アイアン・ハート

モグラ

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五発目 サウス・エデン・リリー

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「どこまで行くの? マイアさん」
「取り敢えず、さっきみたいながいない所まで」

 所謂、裏路地という通路を、わけもなくといった風に進んでゆくマイア。無論、目的地など有る筈のない、行き当たりばったりの行軍だった。とかく、人目につかない場所へ。不思議を顔に浮かべながらも、ライラは抵抗の意を見せない。幼さ故の純真さは、彼女にとって、ひどく好都合だった。

「あの、あの……ね。くらい、ところは、わるい人がいっぱいだから、あぶないよって、おとうさまが」

 少女は、俯き加減にぽつぽつと呟く。

 ライラ=スカラー。彼女は、いつ頃まで、愛娘でいられたのだろうか。お父様ガルバロンにとって、ライラが道具で無かった日々は、一体どのようなものだったのか。申し訳なさ気に口を衝いた言葉が、手を引く少女の人となりを、見せかけにしろ愛されたという過去を、その存在を、脳裏によぎらせた。

 らしくない。らしくもないことだ。そんなことはどうだっていいのだから。

「大丈夫。私、腕には自信があるのよ。安全な所まで、あなたを守ってあげるから。だから、心配はいらないわ」

 ターゲットを安心させ、自らを信用させる。これは、、気遣いの言葉だ。

「おねえさん、さっきは、ありがとう。わたし、こわくって、でも、どうしようもなくて」

 マイアの断言を信じたらしい。少女の顔には、僅かに明るさが戻り始めていた。同時、目の前の覆面の女性を、恩人と認める感情が発生していた。発展途上、未熟な果実は、それをあでやかに表す術を持ち得ない。「ありがとう」の一言は、少女に産まれた複雑な感情の励起が、結晶となった音だった。恐怖、感謝、憧れに始まり、背徳、興奮、ときめきに似た閃光に、まだ果て無き数々。どれが何であるかも、まだ選り分けられぬ小さな少女は、大きな言葉を以てして、それを伝えることと相成った。

 一方で。

「花を踏みにじるような乱痴気も、華の扱い方を知らない少年も、結局は変わらない。蕾に触れる資格すらないの。だから、花園からは立ち退いて貰った」

 かくもいう。

「えっと……、ええと? おねえさん、わたし、わからない」

 比喩を汲む教養も、まだ満ちていない少女は、ただ、困ったように頬を緩ませた。マイアの声に滲む、静かな優しさは、敏感に感じ取っていたから。幼子というのは、得てしてこうである。人を渦巻く想いの色には、殊の外、鋭敏なのだ。

「私には、あなたの隣に居る資格をくれるかしら?」

 振り返らぬままに、足を止めぬままに、彼女は背中で訊ねた。

「しかくって、なに?」

 首を傾げ、惑う声色で告げる。その揺らぎを薙ぐように、マイアは少女を引き寄せる。
 隣に立たせたライラと共に、路地を抜けて一歩目を踏み出した。

 路地には家々の陰が差し、乾いた風としけた空気だけが漂っていた。暗がりという名の追手を撒き、麗らかな陽気の中へと二人は飛び込む。
 一人は駆けだすように、もう一人は惹かれるように。

 日差しを照り返すライラの髪は、可愛らしい栗色だった。陽光からかばった幼い右腕は、よく焼けた淡褐色。父と同じだった。

「言い直すわね」

 マイアは、ようやく彼女に向き直る。少し屈んで視線を合わせ、若草色の宝石を覗き込んだ。良く似合っている。そんなことは、考えもしなかったに違いない。

「ライラちゃん。私を友達にしてくれないかしら?」
「うん……、友達、うん!」

 はにかんだ花唇かしんから、真っ白な歯が、ちらりと顔を覗かせた。開花を待つ蕾の瑞々しさは、明日の太陽への希望に溢れていた。

 それを、今日というこの日に、摘み取ってしまおう。

 それを、なんらおかしいことだとは思いもしなかった。それは、日常の中の歯車に過ぎないからだ。ヒトが、足元の蟻を気にしないように、彼女は、蕾を摘むという行為に呵責を感じることはない。遺憾もまた然り。

 残虐にして、冷酷にして、それは当然なのだ。

 そこに、温もりの余地を忘れる程に、彼女は老いてはいなかった。しかし、その矛盾に気づける程に、成熟もしていなかった。
 未熟で、不完全で、薄氷の上に成るような一人の少女。

 故に、殺し屋としては、完璧だった。

「私、ライラちゃんとお話がしたいわ」

 線の細い白腕が、ライラの小さな掌を包む。優しく引いて、ゆっくりと歩んでいく。

 バルバロエの郊外、内包した森林の程近く。文明の侵略を受けないの自然は、追わず拒まずの寛大さを有していた。

 道と呼ぶにはあまりに拙い、拙い拙い道をゆく。あぜ道の小石の隙間から、芽吹く息吹は数知れず。脇を固める名も無き褪紅たいこう、まばらに根を張る木々の青緑、二人を迎え入れたサウゼイデンの心臓は、まさしく、人の手を離れた楽園そのものだった。

「マイアさんは、どんなおしごとをしているの?」

 他愛もない会話だ。

「わたし、この街が好きなの。マイアさんは?」

 他愛もない、他愛もない会話だ。

「わたしね、今日ね、ちょっぴり悪い子なの。おうちでは、お手伝いさんがいない時に、ひとりでさんぽしたらダメって、だけどね」

 悪戯っぽく微笑む少女。マイアを見上げるあどけない顔に、誇らしげな得意が表れていた。

「かぎが開いてたから、抜け出してきちゃった! 外って、こんなに広いのね!」

 他愛もない会話だ。

 両手を広げ、小さな体に、目一杯の自然を受けて、くるりくるりと舞う少女。栗色のセミロングがそよ風になびく。小麦色には少し淡い少女の肌が、脇を流れる小川の水面で輝いていた。揺れ、揺れ、割れる。銀の輝きを湛えた魚が、少女の姿に飛び込んで、揺れた。

 他愛もない光景だ。美しくはあれど、ただ、あるがままの景観だ。

 それを、少女ライラは知らなかったのだろうか。ふと湧いた共感は、どうしようもなく煩わしかった。

「マイアさん。ひとつ、訊き忘れていたことがあるの」
「何かしら?」
「どうして、私の名前を知っていたの?」

 他愛もない会話でも、良かった。トスをつなぐことは、微塵の痛みが積もれども、決定的にはなり得なかったからだ。

 しかし、そうでない会話は、毒だ。この時間の寿命を縮める劇物に他ならない。一時の安寧を、ひいては彼女自身の時間を、瞬く間に奪い去る魔手なのだから。

「私が、悪魔だからよ。悪魔はね、なんでも知っているの」
「え、マイアさんは、……なの?」

 その言葉の意味も、深く解せぬ少女は、確かめるように言葉を紡ぎ、小さく首を傾げた。肩をすくめると、余計に小さく見える。そんな彼女に、湧いて然るべきは庇護の欲念だろうか。もっとも、ガルバロンにも、マイアにおいても、湧き上がる思いは別であった。

「そう。悪魔って言葉は、醜く恐ろしい怪物を連想させるみたいだけれど」

 そこで一度、言葉を切る。腰に落とした右掌に、冷えた金属の感触を確かめた。

「悪魔の顔って、意外と綺麗な形が多いのよ。知ってたかしら?」

 微笑んで見せる。自然な笑顔ポーカーフェイスは彼女の十八番だ。

「じゃあ、マイアさんは、すごくきれいな悪魔さんなのね!」

 満面の笑みを浮かべていた。何を合点したのか、知る由もない。

「ねえ、ライラちゃん、駆けっこしない?」

 唐突な提案に、それでも乗った。ライラは、完全に懐いていた。

「位置について」

 遠方の一際大きな木をゴールに据え、二人は横一文字で身構える。

「よーい」

 砂利を踏みしめる音が、緊迫感を誘った。

「どん!」

 マイアの掛け声で、ライラは一目散に走りだす。初めて出来た友人との、他愛もない一瞬が、彼女にとっては、かけがえのない一瞬だった。

 だから、それを壊さずに、終わらせてあげようと思った。


 二回目の「どん」。響いたのは、柔らかで力強い肉声ではなく、無機質で冷たい銃声だった。風船が割れて散るように、少女の後頭部が一部、吹き飛んだ。
 死は、平等に訪れる。しかし、その瞬間までの速度はそれぞれだ。少女の場合、それが、秒速三百メートル弱だった。それだけのことだ。

 朱い華が咲いた。蕾は開花と同時に、死を迎えた。緑色の絨毯の上に、クリムゾンレッドの涙が染みていく。
 棺桶に入る前、天国に持参する品物としては、上出来な思い出だったろうか。

「一発、か。今回は、あっけなかったわね」

 灰銀シルバーグレーのシリンダーをさする。一、二、三、四、五、六。残弾を確認し、ゆっくりとホルスターに戻した。
 心を落ち着ける、彼女なりのルーティーンであった。


「これ、あげるわ! お友達の証」

 花を象った銀の髪飾り。友達の印。それが今、自分の額の左上に輝いている。捨てる気になれなかった。今日は、断ち切れなかった。

 軋んだまま、泣いていた。頬を伝った一筋に、どうしても、実感がついてこなかった。


 中心街の喧騒の最中、僅かに届いた撃鉄の咆哮を、遠く聞いた男がいた。男と呼ぶには、些か幼い。少年と呼ぶのが相応しく感じるような、素直さを失えないでいる男だった。

「クライアントさん、ざーんねん。ゲームオーバーみたいだね」

 にやにやと笑う。くすくすと笑う。にたにたと笑う。どれも、空っぽだった。

「順序は指示されてないもん、仕方ないね。さーて、そろそろ仕事しようか」

 左のポケットに、必殺の一手を隠し持って。

「ボク、今、殺しあいに行くよ。待っててね、ガンマンちゃん!」

 不敵に笑う。いずれにせよ、空虚であった。 
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