いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
473 / 505
第七章~おごりの盾~

四百七十二話【SIDE:陽平】

「成己――!」

 俺は声の限り叫んだ。床を這いずって、野江と共に遠ざかる成己に手を伸ばす。

 ――行かないでくれ……!

 息をするだけで痛みを訴える頬に、涙が伝う。いやだ、と何度も繰り返した。
 俺の腕から、二度もいなくなるなんて許せない。ここで逃したら、お前は二度と帰ってこないのだと――恐ろしい焦燥が胸を責めた。

「成己、行くなよ……成己ッ……!」

 けれど、必死に伸ばした手は、届かない。成己は振り向いてはくれなかった。野江の腕にぴったりと身を預け、ドアを潜り行く。
 待ってくれ。
 いやだ――。

「成己ィッ……!!」

 泣きながら、愛しいオメガを呼んだその一瞬……成己の横顔が見える。
 部屋を染める夕陽に照らされ、成己は泣いていた。悲しそうな横顔に、光の雫のように涙が伝っている。
 あまりに綺麗で、悲しい涙だった。

「……ぁ」

 俺は息を飲み、声を失う。伸ばした手が、力なく床に落ちた。心臓が、ドクドクと激しく脈打つ。――とんでもない間違いを犯したと、気づいてしまったから。
 
 『城山くん』

 記憶の片隅から、やわらかな笑みを浮かべた成己が、手を振っている。
 夕焼けに染まる教室が、ふと胸に迫りきて、俺は息を止めた――。
 
 

 
 そうだ。
 成己は、いつも笑っていた。
 出会ったばかりの、あの頃。放課後の教室は、いつも静かで。俺たち二人だけの、穏やかな時が流れていた。
 
 『なあ、春日。その本の犯人、誰かわかるか?』
 『ぼくは、妹さんの旦那さんが怪しいと思うっ』

 顔をつき合わせて、くだらねえことで笑い合って。たった一冊の本の為に、めちゃくちゃに言い合ったことも、真剣に推理したこともある。
 城山の御曹司も、センターのオメガもなく、ただのガキみたいにさ。
 
 『陽平。いつも一緒に待っててくれて、ありがとうね』
 『……どういたしまして』

 そう言って、俺がいると嬉しそうな成己がくすぐったかった。
 センターの送迎を待つ成己を、気まぐれに構いだしたのはいつごろだったか。ひとりきり、夕陽に染まる教室にいるあいつが、なぜか儚く見えたからかもしれない。
 
 ――成己が、嬉しそうだから……それだけだ。
 
 普段なら、好意の代償を期待されるんじゃないかって、面倒なのに。不思議と成己にはそれは無かった。ただ、一緒に過ごすと心地が良い。
 けれど、ひとつだけ――俺には不満があった。
 
 『あっ、お迎え来たみたい』

 成己は、送迎車が到着すると、いつもあっさり帰っていく。
 
 『陽平、また明日ね』
 『……ああ』

 笑って手を振って、一目散に教室を駆け去っていく背中。ふわりと揺れる生成色の髪を見送ると、いつも物足りないような、憎らしいような気持ちになった。
 
 ――んだよ。そんなに帰りたいのか……?
 
 面白くなかった。
 俺のことをもっと惜しめよ、と拗ねた気持ちがわいてきて。
 窓から校庭を見下ろして、成己が送迎車に乗り込むまでを見送った。そんなこと、あいつは知らなかっただろう。車が走り去るのを、どんな思いで見送ったかなんて。
 
 ――はやく、明日になれ……。
 
 西の空には夕陽があかあかと燃えていた。
 家に帰れと急き立てるような赤に目を瞑り、俺はやわらかな笑みを想った……
 
 
 


「……そうか……」

 そして、現在――夕陽の差し込む部屋に、俺は一人残されている。
 開け放たれたドアには、成己の影すら残っていない。寂しさに、どっと涙が溢れ出した。

「成己……!」

 感情のままに、ダン、と床を殴った。
 
 ――俺は、最初から間違ってたんだ……。
 
 成己が可哀想だから、じゃない。
 そんな理由で結婚できるほど、俺は器用なんかじゃない。

「俺が、成己の側にいたかった。成己に、側にいてほしかったんだ……!」

 胸の奥から悲しみがこみ上げ、「クソ」と呻く。床を叩く。何度も――間違えた怒りと、失った悲しみで、心が滅茶苦茶になりそうだった。
 
 『――陽平、また明日ね』

 いつも笑って、手を振っていた成己。明日の期待を持てたのは、あいつの笑顔のおかげだった。いつだって、嬉しそうに笑ってくれたあいつのことを、手放したくないと思っていたはずなのに。

「いやだ……!」

 床に両腕をつき、呻いた。
 
 『さようなら、陽平』

 悲しそうに泣きながら、あいつは言った。
 その意味を悟り、胸がドリルで穿たれたように痛みだす。

「うああああ……っ!」

 声の限り、叫んだ。胸の痛みを吐きつくすように。空っぽになれれば、これほど苦しまなくて済むのだろうか。床を殴りつけ、嗚咽を漏らし続ける。

「成己……っ、成己……!」

 組んだ拳に額をつける。甘い残り香が、かすかに漂う。俺の腕には、成己の温もりが残っているのに。
 熱い涙が溢れ、頬を濡らし、床にしみを作っていた。
 
「――陽平ちゃん!」

 部屋の中に母さんが駆け込んでくる。
 柔かい手が、むせび泣く俺の背を擦ろうとした。
 
 ――やめてくれ!
 
 身を捩ると、母は手を引いて、それから機嫌を取るように微笑んだ。

「……大丈夫、大丈夫よ……ママがなんとかするからね!」
「……ッ」

 細い腕を俺の肩にまわし、上ずった声で囁く。甘い香水のにおいが鼻につき、俺は頭を振る。
 
 ――やめてくれ。成己の香りが……。
 
 訴えは言葉にならず、母は嬉しそうに身を寄せた。その白い指が、すらりと天井をさす。

「心配しないで。もう、成己さんを捕まえたも同然よ。あなたのものになったって証拠は、きちんと撮れているのだから……!」
「……え?」
「監視カメラに映った映像で、成己さんを脅すのよ。抱き合う姿を、野江の本家に送りつけてやるのもいいわね。野江に捨てられれば、私達の足元に縋るわ。だから、泣かないで陽平ちゃん。いい子にしていてね――」

 甲高い声で狂気の計画を捲し立てられ、頭が真っ白になった。
 この人は、何を言っているんだ? 俺とそっくりの紅茶色の目が、どろどろした愛着に濁るのを見て、慄然とする。絶対に自分の思い通りにしようとするときの、母さんの目……。
 
 『なんで、お母さんの言うこと聞いてくれないの?!』

 ヒステリックな叫びが蘇る。そして、その声が成己に縋る自分の声に重なった。
 
 『離れるくらいなら、殺してやる……!』

 愛する人を苦しめても、幸福でいようとする俺と――

「……やめてくれ!!!」

 声の限り叫び、母さんを突き飛ばした。
 床に尻もちをついた母さんは、俺を呆然と見上げる。俺は荒い息を吐き、震える手を握りしめる。成己を殺しかけた手を。

「……よ、陽平、ちゃん……?」
「いい加減にしてくれよ!! もう、放っておいてくれ……!!!」

 頭を抱え蹲り、怒鳴った。
 もう、全てがいとわしいと思った。いつも思い通りにしようとする母さんも。こんな母を子供に押し付け、仕事ばかりの父さんも。
 この人たちの息子に生まれて、ちゃんと人を愛せない俺のことも――!!

「もう、うんざりなんだよ……!」

 こんなところにいたくない。
 誰の顔も見たくない。
 ……成己だけ。
 成己がいれば、俺は幸せだったのに――。
 真っ赤な部屋にひとり、俺は体を丸めて咽び泣いた。
 もう失ってしまった、俺の最愛を求めて……
 
感想 280

あなたにおすすめの小説

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。 完結しました!ありがとうございました。

文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる── 侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。 だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。 アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。 そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。 「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」 これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。 ⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。 4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

幼馴染がいじめるのは俺だ!

むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに... 「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」 「はっ...ぁ??」 好きな奴って俺じゃないの___!? ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子 ーーーーーー 主人公 いじめられっ子 小鳥遊洸人 タカナシ ヒロト 小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。 姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。 高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、 脳破壊。 千透星への恋心を自覚する。 幼馴染 いじめっ子 神宮寺 千透星 ジングウジ チトセ 小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。 美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている) 転校生の須藤千尋が初恋である

愛され方を教えて

あちゃーた
BL
主人公リハルトは自分を愛さなかった元婚約と家族のために無惨に死んだ…はずだった。 次に目が覚めた時、リハルトは過去に戻っていた。 そこは過去のはずなのにどこかおかしくて…

世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました

由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。 ——皇子を産めるかどうか。 けれど私は、産めない。 ならば—— 「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」 そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。 毒を盛られても、捨てられず。 皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。 「お前は、ここにいろ」 これは、子を産めない女が ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。 そして—— その寵愛は、やがて狂気に変わる。