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第24話 わたしの決めたこと

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 長老に伝えたのは、まずベルが元人間であるということ。それゆえに人間の性質について詳しいこと。そして、これからの人間社会を不安視していること。
 長老はベルの話を冴えぎることなく、最後まで相槌あいづちのみだった。話が終わると肘かけに手を置き、ロッキングチェアを揺らす。溜息とも唸り声ともつかない喉の音が鳴った。
「——元人間の妖精か。神々は気紛れだからな。それくらいのことはやるかもしれん」
 長老の声色に負の感情はない。人差し指で肘かけをトントンと鳴らしながら言葉を続ける。
「このことは他の同胞には明かさない方がいいな。古い家系の者が少なくなってしまった。創造神より授かった力は衰えていくばかり。今の者には理解が及ばず、疑心を抱かせるかもしれない」
 ヒイロは長老の意見に小さく頷いている。このことについては同意見のようだ。
「分かりました。それでわたしが考えたのは、移住です。皆さんで人間の手が届かない場所に移住するんです。お互い手出しできなくなる場所へ」
 ベルとヒイロは会議のために話し合った。魔族だけの世界を創るというベルの案に、ヒイロが助言を出して意見をまとめた。
 前世でベルがたくさん読んだ本に、この世とは違う場所が何度も出てきた。それは、異世界、高天原タカマガハラつ国……様々な呼び名がある。
 辿々しいベルの説明にヒイロは理解を見せ、「ならば、人間だけではなく動物たちですら認知できない層まで移動するのはどうだ? この世界の裏側といえる域まで」と言った。こうしてできたのが、闇の者たちの新しい住処——「魔界」への移住案だ。
「ただ滅びるのを待つ、だけでは状況は変わりません。今まで通り世界を見守り、もし人間が悪い方へ進む一方なら、強風を起こし、雷を落とし、大雪を降らせましょう。人間たちから見えなくなっても、そうやってわたしたちの意志を示すことはできます。過ちを正せれば、あなたたちが滅びることもなくなるはず」
 ベルが前世で読んだ本の中に、傲慢な人間たちに天罰が下る話はいくつか出てきた。神に近づくために作られた塔は壊されたし、太陽に近づき過ぎた男の羽は燃やされた。
 人間には知恵がある。過ちを冒すこともあれば、正すこともできる。それをベルは知っている。前の世界でも自然を取り戻そうとする試みはあった。
 元人間だからこそ、争って欲しくない。妖精だからこそ、この世界を守りたい。自分の想いを言葉に乗せて精一杯伝えた。
 ベルが話し終えると、長老は静かに目を閉じた。話の内容を反芻はんすうしているのだろうか。チェアに背中を預け、難しい顔をしている。
 部屋の中は静寂に満たされ、心臓の音がうるさく感じるほどにベルは緊張していた。元々は大人しい性格なのだ。中学生の頃は自己主張などしたことはなかった。稚拙な言葉でも、伝えなければならないことは、すべて伝えた。長老の一挙手一投足も見逃さないように、穴が開くほど見つめる。
「それがお前たちの意見か……」
 やがて長老はゆっくりと口を開いた。身を起こして指を組み、ベルとヒイロを見据える。
「我が強いヤツらが納得すると思うか? お前たちにそれができるのか?」
 その迫力にベルが身をすくめると、ヒイロが一歩前に出て庇うような仕草をする。
「無論だ。だが、それにはまず最高権威である貴殿の協力が必要だ。同胞たちのため、力を貸してくれ」
 そう言ってから頭を深く下げる。射干玉ぬばたまの髪がさらりと揺れる。
 ベルもヒイロに倣う。彼の協力を得られなければ、計画が始まる前から終わってしまう。祈るような気持ちだった。
「——ハッ」
 長老の声が漏れ、それからはくつくつと、次第に喉奥まで見えるほど声を上げて笑う。
「……はあ、百年ぶりに面白いものを見せてもらった。お前がこのオレに頭を下げる日が来るとはな」
 長老は口角を上げて挑戦的な笑みを浮かべる。
「まあ、このまま消えるよりはいいだろうが、簡単に手を貸せるもんでもない。その嬢ちゃんと二人で少し話をさせてくれ」
 長老の人差し指は真っ直ぐベルに向けられている。判断に困ったベルがヒイロを見上げると、
「彼はもっとも古い一族の者。妖精に害をなすことは決してない。私は退席するが、もしも困ったことがあれば呼べ。すぐに来よう」
 力強い眼差しでそう言い、手を差し出した。ベルは頷いて指先にそっと触れる。少しの間そうした後に、ヒイロは颯爽とドアの向こうに消えた。
 長老は半ば呆れたように苦笑し、「小僧め。少しは声を落とせ」と小さく言ってから、一転して落ち着いた声でベルに話しかけた。優しく笑って手招きをしている。
「嬢ちゃん、こっちへおいで」
 ベルは恐る恐る飛んで近づく。目の前にすると、長老の外見は若々しく背丈は大きい。威圧感がある体型だ。持っている魔力も以前のヒイロのように大きく力強い。けれど、優しく細めた目が老齢を感じさせる。
「よく来てくれた。生きているうちにまた妖精に会えるとは思わなかった。懐かしい……。少し話をしたくてな。この老いぼれに付き合ってくれないか?」
 ベルがゆっくり頷くと、長老は「ありがとう」と微笑む。
「小僧には言わないで欲しいんだが、オレは嬢ちゃんたちに協力するつもりだ。だが、あいつはオレのことが気に入らないだろうからな。素直に受け入れないはずだ。面倒臭いだろ? オレたちはそういう生き物だ」
 長老が大袈裟に溜息をついて頭を振るので、ベルから小さな笑いが溢れた。
「嬢ちゃんは人間だったからか、一般的な光の者とは毛色が違うな。あいつらはもっと曲者くせものだった」
「え! そうなんですか?」
 精霊や妖精というと、清廉せいれんな印象だ。自分たちが消えることを受け入れたという話から、儚い存在のようにも思える。実際にヒイロたちは「優しかった」と言っていた。
「ははッ! 確かにそうだな」
 ベルが印象を伝えると、長老は大口を開けて笑う。
「根は優しいんだろうな。でも、オレに向かって『お強いですね。とても敵いません』なんて下手に出たかと思えば、大群で襲いにかかってくる。それもケラケラ笑ってだ。魔力の扱いは緻密だし、本当に手を焼かされた」
 長老の口調は忌まわしげだが、目元は緩んでいる。決して憎んでいるわけではないことが分かる。懐かしんでいるようだ。
「創造神に与えられた役目で何度も戦ってはいたが、いなくなってみれば寂しいもんだ」
 深く長い溜息。長老の視線はどこか遠いところを見ている。ベルが昔見た、老いた祖父がたまにする表情だ。
「若者には言えないが、オレの寿命はもう長くない。魔力はまだあるが……。喧嘩っ早いあいつらが心配でな。嬢ちゃんに任せてもいいか?」
 ベルは問いかけには答えず、長老の左前腕に触れた。魔力を手に込め、優しく撫でる。腕が金色の魔力に包まれる。
「長老さん。左腕に怪我をしてますね。動かすのも大変そうです」
 長老はロッキングチェアに身体を預けてだらけているようで、左腕を動かしている様子がなかった。
「こりゃ参ったな。バレないようにしていたはずなんだがな」
 腕に魔法をかけ続けるベルの表情は悲しげだ。
「でも、治せません……」
 ベルには長老の左腕に影がかかったように薄暗く見えている。魔法によって一部は取り除けたが、大元は残ったままだ。やるせなさに涙が浮かんだ。
 長老はベルの頭をもう片方の手で撫で、唇を横に広げる。
「大丈夫だよ。元は昔に受けた傷だが、加齢による衰えが大きい。創造神でさえ時間は巻き戻せない。失ったものは取り戻せないのが自然の摂理だ。ありがとう。少し楽になった」
 ベルは魔法をかけるのをやめて、長老の顔を見上げた。まだ滲んだ瞳に決意の光が宿る。
「わたしにできることなら何でもやります。どこまでできるか分からないですけど……」
 その答えに長老は深く頷く。
「あの坊主、嬢ちゃんには心を開いているようだから言わせてもらうが……。あいつの生まれ故郷はすでに枯れてしまってな。あいつ以外生き残っていない。跡継ぎも生まれてくることはない。あいつが最後の代だ。闇の者自体も全体的に数が減っていて、力の弱いものしか生まれん。それがあって人間を滅ぼそうとしたんだろうな」
 ベルの顔が曇る。家族がいないだなんて聞いていなかった。長老の言葉がヒイロの強い義務感の理由に繋がる。
「嬢ちゃんがよければ、あいつのそばにいてくれないか? あいつには支えが必要だ」
 長老が深く頭を下げる。恐らく他の魔族には見せないであろうその姿にベルは戸惑う。しかし、今までの真摯しんしな態度を思い出し、すぐに頷いていた。
「これで老いぼれの心残りもなくなる」
 長老は晴れやかに笑う。多くの魔族が従う実力者とは思えないほど慈愛に満ちた顔だった。

*****

 部屋に戻ってきたヒイロは「問題はなかったか?」と尋ねたが、ベルは「わたしの仲間の話を少し聞いていただけ」と答えた。長老がこっそり片目を瞑っている。茶目っ気があるのはベルにだけで、あとは元の猛々しい顔つきでヒイロを挑発していた。
——素直じゃないのね。
 ベルは二人のやりとりを微笑ましく思うのだった。
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