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第8話 掴んだ影
しおりを挟む突如天井から降ってきた黒くて巨大な兎が、王子を瞬く間に一刀両断してしまった。驚くべきは二メートルを超える巨体だというのに、音もなく現れたということだ。恐ろしく俊敏で、気配を消す術に長けているらしい。
「う、うえぇ……」
「大丈夫か、シオン」
本来ならグロ表現が無いはずのRPGにかかわらず、怪異の影響でジェイク王子は血塗れとなっていた。あまりの惨状にショックを受けてしまった彼女は、その場でうずくまってしまう。
「あれが守護獣アルミラージか……普通に戦ったんじゃ勝てそうにねーな」
現実世界のアルミラージといえば、額に一本角の生えた神獣だったはず。だが今のこれは、人を殺す首狩り兎といったところだろう。
「タクミ君、あいつは俺が引き付ける。君はその間に彼女たちを連れて隠れていてくれ」
「えっ!? でもそれじゃあトオルさんが……」
「俺なら大丈夫だ。だから早く行け」
さすがのトオルも、先ほどまでのふざけた態度は消えていた。タクミは彼一人を残すのは心配だったが、有無を言わせない空気を察して指示に従うことにした。
「すみません、トオルさん。すぐに助けに戻りますから!」
「気にするなって」
タクミたちは急いで階段を下りていった。
それを確認してからトオルは静かに深呼吸する。
「さぁてと、いっちょやってみるか」
トオルはその場で屈伸してから、手の指をポキポキと鳴らす。
さっきの王子が殺られたシーン。トオルの優れた動体視力でも、捉えることはできなかった。
「(とはいえ、強敵相手でも俺は負けるつもりは無いケドね)」
この化け物に勝てば、また視聴者数は増やせるはず。トオルは密かにほくそ笑んだ。
「さぁかかってこい! この俺が相手に……って早っ!?」
ヴォーパルバニーはトオルの呼びかけなど無視し、猛然と突進してきた。
「ちっ、こっちの話なんか聞く気もないか」
トオルは咄嵯に回避行動を試みる。だがアルミラージの動きはそれよりも早く、鋭利な爪が彼を貫いた。
「トオルさんっ!」
階段から戻ってきたタクミがその瞬間を見てしまい、悲鳴に近い叫び声を上げた。
見間違いだと思いたかったが、ヴォーパルバニーの細く長い爪がトオルの背中から無情にも生えていた。
やはり彼を一人残すべきじゃなかった。後悔と自分の無力さにタクミは唇を噛む。
「タクミ……くん」
「トオルさん! 今すぐ回復薬を……!」
タクミはトオルを助けようとに前に出ると同時に、インベントリから素早くポーションを取り出した。
だがその前に第二撃がトオルの首を通り過ぎる。王子の首が飛んだ光景がフラッシュバックし、タクミは思わず目を瞑った。
「ふぅ……危ねぇあぶねぇ。さすがに死ぬかと思ったぜ」
「へ?」
死んだと思われた人物の声が背後から聞こえた。振り返ると、そこにはトオルが「ふぃー」と腕で額の汗を拭いていた。
「え? あ、あれ?」
予想外すぎる展開に呆けるタクミ。もう一度前を向くと、ヴォーパルバニーが一心不乱に何度もトオルに斬撃を加えているところだった。だけど彼は自分の後ろにもいる。
何がどうなっているのか分からず、つい間抜けな声が出てしまった。
「いやぁ~、まさかあんなに早いとは思わなかったわ」
「あの……トオルさん? これはいったい?」
そう、トオルは生きていたのだ。それも傷一つ負ってなどいなかった。
「ん? ああ、アレは俺の残像みたいなモンなんだ」
「……はい?」
「いやー、備えあれば患いなしってやつだな。前もって仕込んでおいて良かったぜ」
タクミはトオルが何を言っているのか理解できなかった。彼は忍者か何かだったのか?
「んなことより、どうして戻ってきたんだ? そのまま逃げとけば良かったのに」
「そんなことできるわけないでしょう!?」
タクミはトオルを庇うように両手を広げ、彼の前に立った。
「あなたは俺にとってのヒーローなんです。小さい頃から配信を見て、いつか自分もあんな楽しそうにゲームをプレイしてみたいって憧れて……そんな人物が目の前で、命を懸けて戦ってるんですよ? 俺も何か役に立ちたいんです!」
「タクミ……」
ここまで自分を想ってくれるとは思っておらず、トオルはジーンと感動した様子でタクミを見た。
「ありがとう、お前の気持ちはよく分かったよ。でも助けは本当に不要なんだ」
「トオルさん、俺は本気なんです!」
「まぁ、いいからいいから」
詰め寄ってくるタクミを受け流しながら、今もトオル(?)に攻撃を加えているヴォーパルバニーの元へスタスタと歩いていく。その後を慌てててタクミが追いかける。
「あのぅ……それでコイツはどうしちゃったんですか? もしかしてまたバグ技を?」
「あ、やっぱバレちゃった?」
トオルはいたずらっ子のようにペロリと舌を出した。
ヴォーパルバニーはいくら攻撃しても死なないトマト頭の男に夢中になっていて、傍に近寄っている彼らには一向に気付かない。
「俺としても賭けだったんだけどな。セーフティポイントの継続バグが上手くハマったみたいだ」
ヴォーパルバニーの繰り出す攻撃は、どれも必中の即死技。本来ならば一撃でトオルは死んでいたはずだった。
だが彼はバグ技を使うことで、自身の分身を作り出した。正確に言えば、自分の居る次元をずらしてその場に残り続けているかのように見せかけている。
「セーフティポイントの仕組みってどうなっているか、タクミは知ってるか?」
「仕組み? いえ、分かりません……」
「まぁ普通にプレイしてたらそうだよなー」
このゲームにおいてセーフティポイントは座標が指定してある。その座標にいるかぎり、プレイヤーはモンスターに襲われることもなく、セーブや回復といった行為をすることができるようになっていた。
「実はこの座標、プレイヤーが歩いたり走ったりすることで変わるんだよ」
「えっ? ちょ、ちょっと待ってください。それじゃあトオルさんが俺に負ぶさっていたのってもしや……」
「そういうこと。俺が足をつけたあの場所は、ゲームの内部的にはセーフティポイントになってたってワケ」
そこへトオルはセーフティポイントのみで使える転移魔石を使用した。これは同ダンジョン内で行ったことのあるセーフティポイント間を移動できるという使い捨てのアイテムだ。
つまりトオルはヴォーパルバニーの攻撃を喰らう前に、このアイテムを使って先ほどのセーフティポイントへと転移していた。そして何事もなかったかのように、ここへと戻ってきたのだ。
通常ならありえない挙動でバグが生まれ、あたかもトオルがその場に残っているかのような現象が起きてしまった。
「さすがの俺でも、あの化け物の一撃をまともに受けたらタダじゃ済まない。だから事前にこうやって、安全圏に避難させておいたって訳」
「そ、そうだったんですか」
タクミは開いた口が塞がらなかった。昔から規格外のプレイをする人だとは思っていたが、今はその行為に磨きがかかっているようにも思えた。
「じゃあヴォーパルバニーの異常行動は?」
「モンスターは攻撃モーションに入ると、その動作が終わるまで次の行動ができないんだ。でも命中は絶対にしないから、エンドレスに同じ行動をし続ける」
ゲームの設定上、一度ターゲティングすると当たるまで同じ行動を続けるようになっている。変異したヴォーパルバニーも例外に漏れず、その制約に縛られてしまっていた。
トオルが自らあの爪に当たりにでもいかない限り、ヴォーパルバニーはいつまでも今のままだということだ。
「でもこのままでは、勝つこともできないのでは……?」
「それに関しても、ちょっと考えがあるんだ」
そう言うと、トオルは物陰に隠れていたシオンを呼び戻す。
「なぁ、魔法でコイツのステータスを見ることってできるか?」
「うん、できるけど……」
「じゃあ頼む」
「わ、わかったわ」
シオンは杖をかざして呪文を唱えた。
すると空中にウィンドウが現れ、ヴォーパルバニーの情報が露わになった。
「うわ、レベルが999だってよ。HPとMPも数万……途方もない数値になってんだけど」
「ウチとタクミがだいたい40レベルだけど、精々が千ちょっとだよ?」
「……ひえぇ、本物の怪物だぁ」
「い、挑まなくて良かったよ俺」
シオンたち三人組は改めて敵の脅威に恐怖する。こんなステータスの化け物に勝てるわけがない。
「でもまぁ、なんとかなるんじゃね?」
「は?」
「俺の秘策はひとつだけじゃないってこと」
トオルは自信満々にそう言った。
「イレギュラーにはイレギュラーってね。みんな、ありったけの回復をコイツにぶつけるぞ」
「「「えっ?」」」
異なる口から同じ音を出す三人を余所に、トオルは持っていた回復薬を次々とヴォーパルバニーに投げ始めた。せっかく追い詰めたというのに敵に塩を送るどころか薬を与えるなんて、自殺行為にしか思えなかった。
「ちょっ、トオルさん! そんなことしたら……」
「大丈夫、見てろって」
トオルはポーションをヴォーパルバニーの体に当てながら、さらに別のアイテムを取り出した。
「二人とも、トオルさんを信じてみようよ!」
「……そうね、ここまできたらウチらも腹を括るわよ! タクミ!」
「おう! 残りMP全部使い切るつもりでいくぞ!」
タクミたちはトオルの考えた作戦に乗った。
「……よし、これで準備完了っと」
トオルは最後のポーションをヴォーパルバニーの体に振りかけると、ゆっくりと聖剣を振り上げた。
「さぁてと、反撃開始といきますか!」
そのセリフと共に、トオルは聖剣を勢いよく敵の脳天に叩きつけた。
「ぎゃぴっ!?」
ゴッという鈍い音が部屋に響きわたる。短い悲鳴を上げたヴォーパルバニーは一瞬だけ呆けたような顔をしたあと、そのまま後ろへ倒れた。
「え……?」
「は……?」
「わぁ~、一撃?」
タクミとシオンは突然の出来事に理解が追いつかなかった。ミコトは凄い凄いと拍手をしている。
目の前の男はいったい何をしたのか。なんでヴォーパルバニーは死んだのか。
「え、ホントにHPが0になってるんだけど……ねぇタクミ、何が起きたの?」
再度ステータスを確認したシオンが隣にいた彼氏に訊ねた。
「考えられるとしたら……オーバーフロー?」
「おぉー、さすがタクミ君。これは知ってたんだ」
「いや、まさか本当に起こるとは思わなかったです」
オーバーフローとはゲームにおいて、処理能力の限界を超えたデータが入力された時に起きるエラーだ。
今回の場合で言えば、ラスボスもビックリな異常なHPを誇るヴォーパルバニーを敢えて回復させることで、HP上限を無理やり超えさせた。その結果オーバーフローが起こり、一周回って数万から数百、数十のHPへと変わってしまった。そこへトオルが止めを刺したというところだろう。
このオーバーフローは昔のゲームでは度々起こっていたバグで、他にも一時的にレベルを上げるアイテムを敵に使って弱体化をさせるという裏ワザもあった。本来なら低レベルクリアをする際に使うような技術なのだが……。
「トオルさん、もしかして最初からコレを狙ってたんですか?」
「でも、そんなことできるの? 今のゲームってAIとか使ってるから、そういうバグは起こらなくなっちゃんじゃ……」
いまやeスポーツとしてゲームのプロプレイヤーが世界で活躍している時代だ。過去に人間の技術に頼らないバグ技やチート行為が起こり、社会問題になりかけたことがあったため、現在はAIによるプログラムが組まれている。
そのため、ゲーム内にそういったバグが発生することはほぼなくなったはず。
シオンがそう指摘すると、トオルも腕を組んで「うーん」と唸った。
「自分でいろいろやっておいてなんだけど、たしかにそうなんだよなー。怪異のせいでガバガバになってるのかも?」
どうやら彼にも理由は分からないらしい。だがそのおかげで助かったことは事実なので、タクミは深く考えるのをやめた。
「まぁ、いっか。とりあえず今は喜ぶことにしようぜ!」
「うん!」
「そうですね」
「はぁ……ウチはもう帰れればなんでもいいわ」
こうしてトオルの思惑通り、怪異の元凶は倒されたのだった。
「ぎゅ、ぎゅぴ……?」
しばらくすると、トオルの打撃で気を失っていたヴォーパルバニーが目を覚ました。
今は体毛が黒から白へと変わり、邪悪な雰囲気も無くなっている。どうやらHPが0になったことで、元の守護獣の姿に戻ったようだ。
「ぎゅぴぃ……」
「他のNPCは戻らなかったようだな……残念だけど」
融合していた国王と王妃のモンスターを始め、王城内にいた兵士や侍女などは戻ってこなかった。
そして少なくない数のプレイヤーたちの息絶えた亡骸も見つかっていた。
「行こう。それにすべての怪異が収まったら、データ修復で元通りになるかもしれないだろ」
「ぎゅぴっ……」
トオルの言葉を聞いたヴォーパルバニーは、何かを悟ったように静かに涙を流した。
「さっきは思いっきりぶっ叩いて悪かった。……お前はここでみんなが戻ってくるのを待つといい」
「ぎゅっ……」
トオルの提案に、ヴォーパルバニーは首を横に振った。
「なんだよ、俺についてくるっていうのか?」
「ぎゅぴっ!」
「そうか、じゃあ一緒に来るか?」
「ぎゅぴぴぴっ!」
ヴォーパルバニーは嬉しそうに返事をした。その様子を見ていたタクミたちも自然と笑顔になっていた。
「……ん?」
一同を引き連れて救助隊の居る避難所へ向かおうとしたとき、トオルは何かに気が付いた。監視塔の窓から、中庭を歩く人影が見えたのだ。
「どうしたんです?」
「いや、知り合いが居たような気がして……」
ファイナルクエストのマップは広い。王城以外にもプレイヤーは数多くいる。怪異から解放された今、様子を見にやってきた人がチラホラといた。
「トオルさん? 会いに行かなくていいんですか?」
「……大丈夫だ。きっと見間違いだったと思う」
ポツリとそう呟くと、トオルは一人で監視塔の会談へと向かってしまった。
珍しく歯切れの悪い反応を見せる彼に首を傾げながらも、一行はその場を後にした。
「糸野真由……? いや、まさかな」
かつての友人であり、自身を裏切って消えた人物。その影を思い出しながら、トオルは複雑な気持ちを抱いていた。
――――仮想世界に囚われた人数、残り872名。(210名死亡)
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