いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第七章~おごりの盾~

四百七十話

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 宏ちゃんは、ぼくを安心させるように笑っていた。片頬は赤黒い痣に覆われているのに、その笑みはこんなときでもあたたかい。

「宏ちゃ……」

 ぼくの頬に新たな涙が伝う。

「泣くな。俺が、かならずお前を……ッ」

 宏ちゃんの言葉が、使用人の殴打で遮られる。床に真っ赤な鮮血が散り、ぼくは悲鳴を上げた。

「だめ……っ!!」

 彼らはよってたかって、ぼくの大切な人に拳を振り下ろす。宏ちゃんは体を庇うように丸め、呻き声を上げた。

「やめてーっ! 宏ちゃん、宏ちゃん……!」

 止まらない殴打音に、ぼくは絶叫した。
 必死にもがき、夫のもとへ行こうと身を捩る。陽平は苛立たし気に唸り、ぼくの喉を片手で押さえ込んだ。

「ウッ……!」
「成、俺は平気だ! 無茶しないでくれ……!」

 宏ちゃんが悲痛の声を上げる。陽平は、ふっと乾いた笑みを浮かべた。

「そんなざまで、格好つけやがって。お前なんかに、何ができるってんだ?! 今ここで、成己が奪われそうでも、何も出来やしないくせにッ!」
「あっ……!」

 陽平はぼくを引き寄せる。血を流す宏ちゃんの姿を見せつけるように、顎を掴まれた。

「……っ、ぐ……」

 宏ちゃんは唇から血を流し、荒い息を吐いている。服にも、いくつも靴の痕がついていた。足蹴にしたのか、と呆然とする。いつも大きくて、優しい夫が。ぼくのせいで、こんな目に――。

「ほら、見ろ成己。野江の情けない姿をな……!」
「ゆ……へん……」

 陽平が不思議そうに睫毛を揺らす。ぼくは、力いっぱい怒鳴った。

「宏ちゃんを傷つけて……こんなの、許されへんのやから……! ぜったい、報いがくるんやから……っ!」

 悔しさに泣きながら、紅茶色の目を睨み上げると、陽平は物知らずの子どもを見るように、頬を緩めた。

「オメガの所有権を巡っての争いは、合法なんだ。たしかに、現時点では俺の分が悪いが……お前が俺のものになれば、話は変わってくる」
「なっ……」
「何より――俺は、お前を離すつもりはない」

 陽平は愛でるように、ぼくの首に指を食いこませる。ビクリと肩を震わせると、陽平は喉を鳴らして笑った。

 ――ひどいっ……こんなの、ひどいよ……!

 宏ちゃんは床に伏し、静かに耐えている。ぼくの為に、ひどい目に遭わされているのに、優しい目がずっと見つめてくれている。――大丈夫だよって言うみたいに。

「ううう……!」

 何も出来ない自分がいやで、心がぺしゃんこになる。

「もう、やめて……」

 力なく頭を振る。はらはらと頬を伝う涙を、陽平は楽し気に親指で拭い――冷たい声で命じた。

「お前ら、その男の心を折れ。野江、成己の命と引き換えたいなら、抵抗してみろよ!」

 使用人たちは、陽平の命令に素早く呼応する。強いアルファに暴力をふるうことに高揚しているみたいやった。ぼくは、無駄と知りつつ叫ばずにいられない。

「やめて! お願いやからっ……陽平、やめさせて……」

 涙でぐしゃぐしゃの叫びに、惨劇を眺めていた陽平が、振り返った。

「だめだ。あいつはお前を奪った。その借りは、返させてもらう」
「!」
「でも、お前が俺のもとに帰るというなら……」

 熱い指が、ぼくの首輪をなぞる。宏ちゃんとの大切な絆に、雑に触れられて、ひゅっと息をのむ。

 ――そん、な……

 目の前が真っ暗になる。最悪の二択だった。
 ひろちゃんの側に居たい。
 でも――宏ちゃんが傷つくのは、耐えられない。
 再び覆いかぶさって来た陽平を、押し返す事もできず、震えていると――宏ちゃんが声を上げる。

「いいんだよ、成」

 穏やかな声だった。
 灰色の優しい瞳には、強い決意がたたえられている。

「俺は、お前の為なら何でも出来る」
「……!」

 ぼくは、目を見ひらいた。

「さあ、殴るなら殴れよ! 俺は死んだって、成の側を離れないぞ」

 きっぱりとした宣言に、ぼくの胸に炎が点る。

 ――宏ちゃん……!

 陽平の手が怒りからか、びくりと痙攣する。獣のように歯を噛みしめているのに、太い唸り声が響く。唇から赤い血が太く伝っていた。

「ああ、そうかよ……だったら、望みどおりにしてやる!」

 陽平が叫び終わらないうちに、ぼくは必死に身を捩った。

「宏ちゃんっ……!」
「な……!」

 陽平の腕が、慌てたようにきつく締めあげてくる。でも、止まれない。胸の奥から熱い感情がせり出してくる。

「成己ッ?!」
「いやあ……ひろちゃんっ……」

 喉に食い込む指が、深くなる。戒められた手首が軋み、指先に感覚がなくなっていくみたいだ。

「やめろ、成己! 言っただろ、俺は……お前が離れたら、殺すって!」

 陽平が叫んでいたけれど、もう怯まなかった。
 それより、怖かったん。今すぐに、宏ちゃんの側に行かないと、何か大切なものが壊れそうで……。

「ひろちゃ……ひろちゃんっ……」

 掠れた声で、愛しい人を呼ぶ。宏ちゃんが、必死の形相で叫んだ。

「成、駄目だ! やめてくれ……!」

 しだいに、遠くなる意識の中――陽平が「成己」と呆然と呟く。

「なんで……っ!なんで、そこまで……!」

 ぐしゃぐしゃにつぶれた涙声が言う。ぼくは、かふっと息を吐いた。胸を喘がせながら、口にする。
 
 ――好きだから。宏ちゃんが、すきだから……
 
 声に出ていたかわからない。ただ、陽平は苦し気に眉を寄せた。

「くそっ……」

 喉を締め付けていた手が、力を失う。
 そのとき――遠くなる意識の片隅で、ガチャリと金属が投げ捨てられる音が聞こえた。
 地鳴りのような足音。

「――成ッ!!」

 愛しい声に、名を呼ばれた。
 大きく腕を振りかぶった宏ちゃんが、その拳を陽平の頬に叩きこんだ。
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