ANGEL ATTACK

西山香葉子

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第9章 kanae's testimony

第9章 First love——香苗の証言

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 ケホッ。
 漫画執筆中の佐藤りんだのアトリエの中・アシスタントの仕事部屋にて、七瀬毬子が咳をした。マスクはしている。3日前に風邪で倒れていたから。
 アシスタントが入ってから36時間、日曜の夜中である。有線からは山下達郎の「アトムの子」の軽快なメロディが流れている。
「七瀬さん、マスクしてます?」
「ハイ」
「喉乾いたからお茶にしません?」
 毬子との会話の後、チーフアシの、りんだに「みわちゃん」と呼ばれている人物が立ち上がった。
 内線電話でりんだに、
「先生お茶飲みます?」
『うん、お願いっ』
 と返事を取ると、
「七瀬さん、付き合ってもらえます?」
 と言って出口へカモンカモンする。

「みわちゃん」が足を向けたのは台所だった。
「自分たちの裁量でコーヒーや紅茶を淹れていいことになってます。ただし、豆や粉やパックを持ち出すのは禁止。ここにメンバーの砂糖やミルクの好みの一覧表があります。次からはこれ見てひとりでお願いします。明日は朝になったら一緒に朝ごはんつくりたいんで、覚えといてくださいね」
「ハイ」
 8人分紅茶やコーヒーを淹れて、アシスタント部屋に戻ると、昨日「みわちゃん」に「レイちゃん」と呼ばれていた女子が、
「主線全部終わりましたって」
 と言った。

「とりあえず最初に言われたことを終わらせましょ」
「そうですね」
 年下だけどチーフだから、ですます調で話す。

 朝。
 由美は着古したTシャツにショートパンツから着替えもせずに、毬子の携帯電話に何回か電話したが、一向に繋がらず、折り返しも来ず、イラつきかけたところで、祐介に毬子の所在を聞くことを思いついた。しかし祐介の携帯電話の番号までは知らないので、家にかけたら、これまた留守だった。
 で、由美は、洗いたてのTシャツとゴムのスカートに着替えたら、藤花亭が開く11時になったので、藤花亭にかけてみると、絢子が出た。
『ハイ、藤花亭でございます』
「もしもし、由美ですけど、すみません、毬子か祐介来てませんか?」
『由美ちゃん? 毬ちゃんも祐ちゃんも来ちょらんよ……ちょっと待って……』
 というと絢子は、受話器を押さえて「明日香―! おらんの明日香!」と言った。由美に絢子の声が携帯電話越しにかすかに聞こえる。実際には大きな声なのだろう。
 ダンダン、と階段を降りる音がする。明日香本人は一気に駆け下りたいが。狭いのでそれはかなわない。緑のTシャツに、デニムで丈の長いキュロットスカート。
「毬ちゃんか祐ちゃん知らん? 由美ちゃんが探しちょるんよ」
「由美さんが? 毬子さんは知らない。祐介なら今日は何も約束してないよ」
「それを電話に出てあんたが言いんさい」
「……おはようございます、明日香です。すみません、何も知らないんですよ。祐介とは今日は何も約束してないし」
『絢子さんもアスカちゃんも知らないんじゃ待つしかないかなあ』
 由美さんてカッコ良くて憧れるけど、接しやすいかというと違うんだよなあ……と明日香は思っている。
「はい。どうもすみませんでした、お母さんに代わらなくていいですか?」
 由美が代わらなくていいと言うので挨拶して電話を切ると、絢子が、
「明日香。今の、由美ちゃんじゃけえええがねえ、もっとよそよそしいひとじゃったら『母に』って言うんで」
「はーい。もう上がっていい?」
 と言い、エレベーター欲しいなあ、と思いながら階段の入り口に行く。
「ええよ。勉強しとるんか?」
「うん」
「行っといで」
 と言う母の声を背に、明日香は階段を上がっていく。

 こちらは夜の毬子。
 由美から電話か、なんだろう。
 と言っても、携帯電話の電源を落とすと仕事に戻る顔。
 何かは仕事が終わってから聞こう。

 職場の会話の話題に同人誌は多い、か。
 あと漫画描くテクニックの情報交換。

 話は朝7時に戻る。
「七瀬さん、仕事キリいいですか?」
「すいません、あとちょっと……」
 ひたすらスクリーントーンを貼っていた。
「17枚目終わりました」
「じゃあ一緒に朝ごはんつくりに行きましょう」
「ハイ」
「みわちゃん」に促されて、立ち上がる毬子。

 鍋やフライパンは下の扉、包丁は洗いものをあげるところ。お玉やトングやフライ返しは真ん中です。
 と、台所用の備品の置き場所を「みわちゃん」が説明している。綺麗な台所。でも使い込まれた綺麗さ。
「料理できますよね」
「子供と2人だから私がつくってますが……」
「ゴハン余ってるから昼は炒飯お願いします。パンも玉子もいっぱいあるから、今朝は目玉焼きとトーストにしましょう」
 言うと「みわちゃん」は大きなフライパンに卵をじゃんじゃん割っていく。

 朝食の準備が終わって。
「昼からお願いしますね」
 まあ、そもそも新入りアシスタントの仕事は、メシつくりというようなもので。

 月曜日、朝11時。
 由美が探しているもうひとり、祐介はパチンコ屋に居た。
 エヴァンゲリオンの台にいる。
 エヴァの台はなかなか難しいので、2回確変を引き、次に大当たりが出たところでやめる。相変わらずユーロビートがやかましい店内。
 前髪をポマードでなでつけオールバックにして、顔にマスクをしている。中学3年生でさらに童顔なので、少しでも年をごまかすためだ。カーキ色のTシャツにニッカボッカ。安全靴。
(パチンコ店は未成年は入店禁止の場所です。未成年の方は絶対に祐介の真似をしないでください)
 花火の夜に明日香と夕食を食べた中華料理店で昼食を食べて、一度家に帰る。
 今日は夕方からボクシング。4回戦ボーイたちの試合が後楽園で行われるので、出かけなくてはならない。先輩の試合を観るのも練習のひとつ。武道で言う「見取り稽古」というやつだ。
 家に着くと、電話が鳴っているのが聞こえたので慌てて鍵を開け、安全靴のままリビングに上がる。
「はい、七瀬です」
 この電話の出方は仕込まれたものだ。
『あ、もしもし、祐介? 毬子はなにやってるのよ? 昨日から探してんだけど』
「由美さん、おふくろならりんださんのアシスタントに行ってます。木曜日まで帰ってきませんよ」
『重要なニュースが入ったんだけどさ、あんたにも関わる話よ。こりゃ藤花亭でみんなの前でご披露と行こうかしら』
「そうしてください」
『わかった』
 どんなニュースなんだ? と祐介は思いながら、靴を履いたままだったことを思い出し、玄関に行って靴を脱いでから、廊下を雑巾がけした。

 祐介は、ジムの先輩たちと後楽園ホール。
 だけど、昼間の由美の電話が気になる。
 先輩たちは、1人が1分でKO勝ちして、2人判定勝ち、1人は判定負けだった。

 炒飯を作り終わった昼が終わって、午後3時。
 交代で取る休憩時間。
 由美の着信が履歴に6回と。
「由美さんが大ニュースだって探してるぞ」
「由美ちゃんが探してるよ」
「大ニュースだよ。藤花亭で!」
 と3本メールが入っていた。紹介した順は、祐介、絢子、由美である。
 ニュースねえ、と思いながら次はカケアミだったよなと思う毬子だったが、4本目の留守番電話があった。憶えてない電話番号。
 もう一度携帯電話をチェックすると、銀座の泰子ママからで、
「銀座の泰子です。予定通り入金しました。12年間有難うございました」
 という留守電が入っていた。

 木曜日の朝4時。
「終わりましたー」
「お疲れさまでしたー」
「みんな、新しく入った毬子先輩の歓迎会にハロー行かない?」
 りんだが提案した。
「業平橋のですか?」
「うん」
「いいですねえ」
「行きましょ行きましょ!」
「みんな宴会好きなのよ」
 と言ってりんだは毬子に笑いかけた。

 眠い中を自転車を漕いで帰りつき、泥のように眠って、午後5時、由美からの電話で目が覚めた。
『もしもし、今藤花亭。話があってずっと待ってんだけど?』
「わ、わかった。30分で行く」
『待ってるからね」』
 猛スピードでシャワーを浴び、髪は生乾きのまま、家を出た。大きめのTシャツに、ストレートジーンズ。ベルトを絞める時間も惜しいので、ちょうど上にあったぴったりのを選ぶ。足元はサンダル。暑かったら髪を結ぶために、黒いゴムを左手首にはめた。化粧は眉を描くくらいである。

 藤花亭は自動ドアになっていた。毬子の登場に、絢子が冷房を1度上げる。
「おはよ、毬ちゃん。初仕事どうだった?」
「絢子さんそれどころじゃないんだって」
 カウンターには、由美と、八木。由美は白い七分袖シャツに、サックスブルーのパンツ姿にパンプスだ。頭にはヘアバンドがある。八木はとあるバンドのライヴTシャツに黒いジーンズ。
「あいつが帰国するんだって」
「あいつ……って誰よ?」
「あーもう、祐介の父親に決まってるでしょ! 祐介もここに呼んでくれる?」
 言われて、
「祐介? 由美が、あんたも藤花亭に呼んでって言ってるの。あんたの父親が。ロンドンから帰ってくるんだって」
 と祐介の携帯電話に電話を入れた。

「祐介くんのお父さん、ロンドンに行ってるんですか?」
 八木は聞く。
「うん。ギタリストでね、腕試しって、行っちゃった。日本でもメジャーデビューして半年くらいだったのにね。バンド脱退して」
 八木は、
「これ、こないだ毬子さん家行った時見つけたんですけど……これ毬子さんと祐介くんと、お父さん、ですよね……?」
 と言って八木は、過日、毬子が風邪ひいた際に発見した写真をおずおずと出した。
「やだこの写真どこにあったの? ないない言って探してたの!」
 重ねて言うが、写真の男性は祐介になんとなく似ている。二十歳前後だろうが、童顔でよくわからない。
「こないだ借りた『BANANA FISH』の隙間です」
 と八木が言ったところで祐介が藤花亭に現れた。白のTシャツにカーキ色のニッカボッカ。
「由美さんこんちわーす。俺の父親が帰国するってほんと?」
「うんほんと」
 由美が祐介に言い終わった頃合いを見計らって毬子が、問題の写真を指差して、
「八木ちゃん、この子はアスカ」
「アスカちゃん?」
「うん、冗談で抱かせてもらったの。この時はまさかホントに自分に子供授かるとは思ってなかった。アスカもまだ1か月くらいでね」
「由美さん、アスカに一緒に居てもらっていいですか?」
「いいよ」
 と由美が言ったので、祐介は明日香を呼びに行った。

 祐介が明日香を連れて戻ってきて。
 以下、毬子が語る。
 語り始めると、隆宏が、店の扉に「本日貸切」の札を下げに行った。有線放送も彼が音を止めた。隆宏の背後上にあるテレビの画面では、広島東洋カープと読売巨人軍の選手たちが躍動しているが、音はない。

 最初から話すね。
 あたしと由美は、小学6年の時に由美が広島から転校してきて以来の付き合いで、ここのお店ともその頃からの付き合いなんだけど――このお店はあたしたちが小学6年の時に開店したの――、中学生になって2人ともロックに興味を持ったのね。
 CD買ったり借りるだけじゃ飽き足らなくなって、ライヴハウスに行くようになったの。渋谷とかあっちの方のにも。
 で、行ったライヴハウスで頻繁に演奏してたのが、「PLASTIC TREE」ってバンドだったんだ。
 ギタリストの白石エータローは6つも年が離れてるのにあたしと意気投合してさ、まあ、あたしたち、背が高かったから最初中学生に見えなかったらしいし、精神的にも背伸びしてたしね。
 告白はあたしからだったけど。年が離れてるからけっこう当たって砕けろだったんだけど、受け入れてもらえて。
 それで、由美と一緒に行く以外にもライヴ行って、ライヴ行かない時間で由美は勉強してたけど、あたしはライヴ行くか漫画描いてたから高校は由美と離れて。でもライヴはちょくちょく一緒に行ってて。

「ただいまー」
 毬子の昔話の途中で、香苗が帰宅して顔を出した。ナチュラルメイクに半袖白シャツにパステルピンクの質の良さげなフレアスカート。シャツをスカートにインしているので、ウエストのくびれが強調されている。絢子が買ったものだが。
「おかえり。座って話聞いてな」
 と隆宏は言った。
 明日香と祐介は、座敷のひとつに座っていて、実はテーブルの下で両手を握り合っている。
 こんなことをするなんて初めてで、明日香は祐介のココロの心配をし始めていた。

 あたしは高1の時、父親が金沢へ転勤になってひとり暮らしを始めたんだけど、その頃「PLASTIC TREE」はメジャーデビューしてね、忙しくなってなかなか会えなくなったの。
 でもその頃、あいつはデビュー出来た喜びなんてひとつも言わなくて、繰り返し窮屈だ窮屈だ言ってた。
 メジャーデビューから半年だったかな。ツアーが終わってからあたしのアパートへ来て、言ったの。
「バンドをやめてロンドンへ行く」って。

「行かないで」って何度も言ったけど、夢がどんどん膨らんでいくばっかりだったみたいで、あたしの言うことなんて聞き入れちゃくれなかった。
 そのうちに妊娠していた絢子さんはアスカを産んで、1カ月経った日に店に出て――その間あたしや由美で手伝ったのよ―ー、ちょうどその日に、あいつ藤花亭に来てたのね。この頃はたまに藤花亭に来るようになってたけど。家もこっちの方に引っ越してたし。
 で、おねだりしてアスカを抱っこさせてもらって、3人で撮った写真がこれなの。
 香苗があたしも混ざりたいって言ってね、香苗と3人で撮った写真もあるんだよね。
 
 と言われたのを受けて香苗が口を挟んだ。
「言わないでよ毬子さん。
 あたしはまだ幼稚園年少のチビだったけど、大人になったらこんな素敵な恋人ができるんだなあ、って思ってたんだ」
 エライマセた幼稚園児やな、それにしても高校生は大人じゃないじゃろう、と思った八木だったが、黙って話を聞いている。

 で、あたしと過ごす一方でロンドン行きとバンド脱退を決めてて、話もどんどん進めてたんだ。やっぱり「行かないで」って泣いて。
 夏休みの始まる日が出発日だって教わってたけど、由美が、正しい出発日を情報仕入れてきたんだ。1学期最後の日だって。
 夏休みに入って2週間くらい経って、なんか夏バテ酷いなあ、と思ってて、それがあんまり続くんで、病院行ってみたら婦人科にも行けって言われたの。生理来てないことに気づいてなくってさ。
 妊娠してたんだ。
 由美と大将と絢子さんの怒りようと言ったらなかったね。うちの両親も東京出てきて怒ってさ、大将と絢子さんに怒りぶつけて――あんたたちが見てて何でこんなことになるんだって――、それでもロンドン行っちゃったあいつに連絡の取りようがなくて。携帯のない時代だから。
 夏休み中つわりで寝込んでた。
 それでも、今後子供授かるチャンスなんかないと思ったから、産むことにしたの。
 体育見学することも増えて。
 12月に後期つわりが始まって、妊娠が学校側にバレて、結局2年の2学期で学校辞めることになって。
 祐介が生まれたのは3月29日のお昼頃。6時間くらいかかったかな。分娩室の廊下に藤井家みんなと由美がいてさ。藤花亭休んでもらっちゃって、あの時は申し訳なかったなって今でも思う。アスカなんかまだ歩けなかったし。
 それから、定時制に編入して、3人で3人を育てる毎日が始まって。ひとりで3人連れて出かけることもあって。
 思い出すな、たとえば4人でプールに行った帰りに雷が鳴ってさ、アスカはパニクるし、祐介は体力が余ってて遊び足りないし、小学生になってた香苗はアスカばっかりかまってるとむくれるし、で大変だった。
 定時制行きながら本屋でバイトして、ハタチの時にもっと稼げる仕事ってんで銀座のお店に出てみようと思ったの。大将に言われた通り向いてなかったわ。
 その後祐介やアスカも小学校入って卒業して、中学入って、一哉くんやみゆきちゃんに出会って、今年の春に八木ちゃんと出会って店を辞めた、ってわけ。

「そういえば俺、引っ越してきた日にこんなことがあったんですよ」
「なんだい?」
 隆宏が相槌を打つ。
「税務署……ですか、そこの前でおじさんが倒れてて、野次馬がすごくて、そのうち着物着た女のひとが救急車呼んだ言うたんで野次馬は解散して、救急車がきてそのおじさんを運んで行って……って話」
「それあたし!」
「へ?」
「その着物着た女ってあたしよ! ほら」
 と言いながら毬子は前髪をあげた。
「あー、毬子さんて、道理でなんか見たことある顔だと思ってたんだ」
「最後までいた若い子って八木ちゃん?」
「あー、はい」
 大団円? になりかけたところ、
「ちょっと毬ちゃん、話はもう終わりかい?」
 と絢子が言った。

 それで、「ご清聴、ありがとうございました」と言って、毬子は話を〆た。ところから間髪入れずに由美が、
「わかんないことあったら質問をどうぞ」
 次は由美宛ての質問コーナーだ
「ということは、そのエータローさんは、祐介くんが生まれていることさえ知らないということですよね」
 と言う八木には、毬子が、
「うん。知らない。
 で? エータローはいつ帰ってくるんだって?」
「10月の始め。凱旋ライヴは六本木だったかな? それにしちゃ情報来るのが遅くってさ」
 言いながら由美は、プリントアウトしてきたらしいメールを出した。クリアファイルに入っているそれが順々に渡され、全員が目を通す。
「一時帰国なの?」
 と毬子が次の質問。
「そうみたいよ。イギリスで映画音楽とかもやって賞取ってるみたいね」
 隆宏が、先程扉に貼った「本日貸切」の札を取りに行った。有線放送も付けた。C・C・Bの「LUCKY CHANCEをもう一度」が流れ始めた。
「写真、返します」
「見つけてくれてありがとね。こないだはお世話になりました」
「こないだって何よ?」
 由美が尋ねた。
「風邪で死んでた時にお世話になったのよ」
「それが先週か。そういやあんた赤い顔してた時あったわね。治ったの?」
 予想に反して「祐介は何やってたの」というツッコミはなかった。なので、
「おかげさまで」
 とだけ返すと、絢子が、
「さーて、みんな、そろそろ夕飯は? 選んで。お好み要らなきゃ裏で自分でつくりいよ、香苗、明日香」
「今日はお好み食べる。着替えてくる」
 と言って香苗は、外から自室へ回った。
「俺もお好みにする」
「あたしも」
 と祐介と明日香。

 香苗が、メイクを濃くしてパンツスタイルで再び現れた。
「この写真でしょ?」
 と言って、幼児期の自分と高校時代の毬子、エータローの3人で撮った写真を出す。
「そうそうこれこれ」
 全員の頭が写真に集中した。大将・隆宏はお好み焼きを焼き始めていたため、鉄板から体が離せず、せめて少しでも、と横目で必死に見ようとしてる。八木は可愛ええな、と思っているところ。
「ほらーっ、ちゃんと開いてるじゃん!」
「うるせえ、さっき来た時は『本日貸切』になってたんだよ!」
 という大声の応酬と同時に扉がガラッと開いた。
「爺さんいらっしゃい。カノジョ?」
 と言われたプレスリー爺さんは若い女性を連れていた。
「娘だ娘。んな体力ねえ。ミックスとビール2つずつ」
 と、隆宏とプレスリー爺さんが軽妙にやりとりして、爺さんと娘は座敷に座った。明日香と祐介が座敷を降りてくる。
 さらにお客さんが入って来たので絢子が。
「祐ちゃん、毬ちゃん、由美ちゃん、八木さん。夕飯うちで食べる?」
「へ?」
「お客さんけっこう入りそうだからさ」
 絢子の提案にYESを言った4人は、結局藤井さん家の2階のDKにお好み焼きを運んでもらって、藤井姉妹と6人で夕食をとることになる。

 藤井家のDKは4人掛けなので、明日香と香苗がそれぞれ3階の自室から机用の椅子を持ってきて、祐介と八木の間の辺に明日香が、毬子と由美の間の辺に香苗が座った。要らないから捨てると今年の春に言っていた香苗の机椅子は、役に立つかもしれないから取っておきんさい、と母親に言われて取っておいたのが役に立っている格好である。
「こんなこと年中やってんですか?」
 八木はキョロキョロした後で椅子に腰掛けて、それをですます調で聞く。
「高校の頃に店手伝ったらご飯食べさせてもらったくらいかなあ」と由美。
「ここでご飯を食べたことはあるんだけどね、あんたたちが小さい頃だよね」
 と言って毬子は、明日香と祐介を見た。

「八木さん、東京には慣れた?」
 と由美が聞く。さすがはプロのインタビュアー、と毬子が内心で感心していた。
「本州の暑さってこうだったって身体が思い出しとるかな。仕事には慣れましたよ」
 その他、9月の香苗の誕生日のカラオケはどうするんだ、という話の後で。
「もうすぐ絢子さん誕生日じゃない?」
「ああ先にそれがあったー」
「あんた今年ははずまないと」
 と毬子は香苗に言う。
「後で銀行の残高見るわ」
「銀行の残高って言えば、退職金の振り込みまだ記帳してないや」
「いーなー毬子さん、おっっかねもちー」
「ホント、貧乏を体力で補うのやだよ」
 藤井姉妹が冷やかす……もとい、明日香はボヤいた。
「涼しくなったら達成感得られて気持ちいいよ。まだ子供なんだからそのくらい工夫せい」
「そういうことを言うのは本当に体力がなくなってからだよ」
 などと言い合って、食後もしばらく談笑していた。

 全員が食べ終わって、1階から酒類を運んできたりして(酒類はタダではない)、飲んでいるうちに由美がふと口を開いた。
「そういえばあんたさっき、風邪ひいて八木さんの世話になったって言ってたけど、その時祐介は何してたのよ」
 とうとう気が付きやがったか、と毬子は白旗を挙げて、
「トラフィックジャムの東京ドームライヴでいなかったもん」
 と返した。
「言ってくれれば世話しに行ったのに」
「あんたも東京ドームで仕事と打ち上げじゃないの?」
「うー、まあ、仕事だけどさ、夜中だって言ってくれれば……待て、祐介夜中には帰って来たんじゃないの?」
 由美のツッコミを聞いて、慌てた表情になったのは明日香だ。こう叫ぶ。
「うわわわわ、あたしのせいだ! ごめんなさい毬子さん!」
「あー、あの日は雷落ちて、祐介はアスカの世話で手いっぱいで帰れなかったのよ」
 毬子の説明を聞いて由美は、祐介と明日香に、あんたたち中学生には早いお付き合いしてるでしょ? とツッコミたいのを堪える。
 あたしの不倫見たって言うのもさ、ソコへ行くような仲じゃないと行かないでしょうが。
「相変わらず雷ダメなの? アスカちゃん」
 由美は堪えてこれだけ言った。
「ごめんなさいっ……」
 明日香は申し訳なさで、両の瞳に涙を溜め始めている。
「しょうがないよ。無理したって治らないものは治らないんだから」
 と言って毬子は、明日香の前髪をクシャッと撫でた。

 大人たちが酒代だけ払って帰宅したその翌日。毬子は、銀行のATMに通帳の記帳に行って、泰子ママの言ってた通りの金額が振り込まれているのを確認し、3万円おろして、素麺とパック入り薬味(ネギなど)と昆布つゆを買って帰宅した。素麺を揖保乃糸にしてみた。
 マンションの中に入ってエレベーター前で。
 RRRRR
 毬子の携帯電話が鳴る。
 崎谷だ。
『こんにちは。お具合はどうですか?』
「ああっすみません、取り掛かれてないです」
『ああ、無理しないで。あさって一緒に例のお好み焼き屋さんに行きたいんですが、付き合っていただけますか?』
「明後日ですか?」
 うー……と悩む毬子。
『あっいいですいいです。絵と関係ない話ですんで!』
「いや、大丈夫ですよ」
『そうですか?』
「何時にします? 最近藤花亭混んでますからね、早めに行った方がいいですよ」
『8時くらいになっちゃうんですが……』
「わかりましたー。行って席取っときます」
『ありがとうございます』
 では、と言って電話は切れた。
 絵の話じゃないならなんだろう?
 とりあえずお昼ごはんに買ってきた素麺茹でよう。

「もしもし、毬子だけど、あさっての夜、座敷ひとつ予約できる? 2人分。あ、できる? やった。ありがと。んじゃあさって行きますんで」
 毬子が電話で予約をして。2日後。
「こんばんはー」
「何毬ちゃん、予約って、待ち合わせ?」
「うん、りんだの担当さん」
「あーあの……」
 絢子は、特徴を言おうとして口ごもってしまった。
「りんだとたまに来て気に入ってくださってるみたいよ」
「ありがたいねえ……」
 今日は座敷と厨房なので、途中からやり取りする声が大きくなる。

 午後7時50分、崎谷が現れた。相変わらずのクールビズ仕様である。
「こんばんは」
「こんばんは」
 頭を下げ合う2人。
「飲みます?」
「ビール!」
「あとぶた玉でいいですか?」
「お願いします」
「絢子さん、ビールとぶた玉2つずつお願い!」
「あいよっ」
 テンポのいいやり取りの後で、絢子がイキ良く返事した。

 相変わらず美味しいよなあ、と毬子が思いながらぶた玉を食べていると、崎谷が笑顔で言った。
「いつも美味しそうに食べますよね、七瀬さん」
「あっ、あわわわすみません」
 慌てた。まずい。お水スキルがどっか行っている。
「七瀬さんの笑顔、好きですよ」
「え?」
「七瀬さん、僕と、お付き合いしていただけませんか?」
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