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陰陽は和合する
たった一つの冴えた手段
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「まずは自己紹介をしよう。俺は郷守正樹だ」
「えっと、僕は……」
「中里元気だな。名刺を見た」
会社の前で待っていたのだから当然だよなと元気は思った。
名刺入れの中身を見たことを責めることは出来ない。
元気とて、名刺入れを拾ったらまず中身を見て持ち主を確認し、連絡出来るようなら連絡するだろう。
手順としては何も間違ってはいない。
元気が名刺入れを落としたシチュエーションが最悪だっただけの話だ。
「あの、あのときは少しパニクってて、ちゃんとお礼を言ってなかったので、改めて、ありがとうございました」
「言っただろう。こっちが礼をしたいぐらいだと。まぁ、食え。ここの食い物は体に負担が少ない。酒も、穢れを抜くにはいい」
またおかしなことを言っていると元気は思ったが、あえて何か言うことはなかった。
うっかり工事現場に入り込んで立ち眩みを起こしたところを助けてもらい、その際に落とした名刺入れを届けてもらったのだ、どこをどう切り取っても元気にとって恩人だ。
たとえ見た目と言動が怪しい相手であろうと、その事実が変わることはない。
元気は箸入れから取った箸で野菜と味噌を合わせたようなツマミを口に運んだ。
野菜がシャキシャキとしていてほんのりと甘味のある味噌がよく合っている。
目前の郷守とかいう男の言う通り、なかなかに美味い。
ビールならともかくも、日本酒という時点で少々しりごみしていしまう元気だったが、一応口ぐらいはつけようとぐい吞みを舐めるように味見をした。
「う? 飲みやすい?」
過去に何度か元気が口にした日本酒は、アルコールの度数の強さとむわっとした香りにむせてしまい、あまり飲むことが出来なかったが、この酒は飲みやすいものだった。
ほんのりと甘味を感じるすっきりとした味だ。
「あのときにも言ったが、今後お前は幽玄の世界と現の世界をさまよう定めとなった。酒は飲みすぎると毒だが、軽く飲むことで邪気を避けることも出来る。いい飲み方を覚えることだな」
「ええっと、郷守さん。その、僕も言ったはずですけど、宗教とか興味がないんで、そういうのやめてもらえますか?」
「宗教は関係ない。人が神と定めしものは、自分たちに都合がいいように型にはめ込んで作り上げた存在だ。幽玄の世界は多様で奔放だ。この現では目で見て手で触り、名を付けることでルールを定めることが出来る。しかし、幽玄の世界では何一つ定まることはない。それでいて幽玄の世界とこの現とは陰陽の定めにある。二つであって一つの世界なのだ」
付き合いきれないなと元気は思ったが、目前の男の目は真剣そのもので、茶化してしまうのはどうしてかはばかられた。
助けられたときにも思ったが、キリッと涼し気な目は、向かい合っていると気圧されるような強さがある。
そしてしげしげと見てみると、実はこの郷守という男はかなり若いのではないかと思えた。
下手をすると元気自身と同じくらいの年齢なのではないだろうか。
そして、元気にとって少し腹立たしいことに、髪を整えて髭を剃れば、女が放っておかないイケメンだと気づいた。
それにしてもなんでこんなむさくるしい恰好をしているのだろうと、元気は話よりもそのことのほうが気になる。
「あの……」
元気が思ったことをうっかり口にしてしまったのは、やはり飲みなれない酒のせいだったのかもしれない。
「なんだ?」
「郷守さんはどうしてそんなホームレスな人のような恰好をしているんですか? 主に髪と髭」
普段なら人の恰好なぞ気にもしなかったであろう元気は、相手の話の流れを読むこともなくそう言い放ったのである。
「なるほど。みすぼらしい恰好をしているから信用出来ないということか?」
「そういう訳じゃないですけど。だいぶもったいないじゃないですか。僕はイケメンは嫌いですが、自分のいいところを見せないで生きるのは、奥ゆかしさではなくて、人生をなめてる感じがします」
後から自分の言葉を思い出した元気は羞恥に転げまわることになるのだが、このときはやはり舐めた程度とは言え、慣れない酒で精神が高揚していたのだろう。
「気になるのか? この姿にはそれなりの事情があるのだが、気になるのならなんとかしよう」
「今日会ったばかりの僕の言葉をそんなにあっさり聞き入れてくれていいんですか?」
もはや絡み酒っぽくなっていたが、言われている相手である郷守は特に気にした様子はなかった。
「今日出会ったが、この先どうせ長い付き合いになるんだ。出来るだけ一緒にいて気分がいい姿のほうがいいだろう」
「すみません。郷守さんが何を言っているのかさっぱりわかりません」
「陰陽が和合するのはこの世の理だ。女である巫女は陰の性質を持っているため、幽玄の世界に近く代弁者としての役割を果たす。男である巫覡は陽の性質を持つがゆえに幽玄の世界から遠く、常に希求される存在となる。今風にわかりやすく言えば、磁石のプラスとマイナスのようなものだ。まとう陽の力が強ければ強いほど、幽玄の世界はお前を求めるだろう。……元気か。いい名だ。強い陽の力を帯びている」
「この名前にはあまりいい思い出はないんですよ。誰もが俺の名前を聞いたら、いつも元気だな! とか言って来るし……」
「言っただろう。強い陽は陰を呼び込む。お前の名前をからかいたくなる人の衝動もそれだ」
「また適当に……」
「適当ではない。真剣だ。巫覡は自らに対しても周囲に対しても一歩間違えれば危険な存在になりうる。バランスを取る必要がある」
「そうやって相手を不安にさせるのは詐欺の手口なんですよ。知っています?」
元気は郷守を牽制するように言ったが、相手は気にもとめていないようだった。
「もし、前のような普通の生活に戻りたいなら、一つだけ方法がある」
「へー、なんですか?」
「俺に抱かれることだ」
郷守の言葉を元気が飲み込むまでにかなりの時間を要した。
会話の途絶えた二人の向こう側で、にぎやかに歓声を上げるテレビの声が遠く響いていたのだった。
「えっと、僕は……」
「中里元気だな。名刺を見た」
会社の前で待っていたのだから当然だよなと元気は思った。
名刺入れの中身を見たことを責めることは出来ない。
元気とて、名刺入れを拾ったらまず中身を見て持ち主を確認し、連絡出来るようなら連絡するだろう。
手順としては何も間違ってはいない。
元気が名刺入れを落としたシチュエーションが最悪だっただけの話だ。
「あの、あのときは少しパニクってて、ちゃんとお礼を言ってなかったので、改めて、ありがとうございました」
「言っただろう。こっちが礼をしたいぐらいだと。まぁ、食え。ここの食い物は体に負担が少ない。酒も、穢れを抜くにはいい」
またおかしなことを言っていると元気は思ったが、あえて何か言うことはなかった。
うっかり工事現場に入り込んで立ち眩みを起こしたところを助けてもらい、その際に落とした名刺入れを届けてもらったのだ、どこをどう切り取っても元気にとって恩人だ。
たとえ見た目と言動が怪しい相手であろうと、その事実が変わることはない。
元気は箸入れから取った箸で野菜と味噌を合わせたようなツマミを口に運んだ。
野菜がシャキシャキとしていてほんのりと甘味のある味噌がよく合っている。
目前の郷守とかいう男の言う通り、なかなかに美味い。
ビールならともかくも、日本酒という時点で少々しりごみしていしまう元気だったが、一応口ぐらいはつけようとぐい吞みを舐めるように味見をした。
「う? 飲みやすい?」
過去に何度か元気が口にした日本酒は、アルコールの度数の強さとむわっとした香りにむせてしまい、あまり飲むことが出来なかったが、この酒は飲みやすいものだった。
ほんのりと甘味を感じるすっきりとした味だ。
「あのときにも言ったが、今後お前は幽玄の世界と現の世界をさまよう定めとなった。酒は飲みすぎると毒だが、軽く飲むことで邪気を避けることも出来る。いい飲み方を覚えることだな」
「ええっと、郷守さん。その、僕も言ったはずですけど、宗教とか興味がないんで、そういうのやめてもらえますか?」
「宗教は関係ない。人が神と定めしものは、自分たちに都合がいいように型にはめ込んで作り上げた存在だ。幽玄の世界は多様で奔放だ。この現では目で見て手で触り、名を付けることでルールを定めることが出来る。しかし、幽玄の世界では何一つ定まることはない。それでいて幽玄の世界とこの現とは陰陽の定めにある。二つであって一つの世界なのだ」
付き合いきれないなと元気は思ったが、目前の男の目は真剣そのもので、茶化してしまうのはどうしてかはばかられた。
助けられたときにも思ったが、キリッと涼し気な目は、向かい合っていると気圧されるような強さがある。
そしてしげしげと見てみると、実はこの郷守という男はかなり若いのではないかと思えた。
下手をすると元気自身と同じくらいの年齢なのではないだろうか。
そして、元気にとって少し腹立たしいことに、髪を整えて髭を剃れば、女が放っておかないイケメンだと気づいた。
それにしてもなんでこんなむさくるしい恰好をしているのだろうと、元気は話よりもそのことのほうが気になる。
「あの……」
元気が思ったことをうっかり口にしてしまったのは、やはり飲みなれない酒のせいだったのかもしれない。
「なんだ?」
「郷守さんはどうしてそんなホームレスな人のような恰好をしているんですか? 主に髪と髭」
普段なら人の恰好なぞ気にもしなかったであろう元気は、相手の話の流れを読むこともなくそう言い放ったのである。
「なるほど。みすぼらしい恰好をしているから信用出来ないということか?」
「そういう訳じゃないですけど。だいぶもったいないじゃないですか。僕はイケメンは嫌いですが、自分のいいところを見せないで生きるのは、奥ゆかしさではなくて、人生をなめてる感じがします」
後から自分の言葉を思い出した元気は羞恥に転げまわることになるのだが、このときはやはり舐めた程度とは言え、慣れない酒で精神が高揚していたのだろう。
「気になるのか? この姿にはそれなりの事情があるのだが、気になるのならなんとかしよう」
「今日会ったばかりの僕の言葉をそんなにあっさり聞き入れてくれていいんですか?」
もはや絡み酒っぽくなっていたが、言われている相手である郷守は特に気にした様子はなかった。
「今日出会ったが、この先どうせ長い付き合いになるんだ。出来るだけ一緒にいて気分がいい姿のほうがいいだろう」
「すみません。郷守さんが何を言っているのかさっぱりわかりません」
「陰陽が和合するのはこの世の理だ。女である巫女は陰の性質を持っているため、幽玄の世界に近く代弁者としての役割を果たす。男である巫覡は陽の性質を持つがゆえに幽玄の世界から遠く、常に希求される存在となる。今風にわかりやすく言えば、磁石のプラスとマイナスのようなものだ。まとう陽の力が強ければ強いほど、幽玄の世界はお前を求めるだろう。……元気か。いい名だ。強い陽の力を帯びている」
「この名前にはあまりいい思い出はないんですよ。誰もが俺の名前を聞いたら、いつも元気だな! とか言って来るし……」
「言っただろう。強い陽は陰を呼び込む。お前の名前をからかいたくなる人の衝動もそれだ」
「また適当に……」
「適当ではない。真剣だ。巫覡は自らに対しても周囲に対しても一歩間違えれば危険な存在になりうる。バランスを取る必要がある」
「そうやって相手を不安にさせるのは詐欺の手口なんですよ。知っています?」
元気は郷守を牽制するように言ったが、相手は気にもとめていないようだった。
「もし、前のような普通の生活に戻りたいなら、一つだけ方法がある」
「へー、なんですか?」
「俺に抱かれることだ」
郷守の言葉を元気が飲み込むまでにかなりの時間を要した。
会話の途絶えた二人の向こう側で、にぎやかに歓声を上げるテレビの声が遠く響いていたのだった。
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