『Make the King Cry』《メイク・ザ・キング・クライ》  ──王者に涙を

NAYUTA

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大牙の湯 王者の胸裏 ― 揺らぐ信念

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道場でのトレーニングを終え、大牙は広い湯船で伸び伸びと脚を伸ばし、疲れを癒していた。

昨年、団体が建設した新本社ビル。

その半地下に、激しい訓練を終えた選手、コーチ、研修生のための広い入浴施設が設けられている。

これは大牙が団体の上層部に直訴したものだ。

前のボロビルは、入浴施設とは名ばかりで、シャワーの温度は調節しても定まらず、湯船も狭かった。

なので、新社屋を建設するならば、練習施設だけではなく、入浴施設も充実させてくれと申し入れたのだ。

上層部も受け入れざるを得なかった。

新社屋が建設できたのは、大牙の人気のおかげと言っても良い。

下手に機嫌を損ねて電撃移籍などされても困る。

仲間達は喜び、この新社屋の風呂を大牙の湯と呼び始めた。

それが大牙にはくすぐったい。

大牙は真面目で優しく、後輩思いである。

大牙のおかげで、新人レスラー、研修生の待遇がかなり改善された。

逆を言えば、上層部には煙ったい存在になっていたということだが。

もちろん、細かいことは気にしない大牙はそれに気付いていない。

ふと、間も無く開催されるトーナメントで出会うかもしれない後輩の顔を思い出す。

格闘技を始めてから十数年。

これほど胸が熱くなる後輩と出会ったのは、初めてだった。

三崎 陸翔――  

よく覚えているのが、彼が研修生になりたての頃、前のビルのボロい風呂で一緒に入った時のこと。

その日は、かなりハードな練習日だった。

サンドバッグを潰さんばかりに打ち込み、若手の指導にも精を出して、気がつけば夕暮れをとうに過ぎていた。

古びたステンレスの湯船に湯がまだ張られているのを見て、大牙はふうっと長い息をついた。

誰もいない湯船に、ゆっくりと身を沈める。

身体中から蒸気が抜けていくような心地だった。

(……張り切りすぎたな。腰が重い)

肩まで湯に浸かり、肘を縁に預ける。

斜め上を仰いでぼんやりしていると、不意に引き戸がギィ……と軋んだ。

「……!」

入ってきたのは、まだ道場に入門したての少年――三崎だった。

彼は一瞬で大牙の姿を認め、目を丸くして立ち止まり、慌てて引き返そうとする。

「す、すみませんっ! 間違えましたっ!」

その様子に、大牙は苦笑して湯の中で肩をすくめた。

「いいよ。もう入ったらどうだ? 別に誰も気にしねえよ、男同士だ」

戸口でまごまごしていた三崎は、ためらいながらも頭を下げ、静かに脱衣を始める。

まだ線の細さが残るが、肩回りや太腿にはしっかりとした厚みがあり、この先どれだけ伸びるか楽しみな素材だと思った。

「失礼します……」

そろそろと湯に浸かってきた三崎は、大牙の隣に遠慮がちに座る。

その目線が、明らかにちらちらと自分の身体を盗み見ていることには、すぐ気づいた。

(……そういや俺も、昔は先輩の身体に見惚れてたっけな)

「どうした。そんなにジロジロ見るなよ。俺は見世物じゃねえぞ」

「す、すみません……いや、でも、本当にすごいです。鷹城さんの身体……」

三崎の目は真っ直ぐだった。憧れを隠しもせず、熱い。

「触ってみたいなら、触っていいぞ?」

軽口のつもりだった。 

だが三崎は一瞬迷った後、素直に手を伸ばしてきた。

その指先が、自分の大胸筋を撫で、上腕二頭筋をなぞる。

触れ方はぎこちないが、敬意と好奇心があふれていた。

「……すげえ……岩みたいです……。こんな体、どうやったら……」

「鍛えりゃこうなる。お前も続けてりゃ、すぐ追いつくさ」

そう言うと、三崎はふと手を引き、顔を赤くしながらそっと前を隠すようにタオルを掴んだ。

(ああ……そういう年頃だな)

「若いなぁ、おい。そんなの気にすんなって。こっちはもう慣れたもんだ」

タオルを取ってやるわけではないが、わざとらしく目を逸らすことで、からかい半分に笑う。

三崎の顔がさらに真っ赤になった。

(こいつ、本当に素直だ。根が真面目なんだろうな)

湯船の中、ただの一時だった。

だが、今になって振り返ると――

この一件は、三崎という男を“特別”に感じ始めたきっかけだったのかもしれない。

あの素直さ、情熱、そして屈託ない羞恥。 

汗まみれで食らいついてくる三崎を見ながら、心が熱くなるのを感じた。

だからこそ、大牙は彼をよく可愛がった。

無論、それは特別扱いではない。

格闘に真面目な者にこそ、真剣に向き合いたくなる、それだけだ。

だが――

あのエキシビジョンマッチ。

夢にまで見た、「リングの上での後輩との本気の対峙」。

……あれは何だったのだろうか。

考えれば考えるほど違和感が残る。

一戦目。

確かに三崎は“守り”に徹していた。

だが、ただ守るだけじゃなかった。

こちらの技を誘導するような間の取り方。

受け流し方が、経験以上の“狡猾さ”を持っていた。

そして、二戦目。

攻めてきた。

真正面から。

拳も、蹴りも、組技も。

確かに攻めだった。

なのに……ヤツは負けた。

(やっぱり、変だ。……何かが見えてこない)

あいつは、まだ“全部出していない”。

目の前に立つ時の眼差しは真っ直ぐで、技にも躊躇はない。

だがその奥に、もう一つ――何かを隠している影があった。

(俺が知らない何かを……こいつは持ってる)

それが何かは分からない。

だが、それがじわじわと恐怖になってきている。
自分よりも若い、後輩に対して――

不意に、控室の扉がノックされる。

ガラッ

風呂の扉が開く。

「……失礼します」

その声を聞いた瞬間、誰か分かった。

三崎 陸翔。

大牙は湯の中で肩まで浸かったまま、目だけで彼を見やった。

──見違えたな。

かつての少年が、立派な男になっていた。 

脱衣所の明かりに浮かび上がる肉体は、彫刻のように引き締まり、胸板は厚く、腹筋は深く刻まれ、二の腕は自分と遜色ないほどに盛り上がっていた。

三崎は黙って服を脱ぎ、バスタオルを腰に巻くと、大牙のいる湯へと足を運ぶ。

「……偶然ですね」

「……ああ」

それ以上の会話はなかった。

互いに身体を湯に沈める。

だが、湯気の向こうで交わす沈黙は、ただの静けさではなかった。

緊張とも違う、まるで火花が散る前の気圧のようなものだった。

「……鍛えたな」

ふと、大牙が口を開く。

「恐縮です」

三崎は小さく会釈をしたあと、付け加えるように笑った。

「でも……鷹城さんの身体も、やっぱり完成されていますよ。ただ……昔より、少し柔らかくなった気もしますが」

一瞬、湯気の向こうに浮かぶ三崎の目が、意図をはかりかねる光を帯びて見えた。

大牙は返答せずに目を閉じた。

図星だった。

筋力は落ちていない。

だが“張り”が、少しだけ違う。

それは自分自身が一番よく分かっていた。

「背中、流させてもらっていいですか? 後輩ですし」

唐突な申し出だった。

大牙は黙って頷くと、湯を上がって隅の腰掛けに座る。

三崎が桶と石鹸を持って背後に回ると、静かに湯気の中に音が戻った。

ザバ…… 

と湯をかける音。

泡立てた石鹸を手に、大きな掌が背に触れた。

(……なんだ、この手……)

触れ方が違った。

ただ洗っているのではない。

まるで、肌の下にあるものを読み取るように――筋繊維の走り、可動の範囲、筋肉の張りと柔軟性、そのすべてを“確かめて”いるような、そんな手つきだった。

「力、強すぎましたか?」

三崎の声が、背後から穏やかにかけられる。

「……いや。問題ない」

だが、その瞬間――背中にうっすらと浮いた鳥肌を、大牙は自覚していた。

(何を考えてる……三崎……)

風呂場はあいかわらず静かで、湯気だけが舞っている。

されどその熱の中で、大牙は一つの疑念を胸に覚えた。

「何を考えてる、お前……」

その言葉は口に出さなかった。

出せば何かが壊れそうだった。

三崎の掌は、滑らかに肩甲骨から脇腹、背筋を流し、やがて手を止めた。

「ありがとうございました」

そう言って三崎は、湯を一杯すくって、大牙の背を流した。

湯が流れる間も、大牙の中に残ったのは――冷たさだった。

(あいつは……何を掴んだ?)

昔のように無邪気に湯船に浸かっていた三崎は、もういない。
あの目は、何かを見据えている。

それが、ただの“勝利”ではないことを、肌で感じていた。
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