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vicious game
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「そんな顔して見てもいいって教えたか?」
ん?と目を細めながら指先で顎をつかまれる。まだだ、まだ屈しない、と歯を食い縛りながら耐える少年の様子を興味深そうに観察しながら、深く椅子に腰かけて長い脚を組む男。余裕に溢れた態度がまた、少年の神経を逆撫でする。
「ホントに強情。っは、そういうトコロも気に入ってるけどな」
男は挑発的に嗤った。
***
ぼんやりとセピア色のランプが室内を照らす。頭上からスポットライト状の光が当たって、影になってお互いの表情は見えない。片方は反抗的にツンと顎を上げて相手を睨みつける少年、もう片方は彼の前に立ちふさがる長身の男。
豪奢な革張りの一人掛けに深く腰をおろしているのは、折れてしまいそうな華奢な四肢で仕立ての良い藍のスーツを身に纏う少年、いや、よく見てみれば少年というには薹が立ちすぎているだろうか。なにせ子供のような体格をしているため、男らしい整った顔立ちを以てしても青年と呼ぶには憚られる可愛らしさが滲む。少し重たげな黒髪が瞳を隠してはいるけれど、鋭く目の前の男を睨みつけている様は野性味に溢れていた。ギリっと食い縛る隙間から覗く牙の如き犬歯が、今にも食ってかかりそうな程鋭く尖って見えた。
一方、影だけで青年をすっぽり覆い隠せるほどの長身を誇る男は、ふわりと長い髪をかき上げると、さしても興味もない顔でスタスタと正面にあるもうひとつの革張りの椅子に深く身を沈めた。大人と子供ほどもある身長差に加え、細身だが均整の取れた立派な体躯に落ち着いたダークグレーのスリーピースを纏い、シルクの光沢が揺れるブラックシャツを伊達に着こなしている。柔らかく波打つ茶色の髪はアシンメトリーに整えられ、肘をついて足を組む仕草にさえ大人の色香が漂っていた。かなりの洒落者だ。
二人の身体を結ぶ直線上の空間には何もない。お互いからちょうど等間隔、手を伸ばせば届く辺りに猫足のテーブルがひとつ置かれている。三十センチほどの直径の小さな円の上には無骨なチェスクロックと、ワイングラスが二つ。馥郁たる葡萄の熟成した香りが狭い空間に漂っている。
「さて、今夜も我慢比べといきますか」
男がテーブルの上にあるチェスクロックを引き寄せて、自分に近い方のボタンをタップする。カチカチと秒針が動き出すのを確かめると、そっと元の位置に戻した。テーブルの中央、お互いの位置から均等な場所で戦いの火蓋が切って落とされる。
「Stand up」
青年には男の声が二重に歪んで聞こえた。ただ声をかけただけでは、こんな風に視界がブレるほど直接的な刺激が脳を揺らしたりはしない。
男が放ったのはCommandーーー絶対的な支配者であるDomが従属者であるSubに下す命令だった。通常、CommandによるplayはDomとSubの間に契約関係が成立しており、双方が合意した場合にのみ行われる。直接的な性行為ではないものの、時として実際に肌を触れ合わせるよりも強烈な快感を呼び起こすため、興味本位や無理強いで行為に及ぶことがないようにまずは両者の信頼関係を築くことが暗黙の了解であり大前提のマナーでもあった。
だが、この質素な空間で互いの出方を窺っているこの二人は少し事情が異なっている。Domの中でも圧倒的優位を誇るヒエラルキーの上位に君臨する男は、幼い頃からその才を発揮し、あらゆる栄誉を欲しいままにしてきた。それが故に時として傲岸不遜な底意地の悪さが顔を出す、そして今青年を前にしてGlareを放ちながら嗤う顔も彼らしい一面であった。
カチカチと秒針は進み、男の持ち時間を削っていく。制限時間内に男のCommandに屈すれば青年の敗け、逆に耐えきれば男の敗北となる、二人の間だけで幾度も交わされてきたゲームだった。勝敗の結果は、男の余裕ある態度から推して知るべしである。
毎度煮え湯を飲まされるにもかかわらず果敢に、あるいは無謀にも青年は挑戦を重ねる。何度でも懲りずに挑む理由は明白だったが、挑む度に青年の精神は削られ変容していく。あっさりと敗北を認めてしまえば楽になるのに、青年は何度屈しようとも従順な敗者となることを拒んだ。
男などはその核となる理由を知りたいがためにあえて、勝ちの見えている退屈な勝負を受けて立っているところもあった。だがいい加減、男も焦れている頃合いだ。今夜こそは絶対に堕としてやる、と並々ならぬ決意で臨んでいるのだが、そんな意志はちらとも見せずに鷹揚さを演出出来るあたりが彼の度量の大きさであるともいえた。
目に見えて震えている膝を押さえつける手のひらから伝わる震動で、全身が瘧にかかったように鳴動し始める。男は目を逸らさない。青年も必死で睨み返すが、遂には自ら視線を外してしまった。ガクリと身体が前のめりに揺れて、椅子から転げ落ちる。見えない力に操られた四肢がゆっくりと立ち上がるのを見て、男は満足げに微笑んで時計をタップした。カチリと針が止まる。
ここからは青年のターンだ。男の放ったCommandを受け入れるまでにかかった時間が彼の持ち時間。時計の針は三分を経過したところだった。三分間で男を下すことが出来たなら彼の勝ち。男の保有する時間を倍にして削ることが出来る。これはそういうゲームだ。
ゆらりと踊るように身体をくねらせた青年が正面から男を見据えてCommandを放つ。
「Stand up」
同じCommandで挑んでくる青年の青臭い気丈さを愛し気な微笑みで躱して、男はゆったりと足を組み替え、頬杖をついた。青年の視線を正面から受け止めながら威圧など何処吹く風と、鼻歌でも口ずさみそうな軽やかさで受け流す。秒針に合わせて指先をタクトのように振り、妙なる調べに耳を傾ける好事家の趣きで時を重ねる。焦れた青年が全身からGlareを放ったところで、男は如何程の痛痒も感じた様子はなく、すっとグラスに手を伸ばして優雅にワインを煽る始末。無情にもカチリ、と時計が3分を告げた。
不服気に口唇を噛んで、青年が自身の針を止める。男は静かにグラスを戻した手で、そのまま己の針を進めた。
「Kneel」
Subの基本姿勢を強要する男の声に青年の膝が震えた。両手で膝を押し込むように掴んで床を踏みしめるけれど、全身がガクガクと前後に揺れ始める。天井を仰いで必死に地面から距離を取ろうとしているようだが、頭の中では先程の男の声が何度も何度も反響して増幅されていく。耳鳴りが止まない、グラグラと眩暈にも似た酩酊感に襲われながらも歯を食い縛って耐える。青年の精神力が削られる分だけ、秒針は進んでいく。
男はじっと頬杖をついたまま、青年の様子を見つめている。骨ばった長い指が何度か口唇の上を往き来し、赤い舌がチロチロと覗いては軽く湿らせていく。青年が遂に片膝をついて、それでも敗けまいともう片方の膝を立てて荒い息を吐く。追い詰められて威嚇する獣の荒々しさで男を睨みつけるが、男の興味は青年の尖った犬歯がいつその紅い口唇に突き立てられて血を流し始めるのか、といったまるで関係ないことにしか向いていない。
その間も青年の脳裏には必死の抵抗を見せる理性と、強大すぎるCommandの執行力に屈服しようとする本能とが拮抗して、混沌の様相を呈している。
玉のような汗が浮かび、青年のシャツを色濃く濡らしていく。ぼんやりと周囲を照らすランプがあたかもスポットライトの如く強烈に感じられ、ジリジリと脳天から灼かれていくようだ。五感が増幅してありもしない幻影を享受しようと暴れまわり感覚を狂わせる。ぐっと踏みしめた床を爪先が滑った。
ぺたり、と気がつけば足を開いて座り込んでいた。無情にもテーブルの上の針はカチカチと喧しく音を立てて進む。男は満足げに嗤いながらボタンを押し込んだ。
ん?と目を細めながら指先で顎をつかまれる。まだだ、まだ屈しない、と歯を食い縛りながら耐える少年の様子を興味深そうに観察しながら、深く椅子に腰かけて長い脚を組む男。余裕に溢れた態度がまた、少年の神経を逆撫でする。
「ホントに強情。っは、そういうトコロも気に入ってるけどな」
男は挑発的に嗤った。
***
ぼんやりとセピア色のランプが室内を照らす。頭上からスポットライト状の光が当たって、影になってお互いの表情は見えない。片方は反抗的にツンと顎を上げて相手を睨みつける少年、もう片方は彼の前に立ちふさがる長身の男。
豪奢な革張りの一人掛けに深く腰をおろしているのは、折れてしまいそうな華奢な四肢で仕立ての良い藍のスーツを身に纏う少年、いや、よく見てみれば少年というには薹が立ちすぎているだろうか。なにせ子供のような体格をしているため、男らしい整った顔立ちを以てしても青年と呼ぶには憚られる可愛らしさが滲む。少し重たげな黒髪が瞳を隠してはいるけれど、鋭く目の前の男を睨みつけている様は野性味に溢れていた。ギリっと食い縛る隙間から覗く牙の如き犬歯が、今にも食ってかかりそうな程鋭く尖って見えた。
一方、影だけで青年をすっぽり覆い隠せるほどの長身を誇る男は、ふわりと長い髪をかき上げると、さしても興味もない顔でスタスタと正面にあるもうひとつの革張りの椅子に深く身を沈めた。大人と子供ほどもある身長差に加え、細身だが均整の取れた立派な体躯に落ち着いたダークグレーのスリーピースを纏い、シルクの光沢が揺れるブラックシャツを伊達に着こなしている。柔らかく波打つ茶色の髪はアシンメトリーに整えられ、肘をついて足を組む仕草にさえ大人の色香が漂っていた。かなりの洒落者だ。
二人の身体を結ぶ直線上の空間には何もない。お互いからちょうど等間隔、手を伸ばせば届く辺りに猫足のテーブルがひとつ置かれている。三十センチほどの直径の小さな円の上には無骨なチェスクロックと、ワイングラスが二つ。馥郁たる葡萄の熟成した香りが狭い空間に漂っている。
「さて、今夜も我慢比べといきますか」
男がテーブルの上にあるチェスクロックを引き寄せて、自分に近い方のボタンをタップする。カチカチと秒針が動き出すのを確かめると、そっと元の位置に戻した。テーブルの中央、お互いの位置から均等な場所で戦いの火蓋が切って落とされる。
「Stand up」
青年には男の声が二重に歪んで聞こえた。ただ声をかけただけでは、こんな風に視界がブレるほど直接的な刺激が脳を揺らしたりはしない。
男が放ったのはCommandーーー絶対的な支配者であるDomが従属者であるSubに下す命令だった。通常、CommandによるplayはDomとSubの間に契約関係が成立しており、双方が合意した場合にのみ行われる。直接的な性行為ではないものの、時として実際に肌を触れ合わせるよりも強烈な快感を呼び起こすため、興味本位や無理強いで行為に及ぶことがないようにまずは両者の信頼関係を築くことが暗黙の了解であり大前提のマナーでもあった。
だが、この質素な空間で互いの出方を窺っているこの二人は少し事情が異なっている。Domの中でも圧倒的優位を誇るヒエラルキーの上位に君臨する男は、幼い頃からその才を発揮し、あらゆる栄誉を欲しいままにしてきた。それが故に時として傲岸不遜な底意地の悪さが顔を出す、そして今青年を前にしてGlareを放ちながら嗤う顔も彼らしい一面であった。
カチカチと秒針は進み、男の持ち時間を削っていく。制限時間内に男のCommandに屈すれば青年の敗け、逆に耐えきれば男の敗北となる、二人の間だけで幾度も交わされてきたゲームだった。勝敗の結果は、男の余裕ある態度から推して知るべしである。
毎度煮え湯を飲まされるにもかかわらず果敢に、あるいは無謀にも青年は挑戦を重ねる。何度でも懲りずに挑む理由は明白だったが、挑む度に青年の精神は削られ変容していく。あっさりと敗北を認めてしまえば楽になるのに、青年は何度屈しようとも従順な敗者となることを拒んだ。
男などはその核となる理由を知りたいがためにあえて、勝ちの見えている退屈な勝負を受けて立っているところもあった。だがいい加減、男も焦れている頃合いだ。今夜こそは絶対に堕としてやる、と並々ならぬ決意で臨んでいるのだが、そんな意志はちらとも見せずに鷹揚さを演出出来るあたりが彼の度量の大きさであるともいえた。
目に見えて震えている膝を押さえつける手のひらから伝わる震動で、全身が瘧にかかったように鳴動し始める。男は目を逸らさない。青年も必死で睨み返すが、遂には自ら視線を外してしまった。ガクリと身体が前のめりに揺れて、椅子から転げ落ちる。見えない力に操られた四肢がゆっくりと立ち上がるのを見て、男は満足げに微笑んで時計をタップした。カチリと針が止まる。
ここからは青年のターンだ。男の放ったCommandを受け入れるまでにかかった時間が彼の持ち時間。時計の針は三分を経過したところだった。三分間で男を下すことが出来たなら彼の勝ち。男の保有する時間を倍にして削ることが出来る。これはそういうゲームだ。
ゆらりと踊るように身体をくねらせた青年が正面から男を見据えてCommandを放つ。
「Stand up」
同じCommandで挑んでくる青年の青臭い気丈さを愛し気な微笑みで躱して、男はゆったりと足を組み替え、頬杖をついた。青年の視線を正面から受け止めながら威圧など何処吹く風と、鼻歌でも口ずさみそうな軽やかさで受け流す。秒針に合わせて指先をタクトのように振り、妙なる調べに耳を傾ける好事家の趣きで時を重ねる。焦れた青年が全身からGlareを放ったところで、男は如何程の痛痒も感じた様子はなく、すっとグラスに手を伸ばして優雅にワインを煽る始末。無情にもカチリ、と時計が3分を告げた。
不服気に口唇を噛んで、青年が自身の針を止める。男は静かにグラスを戻した手で、そのまま己の針を進めた。
「Kneel」
Subの基本姿勢を強要する男の声に青年の膝が震えた。両手で膝を押し込むように掴んで床を踏みしめるけれど、全身がガクガクと前後に揺れ始める。天井を仰いで必死に地面から距離を取ろうとしているようだが、頭の中では先程の男の声が何度も何度も反響して増幅されていく。耳鳴りが止まない、グラグラと眩暈にも似た酩酊感に襲われながらも歯を食い縛って耐える。青年の精神力が削られる分だけ、秒針は進んでいく。
男はじっと頬杖をついたまま、青年の様子を見つめている。骨ばった長い指が何度か口唇の上を往き来し、赤い舌がチロチロと覗いては軽く湿らせていく。青年が遂に片膝をついて、それでも敗けまいともう片方の膝を立てて荒い息を吐く。追い詰められて威嚇する獣の荒々しさで男を睨みつけるが、男の興味は青年の尖った犬歯がいつその紅い口唇に突き立てられて血を流し始めるのか、といったまるで関係ないことにしか向いていない。
その間も青年の脳裏には必死の抵抗を見せる理性と、強大すぎるCommandの執行力に屈服しようとする本能とが拮抗して、混沌の様相を呈している。
玉のような汗が浮かび、青年のシャツを色濃く濡らしていく。ぼんやりと周囲を照らすランプがあたかもスポットライトの如く強烈に感じられ、ジリジリと脳天から灼かれていくようだ。五感が増幅してありもしない幻影を享受しようと暴れまわり感覚を狂わせる。ぐっと踏みしめた床を爪先が滑った。
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