いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第一章~婚約破棄~

二十六話 

「宏章くんやったら、成己くんも安心やろ? それに、自由なお仕事してはるし、頼んだらいけるかなーって思ってん。ああ、よかった!」
 
 笑顔の涼子先生に、ぼくも笑いかえしながら……内心は、「わーん」って泣きたい気持ちやった。
 
 ――だって、宏兄にウソついたのバレちゃうんやもん!
 
 ぼくは、冷や汗だらだらでその場に立ち尽くす。宏兄は――昔から、優しいけど。怒るとなったら、めっちゃ怖いねん。
 にこやかに涼子先生と談笑する宏兄を見ながら、逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
 
「――立花先生、ご連絡ありがとうございました。さ、成。帰るぞ」
「は、はぁい……」
 
 有無を言わせぬ笑顔に、ひきつった笑顔で頷く。
「気を付けて帰りよー!」って見送ってくれる涼子先生に、手を振り返しながら……ぼくは護送される罪人の気持ちで、宏兄についてった。
 
 
 
 
 てく、てく――と、足音が響く。
 宏兄に、問答無用で手を引かれ――庭園を歩いてるんやけど。ぼくは、おずおずと宏兄をうかがう。
 
「ひ、宏兄……あの、なんで?」 
「聞いたとおりさ。立花先生から、電話があったんだ。成が城山くんに遠慮して、一人でセンターに来てるから、迎えにきてくれないかって」
 
 ああ、全部言われちゃってる……! 
 いつもどおりの陽気な声やけど、ぼくの手を握る宏兄の手は固い。やっぱり、怒ってるのかな……
 
「宏兄、ぼく……ごめんなさい」
 
 不安に駆られて、謝罪が口を突いて出た。宏兄がこっちを見る。
 
「――何にだ?」
「え……」
 
 聞き返されて、狼狽えてしまう。宏兄の目は静かなのに――見ていると、耳の横で大きく脈が打ち始める。「答えを、間違えてはいけない」と警鐘を鳴らすように。
 間違いない、とぼくは息を詰める。宏兄、めっちゃ怒ってる――!
 
「嘘、ついて……心配をかけて……」
 
 おろおろと口にすると、宏兄は僅かに笑った。
 
「心配なら、ずっとしてるさ」
「……あっ」
「俺を見損なうな、成」
 
 そう言ったきり、宏兄は前を向いて、歩き出してしまう。宏兄の解けない怒りに、ぼくは心臓がバクバクと、痛いほど打つのを感じていた。
 
 ――どうしようっ……呆れられた……?
 
 心配してくれてたのに、ウソなんかついたから。宏兄、ぼくのこと呆れて、いやになったかも……
 
「あ……」
 
 はやく、「ごめんなさい」って言わなくちゃ。
 そう思うのに――大きな背中が、これ以上話しかけるのを拒んでるみたいに見えて、言葉が出ない。
 
「……っ」
 
 痛いほどの無言の時間に……不安で、胸が押しつぶされそうになる。
 手首を強く掴まれているのに、逆に振りほどかれるような気がして、こわくて。ぼくはただ、俯いたまま、宏兄の後をついて歩いていた。
 
 
 ずっと、緊張していたせいか――宏兄の車にたどり着いたころには、ぐったりしとった。
 いつもの助手席に案内され、こわごわ座る。隣を見れば、宏兄は後部座席に荷物を放り込み、たんたんとエンジンをかけ、シートベルトをつけていた。ふいに目が合って、肩が跳ねる。
 
「成、シートベルトつけて」
「……あっ、うん」
 
 静かな指摘に、ぼくは何度も頷く。慌てて、シートベルトを引っ張って、つけようとする。せやのに、何故か……手に力が入らなくて。ガチャガチャって、ぼくの出す不器用な音が、車内に響く。
 
「あ、あれ? ……ごめん、待って」
 
 じっと待ってくれている宏兄に、泣きたい気持ちで謝る。焦りながら、ベルトを強く掴みなおしたとき――視界が翳った。
 
「え……」
 
 気が付けば、宏兄の首筋が目前にあって、目を見開く。
 運転席から身を乗り出した宏兄が、ぼくのベルトをつけようとしてくれてた。
 大きな体が覆いかぶさってきた瞬間――深い、強いフェロモンが香る。獰猛な森の気配が胸を衝いて、ぼくは一瞬、呼吸を忘れた。
 
「あ……!」 

――いつもと違う……すっごい怒ってるせい? 頭がくらくらする……!

 思わず、ぎゅっと目を閉じたとき――バックルが、カチリと音を立てて止まる。
 はっと目を開くと、静かな目と合った。
 
「苦しくないか?」
「……」
 
 声が出なくて、何度も頭を振る。すると――宏兄はすっと体を離して、ハンドルを握る。
 
「じゃあ、安全運転で帰るからな」
 
 怒ってるときでも、律儀な宏兄がおかしくて。
 ぼくは、なんだか泣きたくなった。
 
 
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