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蠱毒の壷
その二十四
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ピーターの憤怒の雄叫びと共に、対峙していた人狼の周囲に無数の不思議な球体が浮かび上がった。
それらは最初ビー玉ぐらいの大きさだったが、急激にその体積を縮小させ、ビー玉からパチンコ玉ほどのサイズになり、最後にはベアリングの玉ほどに縮む。
無色透明なそれは映り込む光が無ければ見失っていただろう。
むしろ反射でしか見えない状態だからこそ、中途半端に見えていて認識し辛い所もあった。
それらが小さく凝縮され、無数に散らばった今、薄暗かった通路内がキラキラと反射する光で埋まる。
「あんたは向こうへ行け! 奴等の始末は俺に任せろ!」
「おい」
ピーターの言葉と共に、空中に漂う細かく透明な玉は猛スピードで動き出した。
異変を察知してこっちに飛び掛かろうとしていた人狼をそれらの玉が次々と貫く。
その球体にどれだけの強度があるのか、まるで散弾を浴びたように人狼の体は損壊した。
しかし、相手は無限の再生能力を誇る人狼である。破壊された端から再生していく。
「ウルアアアアアッ!」
人狼の口から雄叫びが上がった。
その体躯が一回り膨れ上がる。
いや、全身の体毛が逆立ったのだ。
ピンと突き立った体毛は、見ただけで堅そうで並の攻撃など通らなさそうに見える。
「残念だったな、俺の弾は重いぜ! どんな防御も無駄だ!」
ザン! と、空気が振動する。
細かい粒が密集し、一時に動いたのだ。
ソレが人狼に一斉に降り注ぐ様はキラキラと光の奔流のようで酷く美しい。
だが、それは残酷な凶器の美しさだ。
「ギャアアア!」
人狼の半身が引き千切られた。
それがこの戦いにおいて相手が負った最大の負傷だっただろう。
俺は半ば唖然とその光景を見ていた。
ピーターが戦いに参入してまだ数分も経っていない。
「何してる天然の勇者さんよォ! てめえは早くあっちを何とかしろ! 俺は自慢じゃねえが知恵はまわんねえんだよ!」
言われて、俺は改めて背後に意識を向けた。
あっちはあっちで明らかに様子がおかしい。
雰囲気が重く凍りついたようだった。
それにほとんど動きがない。
動かないというより動きかねているという感じだ。
「わかった!」
ピーターの今の強さは確かに圧倒的だったが、それはなんとなく安心出来ない強さだった。
どこがどうとは言えないが、どうも不自然さを拭い切れない。
そもそも俺は彼に戦うなと言ってあったのだ。
とは言え、流れは確かにピーターにある。ここは任せるべき場面だろう。
「わかった。無茶はするな」
「何言ってんだ! ヒーローってのは無茶をするのが通常行動だ!」
「そんな捨て身のヒーローなんざ格好悪いだけだ!」
血が昇っている相手に言っても仕方ないかもしれないが、どうしても言わずにおれなかった。
ピーターの体はまるで命を絞り出してでもいるかのようで、露出している皮膚の表面には血管が青く浮かび上がり、皮膚のあちこちにひび割れすら見える。
だが俺が何を言おうと、今の彼が引くとは思えなかった。
ピーターから答えはない。
俺は仕方なく思いを振り切って装甲車の方に下がった。
「何があった!」
俺の声に車両の脇で立ち尽くしていた浩二が振り向く。
灰色の風景の中でわかりにくいが、その顔色は真っ青で表情が抜け落ちていた。
嫌な予感が体の動きを止めようとしたが、俺は気合いを入れて車内を見る。
何を見ても動揺しないつもりだった。
「っ!」
だが、俺の決意は儚く砕ける。
そこには例の少年を膝枕して涙を零す由美子の姿があったのだ。
そして、肝心の少年の姿は、無残としか言いようがない。
体中から頭蓋骨以外の骨という骨が飛び出していた。
その口は絶叫しているかのように大きく開け放たれている。
恐ろしい苦痛に歪んだ顔はそのまま硬直して元のあどけない顔を思い出させなくなってしまっていた。
この少年がそんな風な苦しみを負う理由がどこにあったと言うのだろう? もし罪人であったとしても、そんな苦しみをもって贖うような罪があるのだろうか? そう思わずにはいられない姿だ。
俺はどうやら一瞬ふらついたらしい。
気づいたら背中を浩二が支えていた。
「何があった」
重ねて問う声が震える。
怒りが体内で渦巻いて、目に付く物を手当たり次第に破壊したい衝動に駆られた。
ピーターが切れるはずだ。
まともな人間ならそれは耐えられる光景ではない。
そして、その場にはアンナの姿が無かった。
「アンナさんが術を平行処理をしてトランス状態になっていました。魔法使いの集中を乱す訳にはいきませんから私達は一定の距離を置いていたのです」
恐ろしい程冷静に明子さんが説明をする。
怪異のおぞましい姿に悲鳴を上げていた時の様子など、全くうかがわせない、冷静でどこか感情を抑えた声だった。
「そうしたら突然、その少年の体から飛び出した物が、……今思うと骨だったのでしょう、それが鳥籠のようにアンナさんを囲んだと思ったら、一瞬後にはアンナさんは消え失せてしまいました。装甲車の記録には転送の痕跡がありました」
ガリッと口の中に嫌な感触を感じて、俺は自分が奥歯を噛み潰さんばかりに噛み締めていたことに気づく。
「連中はアンナ嬢を、いや、勇者血統の誰かを確実に捕らえるためにこの子供を殺したのか」
口にした言葉が苦い。
実際に口の中に血の味が広がった。
連中はまるで獣を狩る罠を仕掛けるように、子どもの中に術式を仕掛けたのだ。
おそらくはスイッチ1つで発動する、単純だからこそわかりにくい魂渡りの類の術だろう。
俺の中で荒れ狂う感情と相反するように目に見える風景はひどく静かだ。
由美子の涙がこぼれて閉じられた異国の少年の瞼を濡らしている。
「可哀相。迷宮で死んだら魂は囚われたまま。私に巫女の力があれば大事な人の所に送ってあげられたのに」
こみ上げて来る物をもう一度ぐっと噛み殺す。
今は泣いたり出来ない。
「おい、大木。迷宮内に脱出符の痕跡はあるか?」
「……あ、うん。お初ちゃんどうかな?」
大木は装甲車のAIに直接尋ねた。
「はい。侵入してから現在まで閉鎖空間内に揺らぎは発生していません」
「わかった。急ぎボス部屋へ向かうぞ!」
迷宮を脱出するには脱出符を使うかこの層のボスを倒すしかない。
脱出符が使われておらず、俺達が放出されてないということは、まだ奴等もそしてその手中のアンナ嬢も迷宮内にいるということだ。
脱出符は特殊なルートで流通していて、なかなか一般に手に入れることが出来るような簡単なものではない。
ブラックマーケットに全く無いということは無いだろうが、ただでさえ高額な物がとんでもない値段になっているのは間違い無かった。
連中が金目当てでやっているなら、そして自分達の実力に自信があるのなら、間違いなくボス討伐からの脱出ルートを選ぶはずだ。
「アンナを絶対に取り戻す」
俺の言葉に全員が涙を拭って頷いた。
まずはピーターの支援に入って、時間稼ぎであろう人狼を制圧する必要がある。
再び今度は全員で合流した戦いの場は、すでに血の臭気に満ちていたが、互いに決め手に欠いて千日手状態に陥っていた。
ピーターの攻撃は広範囲爆撃並に回避がし辛いものだが、逆に言えば焦点を絞らせなければその攻撃は薄くなる。
再生能力を持っている相手からすれば常に動き続ければ少々身を削られても行動を止められることは無い。
そうしてその身を削りながら接近してピーターに攻撃を仕掛けるのだが、肉弾戦主体の人狼は攻撃の瞬間は踏ん張りが必要となるため位置が固定される。
するとピーターからのあの恐ろしい集中攻撃を受けるので人狼側は距離を取るしかないという流れだ。
「ピーター! 終わらせるぞ! 援護に回れ!」
言い捨てて俺は全速力で人狼に突っ込んだ。
その人狼は、前からするとさすがに動きにキレが無くなっているように感じられる。
奴はピーターの攻撃と俺の攻撃のどっちに対応するか一瞬迷い、動きが止まった。
そこへすかさず飛び掛かったのは、ピーターの玉でも俺でも無かった。
天井を素早く這って奴の真上に到達していた由美子の式である蜘蛛が糸を吐き掛けたのだ。
強粘着のそれは相手が暴れれば暴れる程強く絡まり締め付ける。
さすがの人狼もとうとう身動きが取れなくなった。
「グルルルル」
野生の獣さながら唸りながら転がり続けるが、もはや脅威にはなり得ない。
だが、そこへ躊躇う様子も見せずに更に追撃を入れようピーターが迫る。
俺はほとんど羽交い締めにするようにそれを止めた。
「やめろ!」
ほっとしたことにピーターの操る攻撃はある程度の集中が必要のようで、密集しようとする途中で例の球はそのまま停止する。
「止めろ馬鹿! 無駄な殺生禁止!」
俺は重ねて暴れるピーターに言い聞かせるように告げた。
「貴様が馬鹿だ! 毒虫は殺すしかないんだよ! 徹底的に駆除しなきゃ善良な人間を犠牲にし続けるんだ! 確かに不死は殺しにくいが、さすがの狼野郎も微塵に砕けば死ぬだろうよ!」
それは迷いの無い叫びだった。
薄々感じていたが、ピーターには今回の件だけじゃなく恐らく何か似たような経験があるんだろう。
だが、害のある相手だからこそ生きていないと意味がないこともある。
死んだ人間は何も語りはしないのだ。
まあ人死に耐えられないゆえの逃げと言われれば違うと否定は出来ないが。
「兄さん!」
浩二の鋭い声に、俺達は諍いを止めて倒れている人狼を見た。
問題が起きるとしたらまずはそこだろうという共通認識があったからだ。
だが、俺達が目にしたのは想定外の事態だった。
==============================
新大陸連合の英雄計画:呪いにより勇者血統が生まれない土地となってしまった新大陸で対怪異のスペシャリストを生み出そうという国家的計画。
人体実験の噂が耐えなく、国際連合から二度の質問状が送られた。
答弁によると「愛国者の志願による合意に基いての実験である」との事だが、その内容は一切明かされていない。
異能者をベースにした強化人間を製造しているのではないかと言われている。
更にそのプロジェクトの一環として、国内のあらゆるメディアでヒーローを人類の救世主として喧伝している。
それらは最初ビー玉ぐらいの大きさだったが、急激にその体積を縮小させ、ビー玉からパチンコ玉ほどのサイズになり、最後にはベアリングの玉ほどに縮む。
無色透明なそれは映り込む光が無ければ見失っていただろう。
むしろ反射でしか見えない状態だからこそ、中途半端に見えていて認識し辛い所もあった。
それらが小さく凝縮され、無数に散らばった今、薄暗かった通路内がキラキラと反射する光で埋まる。
「あんたは向こうへ行け! 奴等の始末は俺に任せろ!」
「おい」
ピーターの言葉と共に、空中に漂う細かく透明な玉は猛スピードで動き出した。
異変を察知してこっちに飛び掛かろうとしていた人狼をそれらの玉が次々と貫く。
その球体にどれだけの強度があるのか、まるで散弾を浴びたように人狼の体は損壊した。
しかし、相手は無限の再生能力を誇る人狼である。破壊された端から再生していく。
「ウルアアアアアッ!」
人狼の口から雄叫びが上がった。
その体躯が一回り膨れ上がる。
いや、全身の体毛が逆立ったのだ。
ピンと突き立った体毛は、見ただけで堅そうで並の攻撃など通らなさそうに見える。
「残念だったな、俺の弾は重いぜ! どんな防御も無駄だ!」
ザン! と、空気が振動する。
細かい粒が密集し、一時に動いたのだ。
ソレが人狼に一斉に降り注ぐ様はキラキラと光の奔流のようで酷く美しい。
だが、それは残酷な凶器の美しさだ。
「ギャアアア!」
人狼の半身が引き千切られた。
それがこの戦いにおいて相手が負った最大の負傷だっただろう。
俺は半ば唖然とその光景を見ていた。
ピーターが戦いに参入してまだ数分も経っていない。
「何してる天然の勇者さんよォ! てめえは早くあっちを何とかしろ! 俺は自慢じゃねえが知恵はまわんねえんだよ!」
言われて、俺は改めて背後に意識を向けた。
あっちはあっちで明らかに様子がおかしい。
雰囲気が重く凍りついたようだった。
それにほとんど動きがない。
動かないというより動きかねているという感じだ。
「わかった!」
ピーターの今の強さは確かに圧倒的だったが、それはなんとなく安心出来ない強さだった。
どこがどうとは言えないが、どうも不自然さを拭い切れない。
そもそも俺は彼に戦うなと言ってあったのだ。
とは言え、流れは確かにピーターにある。ここは任せるべき場面だろう。
「わかった。無茶はするな」
「何言ってんだ! ヒーローってのは無茶をするのが通常行動だ!」
「そんな捨て身のヒーローなんざ格好悪いだけだ!」
血が昇っている相手に言っても仕方ないかもしれないが、どうしても言わずにおれなかった。
ピーターの体はまるで命を絞り出してでもいるかのようで、露出している皮膚の表面には血管が青く浮かび上がり、皮膚のあちこちにひび割れすら見える。
だが俺が何を言おうと、今の彼が引くとは思えなかった。
ピーターから答えはない。
俺は仕方なく思いを振り切って装甲車の方に下がった。
「何があった!」
俺の声に車両の脇で立ち尽くしていた浩二が振り向く。
灰色の風景の中でわかりにくいが、その顔色は真っ青で表情が抜け落ちていた。
嫌な予感が体の動きを止めようとしたが、俺は気合いを入れて車内を見る。
何を見ても動揺しないつもりだった。
「っ!」
だが、俺の決意は儚く砕ける。
そこには例の少年を膝枕して涙を零す由美子の姿があったのだ。
そして、肝心の少年の姿は、無残としか言いようがない。
体中から頭蓋骨以外の骨という骨が飛び出していた。
その口は絶叫しているかのように大きく開け放たれている。
恐ろしい苦痛に歪んだ顔はそのまま硬直して元のあどけない顔を思い出させなくなってしまっていた。
この少年がそんな風な苦しみを負う理由がどこにあったと言うのだろう? もし罪人であったとしても、そんな苦しみをもって贖うような罪があるのだろうか? そう思わずにはいられない姿だ。
俺はどうやら一瞬ふらついたらしい。
気づいたら背中を浩二が支えていた。
「何があった」
重ねて問う声が震える。
怒りが体内で渦巻いて、目に付く物を手当たり次第に破壊したい衝動に駆られた。
ピーターが切れるはずだ。
まともな人間ならそれは耐えられる光景ではない。
そして、その場にはアンナの姿が無かった。
「アンナさんが術を平行処理をしてトランス状態になっていました。魔法使いの集中を乱す訳にはいきませんから私達は一定の距離を置いていたのです」
恐ろしい程冷静に明子さんが説明をする。
怪異のおぞましい姿に悲鳴を上げていた時の様子など、全くうかがわせない、冷静でどこか感情を抑えた声だった。
「そうしたら突然、その少年の体から飛び出した物が、……今思うと骨だったのでしょう、それが鳥籠のようにアンナさんを囲んだと思ったら、一瞬後にはアンナさんは消え失せてしまいました。装甲車の記録には転送の痕跡がありました」
ガリッと口の中に嫌な感触を感じて、俺は自分が奥歯を噛み潰さんばかりに噛み締めていたことに気づく。
「連中はアンナ嬢を、いや、勇者血統の誰かを確実に捕らえるためにこの子供を殺したのか」
口にした言葉が苦い。
実際に口の中に血の味が広がった。
連中はまるで獣を狩る罠を仕掛けるように、子どもの中に術式を仕掛けたのだ。
おそらくはスイッチ1つで発動する、単純だからこそわかりにくい魂渡りの類の術だろう。
俺の中で荒れ狂う感情と相反するように目に見える風景はひどく静かだ。
由美子の涙がこぼれて閉じられた異国の少年の瞼を濡らしている。
「可哀相。迷宮で死んだら魂は囚われたまま。私に巫女の力があれば大事な人の所に送ってあげられたのに」
こみ上げて来る物をもう一度ぐっと噛み殺す。
今は泣いたり出来ない。
「おい、大木。迷宮内に脱出符の痕跡はあるか?」
「……あ、うん。お初ちゃんどうかな?」
大木は装甲車のAIに直接尋ねた。
「はい。侵入してから現在まで閉鎖空間内に揺らぎは発生していません」
「わかった。急ぎボス部屋へ向かうぞ!」
迷宮を脱出するには脱出符を使うかこの層のボスを倒すしかない。
脱出符が使われておらず、俺達が放出されてないということは、まだ奴等もそしてその手中のアンナ嬢も迷宮内にいるということだ。
脱出符は特殊なルートで流通していて、なかなか一般に手に入れることが出来るような簡単なものではない。
ブラックマーケットに全く無いということは無いだろうが、ただでさえ高額な物がとんでもない値段になっているのは間違い無かった。
連中が金目当てでやっているなら、そして自分達の実力に自信があるのなら、間違いなくボス討伐からの脱出ルートを選ぶはずだ。
「アンナを絶対に取り戻す」
俺の言葉に全員が涙を拭って頷いた。
まずはピーターの支援に入って、時間稼ぎであろう人狼を制圧する必要がある。
再び今度は全員で合流した戦いの場は、すでに血の臭気に満ちていたが、互いに決め手に欠いて千日手状態に陥っていた。
ピーターの攻撃は広範囲爆撃並に回避がし辛いものだが、逆に言えば焦点を絞らせなければその攻撃は薄くなる。
再生能力を持っている相手からすれば常に動き続ければ少々身を削られても行動を止められることは無い。
そうしてその身を削りながら接近してピーターに攻撃を仕掛けるのだが、肉弾戦主体の人狼は攻撃の瞬間は踏ん張りが必要となるため位置が固定される。
するとピーターからのあの恐ろしい集中攻撃を受けるので人狼側は距離を取るしかないという流れだ。
「ピーター! 終わらせるぞ! 援護に回れ!」
言い捨てて俺は全速力で人狼に突っ込んだ。
その人狼は、前からするとさすがに動きにキレが無くなっているように感じられる。
奴はピーターの攻撃と俺の攻撃のどっちに対応するか一瞬迷い、動きが止まった。
そこへすかさず飛び掛かったのは、ピーターの玉でも俺でも無かった。
天井を素早く這って奴の真上に到達していた由美子の式である蜘蛛が糸を吐き掛けたのだ。
強粘着のそれは相手が暴れれば暴れる程強く絡まり締め付ける。
さすがの人狼もとうとう身動きが取れなくなった。
「グルルルル」
野生の獣さながら唸りながら転がり続けるが、もはや脅威にはなり得ない。
だが、そこへ躊躇う様子も見せずに更に追撃を入れようピーターが迫る。
俺はほとんど羽交い締めにするようにそれを止めた。
「やめろ!」
ほっとしたことにピーターの操る攻撃はある程度の集中が必要のようで、密集しようとする途中で例の球はそのまま停止する。
「止めろ馬鹿! 無駄な殺生禁止!」
俺は重ねて暴れるピーターに言い聞かせるように告げた。
「貴様が馬鹿だ! 毒虫は殺すしかないんだよ! 徹底的に駆除しなきゃ善良な人間を犠牲にし続けるんだ! 確かに不死は殺しにくいが、さすがの狼野郎も微塵に砕けば死ぬだろうよ!」
それは迷いの無い叫びだった。
薄々感じていたが、ピーターには今回の件だけじゃなく恐らく何か似たような経験があるんだろう。
だが、害のある相手だからこそ生きていないと意味がないこともある。
死んだ人間は何も語りはしないのだ。
まあ人死に耐えられないゆえの逃げと言われれば違うと否定は出来ないが。
「兄さん!」
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