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第16話 一方そのころ、王国では②
しおりを挟む王国の主要街道。
本来であれば、交易馬車が行き交い、人の気配が途切れることのない道だ。
だが今は違う。
道の脇には、魔獣の死体がいくつも転がっていた。いずれも鋭い斬撃で急所を断たれた痕があり、討伐からそれほど時間が経っていないことが見て取れる。血はまだ乾ききっていない。
原因は明白だった。
王国全体を覆っていた結界に、わずかな乱れが生じている。本来、街道に近づくことのない魔獣が、境界を越えて現れ始めていたのだ。
白銀の鎧をまとった騎士が、その街道を馬で進んでいた。
その右手には、まだ血の名残を帯びた剣がある。乾ききらない赤が刃の溝に残り、彼は布で静かに拭っていた。
ルシアン・ヴェイル。
アルマティア王国近衛騎士団、その筆頭である。
王命を受け、極秘裏に辺境へ向かっている最中だった。
表向きの任務は、結界異変の確認と対処。
だが、彼自身が胸に抱いている目的は、ただ一つ。
(マール様……どうか、無事で……)
辺境伯家に預けられた幼い王女。
その安否を、自分の目で確かめるために、ルシアンは馬を走らせている。
――その途中で。
(これで……何体目だ)
街道に倒れている魔獣を思い返し、ルシアンは小さく息を吐いた。いずれも、ここへ来るまでに自分の剣で斬り伏せたものだ。
「た、助けてくれ!」
街道の先で、馬車が横転しかけていた。
周囲を囲むのは、二体のイノシシ型魔獣。
結界の外縁に近い地域でなければ、まず見かけない種類だ。
ルシアンは、ためらわず馬を下りた。
「下がってください」
短く告げ、剣を抜く。
動きに無駄はない。
一撃目で間合いを詰め、二撃目で急所を断つ。
派手な技は使わない。
だが、確実に命を奪い、守るべきものを守る剣だった。
ほどなく、魔獣は地に伏した。
「助かった……」
商人たちが、へたり込む。
次の瞬間、感謝の声が一斉に上がった。
「騎士様が来てくれたんだ!」
「神様は、俺たちを見捨てていなかった……!」
ルシアンは、深く一礼する。
「怪我はないようで何よりです。では、僕はこれで」
そう言って立ち去ろうとしたが、簡単にはいかなかった。
「待ってください、これを!」
「水だけでも飲んでいって!」
気がつけば、人が集まっている。
手当を申し出る者。
食事を差し出す者。
中には、同行を申し出る若い女性の姿もあった。
ルシアンは、一人一人に応じてしまう。
生真面目な彼は無下に断ることができない性格だった。
(……時間が、惜しい)
そう思いながらも、背を向けることはできない。
街道を進むたび、同じことが繰り返された。
魔獣を討ち。
感謝され。
噂が広がる。
「白銀の騎士が、各地を救っているらしい」
「国のために戦っているんだって」
ルシアンを称賛する声は広がっていく。
だが彼が考えているのは、ただ一つだった。
(今は一刻も早く……マール様のもとへ)
王都を出発してから、一週間ほどが過ぎた。
街道から少し外れた、小さな村の外れ。
ルシアンは、悲鳴に近い声を聞いて馬を止めた。
「いや……こないで……!」
声の先には、醜いゴブリンに追い立てられている少女がいた。
年の頃は十ほど。
足をもつれさせ、転びそうになりながら必死に逃げている。
またか、とは思わない。
ルシアンが剣を取るのは国のため。たしかにマールが第一だが、民を救うことに迷いはないのだ。国王が彼に信を置いている最大の理由がそこだ。
次の瞬間、思考するよりも早くルシアンは地を蹴っていた。
剣閃が走る。
ゴブリンの喉元を断ち、勢いのまま胴を斬り裂く。
倒れる音は一つだけだった。
「……だいじょうぶですか」
少女は、その場にへたり込んだまま、何度も頷いた。ぽぉ、と顔を真っ赤にしたまま。憧れの人を見るかのように、ルシアンの顔を見上げていた。
村は、結界の弱体化の影響を強く受けていた。簡素な柵は壊れ、家々には補修の跡が目立つ。
「父が……ゴブリンに……」
案内された家で、ルシアンは負傷した男を確認する。致命傷ではない。その場で応急処置を施し、村人たちに後を託した。
「できる限り早く、王都方面に逃げてください。僕の名前を出せば、領主が最低限の援助をしてくれるはずですから」
そう告げ、さらさらと手紙を書いて渡してやった。
呆気にとられる村人を残し、踵を返そうとしたときだった。
「ま、待って!」
少女が、慌てて駆け寄ってくる。
その手には、木彫りの仮面があった。
角の生えた、鬼の面。
粗末だが、丁寧に作られている。
「これ……持っていって」
ルシアンは戸惑い、言葉を失う。
「魔よけのお面なの。これをつけてると、変な人が近づいてこないんだって」
「……どうして僕に?」
「だって騎士さま……優しすぎるから。たまには一人になりたいときもあるかなって」
一瞬、返そうとした手が止まる。
「……ありがとうございます」
ルシアンは、仮面を受け取った。
それから。
彼は鬼の仮面をつけて、街道を進むようになった。
結果は、明白だった。
声をかけられなくなる。
人々が距離を取る。
道を譲り、目を逸らす。
進む速度は、目に見えて回復した。
(これはあの少女に感謝しなければいけませんね……)
だが、ルシアンは気づいていなかった。
鬼の仮面。
血の付いた剣。
言葉を発することなく、立ち去る騎士。
その姿は、強烈な印象だけを残していく。
噂は、事実とは異なる形で広がっていった。
「鬼に堕ちた魔人がいるらしい」
「家族を殺した魔獣を狩り続けてるんだって」
「かわいそうに……」
「人には、まったく心を開かないらしいぞ」
王都でも、地方都市でも。
結界の不調と魔獣被害の話題に、必ず「鬼仮面の騎士」の名が添えられるようになる。
だがルシアンは、それを知らない。
ただ、馬を進める。
遠くに見える、辺境の方角を見据えながら。
(必ず辿り着く。マール様のもとへ)
その背に向けて、“鬼仮面の騎士”という名だけが、王国中――いや、隣の龍神国まで先回りしていくのだった。
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