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第32話 無我夢中
しおりを挟む『グオォオオオッ!!』
――マズい、さっきの巨大熊だ。
「ひっ!!」
逃げようと思ったところで、恐怖のあまり腰が抜けて立つことができない。
『グルルルゥ』
巨大熊は私を見つめると、ゆっくり近づいてくる。
怖い、こわいコワイ……。
私は食べられるのだろうか。
いやだ、まだ死にたくない。
「い、いや……!!」
恐怖に怯え、頭を抱えて蹲る。
でもいくら待っても、巨大熊は私を食べようとしなかった。
その時、ドンと何かが衝突音が鳴り響く。巨大熊の身体が目の前でぶれ、そのまま森の奥へと吹き飛んで行った。
「え? な、なに!?」
何が起きたのか分からず、それでも泥だらけになりながら無我夢中で後退りする。
するとふわりと自分の身体が浮かび上がった。そして、誰かに抱き締められているような感触に襲われた。
「……この茶色い枝……まさか」
顔を見上げると――やっぱり。私を抱き上げているのは、ドライアードのアルベルトさんだった。
「大丈夫か、ドワーフの聖女よ」
「あ、ありがとうございます!」
『グオオオッ!』
「また来た!?」
怪我を負って追い詰められたのか、魔物の目が殺気に篭もっている。私を嬲り殺そうとしていた時とは違う。
だけどアルベルトさんは落ち着いた声で「同胞よ」と呟いた。その時――森が動いた。
周囲に生えていた木々が一斉に動き出し、あっという間に巨大熊の周囲に立ち並んだ。その数はどんどんと増していき、遂には魔物の姿は見えなくなろうとしていた。
まるで森に生きるもの全てが彼を敬うかのように、一本の大樹となった木々は森の奥深くまで魔物を連れて行ってしまったのだ。
「……す、すごい……」
何が起きているのか分からず、アルベルトさんの腕の中でポカンとしてしまう。そして悲痛な断末魔が森に響いた。
思わず「ひっ!?」と情けない悲鳴を上げていると、アルベルトさんはこちらへ向き直り、話し掛けてきた。
「お主は確か、名をヴェルデと言ったな。どうしてエルフの森に?」
「えっ? あっ、あの。ちょっと散歩に……」
「散歩……?」
ど、どうしよう。
さすがに王城から逃げてきたとは言えないし……。
「それで、その、迷ってしまって……。そしたら急に大きな唸り声が聞こえたので、怖くなって隠れたら、逃げ遅れて……」
「……なるほど。とりあえず、ここを離れる。ここ数日で魔物が増えていてな、今の森はとても危険なのだ」
よ、良かった。嘘はバレなかったのかな?
っていうか、森にそんな異変が起きていたの!? 全然知らなかった……アルベルトさんが助けてくれなかったら、私は死んでいたかもしれない。
「す、すみません……ご迷惑をおかけします」
「別に構わない。通りかかったついでだ。じゃあ行くぞ」
「は、はい」
(私なんかのために時間を使わせて申し訳ないな)
「……ん? どうかしたか?」
「いえ、なんでもありません」
「……そうか」
アルベルトさんに抱えられたまま、森の中を進むことしばし。
森の開けた場所に、丸太で作られた建物が見えてきた。
彼はそのままその中へと入っていくと、寝室の様な部屋に私をゆっくりとおろした。
「ここは?」
「儂の家だ。箪笥の中に布があるから、それで身体を拭くといい。ドワーフでもそのままでは風邪をひくだろう?」
「え……あっ」
気付けば私の服は泥まみれになっていた。
襲われたときは逃げることに必死で、自分の身なりがどうなっていたかなんて気にする余裕もなかったから……。
「は、はい。ありがとうございます」
「この部屋にあるものは全て好きに使っていい。何かあれば儂を呼んでくれ。すぐに来る」
アルベルトさんはそれだけ言うと、のしのしと床を鳴らしながら部屋を出て行った。無口だけど、とても気遣いのできる優しいドライアードだ。
こんな行き当たりばったりで拾った私を、こんなに優しくしてくれるなんて。
「…………申し訳なさすぎる」
一人になったので、改めて部屋の中を見回してみる。
ドライアードは基本的に森の中で過ごしていると聞いていたけれど……なぜかこの部屋には、ベッドやタンスなどの家具がキチンと整っている。
もしかして、元々ここに誰かが住んでいたのだろうか?
「へくちっ」
まずい。ほんとうに身体が冷えてきた。慌てて衣装棚を開けてタオルを取り出し、私は泥だらけになってしまった身体を拭き始めた。
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