時雨の焼印

太幽(だいゆう)

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第八章:頭領の決断と新たな伝説

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争いは終わった。

弥助の言葉と桃太郎の決意を受け、鬼ヶ島での戦闘は終わりを迎えた。それまでの怒号と悲鳴に満ちていた空間が、嘘のように静まり返っていた。

中枢の広場には、鬼と呼ばれた者たちと桃太郎一行が向き合い、互いに疲弊しきった体で、言葉を交わすための会議が開かれた。張りつめた空気の中、誰もが次の言葉を待っていた。

血の惨劇が繰り返されるのを止めるため、桃太郎は頭領に和解を求めた。その声は、疲れ果てていたが、確かな決意を秘めていた。

その間、動ける村人と衛門、弥助は、島に散らばった亡骸の埋葬を進めていた。

海の付近では、潮の香りと共に、何人もの遺体が波に揺られている。彼らは皆、生きるために戦い、そして散っていった者たちだった。

衛門は、その遺体の一つ一つを丁寧に回収しながら、ふと、見覚えのある男の顔に目が留まった。

それは、道中で彼が「盗賊」と決めつけ、無慈悲に斬り捨てた男だった。

死後硬直していたその手は、まるで何かを抱えるように固く握りしめられていた。衛門がそっとその指を解くと、中から出てきたのは、桃色の布の切れ端だった。

それは、幼い子供の着物の一部だった。粗い縫い目だが、母親の愛情が込められているのがわかる。布には、かすかに刺し子の模様が残っていた——あの日、衛門が何度も見つめた産着と同じ、母の愛情の証。

男は、最期の瞬間まで、村で泣きながら待つ娘に届けることだけを懇願していたのだ。きっと、無事に帰ってきて欲しいと願う娘からの御守りでもあったのだろう。

衛門は、その場に崩れ落ちた。

自分が正しいと信じて行った行為が、また一つの悲劇を生んでいた。彼の剣が、また一人の娘から父を奪い、また一人の妻から夫を奪ったのだ。

脳裏に浮かぶのは、幼い娘の笑顔。自分が奪った娘たちも、あんな笑顔をしていたのかもしれない。

「つぶら……お前は、今どこで……誰かに、こんな思いをさせられていないか……」

彼の目から、静かな涙がこぼれ落ちた。その涙は、後悔と、そして娘への想いが混ざり合った、苦いものだった。

---

衛門は、その桃色の布を握りしめたまま、しばらく動けなかった。潮風が彼の頬を撫で、乾きかけた涙の跡を冷たく濡らす。

彼の脳裏に、二十年以上前の記憶が蘇る——幼い圓を抱きしめた、あの日の温もり。妻が産着を縫いながら微笑んでいた、あの横顔。

「もし、あの時……別の道があったなら……」

その呟きは、風に消えた。

彼は、布を丁寧に懐にしまい、立ち上がった。そして、静かに、しかし確かな決意を込めて呟いた。

「つぶら……お前がどこにいようと、父は必ず……必ず見つけ出す」

その目には、新たな誓いの光が宿っていた。

---



一方、会議の席では、時雨が静かに語り始めていた。

「私は、都で名の知れた貴族の娘でした」

その声は、復讐に燃えていた頃の激しさは微塵もなく、ただ淡々と事実を紡ぐかのようだった。炎が燃え尽きた後の、静かな灰のように。

「あの夜のことは、今でも鮮明に覚えています。母に起こされ、押し入れの裏に隠された。『絶対に、声を出してはいけません』——それが母の最後の言葉でした」

彼女は、そこで一度言葉を切った。何かを思い出しているかのように、遠くを見つめる。その目には、当時の恐怖と哀しみが、かすかに蘇っていた。

「その後の七年間——長くなりますから、詳しくは語りません。ただ、ただ復讐だけを生きがいにしてきました。それだけは、確かです」

彼女は、懐から擦り切れた一枚の手紙を取り出した。それは、何度も読み返された跡があり、折り目から破れそうになっていた。

「これが、父の手紙です。『香へ——お前が大きくなったら、この手紙を読むがいい。父は、お前を愛している』——その言葉だけが、私を生かしていました。読み返すたびに泣いて、そしてまた復讐を誓う。その繰り返しでした」

時雨は、手紙をしまい、顔を上げた。その瞳には、涙が光っていた。

「十五の春、私は桃太郎の噂を聞きました。桃から生まれた不思議な力を持つ少年。私は、あなたを利用しようと思った。あなたに近づき、あなたの力を借りて、仇を討とうと」

彼女の告白に、桃太郎は何も言わなかった。ただ、静かに耳を傾けていた。その沈黙が、時雨の言葉をより重く受け止めている証だった。

「でも……旅をするうちに、何かが変わっていった。あのきび団子をくれた時、冷え切っていた私の心が初めて温かくなった。失敗した団子を、あなたが美味しいと言って食べてくれた時——」

時雨の声が、かすかに震えた。

「復讐だけを生きがいにしてきた私が、初めて『この人ともっと一緒にいたい』と思った。でも、その想いが怖かった。仇を討つまでは、誰とも心を通わせてはいけないと、自分に言い聞かせていた」

---



「そして、この島で、私は仇を討った」

時雨は、その瞬間を思い出していた。

「剣が肉を断つ感触、血の温かさ——それらは、私が七年間待ち望んでいたものだった。でも……」

彼女の声が、かすれた。その言葉を紡ぐこと自体が、彼女を深く傷つけているかのようだった。

「その後に残ったのは、何もなかった。虚しさだけが、私の心を満たした」

彼女は、自分の手を見つめた。血は拭い去ったはずなのに、まだその感触が残っているような気がした。いや、それは感触ではなく、記憶だった。

「それだけじゃなかった。頭領から真実を聞かされた。私の一族こそが、彼らを鬼に変えた元凶だったと」

時雨の頬を、涙が伝う。その涙は、彼女の心の奥底から湧き出る、止めどない感情の表れだった。

「私が憎んでいたのは、父と母を殺した盗賊なのか。それとも、父と母自身なのか。いや——この国を作った全ての理不尽さなのか。もう、わからなくなった」

彼女は、拳を握りしめた。その拳は、震えていた。

「でも、一番苦しかったのは——」

時雨は、顔を上げ、桃太郎を見つめた。その目には、すべてを曝け出した者の、かすかな安堵があった。

「私があなたの弟を斬ったことで、頭領があんなにも深く悲しむのを見た時。私は、自分が同じことをしてしまったと気づいた。私もまた、誰かの大切な人を奪う『鬼』になっていたんだ」

彼女の声は、嗚咽混じりだった。今まで抑え込んできた感情が、一気に溢れ出していた。

「私は、復讐を果たしたはずなのに、また新たな悲劇を生んでしまった。この手で、また誰かを——」

彼女は、自分の両手を覆うように抱きしめた。その手は、罪の重さに耐えかねているかのようだった。

---



その時、桃太郎が立ち上がった。

彼は、時雨の前に歩み寄り、何も言わずに、彼女の震える手を握った。

温かかった。

その温かさが、時雨の冷え切った心にじんわりと染み渡る。まるで、凍えた体を火で温めるかのように、ゆっくりと、しかし確かに。

「時雨」

桃太郎の声は、優しかった。その優しさは、偽りではなく、彼の心の底から溢れ出るものだった。

「お前の七年間、よく頑張ったな」

その一言で、時雨の涙が再びあふれ出た。今度は、止めどなく、彼女の頬を伝って落ちていった。

「でも……でも私は……!」

「分かってる」

桃太郎は、彼女の言葉を遮った。その言葉には、力強さと、そして同じ過ちを犯した者としての共感が込められていた。

「俺も同じだ。俺も、罪のない人々を斬った。その手の感触は、一生消えない。でもな、時雨」

彼は、彼女の手を握りしめた。その手の温もりが、彼女の心を少しずつ解きほぐしていく。

「その手で、これから何をするかが大事なんじゃないか。弥助が言ったように、過ぎたことを悔やんでも、死んだ人は戻らない。ならば、この手でこれから救える命を、大切にしよう」

桃太郎は、懐からきび団子を取り出し、時雨に差し出した。それは、彼が大切に持っていた最後の一つだった。

「ほら、食べろ。婆さんが作ってくれた、最後の団子だ」

時雨は、震える手でそれを受け取り、一口かじった。

甘さが、口の中に広がった。

それは、あの日、初めて桃太郎にもらった団子と同じ味がした。だが、どこか違う。苦さが混じっているような——いや、それは自分の心のせいか。罪の味なのか、それとも生きる味なのか。

「美味いか?」

桃太郎が尋ねる。

時雨は、涙で濡れた顔で、何度も何度もうなずいた。言葉にならない感謝を、その仕草に込めて。

「うん……美味しい……美味しいよ……」

その言葉には、七年間の苦しみと、ようやく見つけた安らぎが、全て込められていた。

---

時雨は、団子を噛みしめながら、ふと思った。

(この暖かさを、もっと色んな人に知ってもらいたいな——)

その思いは、まだ形にはならなかった。しかし、確かに彼女の心の奥底で、小さな種となって芽生え始めていた。

後にそれが「時雨の焼印」となり、何世代にもわたって受け継がれていくことを、彼女自身はまだ知らない。

---



その後、時雨は頭領と向き合った。

「あの……頭領」

時雨の声は、まだ少し震えていたが、その目には、もう迷いはなかった。自分の罪と向き合い、それでも前に進もうとする者の、強い眼差しだった。

「あなたの弟を、私の手で……ごめんなさい」

頭領は、静かに首を振った。その表情には、怒りも悲しみもなく、ただ深い諦念と、わずかな安堵があった。

「謝ることはない。奴は自らの手で人をやめた、まさしく鬼だ。そなたの手で終わらせてもらったことに、むしろ感謝している」

頭領の脳裏に、弟の幼い頃の姿が浮かんでいた。無邪気に笑っていた、あの頃の弟。食料を分け合い、一緒に未来を語り合った日々。

いつから、あの子は変わってしまったのか。飢えか、絶望か——それとも、この世の理不尽さか。飢えと絶望が、人をここまで変えてしまうのだとしたら、それは誰の罪なのか。

(私もまた、弟を止められなかった。その罪は、私にもある)

時雨は、深々と頭を下げた。その額が、地面に触れるほどに。

「そして……あなたたちが、ここで生き抜いてきたこと。私の一族が、あなたたちを追い詰めたこと。その真実を、私は決して忘れない」

頭領は、時雨の言葉に微笑んだ。それは、赦しの微笑みだった。

「許すことも、忘れることも簡単ではない。だが、そなたがその痛みを胸に刻み、前に進もうとしているなら、それで十分だ」

時雨は、顔を上げた。その瞳には、強い決意が宿っていた。

「私は、これからも生きる。この手で斬った人たちの分まで、誰かを守るために。そして……もう二度と、誰かを『鬼』にしない世を作るために」

その言葉に、桃太郎も、衛門も、弥助も、深く頷いた。彼らもまた、同じ決意を胸に刻んでいた。

---

その時、弥助と衛門も、静かに二人の隣に立った。

朝日が、四人の影を長く伸ばす。それは、まるで一本の大きな木のように、しっかりと地に根を張っていた。

言葉はなかった。しかし、それで良かった。

四人の間には、もはや言葉など必要ないほど強い絆が生まれていた。それぞれが異なる過去を背負い、異なる傷を抱えながらも、今この瞬間、彼らは確かに「家族」だった。

---



夜が明ける頃、時雨は一人、海辺に座っていた。

水平線が、徐々に明るくなっていく。夜の闇が、少しずつ光に押し戻されていく。その光景は、まるで彼女の心の変化のようだった。

彼女の脳裏に、これまでの日々が走馬灯のように過ぎていく。

父と母の笑顔。あの夜の惨劇。山中での孤独な修行。桃太郎との出会い。そして、復讐の果ての虚無と、新たな決意。

すべてが、彼女を形作ってきた。良いことも、悪いことも、すべてが今の彼女の一部だった。

「父さん、母さん……」

時雨は、空に向かって呟いた。

「私は、これからも生きるよ。あなたたちの分まで。そして、いつか……この国から、悲劇をなくすんだ」

その時、背後から足音が聞こえた。

振り返ると、桃太郎が立っていた。朝日を背に、彼の姿は神々しくさえ見えた。

「時雨、朝日が昇るぞ」

時雨は、前に向き直り、水平線を見つめた。

朝日が、ゆっくりと顔を出す。夜明けの光が、海を金色に染めていく。

その光が、彼女の頬を伝う涙を、キラキラと輝かせた。

「桃太郎……ありがとう」

「何がだ?」

「……全部」

桃太郎は、何も言わずに、彼女の隣に立った。

二人は、新しい一日の始まりを、静かに見つめていた。

時雨の心は、今、「復讐」ではない温かい感情で満たされていた。それは、彼女が初めて手にした、本当の感情だった。

小さな、けれど確かな、希望の光と共に。

この朝日のように、彼女の新しい人生が始まろうとしていた——やがてその心の光が「時雨の焼印」となって、遠い未来まで受け継がれていくことを、まだ誰も知らない。

---

『次回予告』

鬼ヶ島を後にした一行は、故郷の村へと帰還する。

そこには、英雄として迎える村人たち。

だが、桃太郎の胸には、一つの重い宿題が残されていた。

実の父・十兵衛との再会——そして、時雨との新たな誓い。

次章、安堵の光が訪れる。

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