いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第八章~遥かな扉~

四百七十四話

「少し、待っていてくれな」

 宏ちゃんは、ぼくを湯船の縁にそっと座らせると、手早くパネルを操作してお湯をはってくれる。機械音声のアナウンスが流れ、熱いお湯が湯船にドッと溢れ出した。白い湯気が、もうもうと立ち上る。

 ――宏ちゃん……。

 ぼくは大きなシャツをかき合わせて、じっと座っていた。……いつもの生活の音が、不思議なくらいや。シャワーの温度を見てくれている夫の広い背を見ながら、胸を高鳴らせてしまう。

 ――このあと……抱きしめて、もらえる……?

 考えただけで、泣きたいほどに切なかった。変な薬のせいか、からだがおかしくて……。熱があるみたいに火照って、お腹の奥がそわそわするん。布が触れる感触にさえ、乱れてしまう息が恥ずかしい。

「よし。成……もういいよ」
「ひろちゃん……」

 お湯を調節し終えて、振り返った夫が、そっとぼくの肩に手を置いた。ぼくからも、手を伸ばしかけて――ひらりと開いたシャツの隙間から、赤い痕が見えた。

 ――あ。

 どくん、と心臓が不穏に跳ねる。

 『成己ッ……!』

 激情に塗れた、陽平の声が蘇る。肌に触れた熱い唇の感触も――。

 『いや! やめて、陽平……』
 『全部、塗り替えてやる。あの男のことなんか……』

 抵抗をおさえこまれて……あろうことか、陽平の愛撫に応えてしまったことも。
 さあ、と血の気が引いた。

「……やあっ!」

 身体を丸めて、宏ちゃんの手を避けてしまう。ぎゅ、ときつくシャツをかき合わせた。

「……っ、ごめんなさい。ぼく……」
「……成」

 宏ちゃんが、痛ましそうに呟いた。ぶるぶる震える手に温かい手が重なって、泣きたくなる。

 ――……やっぱり、だめ……!

 宏ちゃんに、陽平に触れられた肌を見られたくない。だって、こうしていても、薔薇の匂いがするんだもん。それに、あちこちに痕だって、ついているかも。
 もし、宏ちゃんに、汚れてるって思われたら――。考えただけで、火照ったからだに水を打たれるような心地がする。
 ざああ……とシャワーのお湯が床を叩く音だけが響く。ぼくは、うわずりそうな声で、訴える。

「……や、やっぱり、ひとりで入っていい? ちょっと、ましになってきたから……」
「……」

 そっと見上げると、宏ちゃんは唇を結んでいた。激情を抑え込んだような眼差しに、戸惑っていると……ぎゅっと肩を掴まれる。

「だめだ」
「――えっ?」

 目を見ひらいたときには、宏ちゃんに腕を掴まれ、ひき寄せられていた。立ち上がった拍子に、するり、とブランケットが床に落ちる。

「あっ……!? まって……」

 突然、むき出しになった下肢にぎょっとして叫んだ。慌てて、拾い上げようと手を伸ばそうにも、腰をしっかりと抱き寄せられている。
 静かな声が、耳もとに低く囁いた。

「だめだよ。待たない」
「……っ!」

 びり、と甘い痺れが背を走る。思わず、宏ちゃんの肩にきつくしがみついた瞬間、シャツの裾から大きな手がすべりこんできた。熱い指が素肌に触れ、ビクンとのけ反る。

「やぁ……っ」

 愛しむように撫でられるたび、はしたない声が、浴室に響く。床についていた足から、ふらりと力がぬけて、噎せるような森の香りに、頭から飛び込んでしまう。

「成……好きだ。俺から逃げないで……」

 ぎゅっ、ときつく抱き寄せられて、涙がこぼれた。

「宏ちゃん……ああっ……」

 広い背に両腕でしがみつき、ぼくは行き果てる。


 *


「はぁ……はぁ」

 頭が真っ白になる感覚の後……胸に凭れて、荒い息を吐く。
 シャツの裾からつきでた白い腿に、とろりと蜜が伝っていくのが見え……恥ずかしさに泣きそうになった。

 ――ぼく、また……こんな、いやらしい……

「い、いや……みないで」

 シャツの裾を引っ張って、粗相を隠そうとしていると……額に唇が降ってきた。

「綺麗だよ」
「……っ」
「成はずっと可愛くて、綺麗だ――」

 甘い声に、胸がずきんと痛む。ぽろりと涙をこぼすと……大きな手が襟にかかる。ひとつひとつ、ボタンが外されていくのを、ぼくは息を詰めて見守った。

「宏、ちゃん……」
「怖くないよ」

 ふと、二人の初めての夜が過った。
 
 『怖くないから……』

 静かに囁いて、ぼくのことを暴いてくれた、大切な幼なじみ。
 あの夜のように優しく、シャツが開かれる。ふわりと花びらが舞うように、ブランケットの上に白いシャツがわだかまる。一糸まとわぬぼくの姿が、電灯の下にさらされていた。

「……ああ」

 ため息のような、宏ちゃんの声に震える。
 熱い眼差しが、素肌を這うのを感じる。こんなに、恥ずかしいのに……胸の尖りも、足の間の蕾も、ちょんとつつかれたら、はじけそうに反応していた。
 みっともない。いやらしい――。泣きそうな羞恥が襲う。

「だ、だめ……やっぱり、見ちゃだめぇ……」

 宏ちゃんの腕のなかで、いやいやと身をよじる。大好きな夫の目に映る自分がどんななのか……考えるのも怖くて、ぎゅっと目を閉じた。すると、両頬を包まれる。

「酷いな。こんなに綺麗なのに、見るななんて……」
「あっ」

 甘い囁きに、目を開ける。蜂蜜を煮詰めたみたいな、甘い眼差しが注がれていた。ぱあ、と頬が真っ赤になってしまう。

「俺の成己。もっと、よく見せて……?」

 あっという間もなく、顔を寄せられて唇が重なった。

「ん……うっ」

 優しく包むように、唇が擦り合わされる。やわらかい感触に、頭の芯がじいんと痺れた。……あたたかくて、きもちいい。足が震えて、立っていられない。すると、ほぼ抱き上げるように引き寄せられ、キスが深くなる。

「……待っ……ふぁっ!」

 滑り込んできた舌に、制止の言葉を奪われる。宏ちゃんの舌がぼくのそれに絡んで、唇も舌もぜんぶ、好きにされてしまう。優しいのに、いつもより強引で……「俺のものだ」って教えられているみたいやった。

「ひろちゃ……すきっ」

 いつしか、ぼくは宏ちゃんにしがみついていた。自分からも懸命に唇をくっつけて、愛撫を乞う。宏ちゃんに、もっともっと教えてほしかったん。”成己は宏ちゃんのもの”やって――。

「成……好きだよ。本当に、愛してる……」
「うれしい……ぼくも、大好きっ……」

 宏ちゃんは情熱的に囁いて、ぼくを愛でてくれた。嵐のようなキスに酔わされて、固く抱かれたまま何度も達してしまう。

「……っ、ふ……」

 シャワーの水音が響く中、ぼく達はぴったりと抱き合っていた。宏ちゃんは、ぼくの髪の撫で……熱い声で囁く。

「もっと、成に触れたい」

 ぼくは、夢心地で頷いた。
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