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生命の代償
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そっと離された口唇に銀の糸。
俺たちを繋ぐ架け橋はこんなにも脆い。
この数週間まとわりついていた倦怠感が嘘のように艶を取り戻したその肌に、満ち溢れるエネルギーに、頭がついていかない。のっそりと寝台に起き上がり、ふるふると振った髪からこぼれ落ちていく光の粒子まではっきりと目に見える。視界に入る物体の解像度が一気に跳ね上がり、光の目眩さと鮮やかな彩りにハレーションを起こして、開かれた眼球が痛くて堪らない。受容体としての俺が変わってしまったのだろう、剥き出しの肌に潮風を浴びて泣き叫ぶ神話のウサギのように今の俺は存在として無防備すぎた。
「…これは、凄いですね。実際にこの目で見ても信じられません…」
傍に控えていた医師が興奮気味に拳を握り締めて語るのを聞きながら、俺の心は液体窒素に漬け込まれていた。ほんの少しの刺激にもパキリと粉々に壊れてしまいそうな均衡を崩したのは、やはり目の前の美しい男だった。
「選んだね」
罪を糾弾された。
運命を楯にとってアイツの気持ちも自分の気持ちもゴミ箱に捨てて無理矢理に未来を選ばせた。突き放して送り出したはずの正解は、今になって盛大にバツがつけられて返ってきた。あの時の選択が独りよがりの偽善だとしたら俺の数年間は一体何のために、コイツの幸せのためだなんて口では綺麗ごとを云いながら毎晩壁を殴りつけては行き場のない気持ちをやり過ごしていた虚しい夜の数は一体何だったっていうんだろう。
覚悟も無いままに選んだ答えに今更涙を流すなんて。馬鹿馬鹿しくて恥ずかしくて情けなくて、どうしてこの手を掴んでしまったのかと後悔が波のように押し寄せる。それでも、一度味わってしまえば消える筈もない甘美な官能が身体の端々にまで刻まれて忘れることなど出来ないし、きっと次にまた同じ選択を迫られても同じ過ちを繰り返すしかない愚かさに吐き気がする。
言語化を許さない葛藤を面白そうに眺めているだけ、何も聞かず何も言わず求められるのを待つだけの余裕が憎らしい。これで復讐は出来たのか、お前は満足か。俺を踏みつけて振り回して慰み者にする権利を手に入れたことは、お前の傷つけられたプライドを癒してくれるのか。
──愛していたのに。
きっと、あの指を掴むまでは純粋に俺はお前を愛していたんだ。離れても時が経ってもかけがえのない想い出がまだ美しくこの胸に迫って、セピア色のアルバムに貼られた場面のひとつひとつに名前を付けて記憶をたどって愛おしめるくらいに、愛していたのに。
もう穢れてしまった。生命を天秤にかけた主従関係の不純さに、今俺は涙を流しているんだろう。巻き戻せない時間の代わりに悼んでいる、長きにわたって育んできた愛情が無為に死んでしまった事実を。
「成分が適合していないのかとも思いましたが直接的なwaterでこれ程までの変化があるとしたら、間接的な投薬では幾らも保たない可能性がありますね。可能であれば直接体液を交換する形での摂取を頻繁に行う方がいいかもしれません」
人の気も知らず滔々と語る医師を一瞥し、興味もなさそうに立ち尽くしていた男は、暫く休ませましょうと医師を促して部屋を出ていった。入れ替わりに、ピンとアイロンのかかった真っ白なハンカチを口に当てた管理官が部屋に入ってくる。目元が潤み、ぐすりぐすりとまるで泣いた後のように鼻を鳴らす様子にああ、この人も生きた人間なんだと妙な感心を覚えた。
「…凄い、です。私ですら当てられてしまった」
か細い声で悶える様子は平素の彼とはかけ離れていて上手く当てはまらない。
「余程相性がいいんでしょうね。お互いの遺伝子がこれほど合致している例は私も文献でしか読んだことがない。もしかしたらお二人はfortuneかもしれませんね」
「fortune…?」
「fortuneとは運命で結びつけられたパートナーです。paringした二人の中でも恐ろしい程の効力を持つ花を咲かせる稀少種を指します。あなた方はきっとfortuneでしょうね。お互いの結びつきが強すぎるために、他のownerからwaterをされる、或いは他のflowerにwaterをすると周囲を枯らしてしまうんです、あなた方のようにね」
…なんだって?引っかかった棘が高速で脳を回す。
「他のflowerを枯らす、というのは?」
「ああ、言葉が足りませんでしたね。water=直接枯らす行為ではなく、waterをしても枯れていく身体を完全に止めることは出来ないという意味です。頻繁に注いでおかないと効力は薄まりますから」
「…アイツにはパートナーがいるはずです」
「ええ、存じてます。彼がfortuneの遺伝子を持つ人間だからこそ”汎用性のある”薬の製造に係わって貰っていたんですから、彼の体質についてはきっとあなたより余程詳しく知っていますよ」
さも当然という顔をされてチクリと胸が痛んだ。
「っ…じゃあ!彼女はっ」
「彼らは結婚されていますが当然お二人ともそれは承知済みです」
”それ”とは、アイツがfortuneであるがために彼女を枯らしてしまう可能性があることなのか。或いは、いずれ運命の誰かに出逢うことで同じ歴史が繰り返されることか。
「…個人情報になりますから容体についてはお応えしかねます」
それが答えそのものだった。
俺たちを繋ぐ架け橋はこんなにも脆い。
この数週間まとわりついていた倦怠感が嘘のように艶を取り戻したその肌に、満ち溢れるエネルギーに、頭がついていかない。のっそりと寝台に起き上がり、ふるふると振った髪からこぼれ落ちていく光の粒子まではっきりと目に見える。視界に入る物体の解像度が一気に跳ね上がり、光の目眩さと鮮やかな彩りにハレーションを起こして、開かれた眼球が痛くて堪らない。受容体としての俺が変わってしまったのだろう、剥き出しの肌に潮風を浴びて泣き叫ぶ神話のウサギのように今の俺は存在として無防備すぎた。
「…これは、凄いですね。実際にこの目で見ても信じられません…」
傍に控えていた医師が興奮気味に拳を握り締めて語るのを聞きながら、俺の心は液体窒素に漬け込まれていた。ほんの少しの刺激にもパキリと粉々に壊れてしまいそうな均衡を崩したのは、やはり目の前の美しい男だった。
「選んだね」
罪を糾弾された。
運命を楯にとってアイツの気持ちも自分の気持ちもゴミ箱に捨てて無理矢理に未来を選ばせた。突き放して送り出したはずの正解は、今になって盛大にバツがつけられて返ってきた。あの時の選択が独りよがりの偽善だとしたら俺の数年間は一体何のために、コイツの幸せのためだなんて口では綺麗ごとを云いながら毎晩壁を殴りつけては行き場のない気持ちをやり過ごしていた虚しい夜の数は一体何だったっていうんだろう。
覚悟も無いままに選んだ答えに今更涙を流すなんて。馬鹿馬鹿しくて恥ずかしくて情けなくて、どうしてこの手を掴んでしまったのかと後悔が波のように押し寄せる。それでも、一度味わってしまえば消える筈もない甘美な官能が身体の端々にまで刻まれて忘れることなど出来ないし、きっと次にまた同じ選択を迫られても同じ過ちを繰り返すしかない愚かさに吐き気がする。
言語化を許さない葛藤を面白そうに眺めているだけ、何も聞かず何も言わず求められるのを待つだけの余裕が憎らしい。これで復讐は出来たのか、お前は満足か。俺を踏みつけて振り回して慰み者にする権利を手に入れたことは、お前の傷つけられたプライドを癒してくれるのか。
──愛していたのに。
きっと、あの指を掴むまでは純粋に俺はお前を愛していたんだ。離れても時が経ってもかけがえのない想い出がまだ美しくこの胸に迫って、セピア色のアルバムに貼られた場面のひとつひとつに名前を付けて記憶をたどって愛おしめるくらいに、愛していたのに。
もう穢れてしまった。生命を天秤にかけた主従関係の不純さに、今俺は涙を流しているんだろう。巻き戻せない時間の代わりに悼んでいる、長きにわたって育んできた愛情が無為に死んでしまった事実を。
「成分が適合していないのかとも思いましたが直接的なwaterでこれ程までの変化があるとしたら、間接的な投薬では幾らも保たない可能性がありますね。可能であれば直接体液を交換する形での摂取を頻繁に行う方がいいかもしれません」
人の気も知らず滔々と語る医師を一瞥し、興味もなさそうに立ち尽くしていた男は、暫く休ませましょうと医師を促して部屋を出ていった。入れ替わりに、ピンとアイロンのかかった真っ白なハンカチを口に当てた管理官が部屋に入ってくる。目元が潤み、ぐすりぐすりとまるで泣いた後のように鼻を鳴らす様子にああ、この人も生きた人間なんだと妙な感心を覚えた。
「…凄い、です。私ですら当てられてしまった」
か細い声で悶える様子は平素の彼とはかけ離れていて上手く当てはまらない。
「余程相性がいいんでしょうね。お互いの遺伝子がこれほど合致している例は私も文献でしか読んだことがない。もしかしたらお二人はfortuneかもしれませんね」
「fortune…?」
「fortuneとは運命で結びつけられたパートナーです。paringした二人の中でも恐ろしい程の効力を持つ花を咲かせる稀少種を指します。あなた方はきっとfortuneでしょうね。お互いの結びつきが強すぎるために、他のownerからwaterをされる、或いは他のflowerにwaterをすると周囲を枯らしてしまうんです、あなた方のようにね」
…なんだって?引っかかった棘が高速で脳を回す。
「他のflowerを枯らす、というのは?」
「ああ、言葉が足りませんでしたね。water=直接枯らす行為ではなく、waterをしても枯れていく身体を完全に止めることは出来ないという意味です。頻繁に注いでおかないと効力は薄まりますから」
「…アイツにはパートナーがいるはずです」
「ええ、存じてます。彼がfortuneの遺伝子を持つ人間だからこそ”汎用性のある”薬の製造に係わって貰っていたんですから、彼の体質についてはきっとあなたより余程詳しく知っていますよ」
さも当然という顔をされてチクリと胸が痛んだ。
「っ…じゃあ!彼女はっ」
「彼らは結婚されていますが当然お二人ともそれは承知済みです」
”それ”とは、アイツがfortuneであるがために彼女を枯らしてしまう可能性があることなのか。或いは、いずれ運命の誰かに出逢うことで同じ歴史が繰り返されることか。
「…個人情報になりますから容体についてはお応えしかねます」
それが答えそのものだった。
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