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第4話 空腹

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 課長が山口さんの社用スマートフォン、個人スマートフォンにかけても繋がらず、緊急連絡先に指定されていたご実家の固定電話にかけてやっと繋がった。
 結論から言うと、山口さんは入院していた。
 今朝、激しい腹痛に襲われて起き上がれず、救急車で運ばれたらしい。
 腎臓の炎症らしいので「過労」とは違うのかもしれないけど……疲れがたまったせいで体のちょっと悪いところがめちゃくちゃ悪くなるとか、ウイルスとかへの抵抗力がなくなって病気にかかるとかはさんざん見てきた。
 遠からず激務のせいだろう。
 ちなみに、救急車を呼んだのは山口さんと同棲していた彼女さん。
 現在三二歳の山口さんは、「結婚して子どもも欲しいけど、この会社で働きながら結婚して子育てとかイメージわかない」と何度か俺にこぼしていた。
 入院は一週間から二週間らしいけど……山口さん、帰ってこないかもな。
 身体も、結婚も、どうなるのかな……。

 ……なんて、他人の心配をしている場合じゃない。

「はい、山口は当分お休みを頂くことになりまして……はい! そちらのデザインはすでに進行しておりますので、ご安心ください!」
「明日の打ち合わせですが、山口に変わりまして私が伺うことに……」
「大変恐れ入りますが、山口にお伝え頂いております修正について、もう一度伺っても……」
「桜田さん! 山口さん宛のメール、転送します!」

 部署全員、バタバタだ。
 ただでさえ自分の持っている得意先の仕事でいっぱいいっぱいなのに、きちんと引継ぎされていない山口さんの仕事を、課長を含め六人で分担する。
 つい半月ほど前に、急に辞めた後輩の仕事を引き継いだ時もこうだったので、めちゃくちゃキツイのに、意外とできてしまうのが悲しい。
 こんな大パニックの状況に慣れてしまっているのが……怖い。


      ◆


「ふぅ……」

 朝からバタバタで、食事をとれないまま終電の時間が過ぎた。
 外回りの途中に駅の売店で買えたコーヒーとエナジードリンクの缶、板チョコの包み紙がデスクの端に転がっている。
 
「腹減った……」

 隣の席に座る、ぽっちゃり体形の大川先輩が呟くと、俺も三人の後輩も、課長も頷いた。

「誰かコンビニ行ける人いない?」

 今度は誰も頷かなかった。

「……なんか無かったかな……」

 先輩がデスクの引き出しや自分の鞄を漁る。
 食べるのが大好きな大川先輩なので、お菓子やカップ麺がデスクから出てくることは多いが、今日はもう出てこないようだ。

「眠気覚ましのミントタブレットならありますよ」

 反対の隣に座る吉野が声をかけてくれるけど、大川先輩は申し訳なさそうに首を振った。

「ごめん。カロリーが欲しい……」

 気持ちは解る。
 ものすごく解る。
 俺だって、さっきから眺めているコンペ参加の要項が全然頭に入らないくらいエネルギー不足だ。
 廊下にある自販機の甘いジュースでなんとか誤魔化すか……。

「ちょっと自販機行ってきます。なんかいる人は?」
「ありがとう、水分はとりすぎてるからいいや……」
「大丈夫です」
「……っす」

 みんな同じ考えのようで、すでに各自のデスクの上には甘いコーヒーやスポドリ、炭酸飲料などが並んでいる。
 甘い飲み物のとり過ぎは体に良くないし、水分をとりすぎてトイレに行く回数が増えるのも嫌だよな……。
 本当は俺だって飴とかチョコとか、甘くて美味くてすぐに吸収されるものが欲しい。
 ポケットに一個くらい何かの残りが無かったかな……。

「あれ?」

 部署の部屋を出て、エレベーターホールに設置されている自販機に行くまでの暗い廊下を歩きながら、ダメもとでジャケットのポケットに手を入れると、入れっぱなしのダブルクリップとレシートと……チョコレートが出てきた。
 コンビニでよく売っている、飴やガムと同じサイズのスティック状に一〇粒ほど入っている定番のミルクチョコレート。同じメーカーの板チョコは良く買うけど、これは……買った覚えがない。
 景品でもらったか? 覚えがないほど昔に買って忘れていたやつか? 賞味期限切れていないよな?

「……!」

 賞味期限を確認しようとチョコレートの箱を裏返すと、成分表や賞味期限の上に、小さな付箋が貼ってあった。

『細すぎて心配です。よかったらどうぞ』

 丁寧な手書き文字。
 つまり、誰かからの差し入れだ。
 誰だ? 同じ部署の人か? 他の部署の人か? 取引先? 外注先?
 最近誰に会った?
 いや……ちょっと待て……。

「細すぎるって……」

 最近俺の体に触れたのは電車の彼くらいだ。
 まぁ、触れなくても見るからに細いけど。

「……フィルムに包まれているし、穴もあいてなさそうだし、賞味期限も充分あるし……」

 電車の彼が怪しい奴じゃないとは言い切れない。
 そもそも、彼がくれたものじゃないかもしれない。
 でも……。

「いただきます」

 フィルムをはがして、中の紙もはがして、見た目をよく確認してから一粒口に入れる。
 変な匂いも、変な味もしない。
 普通においしいミルクチョコレートだ。

「あー……」

 口の中で溶けるチョコレートの甘さが、疲れ切った脳に、全身にしみわたっていく気がした。
 美味い。
 元々チョコレートは好物だけど、疲れ切った空腹の時に食べるチョコレートは何よりも美味い。

「……うまいなぁ……」

 結局誰がくれたのか解らない怪しいチョコレートなのに、気が付くと一〇粒全て食べきっていた。
 みんなに分ければ良かったか?
 でも、出所の解らないチョコレートだし……。

「……これで腹壊しても別にいいや」

 そうなったら休めるし……なんてことも頭の片隅で思いながら、コーヒーを買ってデスクに戻った。

 なんとか始発までに自分の業務と、山口さんから引き継いだ業務は最低限やり終えた。
 まだまだやることは残っているけど、一回家に帰ろう。
 あと、コンビニで何か買って帰ろう。
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