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暁の痛み
東の空が薄明るく染まっている。
ユキは寝乱れた寝床の中で、じっと明けていく空を眺めていた。
(まんじりともできなかった……)
一睡もできなかったせいで、額が重く痛んでいる。
婿の使命の後には、長老たちへの挨拶まわりがあった。一癖二癖ある、長老たちとの会話は一筋縄でなく、心身ともに疲れ切っているはずなのに。
ユキはころんと寝返りを打つ。ため息を吐けば、火のように乾いている。
「……熱い」
熱を持つ唇に、指先でふれる。そこは、昨日ソンロウに触れられた場所だ。ずっと焦がれてきた唇が、自分に甘くくちづけた。思いのほか、やわらかだった感触を思い出し、ユキは真っ赤になる。
「~~!」
寝床から、がばりと身を起こした。どくどくと激しく脈打つ胸を押さえ、切ない息を吐く。
(なんて未熟なんだ、おれは……!)
接吻ひとつでこの体たらく。草葉のかげで、母上も泣いておられよう――嘆きつつ、寝床に膝を抱える。しばし、うす闇にうかぶ弟たちの寝顔をぼうっと眺め、ユキはすっくと立ち上がった。
「……水でも、浴びてこよう」
どうせ、こうしていても眠れはしない。ユキは音も立てずに立ち上がり、やわらかな忍び足で岩蔵を出た。
早朝の空気はしんと冷え、深い霧が立ち上っていた。
濡れる岩肌を、ユキは軽やかに駆け下り、近くの川のほとりに出た。川べりにしゃがみ、水面に映る自分の顔を眺める。
(うわぁ……腑抜けた顔だな)
見ていられず、ぱしゃんと手をいれて、水面をかき崩した。ひやりと冷たい水が、ほてった肌に心地よい。手のひらですくい、顔を洗う。
「ふう」
ユキは顔から水滴をしたたらせ、水面を覗き込んだ。そこに映る小さな狼が、じっと見かえしてくる。
――純白の毛並みに、黒く大きな瞳。小さい体躯。成人してからも、”子犬のようだ”と揶揄われることも多い見慣れた己の姿だ。
『ガキの憧憬で、道を誤るな』
ソンロウの厳しい声が、蘇った。
「ガキ、か……」
苦く、深いため息を吐く。
もちろん、ソンロウが容姿のことを言ったわけではないとわかっている。
ただ……やはり、”幼い”とは思われているのだろう。
長年、父と弟の世話に明け暮れつつ、修行に只管打ち込んでいたせいか、ユキは色事に疎い。立派な十八の雄でありながら、いまだ雌と戯れたこともなく、誰の肌も知らなかった。
ソンロウへの想いを温めいていたユキにとって、それは恥じることではなかったが――
(おれが、ものを知らぬゆえ……先生はおれが思い違いをしていると思っていらっしゃるのだろう)
幼いころから、自分はソンロウを慕ってきた。自分にとって変わらない想いだが、きっと彼にとってもそうなのだ。
「よし! まずは、おれの想いを信じていただかなくてはな」
ユキは決意を新たにする。
(前向きに考えよう。脅しのようなものとは言え、接吻もしてくださったじゃないか!)
完全に脈がないというわけでもあるまい。
気合を入れていると、背後で足音が近づいた。鼻先が涼しくなるような、強い香の匂いが風に乗って漂う。
「おやおや。若君ではありませぬか」
「……ハクロ」
振り返ると、白い衣をたなびかせハクロが佇んでいた。取り巻きの狼たちを背に従えている。
「めずらしいな。ここに何のようだ」
ユキは警戒し、尋ねた。
ハクロの一族は手下の数が多い為、族長の砦を出て住処を別にしている。今朝は招集もなく、砦の近辺をうろつく理由はないはずだった。
「おや」
ハクロは扇子で美しい顔の下半分を覆い、わざとらしくのけ反った。
「用がなくてはいけませぬか? 私の父は族長の腹心。この村のどこにも、遠慮する必要はないかと思っておりましたが……」
「……ああ、そうだな」
もって回った言い回しに、眉が寄る。――常は自分たちの住処に客を招くばかりで、招集しない限りは出向かないお前が珍しいな、とハッキリ言えばよかったのか。
(よく分からん奴だ)
取り巻きと目を交わし、くすくす笑いを漏らすハクロを胡乱な目で見る。昨日の剣幕を思えば、もっと因縁をつけてくるかと思っていたのに。
ユキはわしわしと毛並みをかき乱し、言う。
「まあ、おれは行く。好きに散歩してくれ」
さっさと横を通り過ぎようとすると、ハクロに肩を掴まれた。硬い指が肩に食い込み、ユキは足を止める。
「なんだよ」
「……」
ハクロは答えず、ついと顔を寄せてきた。――白絹のようにたおやかな毛並みが頬に落ちかかって来る。強い香の匂いに、ユキは眉を顰めた。
「おい――」
「あの、斑の臭いがする」
唇に、閉じた扇子を押し当てられる。ハッと目を見ひらいたユキに、ハクロはその秀麗な面に冷たい笑みを浮かべてみせた。
「たった一夜で、われらが若君は雌となられたか」
「……っ、離せ!」
かっとなり、腕を払う。ハクロはふわりと衣を翻し、一歩後じさった。余裕の有様が腹立たしい。
「儀式をからかうなど……お前は、族長に叱責されて、こりていないらしいな!」
ユキが低く唸り、睨みつけると――ハクロは悠然と扇子を手に弄び、言う。
「儀式、ね。あなたには、ずいぶん都合の良い言葉だ」
「……なんだと?」
「本心では、意中の相手を手に入れご満悦なのでしょう? ほんに、ユキ殿は村思いでいらっしゃる」
ハクロの言葉に追従して、取り巻きたちもどっと笑った。自らの浅ましさを指摘され、ユキは顔を赤らめた。
(くっ……悔しいが、言い返せない……)
儀式にかこつけて、愛しい狼を手に入れようとしたのは事実だった。罪悪感に、唇をきつく噛みしめていると、ハクロたちは笑いながら去って行く。
嘲りが、早朝の空に響いていた。
その残響が、ユキの胸に痛みを残す。罪の恋の痛みであった。
ユキは寝乱れた寝床の中で、じっと明けていく空を眺めていた。
(まんじりともできなかった……)
一睡もできなかったせいで、額が重く痛んでいる。
婿の使命の後には、長老たちへの挨拶まわりがあった。一癖二癖ある、長老たちとの会話は一筋縄でなく、心身ともに疲れ切っているはずなのに。
ユキはころんと寝返りを打つ。ため息を吐けば、火のように乾いている。
「……熱い」
熱を持つ唇に、指先でふれる。そこは、昨日ソンロウに触れられた場所だ。ずっと焦がれてきた唇が、自分に甘くくちづけた。思いのほか、やわらかだった感触を思い出し、ユキは真っ赤になる。
「~~!」
寝床から、がばりと身を起こした。どくどくと激しく脈打つ胸を押さえ、切ない息を吐く。
(なんて未熟なんだ、おれは……!)
接吻ひとつでこの体たらく。草葉のかげで、母上も泣いておられよう――嘆きつつ、寝床に膝を抱える。しばし、うす闇にうかぶ弟たちの寝顔をぼうっと眺め、ユキはすっくと立ち上がった。
「……水でも、浴びてこよう」
どうせ、こうしていても眠れはしない。ユキは音も立てずに立ち上がり、やわらかな忍び足で岩蔵を出た。
早朝の空気はしんと冷え、深い霧が立ち上っていた。
濡れる岩肌を、ユキは軽やかに駆け下り、近くの川のほとりに出た。川べりにしゃがみ、水面に映る自分の顔を眺める。
(うわぁ……腑抜けた顔だな)
見ていられず、ぱしゃんと手をいれて、水面をかき崩した。ひやりと冷たい水が、ほてった肌に心地よい。手のひらですくい、顔を洗う。
「ふう」
ユキは顔から水滴をしたたらせ、水面を覗き込んだ。そこに映る小さな狼が、じっと見かえしてくる。
――純白の毛並みに、黒く大きな瞳。小さい体躯。成人してからも、”子犬のようだ”と揶揄われることも多い見慣れた己の姿だ。
『ガキの憧憬で、道を誤るな』
ソンロウの厳しい声が、蘇った。
「ガキ、か……」
苦く、深いため息を吐く。
もちろん、ソンロウが容姿のことを言ったわけではないとわかっている。
ただ……やはり、”幼い”とは思われているのだろう。
長年、父と弟の世話に明け暮れつつ、修行に只管打ち込んでいたせいか、ユキは色事に疎い。立派な十八の雄でありながら、いまだ雌と戯れたこともなく、誰の肌も知らなかった。
ソンロウへの想いを温めいていたユキにとって、それは恥じることではなかったが――
(おれが、ものを知らぬゆえ……先生はおれが思い違いをしていると思っていらっしゃるのだろう)
幼いころから、自分はソンロウを慕ってきた。自分にとって変わらない想いだが、きっと彼にとってもそうなのだ。
「よし! まずは、おれの想いを信じていただかなくてはな」
ユキは決意を新たにする。
(前向きに考えよう。脅しのようなものとは言え、接吻もしてくださったじゃないか!)
完全に脈がないというわけでもあるまい。
気合を入れていると、背後で足音が近づいた。鼻先が涼しくなるような、強い香の匂いが風に乗って漂う。
「おやおや。若君ではありませぬか」
「……ハクロ」
振り返ると、白い衣をたなびかせハクロが佇んでいた。取り巻きの狼たちを背に従えている。
「めずらしいな。ここに何のようだ」
ユキは警戒し、尋ねた。
ハクロの一族は手下の数が多い為、族長の砦を出て住処を別にしている。今朝は招集もなく、砦の近辺をうろつく理由はないはずだった。
「おや」
ハクロは扇子で美しい顔の下半分を覆い、わざとらしくのけ反った。
「用がなくてはいけませぬか? 私の父は族長の腹心。この村のどこにも、遠慮する必要はないかと思っておりましたが……」
「……ああ、そうだな」
もって回った言い回しに、眉が寄る。――常は自分たちの住処に客を招くばかりで、招集しない限りは出向かないお前が珍しいな、とハッキリ言えばよかったのか。
(よく分からん奴だ)
取り巻きと目を交わし、くすくす笑いを漏らすハクロを胡乱な目で見る。昨日の剣幕を思えば、もっと因縁をつけてくるかと思っていたのに。
ユキはわしわしと毛並みをかき乱し、言う。
「まあ、おれは行く。好きに散歩してくれ」
さっさと横を通り過ぎようとすると、ハクロに肩を掴まれた。硬い指が肩に食い込み、ユキは足を止める。
「なんだよ」
「……」
ハクロは答えず、ついと顔を寄せてきた。――白絹のようにたおやかな毛並みが頬に落ちかかって来る。強い香の匂いに、ユキは眉を顰めた。
「おい――」
「あの、斑の臭いがする」
唇に、閉じた扇子を押し当てられる。ハッと目を見ひらいたユキに、ハクロはその秀麗な面に冷たい笑みを浮かべてみせた。
「たった一夜で、われらが若君は雌となられたか」
「……っ、離せ!」
かっとなり、腕を払う。ハクロはふわりと衣を翻し、一歩後じさった。余裕の有様が腹立たしい。
「儀式をからかうなど……お前は、族長に叱責されて、こりていないらしいな!」
ユキが低く唸り、睨みつけると――ハクロは悠然と扇子を手に弄び、言う。
「儀式、ね。あなたには、ずいぶん都合の良い言葉だ」
「……なんだと?」
「本心では、意中の相手を手に入れご満悦なのでしょう? ほんに、ユキ殿は村思いでいらっしゃる」
ハクロの言葉に追従して、取り巻きたちもどっと笑った。自らの浅ましさを指摘され、ユキは顔を赤らめた。
(くっ……悔しいが、言い返せない……)
儀式にかこつけて、愛しい狼を手に入れようとしたのは事実だった。罪悪感に、唇をきつく噛みしめていると、ハクロたちは笑いながら去って行く。
嘲りが、早朝の空に響いていた。
その残響が、ユキの胸に痛みを残す。罪の恋の痛みであった。
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