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異世界人の立場を確保する

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「お嬢様、お館様がお呼びです」

 来たわね。
 私は腹に力を入れて立ち上がる。
 なんとか父様を説得しなければ。

「あ、あの、俺は?」
「シンがいきなりお館様に会える訳がないだろ? この地方で一番お偉い方だよ? 不審者を近づけさせると思う?」
「おおう、俺って不審者?」
「自覚、ない?」
「いや、自覚ありありだけどさ。なんかさびしいっていうか、普通異世界に来たら権力者と会っていろいろあるのはテンプレじゃん?」
「もし会えるとしても、その意味のわからない言葉を使うのを直してからね」
「えー」

 シンとの会話はいい意味で力が抜ける。
 これで変に気負わずに行けるわ。

「じゃあエッデ、シンのことお願いね」
「承りました」
「えっ、この怖い人と二人きり?」
「何か不満でも? 言っておきますが、私はあなたの監視役でもあるのですよ」
「というか、監視役でしかないですよねー」

 シンががっくりと肩を落とすのを見ながら笑みさえ浮かべて部屋を出た。
 謁見の間はこの館で最も豪華な部屋だ。
 交渉の際に相手に足元を見られないためにも、どの領主も謁見の間には金を掛けると聞いている。
 王家の血筋エデである我らはさらに格調の高さも求められるので、センスの悪い内装にする訳にはいかない。
 この部屋を造るためだけに、王都より王家専属の内装師を呼んだと聞いていた。
 まぁ私が生まれる何十年も昔の話だ。
 今はさすがにやや古びた感じがするが、それは歴史を重んじる貴族家にあって、悪いことではない。
 入室するとほぼ同時に父様も入室して来る。
 本当はもうちょっともったいぶるべきなんだけど、まぁ身内だからその辺は適当なのだろう。
 何か酷くご心痛が窺える顔色だ。いかがされたのだろうか?

「我が姫、メッサリオン・ディー・ラクナス・エデ・ファラッシアよ、面を上げよ」
「上げています」
「形式は遵守されるべきだぞ」
「お館様も登場が早かったですよね」
「わかった。今はそういう話で揉めている場合ではあるまい。そなた、なにやらまた街で拾って来たとか」
「はい。異世界から来たと申す男を一人」
「なんだ、異世界とは」
「別の世界です」
「……異界の人間ということか?」
「いえ、魔物ではありませんよ」

 ふうと重々しい息をついた父様はぎしりと音を立てて椅子に深く座った。

「最初から順を追って説明いたせ」
「承知いたしました。本日私が宵闇の森を巡回していると……」
「まて、姫。わしはそなたに巡回を命じた覚えはない」
「私も命じられた覚えはありません」

 しばし父娘で見つめ合う。不毛ですね。

「まぁいい続けよ」
「はい。途中で姫が怪しい気配に気づきまして」
「姫というのはあの半端な一角のことだな。ややこしい名前をつけおって」
「姫は半端ものではございません」
「あいわかった。続けよ」
「それで、怪しい気配のする森深くへ行くと、そこで飛び首に襲われている男を発見いたしました。あまりに無防備、あまりに弱々しくありましたので、飛び首を払うついでに助けたのです。そうしたら、その怪しげな男は、訳のわからない言葉を発し、挙げ句に自分は異世界から来たと申しました」
「身一つで森深くに行くような者だ、少々気が触れているのではないか?」
「いえ、話をしたところ頭はまともです。しかもかなり優秀なほうかと」
「ならば何処かの間者であろう。そなたがたびたび単身で森に入ることを知って、近付こうとした。そう考えるのが当然だ」
「私も最初そう考えたのですが、しかし、そう考えるにはあまりにも男の振る舞いが突飛すぎました。あのような振る舞いをする男は間者に向いていません。目立ちすぎます」
「お前の気を惹くためではないか? そなたもずいぶんと変わり者と言われておるからの」
「ふふふ……」

 私は思わず漏れた低い笑い声にあわてて口元を押さえた。
 あら、父様、顔色がお悪いようですよ?

「と、とにかくだ。そのような身許不確かなる者を城に入れる訳にはいかぬ。そっこう叩き出せ。いや、審問官に引き渡せ」
「嫌です」
「なんだと?」
「嫌です」
「そなた我が命が聞けぬと申すか?」
「たとえ主命であろうとも、それが道理に反したものならば抗うのも臣下の努め。私はそのような非道を命じる主にお仕えしたくありません」
「非道と申すか!」

 激高して席を立つ父様を私は冷ややかな目で見つめた。

「異世界から迷い込み、右も左もわからぬような者を叩き出せば、即刻路頭に迷うのは自明の理。まして、罪を犯してもいない者を審問するなど法を愚弄する行為に他なりません」
「うぬっ、そなた、その男の言葉を信用するに値すると?」
「少なくとも嘘には思えませんでした。私の言葉を主殿が信用出来ぬとおっしゃるのなら仕方ありませんが」
「ぐぬぬ……」

 父様はしばし片手で額を押さえていたが、やがて顔を上げる。

「それで、姫はその者をどうしたいのだ」
「我が近侍として召し抱えたく存じます」
「な、ならぬ。そなた嫁入り前の身であるぞ。そのような怪しい男を傍に置くなど」
「あら、嫁に出していただけますの?」

 私はにっこりと微笑んだ。
 ズルい言い方だが、そもそも、今に至って態度をはっきりさせずに家族の間に緊張をもたらしているのは父様なのだ。このぐらい許されるだろう。

「そ、それは、うぬぬ。例え婿を迎えることになろうとも同じであろうが」
「男であろうと女であろうと、優秀な者を傍に置くのはよき治世の要所である。そうではありませんか?」
「……その者、それほどに優秀であると?」
「まだはっきりとは。ですが、間違いなく彼は知識階級に在った者。その知恵と知識は我が助けになると感じました。人との出会いは運命。それを選ぶのは天啓であると、昔父様はおっしゃいましたね」
「そこで父と呼ぶか。そなたはほんに巧者であるな」

 父様は側仕えの者を呼び寄せると、書面をしたためる。

「わかった許可を出そう。そなたの管理するところとする。だが、心するのだぞ、人間は今までの獣とは違うぞ?」
「承知いたしました」

 私はほっとして父様にとっておきの笑顔を向けた。
 父様も少しだけ笑みを浮かべる。

「すまないとは思っているのだ」

 あ、さっきの話か。

「いいのです。その分好き勝手出来ていますから」

 私か兄君か父様が後継をきっちり指名せずに煮え切らないせいで私の立場が微妙なものとなって縁談も進めることが出来ないことに対して、いらだちがないとは言わないが、そのおかげである程度自由に動けているのは確かだ。
 でも、こんなに落ち込まれるとは、さっきはちょっとはっきり言い過ぎたかもしれないな。
 ともあれ、これでシンは正式に私の近侍となった。一安心だな。
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