ANGEL ATTACK

西山香葉子

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第10章 Welcome Party

第10章 Welcome Party

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 告白されるのすごい久しぶりだなあ……。
 帰宅した毬子はしみじみ、先ほどの崎谷との会合を反芻していた。
 でも崎谷さんのことほとんど知らないんだよなあ……。
 とりあえず、崎谷さんには、その場では、
「崎谷さんのことをほとんど知らないんで、少し待ってくださいますか?」
 と回答をした。
 藤花亭の大将も女将も常連客も、心得ていて冷やかさない。
 崎谷は、こういう時の常套句「最初はお友達から」を言ったが、漫画家の担当編集者とその漫画家のアシスタントでは、それは難しいだろう。
 
 崎谷さんて由美の元同僚だよね。妙に仲いいの。というか、義弟の三村さんとトリオだったというよね。
 由美に聞いてみるかなあ。
 よし、まずはアポだ。木曜日はりんだのアシスタントたちと飲むから使えない。
『はい』
「あたし。あんたにちょっと聞きたいことがあるから、飲めないかな?」
『急ぐ?』
「ちょっとね」
『今度の火曜日が開いてるよ』
「場所はおてんば屋にしようか藤花亭にしようか……」
『内緒にしたい話なの?』
「それもわからない」
『なに、誰かに告白でもされた?』
 なんなんだこの女のこのカンの良さは。
「おてんば屋にしよう。6時」
『おけ』
「じゃあ火曜日よろしく。予約しとく」
 と言って電話は切れる。

「予約の七瀬です」
 と、午後6時ジャストにおてんば屋の入り口で、若い店員に言うと、
「こちらへどうぞ」
 と個室へ案内してくれた。
 15分ほど待つと、
「七瀬で予約入ってると思うんですが……」
 という声が聞こえ、由美が案内されて個室に入ってくる。
「暑いねー」
「うん」
「髪刈り上げようかと思っちゃう。ひっつめると頭痛くってさ」
 という由美は黒いショートボブの髪をひっ詰めていた。
「伸ばしたら?」
「今更ねエ……」という会話を交わしながら、毬子はグレープフルーツサワー、由美はウーロンハイといくつか料理を注文した。
 注文が住んで、店員が個室を出ていく。
「で」
 と由美が切り出す。
「あんたからここに呼び出すなんて何かあったの? エータローの話なら続報はないよ今のところ」
「……崎谷さんに告白された。お付き合いしていただけませんかって」
「あー、そゆわけね。あれ……?」
「それで、あんたが崎谷さんと仲良かったはずだから、どんなひとか聞こうと思って」
「なるほど……」
 と言って由美は少し考えて、発言し始めた。
「仲間としてはいいやつよ。でもあいつ、離婚話出てなかったかな……子供もいるよ」
「え? そうなの?」
「うん。男の子ひとり。小学校あがったかな? どっちが引き取るのかまでは聞いてないけど」
 露骨に、えらい話を聞いてしまった、という表情を毬子が浮かべたので、
「そういやあいつとどのくらい飲んでないんだっけな……漫画も忙しい部署だからね……」
 と歯切れの悪い解答に終始した。
「しかし、いくら仲いいとはいえ、妻子持ちを推せないなあ。あんたのが大事。まあでもあんたも祐介居ること言ってないんでしょ?」
「まあそうだけど、りんだがしゃべる可能性もあるし」
 不倫してる奴がよく言うよ、しかもあたしの義弟と……と思った毬子は、
「三村さんとはどうなの」
 と続けて聞いてみる。
「全く変化なし。アスカちゃんと祐介が見てたって言った時は動揺してたけど、すぐ中学生がどこ歩いてんだって茶化してた」
「そう……」
 そこに友情はあるんだろうか?
 ふとあることに気づいて、毬子は質問を変える。
「崎谷さんていくつだっけ?」
「あたしたちより4つ上。一浪してるから入社は3年違いかな」
 三村さんは二浪してたっけ……と、毬子は余計なことも頭に浮かべた。三村は由美とは同期なのだ。
「結婚って、なんなんだろうね」
「うん……」
 ここまで喋り合ったところで、料理が来始めた。唐揚げにかぶりついて幸せそうな表情を浮かべる毬子。
 この女、この表情でひとを落とすんだよな。人たらしっての?
 その日はあまり盛り上がらずに午後8時半でお開きとなった。

 今度の週末はまた、りんだの仕事がある。今度は崎谷が担当している「サヨナラの翼」。
 それまでは崎谷に言われた絵に取り組むが、集中できない。
 離婚が成立してない状況で告白しないで欲しいなあ。
 犬みたいに、首を左右に振って、再び絵にかかる。
 集中できないわけだけどさ。

 結局あとひと息のところで絵が終わらぬまま、りんだのアシスタントの飲み会になった。場所は業平橋駅前の「ハロー」。まず午後5時25分に駅前に集合。
 皆小綺麗な服を着ている。
 中でもチーフアシの「みわちゃん」は、コンタクトを入れて、髪を下ろして緩く巻き、淡いピンクのカットソーに白いデニムパンツだった。なかなかの変貌ぶりだ。
 みんなまずドリンクを注文する。
 ドリンクが皆に行き渡った。
「レイちゃんとリョータくんじゃんけんして。負けた方から時計回りに自己紹介してね。勝った方から歌おう。その前に一度乾杯しよう。みわちゃん音頭とって」
「ではご紹介にあずかりまして……皆さんグラス持ってください……いきますよー、毬子さんのスタジオアップル入りを祝って……乾杯!」
 みわちゃんの音頭の後。
「はい、最初はグー、じゃんけんぽい!」
 りんだの指示のもと乾杯をした後で、名前の出た2人はじゃんけんをして、「レイちゃん」と呼ばれている女の子から自己紹介タイムが始まった。みんな自分の挨拶の終わりに頭をしっかり下げた。
 
「坂巻麗子です。ペンネームはレイです。別冊マリィゴールドの先生のところにもアシに行ってたり、同人でBLEACHの一護×ルキアやっててそっちのが忙しくて、自分のオリジナル描いてる暇がないのが最近の悩みです。個人サイト持ってます。よろしくお願いします」
「あれ、レイちゃん今ユーコと同じジャンルだっけ」とりんだが口を挟む。レイちゃん頷く。
 ユーコのこと知ってるのか。
 ちなみに、ご存知ない方のために書かせていただくが、ここでの「ジャンル」とは、同人誌即売会で頒布する場所を取るのに必要で、メインでやってる作品傾向を、主に二次創作の原作タイトルやキャラクターの名で表現している。二次創作とは先にも書いたが、おおむね、勝手に番外編・スピンオフや、活動する作品のキャラクターでオリジナルストーリーを描くことを指す。◯◯中心、という言葉で、メインで描きたいキャラクターを指す。コミックマーケットのような大きな即売会だと稀に、原作者が自分の作品でいち参加者として出ていることがあるので要注意だ(りんだはやったことがない)。また、ライトノベルのイラストレーターが自分で絵を描いたヒット作をネットでも同人誌でも二次創作しているケースもある(それが公式になってしまった例も一つあるのだが、そこには深入りしないで話を先に進める)。
「ペンネームが百合、本名は有末寛子と言います。セーラームーンのレイ×亜美をやってたら、ここのアシスタントにレイちゃんとアミちゃんがいる上に、自分のいるジャンルの大枠が『百合』という名前であることが最近わかってまずいことをしたと、ペンネームを変えることを悩んでます。三鷹美大2年で、個人サイトも持ってます。よろしくお願いします」
「百合ちゃん」と呼ばれている娘は、頭を下げながら苦笑いを浮かべつつ、名刺を出して毬子に渡したのでみんなあっという顔をした。名刺を持参することを思いついた者は他にいないらしい。彼女がおそらくこの中で一番若いだろう。三鷹美術大学は、有名イラストレーターをよく輩出している大学だ。
「ペンネームは柿の木レモン。本名は楠木護です。ここに入ったら、アミちゃんとレイちゃんがいて、りんだ先生セラムンも好きなものだから、面白がってまもちゃんと呼ばれてます。同人では最近『東方project』の二次創作始めたところです。よろしくお願いします」
 身長は毬子くらい、髪が耳にかかるくらいのあまり男っぽくない感じの青年だ。「東方project」は後に一大人気ジャンルになる、同人作品だったシューティングゲームである。二次創作を全てOKしていることでもオタクには知られている。
 CD,ゲームなども、オリジナルのものが即売会で頒布されているのである。そういったものは枕に「同人」とつく。
「ペンネームは亜美、本名は山際唯です。ここに入ったらレイちゃんがいた上にまもちゃんもあたしのすぐ後に入ってきて、レイ×亜美やってる子もいるんで最初面くらいました。ガンダムWやってましたが、最近とあるアイドルにハマって、そっちで活動しようか悩んでます。よろしくお願いします」
「池永美和です。ペンネームは本名のひらがなです。ここに入って5年になり、今ではチーフアシやらせてもらってます。同人とバイトとアシスタントの三点両立に悩んでます。ジャンルはオリジナルJUNEと、最近『涼宮ハルヒシリーズ』にハマって本を買ってます」
 オリジナルもジャンルのうちである。文字通り創作(二次創作に対して一次創作ともいう)。JUNEとは男性同士の友愛恋愛関係を描いた作品の古い表現だ。最近はもっぱら「BL」と呼ぶのだが、そのジャンルの一次創作作品は今でもオリジナルJUNEと呼ぶことがある。
「春内リョータです。漢字は亮太、南海キャンディーズの山里さんと同じ字ですけど、実は医学的には性同一性障害というヤツで、女名前の戸籍名がまだあります。でもリョータで統一したいんで、リョータでお願いします。ジャンルはオリジナル青年漫画と、たまにエロも描きます。よろしくお願いします。今年中に戸籍の名前をリョータに変えたいです」
「え、そうなの?」
 毬子は驚いて声をあげた。頭をあげたリョータくんは、
「はい、みんな知ってますんで、1人だけ取り残されないようにと思いまして」
「なるほど」
 思わず声が出た。
「リョータくん」、声も、半袖から出る筋肉もまるっきり男の子だ。まもちゃんより彼の方が髪が短い。
 ただし毬子のほうが頭半分背が高い。
「ハイ、先輩早くみんなの名前覚えてね。さー飲んでねー。もっかいカンパーイ!」
「カンパーイ!」
 再び皆でグラスを打ち付け合った。
 その飲み会では、リョータくんに「七瀬さん背が高くていいなあ」と羨ましがられ、りんだに風邪どう? と聞かれ、他のメンバーに「どんな作品が好きですか?」と聞かれているうちに、
「遅くなりましたー」
 と言って入ってくる者がいる。
 崎谷だった。
「ドーリアン・マガジンズの担当の崎谷健太郎さん。あたしの結婚式の日に会ったんだって? あと、『まりあ』に移動してくる前は『ROKETS』で由美さんと仲良かったって聞いてない?」
「由美といる時にも会ったから。りんだ気を遣い過ぎだよ」
「そーお?」
「どうもすみません」
 崎谷さんが謝ることじゃないのでは? と思うが黙っている毬子。
「あ、鷺沢さんは来ないって」
「鷺沢さんって?」
「清新社の担当」
「なるほど」
「次七瀬さんじゃないですか?」
「あ、はいはい」
 隣にいたリョータくんに言われ、慌てて毬子は、hitomiの「SAMURAI DRIVE」を歌い始めた。
 
 手の空いてる時に、「後で少しいいですか?」と崎谷にショートメールを打つ。メモを書くと皆にバレるから。
 アニソンとV系を半々ずつ歌い終わり(崎谷が歌ったミスチルや、毬子の選曲が浮いていた)、午後10時に宴は終わった。
 りんだが領収書を切ってもらってる横で、毬子の隣に崎谷が来る。
 誰も見てないでみんな外へ出た、レイちゃんの長いウェーブの髪が揺れてる。
「あたし一度ここを出て途中まで歩きますから、おてんば屋入っててください」
 と小声早口で前を向いたままで崎谷に言った。

 カウンターに居た崎谷の横に立って、
「すみません個室開いてませんか?」
 と毬子はカウンターの中の店長に質問した。例の、初夏の頃に、バルサンを炊いたのに警備会社とハローに連絡するのを忘れて、大騒ぎを引き起こした店長である。
 開いてるというので、案内してもらった。

 崎谷の表情が少し緩んでいるように感じられる。
 ウーロン茶とコーラを頼んで。
「由美からいろいろ聞きましたよ」
「あーそうしましたかー」
 と言いつつもなんとなく表情に真面目さがない崎谷。
「奥さまいらっしゃるそうじゃないですか、あとお子さんも」
「え、あいつ知らないの……離婚とっくに成立しましたよ。去年の春に」
「そうなんですか?」
 毬子は露骨に驚いた表情を浮かべた。
「岩渕とも久しく飲んでないからなー。『まりあ』に移ってから忙しくて、すれ違いや子供の世話を全部彼女に任すことが増えちゃって、彼女の怒りが爆発して、ね」
 言いながら崎谷は頭をかいた。
「『まりあ』にはいつ移られたんですか?」
「3年前の春です。岩渕とはそれからずっと飲んでないからなー、マメに連絡もしないし。
 こないだ三村とは昼メシ食ったんですけどね」
「そうですか……」
「他に何か聞きたいことありますか?」
 と言ったところで、ウーロン茶とコーラを店員が運んできた。
 ひと口飲んで、
「お子さんは奥さまが引き取られたんですか?」
「はい。小さい頃から僕にはあまりなついていない子でしたから」
 子供なついてなかったか。と毬子は考える。そこは気になる。
 そのまま会話はそこそこ盛り上がる。しかし毬子は、三村と由美の本当の関係をしゃべらないように緊張しっぱなしであった。
「返事は急ぎませんよ」
 という崎谷の発言に、
「ゆっくり考えますね」
 と応えた。

 その夜中。
「由美? 崎谷さん去年の春に離婚が成立してんだって。また飲みに行こう」
 携帯電話に電話しても出ないので、留守番電話とメールに同じメッセージを残した。
 りんだの仕事が終わったら藤花亭で、という、メールが返ってきて、OKの返事をした。

 土曜の朝。りんだたちとの仕事第2回目になった。スカッとしない表情の毬子。
「どうしましたー? 元気ないぞー」
 とりんだに軽く言われたが、集合時間の午前10時になると、顔つきが引き締まった。
 今回は、32ページ。枠線は全部引き終わっていて、主線と人物の顔の中は7ページ入っているとのこと。扉はカラーで、入稿済み。
「前回から同じ服を着ているキャラクターは、その場面が終わるまで同じひとが担当してください。シャルロットのドレスは……みわちゃんだっけ?」
「あー……はい」
 同じ先生のところでも違う作品もあるから思い出すのが大変なんだな。
「あ、じゃあみわちゃんこっち来て」
 とりんだはみわちゃんを手招きする。

 今回の仕事は、みわちゃん曰く、
「レイちゃんは建物を描いてください。毬子さんはリェーナの髪にベタ塗ってください。亜美ちゃんは家具を描いてください。リョータくんはゴイラの61番トーン貼りお願いします。まもちゃんはブリジットの髪のトーンお願いします。百合ちゃんは小物描いてください。携帯とか腕時計とか、シャルロットの部屋のオルゴールとか手鏡とか」
「はーい」
 最初の仕事の配分を聞いて、それぞれの机に散っていく。
 ベタ、とは黒く塗ることである。
 ゴイラ、とは、メインのロボットパイロットの1人、ジャックの乗る、彼専用のロボットである。ブリジットは女子ロボットパイロット。
 現代から300年後をイメージした作品だからか、携帯電話も描かれるのだ。「ウッドハウス物語」より、この作品の方が現代日本に近いので、目につくものを使うことが出来る。
「61番トーン残り3枚です」
 とリョータくん。
「先生に言っとくね」
 と言ってみわちゃんは、自分の机の上にある内線電話の受話器を取り上げ、
「先生、61番トーンが残り3枚とのことです」
『電話で在庫あるか聞いてみる。注文もするけど、聞いてみてお店にあるようだったら誰か買いに行って。他に減ってるのない?』
 みわちゃんは受話器を押さえると大声で、
「他に減ってるのありませんかー?」
 トーン棚の一番近くにいるリョータが、抽斗をすべて1度ずつ開けて確認してから、「ないです」と言った。
 みわちゃんがないとりんだに伝えて5分ほど経つと。
『在庫あるって。誰か毬子先輩連れて行ってきて。毬子先輩自転車だから自転車のひと。あと、今日暑くなるみたいだからなにか買ってきて。プラスお昼に焼きそば食べたいから麺も。領収書くれれば後で返す』
 相変わらずあの画材屋贔屓なのかな? と思っていると。
「じゃああたし行きます」
 とレイちゃんが言った。
 レイちゃんと毬子で行くことになった。

「道はなるたけ今憶えてくださいね」
 というとレイちゃんは、止めてある赤い自転車に鍵を挿し、デニム姿で勢いよく銀輪を軋ませた。ひとつにまとめたウエーブの髪が揺れる。
 昔りんだと来たことがある画材屋だった。
 職場用の買い物なのでウキウキも少ない中、
「ほんとに暑いですね」
「うん」
「アイスかなんか買っていいんですよね?」
「そうだっけ」
「はい、あ、2回分買っとこう」
 言って2人はスーパーに入っていく。

 大塚愛の「さくらんぼ」がかかる店内で買い物をし、さっさか職場に戻ろうとする。毬子は本音を言えば、溶け始めると食べづらい棒アイスよりみかんゼリーの方が良かったが、贅沢は言うまい。
 買ってきたものを冷凍庫冷蔵庫に入れて、宇多田ヒカルの「Automatic」がかかる仕事部屋に入る。
「アイス買ってきましたよー。3時のおやつにしてくださーい」
 わっ、と声が沸いた。

 午後1時。
「毬子さん、そろそろお昼お願いします」
 みわちゃんに言われて、台所へ。

 結局、今回は特に大きなメールも 問題もなく、途中で現れた崎谷も毬子に関しては何も言わず、黙々と写植貼りをして、髪ボサボサ髭ボウボウになっていた。
「お疲れさまでしたー!」
 とみんなで頭を下げ合って終わり。
 ちなみに給料は翌月25日だ。立て替え金は給料と一緒に支払われる。マネージャーがいた頃は、2,3日で立て替え金が返って来たのだが、今は給与と立て替え金計算とをまとめてやってるので、知らない毬子以外は、早く新しいマネージャー決まって欲しいと言っていた。
 マネージャーは6月に辞めて、夫の中谷圭吾が、三津屋百貨店の仕事と別に必要な事務作業をこなしているらしい。八木と同じ日本橋店勤務である。これをはじめに聞いた時は、毬子は八木と知り合ったかどうかというあたりなので濃いリアクションはしていないけど。
 密かにマネージャー募集はしているようだ。

 りんだの仕事が終わった更に翌日、毬子は由美と藤花亭で会っていた。
「毬ちゃん久々やね。告白されて以来来てなかったでしょ。あたし誕生日過ぎちゃったよ」
 絢子さんよく覚えてるな、と思いながら、
「おめでとうございます。あのひとに提出する用の絵を描いていたんですごめんなさい。プラスりんだの仕事行ってたし」
「告白して絵の進捗遅らせるあたり酷い編集者じゃん」
 と由美は、友人だからなのか悪しざまに言う。
 由美は、カウンターの奥の厨房に向けてた姿勢を毬子に向き直らせて、
「それで? 進展は?」
「返事は急がないってさ」
「まあそうだろうね。集中力切らせておいてさ」
「おかげで絵に集中できそうなはずなんだけど、そううまく転ばなくて。全然集中できない。夏休みで祐介家に居るから3食つくるわけだし」
「あんたさ、もうひとり子供産む気、ある?」
「……え?」
 毬子は真顔で由美を見た。
「考えたこともなかったという顔だなそれは。考えないと、すぐタイムリミット来るよ」
「由美こそ」
「あんたの方が将来的に不安だってみんな言うだろうね」
「……」
 やりこめられて、どう打ち返すか毬子が悩んでいると、携帯電話が鳴った。Mr.Childrenの「YOUTHFUL DAYS」のメロディ。
「あ、あたしだ」
「また着メロ変えたの?」
 言って毬子はバッグを漁って携帯電話を出す。出ている名前は弟・信宏のものだった。
「はい」
 と言いつつ、毬子は立ち上がって店の出入り口へ行く。
『あ、俺だけど。フォボス社……看板の会社から連絡があって、姉ちゃんの絵で行くって言ってるからも一回打ち合わせしたいんだけど……』
「りんだのアシスト仕事が始まったから忙しんだよ」
『他にもアシスタントがいて、そのひとたちは自分の原稿も描いてるんじゃねえの?』
 正論だ。
『次りんださんの仕事いつ?』
「……9月第1週」
『なら少し時間あるじゃん』
「りんだの担当さんに提出する絵もあるんだっての」
 由美は立ち上がって、小声で、厨房の絢子に「お茶2つ、冷たいとありがたいです」と言った。
『ホントに忙しいのね……次の日曜どう?』
「おけ。場所は」
 また藤花亭指定してくるだろうな、とは思う。
『藤花亭』
「今いるから帰り際に予約しとくわ」
『えー。大将や女将さんによろしく言っといて』
「おけ。じゃあね」
 P! と電話を切って、席に戻ると、冷たいお茶が来ていて、ああ喉が渇いてたんだ、と喜んで飲んだ。飲んでから、
「大将、日曜日予約したいんだけど。信宏と」
「オーケー」
 笑顔を浮かべる絢子が「ありがとう」の形に口を動かしている。
 由美は冷たいお茶を飲んでいるが、毬子は、
「そろそろ帰る?」と持ち掛ける。
「うん、あんたは仕事大丈夫なの?」
「仕事になるかわからない絵の締め切りがね。
 エータローの件は続報は?」
「ナイ」
「そか」
「じゃあそろそろ解散する?」
 と言った時、店の扉がガラッと開いた。
「いらっしゃいませー!」
「こんばんは……」
 八木だった。

「お疲れさま、あたしたちはもう帰りまーす」
 と八木と藤井夫妻に挨拶をして、毬子と由美は別れた。
 藤花亭にもう少し居れば良かった……という気持ちにかられた毬子だった。
 ええい、絵を描かなくちゃ! 時間かかり過ぎ!

 モノクロームで、バストアップと全身像、男女1枚ずつ計4枚、というのが、崎谷につけられた注文。
 1枚は座っている構図の方がいいな、と女子の全身像は椅子に座っている構図にした(時間がかかっているのはこれのせいもある)。男子の全身像は、右手を目のあたりにかざして、日光を避けている図にしてみた。女子の2枚は、頭上に壁掛け時計がある。女子のバストアップは、わざと真顔にして、履歴書用証明写真をイメージしてみる。男子のバストアップは口元がかすかに笑んでいる。

 由美には、こんなメールが来ていた。
 白石エータローの凱旋取材に行くライターや編集者、媒体名を彼に送ったという。由美の名前も彼に渡ったという。
 由美は今年、「ライターユミの時々暢気な日常」というタイトルの音楽ブログを始めたのだが、そのブログのアドレスも送ったようだ。

 毬子は、
「ええい、見切り発車と行くか……いや、その前にりんだに見せるか……」
 と思い立って、りんだに、
「もしもし、あたし、毬子。実はあんたに見て欲しい絵があるんだけど、会えないかな?」
 とメールをしてみた。
 折り返し電話がかかってきたのは翌朝だった。
「崎谷さんに絵を出すんでしょ? 電話で聞いた。なんで言ってくれなかったんですか。いいですよ見ます」
 という返事。
 デジタル時代なら圧縮してメールで送っているところであるが、この頃はまだ2人ともアナログなのである。
 りんだは、
「土曜の昼間なら」
 という話だったので、土曜の昼間に藤花亭である。
 絵はクリアファイルに入れた。スクリーントーンが剥がれたり移らないように気を遣いながら。
 座敷に座ってりんだを待つ。

「いいじゃないですか。先輩の個性もよくわかるし」
 4枚をかわるがわる見ながら、りんだは言う。ウーロン茶を飲みながら。時々ファイルをめくったり。
「2枚ともここに時計を置いたのは、ふたりがたとえば同じクラスとかだから?」
「あっ、気づいてくれた?」
「そういうところでストーリー性持たせるのもいいじゃないかと。制服を揃え……てもいますね」
「履歴書用の写真イメージしたりとかさ」
 全員同じ、ベタ塗ったブレザーに、タータンチェックのボトムスだ。といっても、全身像しかボトムは見えないけど。座っている娘はスカートで。
 衣装を考えるのが面倒だったというのもあるのだが、タータンチェックは時間がかかった。

 この時由美は、ひとり優雅な土曜の朝と洒落込んでいたが、仕事用のパソコンを立ち上げてみると、送られてきたメールにあっとなった。
 タイトルは「俺の知っているイワブチユミに届きますように」。
「こんにちは。凱旋ライヴで会えることを祈っています。
 ブログ見ました。
 昔ライヴによく来てたあのユミなのか?
 毬子は元気ですか?
 毬子にも会いたいので、ライヴに来るよう伝えてください。パス都合しますので。
 じゃあまた」

 !!!!!
 本人からメール来ちゃったよ……。
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逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

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