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Scene 25
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その後数日を、入籍の挨拶で東京以外の五分家をはじめとする親戚を回ったり、引越し荷物の細々とした片付けなどに費やし、四月一日になった。初めて寒河江中央学院高校へ出勤する日だ。
髪型は軽い七三分けにし、メガネは昨年暮れに雪江に新調してもらった縁無しタイプ。スーツは、双方の両親に出してもらった金の一部でもう一着新調させてもらった。黒に近い紺色の、ステージ衣装だったマオカラーを思い出させる色だ。
同じく今日から出勤の雪江は、グレーのスーツを着こなし、髪を少し編んだ上でまとめている。こういう服装に身を包むと雪江は実際の年齢よりもずっと落ち着いて見え、新卒に見えない。化粧をする鏡越しに俺を見て、振り返らずに語りかける。
「あーくん、スーツ姿がやっぱりホストっぽい」
鏡に写る雪江の顔は、優しく微笑んでいた。
「スーツはいいんだよ、ステージでも着てたし。ただネクタイがどうも」
スーツは俺が選んだが、ネクタイは雪江のチョイスだ。スーツの色に近い濃い紺色に、細かく銀色で百合の紋章が散りばめられている。
「あら気に入らなかった?」
雪江は鏡の中でふくれっ面をする。
「違うって、ネクタイなんかほとんどしたことないから、苦しいんだよこれ」
「学院は基本ノーネクタイだけど、こういう時は正装してもらわないとね」
母が部屋に入ってきてにっこり笑いかけながら言った。今日から俺が所属する学院では絶対上司である。
「理事長、おはようございます」
仕事用のスーツ姿の母に、俺は反射的に腰を直角に曲げて頭を下げた。
「家ではそれやめて。校内に一歩入ったらそのモードになればいいの。そこだけ、早く慣れて」
母が苦笑して言う。
「私、先に行くから。あなたは自転車でも歩きでも、指定時間までに登校して。理事長の車に新卒教員を乗せていく訳にはいかないから。今後も一緒の出退勤はしないからね」
母はそう言い置くと足早に玄関へ向かった。
「学校回ってってあげるよ」
雪江が化粧を終わって、バッグの中味を確かめながら言った。
「ぜったい驚くと思うよ。お母さん、学校ではぜんぜん違う人間になるから」
雪江も母と同じ事を言う。先に覚悟ができて本当に良かったと感じる。高校時代相当な不良だったというあの安孫子店長が「理事長には勝てなかった」というくらいだから、学校では相当なものなのだろう。
地味なビジネスバッグにノートと筆記用具を入れる。それだけではあまりにカバンが薄いので、とりあえず大学で使ったインド史の教科書を入れて格好をつける。そして校内内履きのサンダルを入れた袋を持って雪江と玄関に向かった。
雪江と二人、広い玄関で靴を履いていると祖母が見送りに来た。
「初出勤だ、がんばってこいっちゃ」
「はい、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げる俺に祖母が言う。
「あーくん、おらえの孫なんだはげ、他人行儀すねでよ」
祖母は訛ったまま言った。そういえば初夜が明けた今朝から、祖母は俺に江戸言葉で話すのをやめている。
「んだらいってくっからねばあちゃん」
雪江が寒河江の女に戻って言う。
「考えてみたら、俺がお母さんと同じ職場、お前はお父さんと同じ職場か」
俺も軽い言い方に切り替えた。
「おもしゃい親子だったらやぁ」
祖母も笑った。
髪型は軽い七三分けにし、メガネは昨年暮れに雪江に新調してもらった縁無しタイプ。スーツは、双方の両親に出してもらった金の一部でもう一着新調させてもらった。黒に近い紺色の、ステージ衣装だったマオカラーを思い出させる色だ。
同じく今日から出勤の雪江は、グレーのスーツを着こなし、髪を少し編んだ上でまとめている。こういう服装に身を包むと雪江は実際の年齢よりもずっと落ち着いて見え、新卒に見えない。化粧をする鏡越しに俺を見て、振り返らずに語りかける。
「あーくん、スーツ姿がやっぱりホストっぽい」
鏡に写る雪江の顔は、優しく微笑んでいた。
「スーツはいいんだよ、ステージでも着てたし。ただネクタイがどうも」
スーツは俺が選んだが、ネクタイは雪江のチョイスだ。スーツの色に近い濃い紺色に、細かく銀色で百合の紋章が散りばめられている。
「あら気に入らなかった?」
雪江は鏡の中でふくれっ面をする。
「違うって、ネクタイなんかほとんどしたことないから、苦しいんだよこれ」
「学院は基本ノーネクタイだけど、こういう時は正装してもらわないとね」
母が部屋に入ってきてにっこり笑いかけながら言った。今日から俺が所属する学院では絶対上司である。
「理事長、おはようございます」
仕事用のスーツ姿の母に、俺は反射的に腰を直角に曲げて頭を下げた。
「家ではそれやめて。校内に一歩入ったらそのモードになればいいの。そこだけ、早く慣れて」
母が苦笑して言う。
「私、先に行くから。あなたは自転車でも歩きでも、指定時間までに登校して。理事長の車に新卒教員を乗せていく訳にはいかないから。今後も一緒の出退勤はしないからね」
母はそう言い置くと足早に玄関へ向かった。
「学校回ってってあげるよ」
雪江が化粧を終わって、バッグの中味を確かめながら言った。
「ぜったい驚くと思うよ。お母さん、学校ではぜんぜん違う人間になるから」
雪江も母と同じ事を言う。先に覚悟ができて本当に良かったと感じる。高校時代相当な不良だったというあの安孫子店長が「理事長には勝てなかった」というくらいだから、学校では相当なものなのだろう。
地味なビジネスバッグにノートと筆記用具を入れる。それだけではあまりにカバンが薄いので、とりあえず大学で使ったインド史の教科書を入れて格好をつける。そして校内内履きのサンダルを入れた袋を持って雪江と玄関に向かった。
雪江と二人、広い玄関で靴を履いていると祖母が見送りに来た。
「初出勤だ、がんばってこいっちゃ」
「はい、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げる俺に祖母が言う。
「あーくん、おらえの孫なんだはげ、他人行儀すねでよ」
祖母は訛ったまま言った。そういえば初夜が明けた今朝から、祖母は俺に江戸言葉で話すのをやめている。
「んだらいってくっからねばあちゃん」
雪江が寒河江の女に戻って言う。
「考えてみたら、俺がお母さんと同じ職場、お前はお父さんと同じ職場か」
俺も軽い言い方に切り替えた。
「おもしゃい親子だったらやぁ」
祖母も笑った。
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