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隷属者の下剋上
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「……よくご覧なさいませ。お嬢様は、もうとっくに母君の面影を超えられてらっしゃいますよ。今、眼前に在るものを、大切になさいませ。
ーーー喪ってからでは、遅いのですから」
吐息混じりにそっと己の手袋を外して、僕の両手を取る。いつの間にか枯れて皺の多くなった手に包まれて、僕は「眼前に在るもの」について考察する。触れてしまえばその温もりを、伝わってくる心情を、慮る羽目になる。触れてしまえば僕にとっては余計な荷物を背負うことにもなる。
僕の完結した世界。
齟齬のない美しさで果てなく満たされている全き冥闇。
穏やかに凪ぎ、微塵も揺るがぬ硬質な鉱物で構築された冷然な王国は、無数の数と文字の構成に埋没していく。不安も不快もない、無味無臭の無音の地。
今迄は不都合など感じたこともない安住のその場所を今、僕は何故か、酷く退屈だと、感じた。
一度気付いてしまえば、堰を切って溢れ出して来る疑問を止める術がない。是まで一顧だにせず排除してきたものは果たして本当に、僕にとって無価値で不要な醜悪な事物でしかなかったのだろうか。
今、この手は確かに、温かさに包まれている。欲に塗れて他者を受け入れることで視界は澱み、身体は実態を伴って加重される。心に枷が嵌められる不快感を拭い切れない。
だが、目を閉じて、真っ先に浮かんできたのは美澄の泣き顔だった。
僕は、アレの泣き顔を厭う。淋しげに笑うのも厭だ。心を押し殺して完璧に微笑むのも厭だ。伝わらぬ気持ちに歯噛みしながら表情を消す瞬間も厭だ。雪や春や月に触れるその指も厭だ。容易く彼らを受け入れるその優しさと親愛も厭だ。密に蹂躙され、他の男に嬲られ、それでも艶然と委ねる身体が厭だ。
あの人と繋がった血を、穢されるのが厭だ。記憶の中の人と似て非なる者であるのが厭だ。
だが、それら全てをアレに押し付けて、そうならざるを得ない事態に追い込んだのはきっと、僕自身だ。
アレに責が有ることではない、と漸く僕は認める。アレをそういう人間に仕立てたのは他ならぬ僕の非情なのだ。僕を追い求め、袖にされ続け、行き場を失った末路が、今の美澄を造っているのだ。
僕は、美澄を、変えてやれるだろうか。
他人に干渉する労力を思うだけで、気が遠くなる。だが、僕は美澄を取り戻すと決めたのではなかったか。美澄は、僕のものなのだと決めた筈だ。
仮令僕自身の変容が迫られようとも、是は為すべきこと、なのだろう。
愛だとか恋だとか、そんな感情の定義など意味は無い。
そうだ、認めよう。
僕はもう、美澄の泣き顔を見るのは、厭なのだという事実を。
そして、美澄は、僕の番だ。
誰にも、渡さない。
ーーー喪ってからでは、遅いのですから」
吐息混じりにそっと己の手袋を外して、僕の両手を取る。いつの間にか枯れて皺の多くなった手に包まれて、僕は「眼前に在るもの」について考察する。触れてしまえばその温もりを、伝わってくる心情を、慮る羽目になる。触れてしまえば僕にとっては余計な荷物を背負うことにもなる。
僕の完結した世界。
齟齬のない美しさで果てなく満たされている全き冥闇。
穏やかに凪ぎ、微塵も揺るがぬ硬質な鉱物で構築された冷然な王国は、無数の数と文字の構成に埋没していく。不安も不快もない、無味無臭の無音の地。
今迄は不都合など感じたこともない安住のその場所を今、僕は何故か、酷く退屈だと、感じた。
一度気付いてしまえば、堰を切って溢れ出して来る疑問を止める術がない。是まで一顧だにせず排除してきたものは果たして本当に、僕にとって無価値で不要な醜悪な事物でしかなかったのだろうか。
今、この手は確かに、温かさに包まれている。欲に塗れて他者を受け入れることで視界は澱み、身体は実態を伴って加重される。心に枷が嵌められる不快感を拭い切れない。
だが、目を閉じて、真っ先に浮かんできたのは美澄の泣き顔だった。
僕は、アレの泣き顔を厭う。淋しげに笑うのも厭だ。心を押し殺して完璧に微笑むのも厭だ。伝わらぬ気持ちに歯噛みしながら表情を消す瞬間も厭だ。雪や春や月に触れるその指も厭だ。容易く彼らを受け入れるその優しさと親愛も厭だ。密に蹂躙され、他の男に嬲られ、それでも艶然と委ねる身体が厭だ。
あの人と繋がった血を、穢されるのが厭だ。記憶の中の人と似て非なる者であるのが厭だ。
だが、それら全てをアレに押し付けて、そうならざるを得ない事態に追い込んだのはきっと、僕自身だ。
アレに責が有ることではない、と漸く僕は認める。アレをそういう人間に仕立てたのは他ならぬ僕の非情なのだ。僕を追い求め、袖にされ続け、行き場を失った末路が、今の美澄を造っているのだ。
僕は、美澄を、変えてやれるだろうか。
他人に干渉する労力を思うだけで、気が遠くなる。だが、僕は美澄を取り戻すと決めたのではなかったか。美澄は、僕のものなのだと決めた筈だ。
仮令僕自身の変容が迫られようとも、是は為すべきこと、なのだろう。
愛だとか恋だとか、そんな感情の定義など意味は無い。
そうだ、認めよう。
僕はもう、美澄の泣き顔を見るのは、厭なのだという事実を。
そして、美澄は、僕の番だ。
誰にも、渡さない。
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