剣士に扮した男爵令嬢は、幽居の公子の自由を願う

石月 和花

文字の大きさ
29 / 86

29. 油断

しおりを挟む
 交戦を始めてから実に四十分は経過しただろうか。その間、二度の大咆哮があったが、その度にルーフェスが大魔法で周囲に集まったシルバーウルフを一掃してくれた。

 危険な陽動役も、率先して彼が動いてくれているお陰で、アンナは大きな怪我も無く上手く立ち回れているが、長時間に渡る立ち回りに、次第に息が上がり、剣を構える腕も上がらなくなってきていた。

 そしてルーフェスの方も、致命傷こそは避けているもののエンシェントウルフからの攻撃を多く捌いているので着ているローブはボロボロで、その身に受けた無数の浅い傷の血が滲んでいる。

 永遠とも思われる位の長い時間の交戦に、アンナも、ルーフェスも疲労で動きが悪くなり、二人は限界を感じ始めていた。
 しかし、体力の限界を迎えたのは向こうも同じようで、良く見ると狼も足元がふらついているのだ。

 お互いフラフラになりながらも、相手から目を離さずに対峙を続ける。目を離した方が負けるのだ。

 アンナは、何十回目か、もはや分からない位エンシェントウルフに向かって剣を突き刺した。何度繰り返しても倒れることのない魔物に半ば自棄になって、それでも刺突を繰り返した。

 すると、最後に放った一撃が足に力が入らずに素早い動きが出来なくなっていたエンシェントウルフ喉に深く突き刺さったのが分かった。手には今までで一番深く入った感触が伝わってくるのだ。

 手応えを感じてアンナは直ぐに剣身を引き抜くと、素早く後方に下がり距離を取った。しかし、彼女もまた足に疲労が溜まっていた為、即座に反応できずにエンシェントウルフの間合いからの離脱が一瞬遅れてしまったのだった。

(しまった。後ろに下がるのが少し遅れた!)

 アンナは直撃する程ではないにしろ、それでも鋭い爪での反撃がかすめる事を覚悟して身構えた。

「……」

 しかし、予想に反してエンシェントウルフの爪が彼女を襲う事はなかった。

 アンナが突き刺さした剣を引き抜かれたエンシェントウルフは、喉から血飛沫を上げながら倒れ込み、ついに起き上がらなくなったのだ。

「倒し……た?」

 信じられないといった面持ちでその場で警戒するも、エンシェントウルフは地面に倒れたままだった。

 動かない標的を確認して、この難敵の討伐に成功したのだと実感したアンナは、全身から力が抜けてその場にへたり込んだのだった。

「倒せた……倒せたよルーフェス!!」

 一時間近く、ずっと緊張しっぱなしだったこともあり、張り詰めていた気持ちが緩んだ途端、アンナは安堵からか泣き出しそうになっていた。

「激闘だったね。クタクタだよ。これ以上長引いてたらこっちの体力が保たなかったね。」

 アンナの隣にルーフェスも腰を下ろした。流石に彼も息が上がっている。

「本当にそうね。」

 二人は止めどなく流れ出る汗を拭いながら、戦闘中一切口にする事が出来なかった水分を補給し、それからゆっくり呼吸をして息を整えると、地面に座り込んだまま、アンナとルーフェスはお互いの無事を確認しあった。

「お互いに、ボロボロだね。怪我は無い?」
「私は大丈夫だけど、ルーフェスの方が酷いじゃない!怪我は?怪我はしてない?!」
「大丈夫、大きな怪我はしてないよ。」

 身につけていた防具は多くの爪痕で傷だらけであったが、アンナに大きな怪我は無かった。それもこれも、ルーフェスが上手く動いてアンナをフォローしていたからだ。

 そして大きな怪我はしていないと答えるルーフェスであったが、ローブの裂け目からは何本もの薄赤い爪痕が覗いていて、彼が全くの無傷では無い事を物語っていた。

「……ありがとうルーフェス。貴方が陽動して敵の注意を集めてくれたお陰で、私は死角から攻撃する事が出来たわ。それに、配下のシルバーウルフを呼び集めるあの大咆哮は、貴方の魔法が無かったら対応出来なかった。本当に……ありがとう……」

 アンナはルーフェスの両手を自身の両手で包み込む様に握って俯いた。

 先程ギルドで、異性の手を簡単に取るものではないと注意されたばかりであったが、この気持ちは、言葉ではとても言い表せないので、どうしても彼の手に触れたかったのだ。

 触れ合ったその手が微かに震えていたので、ルーフェスはアンナが泣いているのを察して、何も言わずに彼女の手に自分の手を重ねて、彼女が落ち着くのを待った。

 少しの間だけそうしていて、それからアンナは気持ちが落ち着くと顔を上げて頬に伝う涙の跡を指でなぞりながら立ち上がった。

「さぁ、暗くなってしまうから、解体して早く街に戻りましょう。討伐証明は尻尾だったわよね。」
「そうだね。早いところ済ませて、街へ戻ろうか。もうクタクタだよ。」

 そう言ってアンナは、ルーフェスをその場で休ませたまま、ギルドに納品する尻尾を切り落とすべく一人でエンシェントウルフに近づいて、地面に倒れているその尻尾の付け根に力を込めて剣を振り下ろして胴体から切断すると、その尻尾を拾い上げてルーフェスが待つ方へと踵を返したのだった。

 この時のアンナは、後はこの尻尾をギルドに持って帰り納品するだけだと、完全に油断していた。

 だから、振り返った先に居るルーフェスの表情がアンナの背後を見て凍り付いた事にも、彼女は全く気がつかなかったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離婚するはずの旦那様を、なぜか看病しています

鍛高譚
恋愛
「結婚とは、貴族の義務。そこに愛など不要――」 そう割り切っていた公爵令嬢アルタイは、王命により辺境伯ベガと契約結婚することに。 お互い深入りしない仮面夫婦として過ごすはずが、ある日ベガが戦地へ赴くことになり、彼はアルタイにこう告げる。 「俺は生きて帰れる自信がない。……だから、お前を自由にしてやりたい」 あっさりと“離婚”を申し出る彼に、アルタイは皮肉めいた笑みを浮かべる。 「では、戦争が終わり、貴方が帰るまで離婚は待ちましょう。   戦地で女でも作ってきてください。そうすれば、心置きなく別れられます」 ――しかし、戦争は長引き、何年も経ったのちにようやく帰還したベガは、深い傷を負っていた。 彼を看病しながら、アルタイは自分の心が変化していることに気づく。 「早く元気になってもらわないと、離婚できませんね?」 「……本当に、離婚したいのか?」 最初は“義務”だったはずの結婚。しかし、夫婦として過ごすうちに、仮面は次第に剥がれていく。 やがて、二人の離婚を巡る噂が王宮を騒がせる中、ベガは決意を固める――。

【完】出来損ない令嬢は、双子の娘を持つ公爵様と契約結婚する~いつの間にか公爵様と7歳のかわいい双子たちに、めいっぱい溺愛されていました~

夏芽空
恋愛
子爵令嬢のエレナは、常に優秀な妹と比較され家族からひどい扱いを受けてきた。 しかし彼女は7歳の双子の娘を持つ公爵――ジオルトと契約結婚したことで、最低な家族の元を離れることができた。 しかも、条件は最高。公の場で妻を演じる以外は自由に過ごしていい上に、さらには給料までも出してくてれるという。 夢のような生活を手に入れた――と、思ったのもつかの間。 いきなり事件が発生してしまう。 結婚したその翌日に、双子の姉が令嬢教育の教育係をやめさせてしまった。 しかもジオルトは仕事で出かけていて、帰ってくるのはなんと一週間後だ。 (こうなったら、私がなんとかするしかないわ!) 腹をくくったエレナは、おもいきった行動を起こす。 それがきっかけとなり、ちょっと癖のある美少女双子義娘と、彼女たちよりもさらに癖の強いジオルトとの距離が縮まっていくのだった――。

本の虫令嬢ですが「君が番だ! 間違いない」と、竜騎士様が迫ってきます

氷雨そら
恋愛
 本の虫として社交界に出ることもなく、婚約者もいないミリア。 「君が番だ! 間違いない」 (番とは……!)  今日も読書にいそしむミリアの前に現れたのは、王都にたった一人の竜騎士様。  本好き令嬢が、強引な竜騎士様に振り回される竜人の番ラブコメ。 小説家になろう様にも投稿しています。

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。

田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜

侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」  十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。  弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。  お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。  七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!  以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。  その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。  一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。

崖っぷち令嬢は冷血皇帝のお世話係〜侍女のはずが皇帝妃になるみたいです〜

束原ミヤコ
恋愛
ティディス・クリスティスは、没落寸前の貧乏な伯爵家の令嬢である。 家のために王宮で働く侍女に仕官したは良いけれど、緊張のせいでまともに話せず、面接で落とされそうになってしまう。 「家族のため、なんでもするからどうか働かせてください」と泣きついて、手に入れた仕事は――冷血皇帝と巷で噂されている、冷酷冷血名前を呼んだだけで子供が泣くと言われているレイシールド・ガルディアス皇帝陛下のお世話係だった。 皇帝レイシールドは気難しく、人を傍に置きたがらない。 今まで何人もの侍女が、レイシールドが恐ろしくて泣きながら辞めていったのだという。 ティディスは決意する。なんとしてでも、お仕事をやりとげて、没落から家を救わなければ……! 心根の優しいお世話係の令嬢と、無口で不器用な皇帝陛下の話です。

【完結】これは紛うことなき政略結婚である

七瀬菜々
恋愛
 没落寸前の貧乏侯爵家の令嬢アンリエッタ・ペリゴールは、スラム街出身の豪商クロード・ウェルズリーと結婚した。  金はないが血筋だけは立派な女と、金はあるが賤しい血筋の男。  互いに金と爵位のためだけに結婚した二人はきっと、恋も愛も介在しない冷めきった結婚生活を送ることになるのだろう。  アンリエッタはそう思っていた。  けれど、いざ新婚生活を始めてみると、何だか想像していたよりもずっと甘い気がして……!?   *この物語は、今まで顔を合わせれば喧嘩ばかりだった二人が夫婦となり、紆余曲折ありながらも愛と絆を深めていくただのハイテンションラブコメ………になる予定です。   ーーーーーーーーーー *主要な登場人物* ○アンリエッタ・ペリゴール いろんな不幸が重なり落ちぶれた、貧乏侯爵家の一人娘。意地っ張りでプライドの高いツンデレヒロイン。 ○クロード・ウェルズリー 一代で莫大な富を築き上げた豪商。生まれは卑しいが、顔がよく金持ち。恋愛に関しては不器用な男。 ○ニコル アンリエッタの侍女。 アンリエッタにとっては母であり、姉であり、友である大切な存在。 ○ミゲル クロードの秘書。 優しそうに見えて辛辣で容赦がない性格。常にひと言多い。

【完結】辺境伯の溺愛が重すぎます~追放された薬師見習いは、領主様に囲われています~

深山きらら
恋愛
王都の薬師ギルドで見習いとして働いていたアディは、先輩の陰謀により濡れ衣を着せられ追放される。絶望の中、辺境の森で魔獣に襲われた彼女を救ったのは、「氷の辺境伯」と呼ばれるルーファスだった。彼女の才能を見抜いたルーファスは、アディを専属薬師として雇用する。

処理中です...