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3. 始まりは幼い日の食卓で
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あれは今から七年前――私が十歳になったばかりの頃のこと。
穏やかな夕食の席で、父であるハルスタイン侯爵が家族を集め、突然とんでもないことを告げたのがすべての始まりだった。
***
「いいかい、アディルナ。お前は王太子殿下の婚約者候補という名誉ある一人に選ばれたんだよ」
その言葉が落ちた瞬間、食卓の空気がぴたりと止まった。
お母様もお兄様も、そして勿論私も、即座に意味が理解できなくて、一瞬言葉を失っていた。
そんな静まりかえった食卓で、最初に声を出せたのは私だった。
「私が、殿下の婚約者……ですか?」
「そうだよ。正確には"婚約者候補"だけどね」
お父様は穏やかに頷いた。
けれども、”デンカノコンヤクシャ”はその時の私にはどこか異国の言葉のようで、それがどれほどの事か、全く実感が沸いていなかった。
(殿下の婚約者候補って……一体何をするのかしら?)
そんなことを考えて私が首をひねっていると、言葉を失っていたお母さまとお兄様が、我に返り一斉に声を上げたのだった。
「あなた、本当なのですか?!アディルナですよ?!手芸や読書なんかより、庭を駆け回ってる方が好きな、お淑やかとは真逆な子ですよ?!」
「そうですよお父様!アディルナで大丈夫ですか?!何をしでかすか分からないですよ?!」
お母さまもお兄様も、なぜか凄く慌ててお父様に物申している。
なんだか酷い言われようなので、私は内心少しムッとしたが、私が反論する前にお父様がそんな二人を諌めてくださった。
「まぁ落ち着きなさい二人とも。アディルナだってもう十歳だ。礼儀作法もちゃんと習っているし、大丈夫だろう」
(そうですわ、お父様は分かっていらっしゃる。私はもう十歳、立派な淑女ですわ!)
お父様がちゃんと二人をたしなめてしてくださったので、私の斜めになりそうだった機嫌はすぐに持ち直した。
……のだけれども、お父様の言葉に不服があるようで、お母様とお兄様の申し入れは止まらなかった。
「しかしお父様、この子はこの間のお茶会で、ドーブル子爵令息を言いくるめて泣かせたんですよ」
「それは、あの子が嫌がってる令嬢にしつこく付き纏っていたから注意しただけですわ!」
「……その前は擦り傷だらけで、ドレスを派手に破いて帰ってきましたわ……」
「それは、お友達の帽子が風で木の上に飛ばされたから取ってあげた時に、ちょっと降りるのを失敗しちゃっただけですわ!」
……確かにどちらも事実ではある。
だけれども、ちゃんと理由があって行動した結果だし、私は正しいことをしただけだ。
だから胸を張って反論したのに、何故かお父様は頭を抱えてしまった。
「うん……それはどちらも聞いていなかったね……」
なんだか雲行きが怪しくなってきた事を察して、私はこの空気を変えるべく、凛とした態度で、堂々と宣言をしてみせた。
「大丈夫ですわお父様。私、立派に殿下の婚約者候補を勤めてみせますから!ハルスタイン家の名にかけて!!」
私は深刻な顔をしている家族三人を安心させるために大見得を切った。……しかし、お父様とお母さまとお兄様は、何故か不安そな顔で私を見つめるのだった。
「……そもそも、何故アディルナなんです?我が家は侯爵家の中でも序列は下ですわ。格上のお家にも同年代の御令嬢が居ますわよね?」
不意に、お母様がもっともな疑問を口にされた。
この国の公爵家には王太子殿下と釣り合う年齢の令嬢が居ないから侯爵家の中から選べれるのは不思議ではないが、うちは侯爵家の中では下の下である。王家にとって我が家を選ぶ利点が全くないのは子供の私でも分かることだった。
だから何故私が婚約者候補に選ばれたのか分からないまま話が進んでいたのだけれど、お母様の問いを受けて、お父様は静かにその説明を始められた。
「あぁ。アディルナ以外の候補者はカラサリス家のリリエラ様と、フローゼル家のローゼリア様だ。この二人が選ばれたからこそ、最後の一人にアディルナが選ばれたんだ」
「なるほど、外務大臣であるカラサリス侯爵派と騎士団長であるフローゼル侯爵派のどちらにも属さず影響力も持たない第三の勢力として、うちに白羽の矢が立ったのですね……」
「ウォーグルは理解が早いな。……まぁ、名誉なことには変わりない」
(……なるほど、全然分かりませんわ)
どうやらお父様の少ない説明で、お兄様は完璧に理解したみたいだけど、私にはさっぱりだった。けれども、私は真剣な顔で頷いて、お父様たちの会話を見守った。
「そんな!それじゃあアディルナは当て馬役じゃありませんか!そんな役目可哀想ですわ!」
「しかし、もう決まったことだ。王命には従わねばならない。」
お父様とお母さまは、暗い顔で二回目のため息を吐いていた。今まで、こんなに思い悩んでいる両親を見たことが無かったので、子供ながらにこれがいかに重大な事態かは想像が出来た。
(……これは、多分私がしっかりしなきゃいけない事よね?)
正直言って、この時の私は本当に良く分かっていなかった。でも、分かっていないなりに、自分がすべきことをなんとなく察したので、私は椅子から勢いよく立ち上がると、胸を張って家族の前で力強く宣言してみせたのだった。
「お父様、お母様、大丈夫です。アディルナは例え主役じゃなくても立派に演じて見せますわ!」
すると、お父様は心苦しそうな表情で私の手を包み込むと、詫びの言葉を口にされた。
「アディ……すまない。まだ幼いお前にこのような重役を押し付けてしまって」
「お父様、これも貴族の務めですわ!だからそんな顔しないでください」
私がそういうと、両親はますます泣きそうな顔になっていったが、私はにっこりと笑って見せた。
両親の想いなど他所に、私は最近覚えた『貴族の務め』という言葉をここぞという場面でかっこよく使えて悦に入っていただけだったが、なんか良い風に誤解されていた。
「アディルナ、そんな立派なことを言うようになって……」
「うん。不安はあったが、これなら候補者としてしっかり振舞えるだろう。……アディルナ、近いうちに顔合わせが行われる。登城するからしっかり準備しておくように」
「はい、わかりましたわ!」
私が元気よく返事をすると、お父様とお母様は優しいまなざしで頷かれて、漂っていた不穏な空気も消えていた。
それからはいつも通りの夕食に戻り、和やかに家族の会話を楽しみ、締めの果物まで食べ終わると、私とお兄様は一足先に退席したのだった。
***
「ところでお兄様、一つお聞きしたいのですが。」
「なんだ?」
食後、お兄様と一緒に部屋へ戻る途中、私はずっと気になっていたことを尋ねた。どうしても分からないことがあったのだ。優しくこちらを見つめるお兄様に対して、私は純粋な疑問をぶつけた。
「お兄様、私は一体なんの劇をやるのでしょうか?」
「えっ……劇?何の話だ??」
「えっ……だって、私当て馬役をやるのでしょう?お父様たちの話し振りから察するに、殿下の婚約者候補の令嬢みんなでやる劇なのでしょう?」
「……ほとんど間違っているが、全部間違っているとも言い切れない……」
お兄様は右手で額を抑えて俯き、妙な間を取りながらそう言った。お兄様の態度は何か変だなとは思ったが、私は構わず話を続けた。
「いくら主役じゃないとはいっても、やるからには完ぺきに演じて他のご令嬢に差をつけたいですわ。いつ台本は頂けるのかしら……ってお兄様どうされました?!」
みるとお兄様が、頭を抱えるようにしゃがんでいたのだ。
「……そうだった。お前はそういう奴だったね。……当て馬役のことは、一回全部忘れようか。……演劇はやらないから。」
「あら、そうなのですか?私結構楽しみにしてましたのに。残念だわ」
お兄様に演劇はやらないと言われて、私はガッカリしていた。以前連れて行ってもらった観劇がとても素敵だったので、自分でも劇をやってみたかったのだ。
しかし、そんな私の心境を見透かしてか、お兄様は直ぐに別の役割を私に示したのだった。
「いいか、アディルナ。劇ではないがお前は演じなければならない。完璧な淑女を演じるんだよ。この役は難しいけれども、お前なら出来るよね?」
「勿論ですわ!私、完璧な淑女を演じて見せますから!!」
劇じゃないのに演技をする。それの意味をよく分かっていなかったが。私は元気よく返事をしたのだった。
穏やかな夕食の席で、父であるハルスタイン侯爵が家族を集め、突然とんでもないことを告げたのがすべての始まりだった。
***
「いいかい、アディルナ。お前は王太子殿下の婚約者候補という名誉ある一人に選ばれたんだよ」
その言葉が落ちた瞬間、食卓の空気がぴたりと止まった。
お母様もお兄様も、そして勿論私も、即座に意味が理解できなくて、一瞬言葉を失っていた。
そんな静まりかえった食卓で、最初に声を出せたのは私だった。
「私が、殿下の婚約者……ですか?」
「そうだよ。正確には"婚約者候補"だけどね」
お父様は穏やかに頷いた。
けれども、”デンカノコンヤクシャ”はその時の私にはどこか異国の言葉のようで、それがどれほどの事か、全く実感が沸いていなかった。
(殿下の婚約者候補って……一体何をするのかしら?)
そんなことを考えて私が首をひねっていると、言葉を失っていたお母さまとお兄様が、我に返り一斉に声を上げたのだった。
「あなた、本当なのですか?!アディルナですよ?!手芸や読書なんかより、庭を駆け回ってる方が好きな、お淑やかとは真逆な子ですよ?!」
「そうですよお父様!アディルナで大丈夫ですか?!何をしでかすか分からないですよ?!」
お母さまもお兄様も、なぜか凄く慌ててお父様に物申している。
なんだか酷い言われようなので、私は内心少しムッとしたが、私が反論する前にお父様がそんな二人を諌めてくださった。
「まぁ落ち着きなさい二人とも。アディルナだってもう十歳だ。礼儀作法もちゃんと習っているし、大丈夫だろう」
(そうですわ、お父様は分かっていらっしゃる。私はもう十歳、立派な淑女ですわ!)
お父様がちゃんと二人をたしなめてしてくださったので、私の斜めになりそうだった機嫌はすぐに持ち直した。
……のだけれども、お父様の言葉に不服があるようで、お母様とお兄様の申し入れは止まらなかった。
「しかしお父様、この子はこの間のお茶会で、ドーブル子爵令息を言いくるめて泣かせたんですよ」
「それは、あの子が嫌がってる令嬢にしつこく付き纏っていたから注意しただけですわ!」
「……その前は擦り傷だらけで、ドレスを派手に破いて帰ってきましたわ……」
「それは、お友達の帽子が風で木の上に飛ばされたから取ってあげた時に、ちょっと降りるのを失敗しちゃっただけですわ!」
……確かにどちらも事実ではある。
だけれども、ちゃんと理由があって行動した結果だし、私は正しいことをしただけだ。
だから胸を張って反論したのに、何故かお父様は頭を抱えてしまった。
「うん……それはどちらも聞いていなかったね……」
なんだか雲行きが怪しくなってきた事を察して、私はこの空気を変えるべく、凛とした態度で、堂々と宣言をしてみせた。
「大丈夫ですわお父様。私、立派に殿下の婚約者候補を勤めてみせますから!ハルスタイン家の名にかけて!!」
私は深刻な顔をしている家族三人を安心させるために大見得を切った。……しかし、お父様とお母さまとお兄様は、何故か不安そな顔で私を見つめるのだった。
「……そもそも、何故アディルナなんです?我が家は侯爵家の中でも序列は下ですわ。格上のお家にも同年代の御令嬢が居ますわよね?」
不意に、お母様がもっともな疑問を口にされた。
この国の公爵家には王太子殿下と釣り合う年齢の令嬢が居ないから侯爵家の中から選べれるのは不思議ではないが、うちは侯爵家の中では下の下である。王家にとって我が家を選ぶ利点が全くないのは子供の私でも分かることだった。
だから何故私が婚約者候補に選ばれたのか分からないまま話が進んでいたのだけれど、お母様の問いを受けて、お父様は静かにその説明を始められた。
「あぁ。アディルナ以外の候補者はカラサリス家のリリエラ様と、フローゼル家のローゼリア様だ。この二人が選ばれたからこそ、最後の一人にアディルナが選ばれたんだ」
「なるほど、外務大臣であるカラサリス侯爵派と騎士団長であるフローゼル侯爵派のどちらにも属さず影響力も持たない第三の勢力として、うちに白羽の矢が立ったのですね……」
「ウォーグルは理解が早いな。……まぁ、名誉なことには変わりない」
(……なるほど、全然分かりませんわ)
どうやらお父様の少ない説明で、お兄様は完璧に理解したみたいだけど、私にはさっぱりだった。けれども、私は真剣な顔で頷いて、お父様たちの会話を見守った。
「そんな!それじゃあアディルナは当て馬役じゃありませんか!そんな役目可哀想ですわ!」
「しかし、もう決まったことだ。王命には従わねばならない。」
お父様とお母さまは、暗い顔で二回目のため息を吐いていた。今まで、こんなに思い悩んでいる両親を見たことが無かったので、子供ながらにこれがいかに重大な事態かは想像が出来た。
(……これは、多分私がしっかりしなきゃいけない事よね?)
正直言って、この時の私は本当に良く分かっていなかった。でも、分かっていないなりに、自分がすべきことをなんとなく察したので、私は椅子から勢いよく立ち上がると、胸を張って家族の前で力強く宣言してみせたのだった。
「お父様、お母様、大丈夫です。アディルナは例え主役じゃなくても立派に演じて見せますわ!」
すると、お父様は心苦しそうな表情で私の手を包み込むと、詫びの言葉を口にされた。
「アディ……すまない。まだ幼いお前にこのような重役を押し付けてしまって」
「お父様、これも貴族の務めですわ!だからそんな顔しないでください」
私がそういうと、両親はますます泣きそうな顔になっていったが、私はにっこりと笑って見せた。
両親の想いなど他所に、私は最近覚えた『貴族の務め』という言葉をここぞという場面でかっこよく使えて悦に入っていただけだったが、なんか良い風に誤解されていた。
「アディルナ、そんな立派なことを言うようになって……」
「うん。不安はあったが、これなら候補者としてしっかり振舞えるだろう。……アディルナ、近いうちに顔合わせが行われる。登城するからしっかり準備しておくように」
「はい、わかりましたわ!」
私が元気よく返事をすると、お父様とお母様は優しいまなざしで頷かれて、漂っていた不穏な空気も消えていた。
それからはいつも通りの夕食に戻り、和やかに家族の会話を楽しみ、締めの果物まで食べ終わると、私とお兄様は一足先に退席したのだった。
***
「ところでお兄様、一つお聞きしたいのですが。」
「なんだ?」
食後、お兄様と一緒に部屋へ戻る途中、私はずっと気になっていたことを尋ねた。どうしても分からないことがあったのだ。優しくこちらを見つめるお兄様に対して、私は純粋な疑問をぶつけた。
「お兄様、私は一体なんの劇をやるのでしょうか?」
「えっ……劇?何の話だ??」
「えっ……だって、私当て馬役をやるのでしょう?お父様たちの話し振りから察するに、殿下の婚約者候補の令嬢みんなでやる劇なのでしょう?」
「……ほとんど間違っているが、全部間違っているとも言い切れない……」
お兄様は右手で額を抑えて俯き、妙な間を取りながらそう言った。お兄様の態度は何か変だなとは思ったが、私は構わず話を続けた。
「いくら主役じゃないとはいっても、やるからには完ぺきに演じて他のご令嬢に差をつけたいですわ。いつ台本は頂けるのかしら……ってお兄様どうされました?!」
みるとお兄様が、頭を抱えるようにしゃがんでいたのだ。
「……そうだった。お前はそういう奴だったね。……当て馬役のことは、一回全部忘れようか。……演劇はやらないから。」
「あら、そうなのですか?私結構楽しみにしてましたのに。残念だわ」
お兄様に演劇はやらないと言われて、私はガッカリしていた。以前連れて行ってもらった観劇がとても素敵だったので、自分でも劇をやってみたかったのだ。
しかし、そんな私の心境を見透かしてか、お兄様は直ぐに別の役割を私に示したのだった。
「いいか、アディルナ。劇ではないがお前は演じなければならない。完璧な淑女を演じるんだよ。この役は難しいけれども、お前なら出来るよね?」
「勿論ですわ!私、完璧な淑女を演じて見せますから!!」
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