『Make the King Cry』《メイク・ザ・キング・クライ》  ──王者に涙を

NAYUTA

文字の大きさ
14 / 22

復帰へのプレリュード2

しおりを挟む



「――スパーリングの相手に指名されてる。三崎陸翔からだ」

その言葉が、控室の空気を一変させた。

淡々と伝えたスタッフの口調に、悪意も同情もない。ただの事実として告げられたそれは、鷹城にとって、リングで味わったあの敗北よりも、よほど堪えた。

しばらく返事ができなかった。筋繊維の奥に鈍く残る痛みが、言葉を拒んだのではない。喉の奥が、ただ乾いていた。

「……俺に、まだリングに立てって言うのか」

独り言のように呟くと、スタッフは気まずそうに視線を逸らした。

すでに団体の中では、鷹城の復帰は「ありえない」と囁かれている。膝の状態は思わしくなく、トレーニングにも顔を出していない。「実質の引退」「敗北を美談に変えて消えるのが一番だ」そんな言葉が、まるで既定路線のように語られているのも知っていた。

だが今――彼を指名したのは、あの三崎陸翔だ。

勝者の特権か。気まぐれか。あるいは……。

「お前は、俺にとどめを刺す気か」

鏡に映る自分の顔に、吐き捨てた。浮かんでいたのは、情けないほど精彩を欠いた表情。王者と呼ばれた男の顔ではなかった。

ふいに、スマホの通知が震えた。何件もの通知が並ぶ中、ひときわ目を引く見出しがあった。

《伝説のケツ固め、フィギュア化決定!?》

背筋が凍った。画面を開く手が震えた。表示されたのは、あの夜の一枚。鷹城の身体がエビ反りになり、苦悶に歪んだ顔――まさに三崎の技に沈められた、屈辱の象徴だった。

「……ふざけるな」

吐き出すように呟いた。歯がきしみ、拳が震える。

どれだけ努力して、どれだけ築き上げた肉体だったか。どれだけ誇りと覚悟を背負って、リングに立ち続けてきたか。だが今、そのすべてが「笑いもの」として消費されようとしている。

そして、その中心にいるのが――三崎だ。

だが、不思議だった。怒りに震えながらも、胸のどこかが、確かに熱を帯びていた。あの若者の瞳を、敗北の直後に見た時のことを思い出す。見下ろすでもなく、嘲るでもなく、ただ真っ直ぐに、焦がれるような眼差しを――あの目に、自分は、確かに焼きついていた。

「……あいつは、俺を救うつもりなのか?」

言葉にした瞬間、喉奥で笑いが漏れた。何を――何を夢みたいなことを考えている。だが、その笑いは、どこかでほんの少し、涙に似ていた。

もう一度、立つのか。再び、あの場所へ戻るのか。勝つためではない。誇りを取り戻すために。

背後の扉を振り返る。すでにスタッフの姿はない。

一人きりの静寂の中、鷹城はゆっくりと立ち上がった。かつては「誇り高き王者」と呼ばれた背中が、わずかに震えていた。それでも――確かに、その肩には、再び戦う者の覚悟が宿り始めていた。

➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖


そして、それは、季節がほんの少し変わり始めた頃だった。

長く沈黙していた鷹城大牙が、ひっそりと練習場に姿を現した。

まだ朝の冷気が残る時間帯。普段は若手や中堅が身体を温めるストレッチに取りかかる頃だ。扉が軋む音とともに彼が姿を見せると、一瞬、その空間全体が凍りついたようだった。

「あ……お疲れ様です」

誰よりも先に声をかけたのは、新人のひとりだった。だが、その語尾には、明らかに戸惑いが滲んでいた。他の者は手を止めず、だがその視線は一様に鷹城に向けられていた。

目を逸らす者。ひそかにスマホを手にした者。ぎこちなく頭を下げて、再びサンドバッグに向かう者。

かつては全員が彼の一挙手一投足に憧れを抱き、指導一つに歓喜していた。今や、その空気は冷たく、湿り、どこか腫れ物を見るような距離感だった。

そのすべてが、痛かった。

鷹城は何も言わず、マットの隅に置かれたロッカーへと歩みを進めた。着替えを済ませ、無言のまま、縄を手に取る。呼吸を整えながらロープを飛び始めた瞬間、細胞の奥に眠っていた“身体”の記憶が呼び起こされる。

重いはずのロープが、次第に軽くなる。

脳内で、鈍った筋肉が軋みながらも懸命に追いつこうとする声が響く。

やれるか? 

本当に、またあの場所に戻れるのか? 

答えは出ない。

ただ、前に進む以外の選択肢はない。それだけだった。

そのとき、奥のドアが開いた。

「……来たんですね、鷹城さん」

三崎陸翔だった。

グレーのパーカー姿。

髪は乱れ、額にわずかに汗が滲んでいた。

だが、その顔にははっきりと笑みが浮かんでいた。

あの夜とは違う。

リングの上で勝者として立ったあの時の、あの高みの笑みではない。

もっと静かで、もっと人間らしい――少しだけ、嬉しそうな表情。

「……約束したんで」

鷹城は、わずかに視線を外して呟いた。

「もう一度ゼロから始めるって。だから、来た。……来ざるを得なかった」

「うれしいですよ。正直……来ないと思ってたんで」

三崎は笑った。その声に、かつては見下しと嫌悪しか感じなかったのに、今はほんの少しだけ――安堵が混ざっていた。

「じゃあ、始めましょうか。俺の“パートナー”として」

鷹城は頷きながらも、目を逸らさなかった。その奥底に、まだ残っている痛みや羞恥、屈辱――すべてを燃料に変えて、前を向くために。

そしてこの日、鷹城大牙は“敗北の王”から、“再生の王”へと、一歩を踏み出したのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...