いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第一章~婚約破棄~

十九話

「なるほど……牛肉を赤ワインで煮込んで……」
 
 お昼すぎ、買い物のついでに立ち寄った本屋さんで、ぼくは料理本を読みふけっていた。
 昨夜の、ブッフ・ブルギニョンってどういうお料理なんかなぁって、気になって。ほしたら、フランス料理やったみたいで、「そら知らんわーい」ってひっくり返りたくなった。
 
「フレンチって、ご家庭で作れるもんなんや……お義母さんも、蓑崎さんもすごいなぁ……」
 
 ぼくは、ほうと息を吐く。……でも、そういえば。初めての顔合わせのとき、フレンチレストランやった。ぼく、フレンチ自体初めてで、死ぬほど緊張してたから、味わうどころと違ったけど。
 陽平が、「家族で行きつけのお店」やって言うてたのは、すごい嬉しかったから覚えてる。
 
「つまり……城山家――陽平にとってフレンチは、それくらい馴染みぶかいもの、ってことなんやね」
 
 言葉にして、きゅっと唇を引き結ぶ。
 ぼくにとってのご家庭の味って言うのは、センターのごはんやと思う。小さいころから食べてる味って、美味しいのもそうやけど、食べると安心するよね。やから、どこへ行っても思い出せるように、家庭科の先生にごはん習ったんよ。
 でも、陽平はこの先、ぼくのごはん食べていくんやし……城山家の味が、恋しくなることもあるよね。
 
「よしっ……! ぼくもフレンチ作れるようになって、陽平のこと驚かせたろ!」
 
 ふんすと気合をこめ、フレンチ料理の指南書を物色することにする。初心者向けで、ブッフブルギニョンの作り方が載ってる本が良い。あんまり、最初っから難しいのにすると挫折しそうやし。
 あれこれ手に取って、真剣にページをめくる。
 

 
 
「うーん、デにするって何……あっ、すみません」
 
 何冊目かの本を開いて、専門用語に首を傾げたとき――後ろを人が通った。帽子を深くかぶった、背の高い男の人。その人の鞄がお尻をつっかえたんで、慌てて体を避けた。
 
 ――いけない、いけない。夢中になって、邪魔になっちゃってたのかな。
 
 さっきよりも棚に身を寄せて、本を見ていると……また、お尻にトン、と何か当たる。「あれ?」と思って振り返ると、さっきの人が隣で本を見ていた。肘も触れそうな近さに、ちょっとぎょっとする。
 
「……わっ」
 
 び、びっくりしたぁ。あんまり近くに人がおると、落ち着かんよね。
 さりげなく距離を置いて、本を見ていると――とんって、お尻に軽い衝撃。すると、さっきの人がまた、隣にいる。
 
 ――え……何この人。なんでまた、横に来るん? 
 
 ぼくは、さすがに怪訝に思う。 
 恐る恐る目線を下にやると、その人の鞄が当たってる。……偶然かもしれへんけど、なんかすごい嫌な感じがして。ぼくは本を抱えたまま、慌ててその場を離れた。
 
「……な、何なんやろ」
 
 早足に歩いて、文庫本の並ぶ棚の辺りに出て、やっと足を止める。
 平日の昼間のせいか、あんまりお客さんがおらんみたい。あたりを見回しても人影はなくて――ほっと息を吐く。
 
「ふう……勢いで、こんなとこまで来てしもた。お料理の本、いっぱい持ってるのに……」
 
 戻しに行かなあかんけど、さっきの人いたら嫌やしなあ。
 うーんと悩んで、目前の棚を見れば、ちょうど推理文庫の並びやと気づく。ぱっ、と気分が明るくなった。
 
「あーっ、カバー変わってるっ」
 
 全章シリーズの新装版が並んでて、歓声を上げる。そういえば、漫画家さんとのコラボでカバーが変わるって、宏兄が話してたような。少年漫画風のイラストに惹かれて、思わず手に取った。
 
「わあ~、全章若い! でも、かっこいい……!」
 
 この本持ってるけど、欲しくなっちゃうっ。
 陽平にも見せてあげたいし、ここはひとつ奮発しちゃおうかな。腕に抱えて、笑顔で踵を返して――ぎくりとした。
 
「……ひっ!」
 
 さ……さっきの人が……いる。茫洋とした顔がこっちを見ていて、喉で吐息が凝った。
 何この人、なんで……まさか、追っかけてきた? 心からゾ~ッとして、ぼくはともかく、距離を取ろうとした。でも、
 
 どんっ。
 
「あっ!」
 
 男は、ぼくを棚の間に閉じ込めるように、立ちふさがってきた。おなかも触れそうな距離で、上から覆いかぶさるように迫られて、パニックになる。
 
「なっ? ちょっ……どいてくださいっ!」
「……」
 
 男は荒い息を吐きながら、なんかぶつぶつ呟いてる。不明瞭な声やったけど、「オメガ」とか「お前が誘った」とか、かろうじて聞こえた。


――こ、怖……なにこの人っ!

 気持ち悪くて、頬まで鳥肌が立つ。
 
「やめて! ど、どいてってば……! ちょっと、聞いてます?!」
 
 どうしよう……! 逃げたいのに、体が竦んでよう動かへん。ぼくは本をぎゅっと抱えて、必死に男を睨んだ。すると何故か、相手は顔を赤くして、手を伸ばしてくる。
 
「やっ」
 
 思わず、ぎゅっと目をつぶった瞬間。
 
「――何してんだ、お前ッ!」
 
 低い声が、鋭く耳朶を打つ。
 次の瞬間、魂消るような男の悲鳴が響いた。ハッとして目を開けると、そこに居たのは――
 
「宏兄っ……?!」
「成、無事か!?」
 
 怖い顔をした宏兄が、泣きわめく男の腕を、きつくねじり上げていた。
 
 
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