死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

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エピローグ

59 聖者

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 荒廃した大地に砂塵が舞う。
 ルミエ王国の西側は肥沃な農業地帯だったのだが、魔王アリスティドが巻き起こした戦乱のために瘴気で汚染され、今や雑草すら生えない死に絶えた土地となっていた。
 それでも他に行くあてもない少数の人々は歯を食いしばって暮らしを繋いでいた。魔王は勇者によって滅ぼされたが、辺境は戦争被害から立ち直れないまま。
 ただただ渇き飢えていた人々の前に現れたのは、二人の旅人だった。
 そのうちの一人は、かつての勇者を彷彿とさせる赤髪と金色の瞳を持つ青年だった。
 特徴が似ていても勇者であるはずがない。
 ――勇者シグファリスは魔王アリスティドと相打ちになり、命を落としたのだから。
 勇者シグファリスの活躍は辺境の地にも伝わり、誰もが深い感謝を捧げ、その死を悼んだ。
 そしてもう一人。小柄な細身の人物は、頭からすっぽりとヴェールを被っていた。服装からして女性かと思われたが、顔を覗き込もうとして迂闊に近づいた村人は「アリスに近づいてんじゃねえよ殺すぞ」と赤髪の青年に威嚇されて腰を抜かした。だが魔獣のごとき威圧感を放っていた赤髪の青年は、小柄な人物にただ一言「めっ」と叱られただけでおとなしくなった。
 どうやら主従関係にあるらしい不思議な二人組は、このような辺境の地に何用かと訝しむ村人たちに構うことなく、もっとも瘴気の濃い地域へと足を進めた。
 奇跡は瞬きをする間に訪れた。
 暴風と共に現れたのは光り輝く竜巻。立ち込めていた瘴気が一瞬で吸い上げられ、風がおさまる頃には清浄な空気が大地を包んでいた。
 もう数ヶ月音沙汰のなかった慈雨が降り注ぐ。大地が清らかになったことを祝福するかのように、空には虹の橋がかかった。
 これが噂に聞く瘴気祓か。ならば、彼らは聖光教の聖職者であるに違いない。
 だが彼らはお布施を要求するどころか、名を名乗ることもせず、村人たちの謝辞だけを得て村を去っていった。

 §

「それで王都は今、辺境に現れる聖者の噂でもちきりなんですよ」
「聖者とは、また大仰な……」
 僕はマリーのきらきらとした無垢な眼差しに耐えられずにうつむいた。
 ここは王都から馬車で半月ほどかかる土地。かつて花の都と謳われていた街、エグランティーヌ。この街も例外なく戦争被害に遭っていたが、復興が進み、かつての賑わいを取り戻しつつある。
 そんな街の片隅にある宿の食堂で。僕とシグファリスは客人を迎えていた。
 僕の隣にはシグファリス。テーブルを挟んで向かい側に座ったマリーは花が咲くように笑った。
「アリスティド様はともかく、シグファリスが聖者って笑っちゃうけど」
「知らねえよ俺は……それより、名前。気をつけてくれよ」
「あ。そうだった、ごめんなさい」
 マリーは口に手を当てて周囲に視線を走らせた。食堂は賑わっており、僕たちを気にしている様子を見せる者はいなかった。
 ディシフェルとの最後の決戦から、おおよそ半年の月日が流れていた。今の僕はアリスティドではなく、アリス。シグファリスはシグと名乗っている。
 ジュリアンが発案した通り、勇者と魔王は死んだことになった。魔王が辺境の遺跡で復活を遂げ、それを追いかけた勇者一行が再び倒したのだが、勇者と魔王は相打ちになった――という筋書きだ。
 勇者を失った人々は大いに狼狽えたが、かえって結束が高まった。もし今再び魔王が蘇ったら? 魔物の軍勢が攻め込んできたら? もう勇者には頼れないのだから、自分たちでなんとかするしかない。人間同士で争っている余裕はなかった。
 ひとまず内乱の危機は避けられた。
 ――勇者がいるから甘えてるんでしょ、みんな。シグファリスだって勇者として祭り上げられるのをずっと嫌がってたし、アリスティド様といっしょにいたいんでしょ? ならもう二人とも死んだことにしたらいいんだよ。
 結果的にジュリアンが言った通りになったというわけだ。
 今はフロレンツが中心となって新生ルミエ王国をまとめている。貴族議会の他に平民議会を発足させ、立憲君主制国家としてようやく一歩を踏み出しつつあるそうだ。セルジュ陛下の――まだ王太子だった頃に語っていた彼の理想が、実現しつつある。
 とはいえ国政はまだまだ不安定な状態。フロレンツは王都から離れられない。ジュリアンは最後まで同行すると粘ったそうだが、フロレンツに全力で止められたそうだ。
 ジュリアンは悪魔の知識を持つ僕を崇拝している節がある。勇者の仲間に加わり協力したことで不問にされていたが、元は研究のため悪魔の力に手を伸ばした危険人物である。彼には王国中央で復興と今後の繁栄のため貢献してほしい。
 鍛治師のカグヤは、ある日書き置きを残してふらりと王国を後にしたのだという。彼女は根っからの風来坊。旅を続けるうちにどこかでまた会う時が来るかもしれない。
 一方、僕とシグファリスは正体を隠し、瘴気を浄化するために各地を旅していた。自らが撒き散らした災禍を摘んでいるだけのことなのだが、まさか聖者と呼ばれるようになっていたとは思わなかった。
 敬意の込められたマリーの眼差しが胸に刺さる。僕はマリーに対して後ろめたい気持ちがあるので、余計にそう感じられるのかもしれない。
 マリーはシグファリスが死んだと聞かされて以来、初めて顔を合わせる。実は生きていると打ち明けられたときには自分一人だけ蚊帳の外であったことに憤ったが、すぐに「まあ私じゃ顔に出ちゃって、すぐみんなにばれてたと思うから仕方ないや」と納得したそうだ。
 仲間たちの近況を一通り聞き終えてから、シグファリスはため息をついてもうひとりの客人に目を向けた。
「そんでおっさん、さっきから石化したままだけど生きてるか?」
「おっさんではないわ!」
 トリスタンはおっさん呼ばわりに怒りはしたが、その勢いは長く続かなかった。
「それでな……二人が元気でよかったのだが……まあ……私たちも、だな……その……まあ、なんだ……」
 トリスタンは再び口篭ってしまう。そんなトリスタンをマリーは和やかに見守っている。
 シグファリスはいい加減にしびれを切らした様子で再びため息をついた。
「マリーと結婚するってんなら、俺はマリーの兄みたいなもんだからな。マリーを泣かせたら指を切り落としてやるから覚悟の上で大切にしろ」
「ンハァッ!? なぜわかった!?」
「頬を染めてマリーの方をチラチラ見ながらモジモジしてりゃ俺にだってわかる。あとマリーがおっさんを見る目が優しい」
 僕も薄々は勘付いていた。しかしいざ言葉にされてみると衝撃的だった。
 マリーは照れくさそうに微笑んだ。
「えへへ……私にも春が来たみたい」
「そりゃよかった。おめでとう」
「ありがとう、シグ。あと私の方がお姉さんだからね?」
「はいはい、お姉様。幸せになれよ」
 そっけないながらも温かみのこもったシグファリスの言葉に、マリーとトリスタンは視線を交わし合ってはにかんだ。
 和やかな空気から僕だけが取り残される。
「その……水を差すつもりではないのだが、本当に二人は……?」
「あっ、はい! 私、トリスタンさんのこと前からかわいいなって思ってたんですけど、シグが死んでしまってしょんぼりしているトリスタンさんを見てたら放って置けなくなっちゃって……」
 年上の、どちらかといえば厳しい顔のトリスタンをあっさりと「かわいい」と言ってのけるマリーを、ついまじまじと見つめてしまう。そんな設定、小説にはなかったのだが。
「思い返すとおかしいですよね、本当はシグは生きてるって知ってたトリスタンさんが落ち込んでて、私の方が『シグがただで死ぬはずない、実は生きてて、どこかで元気に暮らしてますよ』なんて言って励ましてたんだから」
 そうして励ましている間に恋仲になったそうだ。
 トリスタンはマリーに支えられながらフロレンツを手伝い、最近ようやく個人的な時間を取れるようになったのだという。一区切りついたと判断し、マリーにシグファリスが実は生きていると打ち明けた。
 それから何度か魔術で書簡を交わし、ちょうど僕たちのいた辺境と王都の中間地点であるこの街で顔を合わせることになった。
 仲間達から事情を聞いたマリーは、単純に僕のことを「悪魔の被害を受けた人」と認識したらしい。ありがたいが申し訳なさが勝る。彼女の両親が亡くなったのは僕のせいなのに。僕自身には何の遺恨もないどころか、笑顔まで向けて親しげにしてくれている。
 痛む胸をそっと押さえる僕に、トリスタンが頭を下げた。
「シグファ……シグの元気な顔を見れて良かった。それに、アリス殿のことも……。フロレンツは最後まで厳しい意見を覆さなかったが、あれが自分の役割だと思っている節がある。大目に見てやっていただきたい」
「頭を下げる必要はない」
 むしろ謝らなくてはいけないのは僕だ。フロレンツはあえて憎まれ役を引き受けたのだろう。トリスタン自身もまだ僕に遺恨があってもおかしくはない。それでもトリスタンは僕に少しの敵意も見せることなく、言葉を続けた。
「私はずっとあの決断を後悔していた。一番の功労者であるシグにばかり苦労をさせたあげく、存在すら抹消して、自分たちばかりのうのうと栄誉を戴き、平和を甘受するのはいかがなものかと。……お前に何一つ報いてやることができなかった」
 トリスタンは手元を見つめながら苦悩を打ち明けた。普段は厳しい目元が潤んでいる。
 だが、と前置きして、トリスタンは顔を上げる。僕とシグファリスの顔を見て、眩しいものを見つめるように目を細めた。
「お前はそんな顔で笑えたんだな」
 俺、笑ってるか? と言いながらシグファリスは僕の顔を見る。特に愛想良くしているわけではないが、穏やかな表情だった。復讐でがんじがらめになっていた勇者はもういない。光の下で生きるひとりの青年の姿がそこにはあった。
「本当に……本当に、良がっだ……うぅ……」
 感極まり、嗚咽をあげて泣き出したトリスタンをマリーが慰める。シグファリスは面倒くさそうな顔をしてはいたが、流石にからかうことはしなかった。
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