時雨の焼印

太幽(だいゆう)

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第七章:鬼の真実と新たな決意

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一行は鬼ヶ島の中枢で、想像を絶する光景を目の当たりにした。

衛門はただ目を閉じ、仁王立ちのまま歯を食いしばっていた。殺戮を楽しむ下衆な人間だと決めつけ、全てを薙ぎ払ってきた。自分だけが不幸な目に遭っていたと考えていた自分に腹が立ち、出血するほど唇を噛んだ。

土壁の庵に差し込む一筋の光が、埃の舞う中で飢えと疲労で今にも倒れそうな老人や痩せ細った子供たちの姿を浮かび上がらせる。

鼻を突くのは、生きていくための最低限の食料すら得られない人々の体から発せられる、独特の腐敗臭だった。それは、死の匂いよりも哀しく、生の苦しみそのものの匂いだった。

桃太郎たちが純粋な「悪」だと思っていた鬼たちの正体は、この時代にただ生き抜こうとする、哀れな貧困民たちだったのだ。

その中心に立つ、一際大きな男。

分厚い熊の毛皮をまとい、その顔には深い傷跡が刻まれている。数多の戦いをくぐり抜けてきた者だけが持つ、凄みと哀しみを併せ持った眼差しで、彼らを見つめていた。

彼こそが鬼の頭領、時雨が探し求めていた家族の仇だった。

---



「その顔!お前だ……見つけたぞ!」

時雨の声が、静まり返った空間に響き渡った。

彼女は憎しみを滾らせ、剣を振りかざして頭領に襲いかかった。その動きは、七年間の修行で研ぎ澄まされた、まさに必殺の一撃だった。

ようやく見つけた仇に全神経が集中し、無我夢中になった彼女の視界に、周囲の貧困民は目に入っていなかった。彼女の世界には、ただ仇だけがあった。

復讐を誓った日から燃え続ける暗く激しい炎が、彼女の瞳の奥で宿っていた。その炎は、彼女の心を焼き、七年間という歳月を支えてきた。

だが頭領は時雨の攻撃を受け止めると、まるで子どもの遊びを見ているかのように静かに、そして圧倒的な力で時雨を制した。彼の手は、まるで岩のように硬く、重かった。

その腕力は、時雨が七年間かけて培ってきた暗殺術をいとも簡単に捻じ曲げ、剣を弾き飛ばした。乾いた金属音が響き、剣が地面に突き刺さる。

「小娘、何故我らを攻撃する?」

頭領の声は、怒りではなく、むしろ困惑に満ちていた。この時代、喰うか喰われるかの世の中であり、盗賊を憎む理由は理解できた。だが時雨にはまた別の特別な理由があることを、彼は悟った。

しかし、時雨の顔を見ても、全く覚えがないようだった。記憶を探るように彼女を見つめるが、その瞳に彼女の姿は映っていなかった。

その言葉が、時雨の憎しみをさらに煽る。

「私を忘れたか!いいや、お前のような人殺しに、私の顔など覚えているわけがない。お前は私の父と母を、私の目の前で殺した!私は都で栄華を誇った、あの貴族の娘だ!」

その言葉を聞いた頭領の表情に、ようやくかすかな動揺が走った。

彼はゆっくりと、しかし確実に、時雨の顔を記憶の糸をたぐり寄せるように見つめた。遠い記憶の彼方から、一つの光景が蘇る。

「ああ……、そういう事か……」

彼は時雨の悲しみを理解していたわけではなく、単なる事実として、過去の出来事を思い出していた。その口調には、悪意もなければ、同情もなかった——ただ、事実だけがあった。

---



頭領から放たれた次の冷酷な一言が、時雨の心臓を凍らせた。

「貴様の父は、我らの苦しみを嘲笑うように食料をため込んでいた。我々を馬で踏みつけ、餓えで苦しむ我らを見ては笑い、楽しんでいた。我らからすれば、貴様の一族こそが鬼だったのだ。」

頭領は、一呼吸置いて、さらに言葉を続けた。

「鬼とは、人を苦しめながら、それに気づかぬ者のことだ。」

時雨の復讐は、その言葉で音を立てて崩れ去った。

彼女が憎んできた「鬼」は、彼女の一族がもたらした貧困と格差、そして生存をかけた悲劇の産物であったことを、時雨も理解する。頭では、そう理解できた。

それでも、頭では分かっていても認めたくない時雨は、声を震わせながら必死の思いで反論した。

「でも……でもっ!私を家族として受け入れてくれた村の人を、奴らは略奪と殺戮を楽しみながら全てを奪っていったではないか!」

その声には、理屈ではなく、感情だけがあった。幼い日に見た地獄が、彼女の心を支配していた。

頭領は事実こそあれど、違和感を感じていた。

生きるための略奪と、必要に応じては命を奪ってきたが、一度たりとも殺戮を楽しんだことはない。彼にとって、それは生きるための手段であり、目的ではなかった。

ただ生きるのに必死で駆け回っていただけだったのだ。

自分自身も時雨の屋敷に突入した覚えが確かにあるが、時雨の家族と対峙した覚えはない。だが時雨は頭領の顔を見て「その顔」と言って斬りかかってきた。

身内に気性が荒く、殺戮を純粋に楽しむ者がいる。
——飢えと絶望を繰り返し、次第に殺める事を生き甲斐に変えた狂気の男
時雨の仇はおそらく弟のことだろう。

---

頭領は時雨の悲しみを受け止め、自らの罪を清算することを決意した。その表情には、深い諦念と、わずかな安堵が混ざっていた。

「すまん……おそらく私の弟が、そなたの家族を奪った。あの男は、飢えを満たすことだけでなく、快楽のために命を奪うようになった……もはや、人の心を持たぬ本物の鬼のような人だ」

頭領は、その場で弟を捕らえ、時雨の前に引き出した。

弟は、兄の言葉に嘲笑を浮かべ、まるで獲物でも見るかのように、時雨の姿を冷ややかに見つめている。その瞳に、人間らしい感情は一切見られなかった。そこにあったのは、ただ獣のような欲望だけだった。

「是非も無し……か……時雨とやら、そなたの手で……この悲劇を終わらせてくれ」

頭領は、時雨に剣を渡した。その手は、わずかに震えていた。

「そなたの復讐は、この男で果たされねばならぬ。この男は、そなたの家族だけでなく、我々が生きるために築いた『鬼』の矜持さえも汚した」

時雨は頭領の断腸の思いを悟った。彼の目には、涙が浮かんでいた。

愛する家族を失う悲しみ、そして弟という血縁を失う悲しみを、頭領もまた経験しようとしていたのだ。それでも、彼は正義を選んだ。

時雨は震える手で剣を振り下ろした。

---



……復讐を遂げた彼女の心は満たされることはなかった。

剣が肉を断つ音は虚しく響き、血の温かさが彼女の手に広がる。生温かい感触が、彼女の指の隙間を伝った。

しかし、復讐が彼女に与えたのは、決して消えることのない虚しさと絶望だった。
勝利の達成感など微塵もなく、彼女を襲ったのは、信じていた復讐の正体が、自分の一族がもたらした悲劇であったという、耐え難い後悔と絶望感だった。

父の所業は理解できた。それでも、時雨にとって父は父だった。
偉大で、尊敬すべき、思い出の中の父が、心に問いかける。

——「父は、お前を愛している」

あの手紙の言葉が、虚しく胸に響く。
父の愛は、この復讐の先に何を見ていたのだろう。娘が血に染まる姿を、望んでいたのだろうか。

否、父が望んだのは、ただ娘の幸せだけだったはずだ。

その場にいた桃太郎は、ただ呆然と立ち尽くしていた。

時雨と頭領の言葉のやり取りを聞き、血を流して倒れる男の姿……今まで斬ってきた罪なき人々……すべてが、彼がこれまで信じてきた「正義」の犠牲になった感覚があった。

彼の視界はぼやけ、耳には遠くで聞こえる慟哭だけが響く。

それは、桃太郎たちに恐怖を抱きながらも、大好きな頭領の危機に、「鬼め!我らの暮らしを返せ!」と悲痛な叫びをあげる子供たちの声だった。彼らにとって、桃太郎たちこそが「鬼」だったのだ。

その叫びが、桃太郎の胸に刃のように突き刺さる。

彼は、これまで自分たちがしてきたことの非情さを初めて理解した。

自分たちは、この子たちにとっての悪鬼羅刹だったのだ。彼らが愛する頭領を、家族を、奪おうとする侵略者だった。

村人たちは、桃太郎たちに近づこうにも、足に力が入らず動けずにいる。恐怖と絶望で、体が震えていた。

自分たちの命運をかけた戦いが、こんな形で終わることを、誰も想像していなかった。

---

その時、桃太郎の心の中で何かが弾けた。

彼の本当の正義が、絶望の淵から目覚めた。

(違う……!違う!何かがおかしい!俺は間違ってた!)

桃太郎の頭の中を、様々な思考がぐるぐると渦巻いていた。

(俺が信じた正義は確かにある、その行為自体は間違っていなかった!でも!こんなやり方ではまた新たな憎しみを生む……鬼と決めつけた時点で間違ってた!)

彼の脳裏に、斬り捨ててきた「鬼」たちの顔が次々と浮かび上がる。

彼らは、ただの人間だった。家族を想い、生きるために必死だった、哀れな人間たちだった。

そして、十兵衛の悲劇。

村の飢饉。

あの時、なぜ……俺たちは手を差し伸べることができなかったのか。

なぜ、彼らを「鬼」と決めつけ、刀を抜いてしまったのか。

(何故あの時、手を差し伸べられなかった——!)

---



桃太郎は、音もなく時雨に近づき、震える手で彼女の肩を抱きしめた。

時雨の体温が、彼の頬を伝う涙と混じり合う。二人の涙が、一つになって地面に落ちた。

「時雨……やめよう」

彼の声もまた、震えていた。その震えは、悲しみと、そして同じ過ちを犯した者同士の共鳴だった。

時雨は、手に残る剣の冷たさと、復讐の虚しさにただ泣き崩れていた。彼女の体は小刻みに震え、声にならない嗚咽が漏れていた。

「……俺も取り返しのつかない事をしてしまった……俺もまた鬼なんだ……」

桃太郎は、大粒の涙を流しながらも、彼女に語りかけた。

「俺たちが斬り倒してきたのは、悪人じゃなかった……」

彼の喉からは、嗚咽がこみ上げていた。言葉の一つ一つが、自分自身を責める刃だった。

「俺たちは、この子たちにとっての鬼だったんだ……。時雨、これ以上、悲劇を繰り返すのはやめよう……。本当の敵は、俺たちの心を蝕んだ、この世の不条理そのものなんだ……」

桃太郎の言葉に、時雨はゆっくりと剣を納めた。

その手は、未だ震えていたが、彼女の心に、これまで感じたことのない温かさが広がっていくのを感じていた。それは、復讐とは全く別の、新しい感情だった。

彼女は、桃太郎の腕から離れ、頭領の顔を見つめた。

頭領は、倒れた弟の亡骸を静かに抱きかかえ、その大きな背中を震わせていた。

嗚咽を漏らしながら、その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。荒くれ者たちを束ねる男が、今はただの、弟を失った兄だった。

最後の肉親を失った悲しみ、そして「鬼」としての矜持を汚した弟への、複雑な思いが、彼の涙に混じっていた。

---

時雨は、その光景を前に、自分が下した報復の重みを初めて知った。

復讐は、憎しみの連鎖を断ち切るどころか、新たな悲劇を生み出していた。

自分を家族として受け入れてくれた村を奪った弟を憎み、その弟を殺めることで復讐を遂げたつもりが、同じように大切な家族を失った頭領の悲しみを、今度は自分が生み出してしまっていた。

(私は、何てことを——)

時雨は、再び桃太郎に顔を埋めた。

「私は……私はっ……」

彼女の口から、かすかな声が漏れた。
「すまない……すまない……」

それは、誰に向けての言葉か——頭領か、弟か、それとも自分自身か。彼女にもわからなかった。ただ、謝らずにはいられなかった。

その瞬間、彼女の脳裡に、遠い日の母の声が蘇った。
襲撃の夜、母が残した最後の言葉——「すまない」。

あの時、母は誰に謝っていたのか。父に、自分に、それともこの世の全てに——。
その意味が、今初めて理解できた気がした。

(すまない…)
その声が衛門の心に突き刺さる。
妻の最期の言葉が時雨の言葉と重なった。

そのたった一言にどれだけ深い意味が込められていたかを感じ取った
拳を握りしめ、その手は肩から震えていた。
(俺が貫いていた正義は……なんたる傲慢!)

桃太郎は、彼女の体をさらに強く抱きしめ、彼女の髪をそっと撫でた。

「大丈夫だ、時雨。もう、誰も鬼になんてならない。誰も鬼にさせない!俺たちが、この悲劇を終わらせるんだ…」

桃太郎はこの時、心の底から誓った。誰も鬼にしない、誰も鬼にさせない平和な世を、この手で作り上げると。

時雨は桃太郎の言葉を聞いて声にならない嗚咽を上げ、桃太郎の胸に顔を押し付けて叫ぶように泣いた。

復讐を遂げた後の虚しさ、そして新たな悲劇を生んでしまった罪悪感が、彼女の全身から溢れ出した。

桃太郎もまた、彼女を抱きしめながら静かに涙を流した。

二人の涙は、それぞれが抱えてきた過去の傷と、未来への決意を混ぜ合わせるように、熱い雫となって地面に落ちていった。

---



重く沈んだ空気を打ち破ったのは、いつも陽気で明るい弥助だった。

彼は時雨の横に静かに座り込むと、真っ直ぐな目で桃太郎と衛門を見た。

弥助の目には、かつて彼が仲間を救えなかった時と同じ、深い後悔と、それでも前を向こうとする強い意志が宿っていた。

「なぁ、過ぎたことを悔やんでも、やり直しがきかないのが人生だ。犠牲になった人たちが、それで蘇るわけでもねぇ」

弥助の声は、感情のこもらない、ただ事実を述べるような静かな響きだった。その冷淡さが、かえって言葉の重みを増していた。

その言葉の重みに、桃太郎と衛門は言葉を失った。

「ならば、この屍を乗り越えて、これから先どうするかが重要なんじゃねぇの?」

弥助の言葉の後、一瞬の沈黙が訪れた。その沈黙は、彼らに考えさせるための、大切な時間だった。

その間、衛門は黙って弥助を見つめていた。

武士としての誇りが崩れ去り、ただ虚無感に囚われていた彼の心に、弥助の言葉は深く、静かに染み込んでいく。娘に再び会いたい——その一心で生きてきた男に、新たな道が開けようとしていた。

その言葉は桃太郎たちの胸に深く突き刺さった。

彼らは顔を上げ、互いを見つめ合った。そこには、絶望ではなく、新たな決意の光があった。

弥助の言葉は、過去を悔やむのではなく、未来へ目を向けろという力強いメッセージだった。

桃太郎は、その言葉を胸に刻んだ。
(そうだ。俺たちは、これから何をするかだ——)

---

この瞬間、彼らの旅の目的は、単なる鬼退治から、「新しい時代を築くこと」へと変わった。

彼らは、二度と誰かを「鬼」と決めつけることなく、すべての人々が安心して暮らせる世を作ることを誓った。

桃太郎は、時雨の手を握りながら、心に誓った。
(必ず、この悲劇を終わらせる。そして、誰もが「鬼」と呼ばれずに済む世を、この手で作る)

時雨は、桃太郎の横顔を見つめながら、初めて「復讐」以外の感情が、自分の心を満たしていることに気づいた。
それは、温かく、そして力強いものだった。
(もう、復讐はいらない。この人と共に——これからを生きよう)

衛門は、若者たちの決意を見て、自らの役割を再確認した。
(私は、この者たちのために、知略を尽くそう。それが、娘に何もしてやれなかった私の、せめてもの償いだ)

弥助は、三人の顔を見渡して、にやりと笑った。
「さあ、明日からが本番だぜ。しっかり食って、寝ろよ!」

その言葉に、四人は静かに笑い合った。その笑顔は、絶望の先に見つけた、小さな希望の光だった。

その夜、彼らが囲んだきび団子の味は、いつもより少しだけ苦く、そして少しだけ甘かった——それは、彼らが背負うことになった罪と、それでも前に進む決意の味だった。

---

夜が明ければ、新たな一日が始まる。

頭領との対話が、彼らを待っている――。

---

『次回予告』

夜が明け、新たな一日が始まる。

時雨の前に立つ頭領は、自らの罪と向き合い、一つの決断を下す。

許しと贖罪——この島に、本当の意味での「和解」は訪れるのか。

そして、時雨の七年間の旅が、ようやく終わりを迎える。

次章、感動の対話。

---

【第七章・完結】
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