質な気配を察知して、今頃はこちらに急行しているに違いない。シグファリスが後退して、仲間と合流するだけの時間を僕が稼げば、ディシフェルに勝てる。
「貴様は逃げろ、ここは私が――」
「アリスティド兄様! よくわかんねえけどあいつが全部悪いってことだよな!?」
 僕の言葉を遮って、シグファリスが魔狼を切り裂きながら叫ぶ。
 一瞬かち合った金色の瞳は好戦的に輝いていた。
「い、いや、それはそうだが、僕にも責任が」
「よし! アリスティド兄様、一緒にあいつ殺そう!」
 浮かべているのは、晴々とした笑顔。物騒なことを口にしているのに、まるで「一緒に遊ぼう」と誘う無邪気な子供のようで。
 シグファリスは希望を捨てない。絶望の底に幾度落されても、決して諦めない。這い上がる道を見つけ、何度でも希望を抱く。前世でも、そんなシグファリスに惹かれた。どれほど勇気づけられただろう。そして今も。
「――そうだな。逃げるなど、この僕に相応しくない」
 僕は取り落とした双剣の片割れを拾い上げ、シグファリスに向けて口の端を釣り上げた。
「シグファリス。僕を愛しているなどと寝言をのたまうのなら、僕のために奴の首をはねてみせるぐらいのことはしてくれるのだろうな」
「――ああ! あんな奴の首、いくらでもぶった斬ってやる」
 こんな窮地なのに、顔を輝かせるシグファリスに笑ってしまう。勝機はあると信じさせてくれる笑顔だ。
 そんな僕たちに、ディシフェルは右手を空に向けてかざした。
「弱き者に慈悲深き死を。愚か者に甘美なる苦痛を」 
 うねりと化した闇が、僕たちめがけて迸った。
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